婚約破棄されたので、理想の令嬢を辞めて七変化いたします! ~無表情な人形と捨てた元婚約者様、今さら私の素顔を知りたいと言われても遅いですわ~
婚約破棄されたので、理想の令嬢を辞めて七変化いたします! ~無表情な人形と捨てた元婚約者様、今さら私の素顔を知りたいと言われても遅いですわ~
異世界恋愛・婚約破棄・七変化・ラブコメディ・ざまぁ・ハッピーエンド
王都の夜を彩る、王宮の大夜会。
千もの燭台を映したシャンデリアが煌めき、楽団の奏でる優雅な旋律が広間を満たしていた。
そんな華やかな舞踏会の真ん中で、私は婚約者から指を突きつけられていた。
「エレオノーラ! お前との婚約は、今日限りで破棄する!」
高らかに宣言したのは、アラン・ヴェルディ辺境伯令息。
七年間、私の婚約者だった男性である。
「お前はいつも無表情で、礼儀作法ばかり気にしている。何を考えているのか分からない人形のような女だ! 俺はもっと素直で、可愛げのある女性と生きていきたい!」
彼の腕には、桃色のドレスをまとったマリア男爵令嬢がしがみついていた。
「アラン様ぁ……そんなに強くおっしゃらなくても……。エレオノーラお姉様がかわいそうですぅ……」
そう言いながら、マリアは私をちらりと見て、勝ち誇った笑みを浮かべる。
周囲の貴族たちは息を呑んだ。
誰もが、私が泣き崩れると思っているのだろう。
けれど。
(――っしゃあああああああっ!!)
心の中で、私は盛大に拳を突き上げた。
(七年間の模範令嬢生活、これにて満期出所ぉぉぉ!!)
危ない。
もう少しで声に出すところだった。
私は扇子を口元に当て、必死に頬の筋肉を引き締めた。
思えば、長い七年間だった。
幼い頃から、侯爵家の娘として礼儀作法を叩き込まれた。
笑うときは控えめに。
怒りは決して表に出さず。
歩幅は小さく。
声は静かに。
食事中に大口を開けて笑うなど論外。
婚約が決まってからは、さらに厳しくなった。
「辺境伯家の未来を支える淑女として、常に完璧でありなさい」
母はそう言った。
家庭教師も、侍女長も、親戚たちも、みんな同じことを言った。
私は期待に応えた。
成績は常に首席。
礼儀作法も完璧。
辺境伯家の領地経営について学び、税収報告書を読み、商人との交渉に同席し、アランが放り出した書類まで片づけた。
それなのに、当の本人からは、
「お前は可愛げがない」
である。
なんということでしょう。
七年間の努力が、たった一言で全否定。
……いや、待て。
これはむしろ。
(自由だぁぁぁぁ!!)
私の心の中で、祝砲が三十発ほど打ち上がった。
「……承知いたしました、アラン様」
私は静かに頭を下げた。
「婚約解消については、両家の当主を通じて正式に手続きを進めましょう。どうぞマリア様とお幸せに」
「ふん。最後まで可愛げのない女だな」
「お褒めにあずかり光栄ですわ」
「褒めていない!」
知っている。
けれど今夜ばかりは、何を言われても腹が立たなかった。
私は完璧なカーテシーを披露し、優雅に背を向ける。
そして、誰にも見えないところで小さく拳を握った。
(よーし。明日から好きなこと全部やるぞー!)
七年間、私には秘密の趣味があった。
それは、異国の芝居や流行小説に登場する、さまざまな女性たちの生き方を研究すること。
颯爽と働く女商人。
素直になれない恋する令嬢。
陰のある魔女。
自由奔放な踊り子。
太陽のように笑う村娘。
そして、誰の期待にも縛られない、ありのままの自分。
どれも素敵だと思った。
どれも一度はなってみたかった。
だが、侯爵令嬢として、辺境伯家の未来の女主人として、そんな振る舞いは許されなかった。
もう違う。
婚約は破棄された。
誰かの理想の女を演じる義務はない。
「さあ、エレオノーラ。人生第二幕の開演よ」
私は馬車の窓から夜空を見上げ、初めて人目を気にせず笑った。
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## 第一変化 しごでき令嬢、商工ギルドを震撼させる
婚約破棄から一週間後。
王都商工ギルドの大会議室に、乾いた音が響いた。
バンッ!
