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騒がしく汚らしい酒場でカウンターに座る客は珍しい。
主として大勢で囲むには狭く、それでいて一人で来るような――ないしは安心して来ることのできる――酒場ではないからだ。
いや、今日はそれ以外にも理由があった。
止まり木の真ん中を占有している相手が悪い。
それは、酷く目付きの悪い女だった。
ウルフカットと呼ぶべきか、雑にナイフで刈っただけと言うべきか。何とも言い難く艶のない黒髪。そして、気遣った様子のない前髪から覗くのは刃のような眼光。
これでは見目が整っていてもコナをかけようと思う者はおるまいし、同じ列に並ぶのも憚られよう。
女性にしては秀でた長身、剥き出しの両腕には盛り上がった筋肉と生傷の上に、複雑な茨のようなトライバルタトゥー。そして、腰に巻いたダクトテープで補修された厚手のジャケットや、酷くダボついて小物が山ほどカラビナで吊されたカーゴパンツが彼女から女っ気を取り去ると共に、何とも言えない剣呑な空気を補強している。
身に纏っているものも良くない。
革製の鞘に包まれ、腰に吊されたハンドアックスは、明らかに多用された形跡が見える。それも、薪以外の何かをかち割る用途で使われた。
そして、スリングでぶら下げられた短機関銃が、実力のない者を撥ね除ける。
これは現地でスメリィ・ガンと呼ばれる連発式のサブマシンガンだ。
アーモリー・リボルバーと並ぶ、この街で製造される銃の象徴であり、ガンマンの憧れ。
これ一挺あれば、有利なポジションを取れば十倍の相手を一方的に屠ることもできる。正しく、この地における力の具現だ。
本体側部から伸びる、角が立った箱形の細長い弾倉が特徴的なそれを見て、ある世界の人間ならば、こんな《《自転車屋でも作れる急造銃》》が何で? と首を傾げるやもしれないが、この世界においては、これが高級品となるだけの製造基板しかないのだ。
壊れず、撃てて、現地で整備ができる。よしんば壊れても、予備部品がちゃんと売っている。
これ以上の贅沢がどこにあろうか?
「よぅ、デルタ」
しかし、そんな彼女に遠慮なく声をかける存在があった。
先程までロシアンルーレットに興じていた狂人だ。
彼は右手に店主から巻き上げたと思しき灰色の瓶を手に、中身をチャプンと言わせながら笑った。
「……また死に損なったな。いや、お前風に言えば〝楽になり損ねた〟か?」
「まぁな。でも聞いてたろ、店のツケはチャラだ。これで多少は肩の荷が下りた」
「……オレはそこまで貸しを作った覚えはない」
酒と煙草に灼けた声だった。見た目にあった威圧的な声で否定した女の隣に男は腰掛けると、何言ってんだコイツと言わんばかりの顔をして、カウンターの向こうに置いてあったグラスを一つ引っ掴む。そして、指折り数えながらツケを列挙していった。
「お前が喧嘩でブン回して壊した椅子、馬鹿を投げ飛ばしてへし折ったテーブル、店ん中でブッ放した時の壁や天井の修理代に死体掃除でかかる手間賃。どんだけ帳簿に載ってると思ってやがる」
彼女が積み上げたツケ、それは殆どが酒ではない。怖ろしいまでの喧嘩っぱやさに起因する暴力が源だ。
そして、彼女が振りまく世界共通の通貨は、怖ろしいまでに羽振りがよかった。
「それは突っかかってくるヤツが悪い。オレは何時も店主に言ってるだろ、ソイツらの財布から補填しとけと」
「阿呆が、この酒場に十分な煙草と弾ぁ持ってくるヤツがどんだけいるってんだ」
呆れたようにぼやきつつ、男は再利用されたと思しき瓶に入っていた酒をグラスに注ぎ、毒薬を嗅ぎ分けるような慎重さで鼻を寄せた。
なるほどどうして、店で一番良い酒を寄越せと言っただけあって、悪くない。
この香りはウイスキーだろう。何処かで鹵獲された樽の中身を適当な瓶に詰めて売り捌いた物らしく、酒場の店主が欠けた指と壊れかけの蒸留器で作った、大麦というより育ちすぎた麦科の雑草が原料の安酒とは比べものにならない良品だ。
