恩を返す人に、さらにまた恩を作る人 【Ⅰ】
書写 ―犬坂 風季―
ハァ――ハッ――ハァ――ハァ。
走る、走る、走る。
ハァ――ハァ……ハァ――ハッ――ハァ――ハァ。
授業中で静まり返った廊下を、右に、左に、そして下に、走り回る。
「……ハァァ、何で、俺は、追いかけられているの!」
最初は……千東にたたき起こされて、保険室に行けだの、駄目人間だの、怠け者だのと散々攻められ。
最終的に俺の生存本能が、『ここは逃げなさい、犬!』と訴えて来たのであわてて教室を飛び出してきたものの……。
「俺の、俺の健やかで、健全で、暖かい学生生活がぁ!」
そうだ、俺は普通に、周りからもあまり目立たぬようにやって行こうと、だから入学式の日も遅刻しないようにと……。
「これじゃもっと目立っちまうじゃないか!」
ハッ――ハッ――ハァ――ハァ。
しかも、本当に俺を追いかけているのは千東なのか? 千東はこんなに長い時間全力で走る程の体力は無かったと思うぞ!
―タッタッタッ、タッタッタッ―
全力で下へ、下へと走っているはずなのだが、それでも、背後から迫る軽いステップの足音が迫ってくる。
くそっ、え! ちょっと千東早すぎだろう!
いくら廊下を右左にまがり、千東を振り切ろうとしても、いくら階段を上り下りして、千東の体力を大幅に削ろうとしても、あいつはピッタリと俺の後ろについて走ってくる。
しかも、しかも、進む道を少しずつ、少しずつ誘導されているような気がしてならない! 俺は先程からもう五回も道の先の行き止まりを見かけている……。
それにこのままじゃ俺の体力が……。
……ハァ……ハッ――ハァ――スゥ――ハァ。
―タッタッタッ、タッタッタッ―
後ろから迫ってくるその軽い足音は、そのリズムを一度も変えずにこちらに迫ってくる。
とてもじゃないが、滅茶苦茶怖い。怖すぎる、恐怖だ。
あの長身がこんなにリズミカルに走れるはずがないだろ!
俺は廊下を走りに走り、その先も続く廊下の途中に階段を使うための曲がり角を見つける。
よし、とにかくここは上にと、飛び込むように道を右に曲がり、階段へと突き進もうとすると。
「ハッ、ハァ……、あっ、えっ、何で上に上がれない階段なんてあるの……」
おい、階段の意味無いだろ! ここは二階だろう、この校舎は五階まであるし、なぜこんな中途半端な階段が設置されているのですか!
いや、そもそも行き止まり自体多すぎだろう……建築工事の途中じゃあるまいし。
「あぁ! もういい、やっぱ下で!」
とにかくここは逃げ切るべし! そう俺の生存本能が言っているような気がする。
俺は自分の足もとも覚束ないままに階段を駆け下り、一階に着くと右へ……行き、止まりだと。ならば左へと、走り出す。
「…………あぁ……ぁ……」
……アァ……ゲッ――ゲホッ――ゲッ――アァ……ハッ。
……ちょ、もう捕まった方がいいのかもしれない……、無理だぁ……息が、息が続かない。
いやぁ、こんな時に限って後ろが気になる、せめてあの長身でリズミカルに走る可笑しな千東のお姿を一度でいいから見て、見てみたい……。
そ、それなら、それなら自爆覚悟で、ここでストップするか、あぁ、それもいいのかもしれない。
…なら、なら、よし、止まるぞ、止まってやる。そして振り向いてやる!
そう考え、決意している間に、俺は保険室を軽く通り過ぎる。
と、同じくらいに、後ろから俺を追い詰める足音がピタリとやむ。
その時、もうすでにこの廊下をひたすらに疾走する事を諦め、革めて周りの空気をよく感じ取れる程に精神状態が多少安定して俺の耳は確実に捕らえていた、そのリズミカルな足音が唐突に消える瞬間を。
……き、消えた? そんな馬鹿な、でも、でも向こう側から勝手に急停止したのなら、それはそれで何か物音が聞えるはずだ、それに今の音は消えた、消えてしまった。
それはもう面白いぐらいに違和感無くその足音は突如聞えなくなってしまった。
その時――その瞬間だ。
―スタッ―
「えっ」
それは一体何秒の世界だったのだろうか?
残念ながら俺はその世界の住人ではないため、その世界で何が起こったのか全くわからなかったが、今俺の行く先に、俺の視界に突如入ってきたのは髪の長い女子? だろう。
そして、そこから俺の世界はスローモーションに…………なるわけが無く、そのまま突っ込んでその人間と勢いよく顔面アタック!
その振動は、想像以上……、とにかく痛いって…痛いって事は……こと……ことは……はぁ……。
……気絶する瞬間というのだろうか? その頭に激痛が走ったかと思うと、まず目の前が真っ暗に、そして舌が回らず、視界もグルグルと、グルグルと、グルグルグルグルと、グルグルグルグルグルグル―
―そして俺の記憶はそこから、プツッ、と切れた。
―登場人物―
犬坂 風季 (いぬさか ふき)
それに、
千東 登 (せんとう のぼる)
さらに、
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―以上―