私が机に置いたのは、厚さが指三本分もある書類の束だった。
「こちらが南方航路の収支改善案です」
濃紺の細身のドレス。
髪はきっちりと結い上げ、鼻には銀縁眼鏡。
普段の柔らかな色合いとは違う、仕事のできる女性を意識した装いである。
会議室には、王都を代表する商人たちが集まっていた。
「南方航路では、現在、寄港地ごとに重複した保管料が発生しています。また、季節風の変化に合わせて航路を北へ三海里ほど調整すれば、輸送日数を短縮できる見込みです」
私は資料を一枚めくった。
「港湾管理者との契約を一本化し、積み替え回数を減らせば、試算上は輸送費を二割ほど削減できます。ただし、海流と天候の実測が必要ですから、まずは試験航海を三便実施してください」
商人たちが顔を見合わせた。
「こ、これをお嬢様お一人で?」
「もちろん、航海士や現場の方々から聞き取りをしました。机上の数字だけでは船は動きませんもの」
「す、素晴らしい……!」
ギルド長が感激して立ち上がった。
「これほど実務に通じた方が、なぜ今まで表舞台に出てこられなかったのです!?」
「婚約者の仕事を手伝っておりましたので」
「なんと!」
「しかも無給で」
「なんとぉ!?」
ギルド長の声が裏返った。
そのとき、会議室の扉が開いた。
現れたのは、王国財務を統括する宰相、レオナルト公爵だった。
「話は聞かせてもらった」
冷徹で知られる宰相は、資料に目を通すと、しばらく黙り込んだ。
そして、私の前に歩み寄る。
「エレオノーラ嬢」
「はい」
「ぜひ、王国財務院で働いてほしい」
「勤務条件によります」
「待遇は最高水準を保証しよう。君ほどの人材なら、私の直属補佐官に――」
「定時退庁は可能ですか?」
宰相の動きが止まった。
「……定時?」
「日が暮れる前に帰宅できるか、と伺っています」
「財務院では、予算編成期には深夜まで――」
「では、お断りいたします」
「待ってくれ!」
宰相が珍しく声を上げた。
「待遇は上げる! 専用執務室も用意する!」
「必要なのは執務室ではなく、帰宅後の自由時間です」
「週に二日は定時でどうだ!」
「週に五日です」
「よ、四日!」
「では失礼いたします」
「五日! 五日にする!」
会議室がどよめいた。
冷徹宰相が、勤務時間をめぐって侯爵令嬢に交渉で敗れた瞬間だった。
私は満足げに頷く。
「では、まずは期間限定の顧問契約からお願いいたします」
(ふふふ。これよ、これ!)
自分の能力を、自分の意思で使う。
働いた分の対価を受け取り、休むときには堂々と休む。
なんて素晴らしいのだろう。
その日から王都では、銀縁眼鏡の敏腕令嬢の噂が広まった。
ただし、宰相が私に向かって、
「君に書類の不備を指摘されると、なぜか仕事への意欲が湧いてくる」
と言い出した件については、深く考えないことにした。
宰相閣下。
どうか普通にお仕事なさってください。
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## 第二変化 王道ツンデレ令嬢、騎士を撃沈させる
翌週。
私は王都郊外の乗馬クラブにいた。
今日は緋色の乗馬服。
髪には大きなリボン。
手には扇子。
目指すは、素直になれないお嬢様である。
ちょうど馬場の近くで、若い近衛騎士が手綱を落とした。
私はそれを拾い上げ、胸の前で腕を組んだ。
「べ、別にあなたのために拾ったわけではありませんことよ!」
騎士が目を丸くする。
「え?」
「馬場に物が落ちていたら、馬が踏んで危ないでしょう? ただそれだけですわ! 勘違いなさらないで!」
私はぷいっと顔を背けた。
完璧。
昨夜、鏡の前で三十回練習した成果である。
ところが。
「ぐはっ!」
騎士が胸を押さえた。
「な、なんという……!」
「はい?」
「冷たい言葉の奥に、馬への優しさが隠されている……!」
「いえ、普通に危ないので……」
「しかも照れている! なんと愛らしい!」
騎士は片膝をついた。
「エレオノーラ嬢! どうか、もう一度私を叱ってください!」
「……は?」
周囲にいた騎士たちまで集まってきた。
「俺も手綱を落としていいですか!」
「俺は鞍を落とします!」
「私は馬ごと――」
「馬を巻き込むな!」
思わず素の声が出た。
騎士たちが一斉に静まり返る。
そして。
「今の叱責、最高でした……!」
「ありがとうございます!」
「もう一度お願いします!」
(何なの、この人たち!?)
私は馬に飛び乗り、全速力でその場を離れた。
背後から歓声が聞こえる。
どうやら私のツンデレ演技は、予想外の方向に大成功したらしい。
ただし、近衛騎士団から届いた乗馬クラブの共同利用申請書には、丁重にお断りの返事を出しておいた。
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## 第三変化 闇をまとった令嬢、魔導士を困らせる
雨の午後。
私は黒と紫のフリルを重ねたドレスをまとい、王都の隠れ家カフェにいた。
目元には赤い化粧。
指先には黒い手袋。
今日は、陰のある神秘的な女性に挑戦である。
窓を伝う雨粒を見つめながら、私は低く呟いた。
「……世界は、どうしてこんなにも冷たいのかしら」
いい感じ。
私はさらに、バター用の小さなナイフを指先で回した。
「誰も私を理解してくれない……。この胸に広がる闇を、誰が受け止めてくれるというの……」
すると、隣の席から声がした。
「……分かるよ」
振り向くと、黒髪の美しい青年が立っていた。
隣国から留学している魔導士、シオン様だった。
彼は深刻な顔で私を見つめている。
「僕もずっと孤独だった。君の闇は、僕の闇とよく似ている」
「そ、そうですか」
「君が望むなら、僕の魔力をすべて捧げよう」
「いえ、結構です」
「僕の魂さえ、君のものに――」
「命は大切になさってください」
「……え?」
私は思わず身を乗り出した。
「魔力も魂も、軽々しく他人に差し出してはいけません。まずはご自身を大切になさって。温かいものでも召し上がってください」
シオン様は呆然とした。
そして、目を潤ませる。
「……君は、僕を救おうとしてくれるのか」
「いえ、普通のことを申し上げただけで……」
「やはり君こそ、僕の光だ!」
(しまった!)