優しいアルコールの香りに混じる樽と果実のフレグランス。そこに僅かに混じるピート香。
男が〝この世界〟に来る前には、合法的に楽しめなかったものの匂いがした。
「悪くないな。混ざり物も薄めた痕跡もなし。こりゃ上等だ」
ちびりと唇を湿らせる程度に確かめて、彼は微笑む。香りだけではなく味も好い。まだ若い彼の舌には、今少しの加水か炭酸水があれば最高ではあるが、粗製とは比べものにならないちゃんとした酒の味が楽しかった。
その余韻が抜けきらないウチにと、男は煙草を取りだして咥える。
美味い酒なのだ。シケモクをバラして、適当に葉っぱを混ぜまくった不味いにも程がある品ではなく、特別に新品の煙草を取りだして火を付けた。
〝廃棄世界〟の残骸から拾ってきた、パックにビニールもされていた新品も新品、真っ白な巻紙が美しいピン伸びた煙草は、ウイスキーが舌に残していく味と能く合っている。
心底美味い、といった調子で煙を吐いた男は、ふと横からの猛烈な視線に気が付いた。
デルタ、そう読んだ女が睨んできている。
いや、目付きが悪いのはデフォルトだ。
この場合、お前だけ狡いぞとでも言いたいのだろう。
「分かった分かった……」
仕方ないなと男はポケットのシガーケースに――シケモクを納めている方だ――手を伸ばそうとしたが、デルタは待っていられるかとばかりに咥えていた煙草を掠め取った。そして、特に悩むでもなく口にして、先端が数mm灰になるほど勢いよく吸い込んだ。
「あっ、テメ!」
「美味い。文明の味だ」
癖になった眉根の皺が緩み、一瞬だが彼女の顔が年相応の色を取り戻したように見えた。
しかし、男にとっては堪った物ではない。シケモクではない煙草、それも発掘品の価値は九倍以上。彼に馴染んだ価値観で言わせれば、五千円札を巻いて吸っているようなものだ。それを許しを得るでもなく持って行かれると腹の一つも立つ。
「クソッ、これだから野蛮なサバイバーズは……」
「お上品な世界から来たシヴィラツィオは暢気でいらしゃる」
ついでとばかりにグラスも持っていって、煙草を咥えたまま、碌に芳香も楽しまずにグビリと半分ほど煽った女は、姿は似ていても違う種族と認識されていた。
生存者、サバイバーズ。
この全てが混濁した世界において〝棄てられてくる前〟に文明が崩壊していた場所を故郷とする者達は、そう呼ばれるのだ。
「ハジメ、ハジメはいるかしら!」
睨み合っていた二人の間を割るように声が酒場に響いた。
音源は扉を割って入ってきた女性だ。
美しい、しかし不釣り合いにして不格好な女性であった。
上背は190cmはあろうか。ほっそりとして、今にも折れそうな体躯を鮮烈な、しかし諸所が草臥れ、擦り切れたエメラルドグリーンの夜会装束で飾った姿は、地の果ての酒場においては場違い甚だしい。滑稽と言っても良かった。
金糸の髪をシニヨンに編み上げた姿は、何処かの令嬢やお貴族様といった風情であるが、化粧品の安っぽさが高貴さを打ち消していた。
それもそうだ。顔を飾る製品は貴重極まる油の塊。日々の灯りにも気を遣っている中で、贅沢中の贅沢とも呼べる、ただ顔を綺麗にするだけの製品に上物が使われることはない。市場経済が出来上がっているなら話も別だが、九割の人間が今日を生きるのに必死な世界においては、富裕層に向けた製品なんて作っている余裕はないのである。
完璧に化粧をしても汗染みなどで、すぐに道化化粧のようなってしまう顔は貴族的に面長な美形と、特徴的な〝笹穂型の耳〟を以てしても神秘性より場違いさが勝る。
「トワイラか」
男、ハジメは手を上げて存在を主張した。そうすれば、貴族然としたエルフ、いや、この世界においてはアドラーと呼ばれる、ペルディトゥスの一員は楚々とした足取りで悪漢達の間を潜り抜けてやって来た。
本来ならば、化粧の酷さを抜きにしても美事なボディラインを持つ彼女だ。尻の一つも触られてもおかしくはなかろう。だが、誰も手を出すどころか、目さえ合わせもしない。