闇系令嬢を演じていたはずが、なぜか光認定されてしまった。
私は慌てて注文したチョコレートケーキを食べ終え、店を出た。
翌日、シオン様から黒薔薇の花束が届いた。
添えられた手紙には、
『僕の闇を照らす、唯一の太陽へ』
と書かれていた。
いや、昨日は雨だったでしょう。
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## 第四変化 ちょっと面倒な地雷系令嬢
三日後。
私は同じカフェを訪れた。
前回は、闇をまとう神秘的な女性だった。
今回は違う。
愛情を確かめたがり、少々面倒くさい女性である。
桃色と黒を組み合わせたドレス。
大きなリボン。
少しだけ潤ませた瞳。
完璧な装いで、私は友人の伯爵令嬢リディアを待っていた。
「エレオノーラ、待たせたわね」
「……遅い」
「え?」
私は唇を尖らせた。
「三分も遅れたのよ。私のこと、もう嫌いになったの?」
リディアが固まった。
「……は?」
「私だけが会いたかったのね。いいの。どうせ私は、誰からも必要とされない女だから……」
リディアは黙って私を見つめた。
十秒。
二十秒。
そして、彼女はため息をついた。
「エレオノーラ」
「……なあに?」
「あなた、また何かのお芝居を練習しているでしょう」
「ぎくっ」
「図星ね」
私は肩を落とした。
「どうして分かったの?」
「あなた、昔から嘘をつくと右の眉が上がるのよ」
なんということだ。
幼なじみの観察眼、恐るべし。
リディアは紅茶を一口飲んだ。
「それに、私が本当に三分遅れたくらいで嫌われたと思うなら、あなたは七年間も私と友人を続けていないでしょう?」
「……そうね」
「でも、面白かったわ。もう一度やって」
「えっ」
「今度は私が浮気した設定で」
「何の浮気!?」
「ほかの友達とお茶を飲んだとか」
「それは浮気じゃなくて普通の交友関係でしょう!」
二人で大笑いした。
そのとき私は、ふと気づいた。
リディアの前では、どんな自分を演じても平気だった。
失敗しても、笑われても、嫌われない。
それが、こんなにも心地よい。
「ねえ、リディア」
「なあに?」
「私、今まであなたにも、ずいぶん格好をつけていたのね」
「知っていたわよ」
「えっ」
「でも、今のあなたのほうがずっと楽しそう」
リディアは微笑んだ。
「だから、もっと遊びなさいな。今まで我慢した分まで」
私は少しだけ、目頭が熱くなった。
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## 第五変化 ぱりぴギャル、王都を踊らせる
週末。
王都の噴水広場では、春の音楽祭が開かれていた。
私は鮮やかな橙色のドレスをまとい、髪に色とりどりの飾り紐を編み込んでいた。
今日は、自由奔放な陽気な娘。
異国の港町で流行している、独特の言い回しまで練習済みだ。
楽団が軽快な曲を奏で始める。
私は勢いよく片手を上げた。
「ウェーイ! みんな、人生楽しんでるぅ!?」
周囲の人々が振り向いた。
「悩んでる暇があったら踊ろうよ! 今日は全員、主役だよー!」
私は踊りの輪に飛び込んだ。
最初は遠巻きに見ていた若い貴族たちも、次第に笑いながら参加してくる。
その中に、見覚えのある青年がいた。
第二王子のユリウス殿下である。
「エレオノーラ嬢! 実に楽しそうですね!」
「殿下も踊りましょ! はい、優勝ー!」
「優勝!? 何にですか!?」
「人生に!」
「なるほど! では私も優勝します!」
何も分かっていないのに、殿下は全力で踊り始めた。
護衛の騎士たちが慌てて追いかける。
王子が踊る。
騎士が踊る。
商人が踊る。
しまいには噴水の掃除をしていた老人まで、箒を持って踊り始めた。
広場は大騒ぎになった。
「最高です、エレオノーラ嬢!」
ユリウス殿下が満面の笑みを浮かべた。
「あなたと一緒なら、毎日が祭りのようですね!」
「毎日お祭りだと疲れますわよ?」
「では週に三日!」
「多いです!」
二人で笑った。
その日の夕方、王宮から正式な謝罪状が届いた。
『第二王子が音楽祭で踊りすぎ、護衛隊の隊列を乱した件について』
私は返事を書いた。
『大変楽しい一日でした。次回は護衛の皆様にも休憩時間を設けて差し上げてください』
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## 第六変化 ひまわり娘、冷徹公爵を溶かす
初夏。
私は王都郊外の花畑にいた。
今日は素朴な黄色いワンピース。
麦わら帽子。
足元は歩きやすい革靴。
高価な宝石も、豪華なドレスもない。
ただ、太陽の下で思いきり遊びたかった。
「わあっ! 見て、シロツメクサ!」
私はしゃがみ込み、白い花を摘んだ。
「花冠ができるかしら。あっ、てんとう虫!」
小さな虫が指先を歩いている。
私は思わず笑った。
「こんにちは。今日はいいお天気ね」
そのときだった。
木陰から、低い声が聞こえた。
「……なんということだ」
振り向くと、黒い外套をまとった男性が立っていた。
社交界で冷徹公爵と呼ばれる、ヴァルター公爵である。
彼は胸元を押さえ、こちらを凝視していた。
「これほど無垢な笑顔が、この世に存在するとは……」
「ごきげんよう、公爵様」
「まるで大地に降り立った天使だ……!」
「いえ、人間です」
「凍てついた私の心が、春の雪解けのように……!」
公爵の手から懐中時計が落ちた。
「時計!」
私は慌てて駆け寄った。
幸い、柔らかい草の上に落ちたので壊れてはいない。
「公爵様、大切なものはしっかりお持ちくださいね」
「……私を心配してくださるのか」
「時計を心配しております」
「なんという慈愛……!」
(だめだ、この方も話が通じない!)
私は花冠を差し出した。
「よろしければ、こちらをどうぞ」
公爵は震える手で受け取った。
「これは……私への贈り物?」
「はい。花冠です」
「家宝にする」
「枯れますよ!?」
公爵は本気だった。
後日、彼が花冠を保存するために宮廷魔導士を三人雇ったと聞いたときは、さすがに頭を抱えた。
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## 第七変化 全部盛りの私、ついに完成する
それから数か月。
王都の社交界では、奇妙な噂が飛び交っていた。
銀縁眼鏡で商人たちを震え上がらせる敏腕令嬢。
騎士たちを一言で撃沈させるツンデレ令嬢。
魔導士の闇を照らす神秘の令嬢。
友人と笑い合う、少し面倒くさい令嬢。
第二王子と広場で踊る陽気な令嬢。
冷徹公爵を花冠ひとつで陥落させた、ひまわりのような令嬢。
そして、そのすべてが同一人物であるという事実。
私の実家には、毎日のように求婚状が届くようになった。
「お嬢様、本日も二十七通でございます」
侍女のアンナが、銀盆いっぱいの封筒を運んできた。
「昨日より増えていない?」
「はい。郵便配達員の方が、専用の荷車を購入されたそうです」
「……申し訳ないことをしたわね」
私は封筒を一通ずつ確認した。
宰相からは、財務院の雇用契約書と結婚申込書が同封されていた。
騎士からは、手綱とともに愛の詩が届いた。
魔導士からは、黒薔薇と長い長い手紙。
第二王子からは、次の音楽祭への招待状。
冷徹公爵からは、保存加工された花冠の絵姿。
「……皆様、少し落ち着いていただきたいわ」
アンナが笑った。
「お嬢様がお幸せそうで、私は嬉しゅうございます」
「私が?」
「はい。以前は、朝から晩までご自身を律してばかりいらっしゃいましたから」
私は手を止めた。
「……そうね」
婚約破棄されてから、私はたくさん笑った。
たくさん失敗した。
恥ずかしい思いもした。
それでも、毎日が楽しかった。
何より、自分の好きなものを好きだと言えるようになった。
けれど、最近になって一つだけ分かったことがある。
どの姿も、私の一部なのだ。
仕事が好きな私。
少し意地っ張りな私。
物思いに沈む私。
友人に甘えたい私。
大声で笑う私。
花畑で虫を追いかける私。
全部、本当の私。
もう、どれか一つに決める必要はない。
私は私のままでいい。
そう思えた頃、王宮から新たな舞踏会の招待状が届いた。
差出人は、第一王子アルベルト殿下。
王太子であり、社交界では「氷の貴公子」と呼ばれる男性だった。
招待状には、短い一文が添えられていた。
『今度こそ、君が本当に楽しめる夜になることを願っている』
私は首を傾げた。
今度こそ?
そういえば、婚約破棄されたあの夜も、アルベルト殿下は会場にいらした。
けれど、直接お話ししたことはほとんどない。
「……不思議な方ね」
私は招待状を閉じた。
そして、その夜に着ていくドレスを自分で選んだ。
誰かに褒められるためではない。
私が、一番好きなものを。
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## 元婚約者様、今さら遅いですわ
王宮の大舞踏会。
私は純白のドレスに身を包み、広間へ足を踏み入れた。
胸元には控えめな真珠。
髪には小さな金の飾り。
華美すぎず、地味すぎず。
何より、自分が心地よいと思える装いだった。
「エレオノーラ……?」
聞き覚えのある声に振り向く。
そこには、げっそりと痩せたアランが立っていた。
以前のような自信満々の姿はない。
頬はこけ、目の下には濃い隈ができている。
隣にはマリアがいた。
ただし、以前の可憐な姿とは少々違った。
首には大粒の宝石をいくつも重ね、腕輪は両腕にじゃらじゃらと光っている。
「アラン様! さっきから何度申し上げれば分かるの!? あの首飾りが欲しいのよ!」
「マリア、今はそんな金は……」
「婚約したら何でも買ってくださるって約束したじゃない!」
「だから、領地の収入が――」
「言い訳ばっかり!」
私は思わず瞬きをした。
なるほど。
どうやら辺境伯家は大変なことになっているらしい。
私が婚約者だった頃は、領地の収支を毎月確認していた。
無駄な支出を抑え、商人との契約を見直し、必要な設備投資を提案していた。
婚約解消後、その仕事は正式に辺境伯家へ返却した。
もちろん、私が作成した帳簿や引き継ぎ資料も、すべて渡してある。
それを活用するかどうかは、先方の問題だ。
「エレオノーラ!」
アランが駆け寄ってきた。
「お前、いったい何をしたんだ!?」
「何を、とは?」
「社交界中がお前の噂で持ちきりだ! 宰相閣下が仕事を任せたがり、騎士たちが求婚し、公爵まで夢中になっているというじゃないか!」
「皆様、少々大げさなのです」
「お前はあんなに地味で、退屈な女だったはずだ!」
私は扇子を広げた。
「退屈?」
「ああ! いつも同じ顔で、同じことしか言わない女だった!」
私は小さく笑った。
「アラン様。私は、あなたにふさわしい婚約者になろうと努力していたのです」
「……何?」
「あなたのご両親が望む淑女であろうとしました。辺境伯家の仕事を学び、失敗を補い、礼儀を守り、感情を抑えました」
私は彼をまっすぐ見つめた。
「でも、あなたは私の努力を一度も知ろうとしなかった」
アランは黙った。
「私が何を好きなのか、何をしていると楽しいのか。聞いてくださったことはありましたか?」
「そ、それは……」
「私、馬に乗るのが好きなのです。踊ることも、仕事も、花畑で遊ぶことも。甘いお菓子も好きですし、友人とくだらないことで笑うのも大好きです」
私は扇子を閉じた。
「あなたは、私のことを何も知らなかったのですね」
アランの顔が青ざめた。
しばらくして、彼は突然、私の前に膝をついた。
「すまなかった!」
広間がざわめく。
「俺が悪かった! お前の価値を理解していなかったんだ!」
「……そうですか」
「マリアとは別れる! だから、もう一度俺の婚約者に戻ってくれ!」
マリアが甲高い声を上げた。
「ちょっと! 何をおっしゃっているのよ!」
アランは構わず続けた。
「お前がいなくなってから、何もかもうまくいかないんだ! 領地の帳簿は合わないし、商人たちは契約を見直せと言うし、父上には毎日叱られる!」
「それは大変ですわね」
「だから頼む! 戻ってきてくれ! お前なら全部うまくやれるだろう!?」
……ああ。
そういうことか。
私は少しだけ、悲しくなった。
彼は私が好きになったのではない。
私がしていた仕事を、取り戻したいだけなのだ。
「アラン様」
私は静かに言った。
「私は、あなたの仕事を代わりにするために生まれてきたのではありません」
「だ、だが……!」
「帳簿の読み方も、契約書の確認方法も、すべて引き継ぎ資料に書いてあります。分からなければ、専門家を雇ってください」
「そんな金はない!」
「でしたら、まず不要な支出を見直すことをお勧めします」
私の視線が、マリアの宝石へ向いた。
マリアは慌てて首飾りを押さえた。
「な、何よ! これはアラン様が買ってくださったのよ!」
「ええ。お二人で相談してお決めになったのでしょう?」
「そ、そうだけど……!」
「でしたら、今後のこともお二人でお考えくださいませ」
アランが私のドレスの裾へ手を伸ばした。
私は一歩下がった。
「エレオノーラ! 頼む!」
その瞬間。
私は、今まで練習してきたすべての自分を思い出した。
仕事のできる私。
意地っ張りな私。
ちょっと陰のある私。
友人に甘える私。
陽気な私。
花畑で笑う私。
そして、誰の前でも自分を偽らなくていい私。
私はにっこりと笑った。
「無理に決まってるじゃん。ウケる」
「……は?」
「私、今めちゃくちゃ忙しいのよね。財務院の相談もあるし、乗馬もしたいし、リディアとお茶も飲みたいし、次の音楽祭も楽しみなの」
アランが口を開けたまま固まった。
「それに、あなたの領地経営まで引き受けたら、定時で帰れなくなるでしょう?」
「て、定時……?」
「そう。私、残業は嫌いなの」
近くで聞いていた貴族たちが、こらえきれずに笑い出した。
私は扇子をぱちんと閉じる。
「というわけで、元婚約者様。お仕事はご自分でなさってくださいませ」
「エレオノーラ……!」
「それから、マリア様」
「な、何よ!」
「宝石は素敵ですけれど、請求書まで美しくなるわけではありませんわよ」
周囲から、さらに笑い声が上がった。
マリアは顔を真っ赤にし、アランの腕を引っ張った。
「もう帰りましょう! こんなところ、いたくないわ!」
「だ、だが、エレオノーラが……!」
「まだその女のことを言うの!?」
二人は口論しながら会場を離れていった。
私は深く息を吐いた。
終わった。
七年間の婚約も、後悔も、もうここにはない。
不思議なほど、心が軽かった。
---
## 氷の王子様は、仮面の下を知っていた
「見事だったね」
背後から、穏やかな声がした。
振り向くと、銀髪の青年が立っていた。
第一王子アルベルト殿下。
次期国王と目される、社交界一の貴公子である。
「アルベルト殿下。ごきげんよう」
私は慌てて礼を取ろうとした。
けれど、殿下は首を振った。
「今夜は堅苦しい挨拶を抜きにしてくれないか」
「……よろしいのですか?」
「もちろん」
殿下は微笑んだ。
「それにしても、君はずいぶん変わったね」
私は少し身構えた。
また、奇妙な女だと思われるだろうか。
けれど、殿下の次の言葉は意外だった。
「いや、違うな。ようやく本来の君に戻った、と言うべきかな」
「……え?」
「覚えていないかい? 十年前、王宮の庭で会ったことを」
私は記憶を探った。
十年前。
まだ婚約者としての教育が厳しくなる前のことだ。
王宮の庭園で、私は迷子になった子猫を探していた。
ドレスの裾を泥だらけにし、茂みの中を這い回っていた。
そこで、一人の少年に出会った。
『何をしているんだい?』
『子猫を探しているの! あなたも手伝って!』
『僕は王子なんだけど』
『王子様なら、猫を探しちゃいけないの?』
少年は目を丸くした。
そして、大笑いした。
『いや。そんな決まりはないな』
二人で庭園を走り回り、ようやく子猫を見つけた。
私は嬉しくて、泥だらけのまま少年に抱きついた。
『ありがとう! あなた、いい人ね!』
『……君は面白い子だね』
その少年が。
「……まさか、あのときの?」
「ようやく思い出してくれた?」
アルベルト殿下は楽しそうに笑った。
「君はあの頃、よく笑っていた。よく怒って、よく走って、いつも何かを見つけては目を輝かせていた」
「……覚えていてくださったのですか」
「もちろん」
殿下は少しだけ寂しそうな顔をした。
「でも、婚約が決まってからの君は、会うたびに静かになっていった。何を聞いても、模範的な返事しかしなくなった」
私は俯いた。
「……それが、正しいことだと思っておりました」
「そうだろうね。君はいつも一生懸命だったから」
殿下は優しく言った。
「だから、婚約破棄された夜、君が背を向けた瞬間に笑ったのを見て、少し安心したんだ」
「……見ていらしたのですか!?」
「うん」
「ま、まさか、あの顔を!?」
「とても楽しそうだったよ」
私は両手で顔を覆った。
なんということだ。
あの凶悪な笑顔を、第一王子に目撃されていたとは。
「忘れてくださいませ……!」
「無理だな。あれほど生き生きとした君の顔は、久しぶりだったから」
殿下は笑った。
「それから、君の七変化の噂も聞いていた」
「うう……」
「仕事に夢中になる君も、騎士を叱る君も、魔導士を励ます君も、友人と笑う君も、弟と踊る君も、花畑ではしゃぐ君も」
彼は一つずつ、確かめるように言った。
「どれも、君らしいと思った」
私は顔を上げた。
「……変だとは、思われませんでしたか?」
「どうして?」
「だって、毎週のように違う格好をして、違う話し方をして……。落ち着きのない女だと思われても仕方ありません」
殿下は首を横に振った。
「人には、いろいろな顔があるだろう?」
「……はい」
「私だって、王太子としての顔と、弟の前での顔は違う。疲れたときには誰とも話したくない日もあるし、たまには大声で笑いたい」
彼は静かに続けた。
「それなのに、一つの姿だけを本当の自分だと決めつける必要があるのかな」
その言葉が、胸の奥に染み込んだ。
「エレオノーラ」
殿下は私に手を差し出した。
「一曲、踊ってくれないか?」
私はその手を見つめた。
「……私、今日は少し疲れておりますの」
普通なら、王太子からの誘いを断るなど失礼にあたる。
以前の私なら、どれほど疲れていても笑顔で応じただろう。
けれど、殿下はあっさり頷いた。
「そうか。では、庭園で休もう」
「……よろしいのですか?」
「もちろん。踊りはまた今度にすればいい」
私は思わず笑った。
「殿下は、変わった方ですわね」
「君ほどではないと思うけれど」
「まあ、失礼ですこと」
二人で笑いながら、庭園へ向かった。
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## 八つ目の私なんて、必要なかった
庭園には、初夏の夜風が吹いていた。
白い薔薇が月明かりに浮かび上がり、遠くから舞踏会の音楽が聞こえてくる。
私たちは噴水のそばに腰を下ろした。
しばらく、何も話さなかった。
それが不思議と心地よかった。
「エレオノーラ」
やがて、殿下が口を開いた。
「私は、君に伝えたいことがある」
「何でしょう?」
「君がアランとの婚約を解消したと聞いたとき、正直に言えば、少し嬉しかった」
私は目を瞬かせた。
「……嬉しかった?」
「君には悪いと思った。でも、もう一度、君と話す機会があるかもしれないと思ったんだ」
殿下は真剣な顔になった。
「私は昔から、君のことが好きだった」
夜風が、ふわりと髪を揺らした。
「王太子という立場があるから、簡単に口にはできなかった。君には婚約者もいたしね」
「……殿下」
「だから、君が自由になってからも、すぐに求婚するつもりはなかった」
彼は少し笑った。
「君は、ようやく自分の人生を楽しみ始めたところだから」
私は黙って耳を傾けた。
「でも、今日の君を見て、やっぱり伝えたくなった」
殿下は私の目をまっすぐ見つめた。
「エレオノーラ。私は、君と人生を共にしたい」
胸が大きく鳴った。
「ただし、君に理想の王妃を演じてほしいわけじゃない」
彼は続けた。
「仕事に夢中になる君も、意地っ張りな君も、落ち込む君も、友人に甘える君も、陽気に踊る君も、花畑で笑う君も。私は、その全部を知りたい」
私は唇を噛んだ。
「……全部、ですか」
「ああ」
「私、かなり面倒くさい女ですわよ?」
「知っている」
「気分によっては、一日中本を読んでいたい日もあります」
「私も隣で読もう」
「仕事に夢中になると、食事を忘れることもあります」
「それは困るな。食事の時間には声をかけよう」
「突然、踊りたくなるかもしれません」
「そのときは一緒に踊ろう」
「花畑で泥だらけになるかもしれません」
「十年前に経験済みだ」
私は吹き出した。
「……ずるいですわ」
「何が?」
「そんなふうに、全部受け入れるなんて」
殿下は微笑んだ。
「受け入れるだけじゃない。私も、君に格好悪いところを見せると思う」
「殿下が?」
「もちろん。私は王太子だけれど、完璧な人間ではないからね」
彼は少し照れたように笑った。
「それでも、隣にいてくれるかい?」
私は胸に手を当てた。
不思議だった。
今まで、誰かの期待に応えることばかり考えてきた。
どうすれば褒められるか。
どうすれば失望されないか。
どうすれば、理想の婚約者になれるか。
でも今、目の前の人は、私に何も演じなくていいと言ってくれる。
私はゆっくり息を吸った。
そして、答えた。
「……殿下」
「うん」
「私、まだ結婚するつもりはありませんの」
殿下は少し驚いた顔をした。
けれど、すぐに頷いた。
「そうだろうね」
「これからやりたいことが、山ほどあります」
「うん」
「仕事も続けたいですし、旅行もしたいですし、まだ挑戦していない服装もたくさんあります」
「楽しそうだ」
「だから……」
私は少しだけ頬を赤らめた。
「まずは、お友達から始めませんこと?」
殿下は目を見開いた。
そして、心から嬉しそうに笑った。
「喜んで」
差し出された手を、私はそっと握った。
「ただし、殿下」
「何かな?」
「私とお付き合いするなら、覚悟が必要ですわよ」
「ほう?」
私は銀縁眼鏡をかける仕草をしてみせた。
「まず、勤務時間の厳守」
「分かった」
扇子を広げる。
「べ、別に殿下と一緒にいたいわけじゃありませんことよ!」
「うん、知っている」
少し陰のある声で囁く。
「……私の闇を、受け止めてくださる?」
「もちろん。ただし、無理はしないでほしい」
今度は唇を尖らせた。
「私のこと、本当に好き? 明日も好き?」
「明日も、明後日も」
両手を上げる。
「ウェーイ! 殿下、人生バイブス上げてこー!」
「ウェーイ!」
「……殿下!?」
まさかの全力返答だった。
私は思わず大笑いした。
殿下も笑っている。
月明かりの下で、二人の笑い声が重なった。
そのとき私は気づいた。
七変化の先に、八つ目の自分を探す必要なんてなかった。
どんな姿も、私なのだから。
そして、この人の前では。
何者にもならなくていい。
ただ、エレオノーラでいればいい。
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## それから一年後
王都には、ちょっと変わった噂が流れていた。
第一王子アルベルト殿下が、婚約者候補の侯爵令嬢に振り回されているらしい。
ある日は財務院で帳簿を確認し。
ある日は乗馬クラブで競争し。
ある日はカフェで甘い菓子を食べ。
ある日は音楽祭で踊り。
ある日は花畑で花冠を作っている。
そして、その令嬢は相変わらず、結婚の申し込みを保留にしているという。
「殿下、本当にそれでよろしいのですか?」
ある日、宰相レオナルト公爵が尋ねた。
アルベルト殿下は書類から顔を上げた。
「何がだい?」
「エレオノーラ嬢のことです。あれほど求婚者がいるのに、いつまでも婚約を確定させないとは……」
殿下は笑った。
「彼女は今、自分の人生を楽しんでいるんだ」
「しかし……」
「私は、彼女の自由を奪うために好きになったわけじゃない」
宰相は黙った。
殿下は窓の外を見た。
庭園では、エレオノーラが侍女たちと花冠を作っている。
ときどき大声で笑い、何かを言い合い、楽しそうに手を動かしていた。
「それに」
殿下は微笑んだ。
「彼女は、ちゃんと私のところへ帰ってきてくれるからね」
その頃。
私は花冠を完成させ、満足げに立ち上がっていた。
「できたー!」
侍女たちが拍手する。
「お嬢様、お見事です!」
「ふふふ。今日は会心の出来だわ!」
私は花冠を手に、王宮の執務棟へ向かった。
廊下ですれ違った騎士たちが敬礼する。
「エレオノーラ様!」
「お疲れさま! 今日もお仕事頑張ってね!」
「はっ!」
執務室の扉を開けると、アルベルト殿下が顔を上げた。
「やあ、エレオノーラ」
「殿下! 見てください!」
私は花冠を差し出した。
「今日は殿下のために作ったの!」
「ありがとう。とても綺麗だ」
殿下は素直に受け取った。
そして、何のためらいもなく頭に載せた。
王太子が、白いシロツメクサの花冠を被っている。
隣にいた宰相が、盛大にむせた。
「で、殿下!?」
「どうした、レオナルト」
「そのお姿で執務をなさるおつもりですか!?」
「何か問題が?」
「問題しかありません!」
私はお腹を抱えて笑った。
「殿下、似合っていますわ!」
「そうかい? なら、このままにしよう」
「殿下ぁぁぁ!」
宰相の悲鳴が執務室に響く。
私は笑いながら、アルベルト殿下の隣に腰を下ろした。
「ねえ、殿下」
「何かな?」
「私、最近ようやく分かったことがありますの」
「うん」
「誰かに愛されるために、自分を変える必要なんてなかったんですね」
殿下は静かに頷いた。
「そうだね」
「でも、いろいろな自分になってみるのは、とっても楽しかったです」
「それも、君らしいよ」
私は微笑んだ。
「これからも、いろんな私を見せて差し上げますわ」
「楽しみにしている」
殿下は私の手を取った。
「でも、忘れないでほしい」
「何をですか?」
「私が一番好きなのは、今、目の前で笑っている君だということを」
胸が、きゅっと温かくなった。
私は少しだけ照れくさくなり、扇子で顔を隠した。
「……もう。そういうことを平然とおっしゃるから、困るんですわ」
「困らせてしまった?」
「ええ、とっても」
私は扇子の陰で、にっこり笑った。
「でも……嫌いじゃありません」
殿下も笑った。
窓の外では、初夏の風が花々を揺らしていた。
かつて私は、誰かの理想の令嬢になるために、自分の笑顔を閉じ込めていた。
けれど今は違う。
仕事ができてもいい。
不器用でもいい。
少し面倒くさくてもいい。
大声で笑ってもいい。
花畑で転んでもいい。
どんな私でも、私なのだから。
そして何より。
私の人生は、私自身のものなのだから。
「さて、殿下!」
私は勢いよく立ち上がった。
「本日のお仕事は、あと何時間で終わりますの?」
「二時間ほどかな」
「では、定時退庁のあとにデートいたしましょう!」
「喜んで」
「遅刻は厳禁ですわよ!」
「承知した、我が愛しの敏腕令嬢」
「ふふっ。よろしい!」
私は扇子をぱちんと閉じた。
さあ、次はどんな一日が待っているのだろう。
もう、誰かの理想を演じる必要はない。
七変化のその先も、私は私らしく、思いきり笑って生きていく。
――完――
今回の改稿では、元の作品の勢いと七変化コメディを残しながら、\*\*「誰かに好かれるための変身」から「自分の好きな生き方を見つける物語」\*\*へと軸を整えました。
特に、第一王子だけは主人公の変化に簡単に陥落するのではなく、昔から彼女の素顔を知っていた人物にしています。また、最後にすぐ結婚させず、エレオノーラ自身が交際の進め方を選ぶ結末にしました。これで、冒頭の「満期出所」という解放感と、ラストの自由な人生がつながる構成になっています。