それは、喧嘩っ早いデルタ以上にトワイラが〝ヤバい〟人物であるからだ。
いつのことだろうか、新人だった彼女の尻を、不遜にも揉みしだした馬鹿がいる。
その化粧、似合ってないぜ。シャワーを浴びながら落としてやろうかなどと嘯きながら。
下手な化粧をした新入りに対するちょっとした可愛がりのつもりだったのだろうが、それがヤツの〝悪運〟がツキであった。
あろうことかトワイラは今も腰に佩いている豪奢な宝剣を抜剣。美事に手首から先を叩き斬ってしまったのだ。
そして、それに激昂した彼の仲間も〝同じ目に遭わせ〟てから、優雅に血を振り払いつつ、こう宣ったという。
「下賎の血で剣が汚れましたわ。賠償として財布を置いて行きなさい」と。
まぁ、端的に言って狂人扱いされても仕方がなかろう。以来、この噂が広まってから、化粧の拙さを加味しても麗しいという形容詞が似合う彼女を前にしようと、その道化めいた容姿を揶揄うどころか、下品な野次を飛ばす者さえ絶えて久しくなったそうな。
それもそうだろう。君は化粧をしない、ありのままが美しいなんて口説こうとした相手のそっ首を「口が臭い」という理由で刎ねたこともあるのだ。誰が真面に相手をしようというのか。
しかし、剥き身の刃の方が幾分か安全そうな相手にもハジメは全く臆していなかった。
「どうしたトワイラ、お前はコッチの酒場嫌いだっただろ」
「あなた、わたくしとの約束をお忘れで? 髪の手入れ、湯浴みの手伝い、買い物の荷物持ち、どれもほったらかしでなくって?」
「あぁ? それは明日……」
「今日したい気分になりましてよ」
堂々とハジメの隣に腰を下ろしたトワイラは、さも当然のように彼の懐に手を突っ込むと、新品の煙草が入ったシガーケースを引っ張り出し、どこから発掘してきたのか分からないが、諸所が欠け、罅の入った長い象牙のシガーレットホルダーに差し込んで一服やった。
どういう訳か、彼の知り合いは皆、ハジメの懐事情を熟知しており〝ブチギレ〟られないラインを探って無体を働く傾向にある。
それは気安さから来る信用か、それとも彼自身の〝この世界に不釣り合いな優しさ〟を見抜かれてのことか。
「どいつもコイツも……」
クソッ、そう呟いて髪を一度掻き毟ったが、自分の仕事仲間はこんな連中だからなと納得して――あるいは諦めて――ハジメは開き直り自分も上等な煙草に手を付けた。本当は一ヶ月分の宿代を纏めて支払ってしまおうと思っていたが、もう自棄である。
「で、我等が御姫様は、気分が変わっただけでウチの顔役を自分につき合わせようと、高貴な御御足をお運び遊ばされたと」
「ええ、高貴な婦女が供回りもなく出歩いて許されるものでして? 独り酒が似合いの野蛮人と違って」
ハンと鼻を鳴らし、グラスの中身を揺蕩わせたデルタに、トワイラは当然でしょうと見下すように言った。いや、身長差も相まって、ハジメを挟み物理的に見下してすらいる。
この二人、どうにも相性が悪いのだ。
片や誰も信じられないと十年以上、〝動く死体蔓延る世界〟を一人で生きてきた〈ローン・サバイバー〉。片や世界が滅ぼうが領地がなくなろうが、自分は王位継承権八位の侯爵であるプライドを棄てない貴人にして奇人。
それが仲良くできていたならば、悪運以外で語れない奇跡のようなものだ。
「俺を挟んで喧嘩すんなよ」
「あら、ごめんあそばせ。衝立にはちょっと低かったもので」
「小さいと苦労するよな」
「…………」
一瞬カッとなりかけたのをどうにか沈め、ハジメは瞬間的に上げていた愛銃の撃鉄をゆっくりと下ろした。その気になれば0.2秒で二人の頭を鉛玉分重くして、二度と余計なことを言えない賢さをプレゼントしてやれるが、まだそれは困る。
少なくとも、この河岸で自分が信用できる仕事相手なんてのは少ないのだから。
それでも後で復讐すると、背が伸びきっても160cmしかない傭兵は、そっと心の閻魔帳に一行書き加えるのであった。大抵のことで怒らない彼にとって、珍しい勘所であるがばかりに。
「注文は?」
「ここにわたくしが満足するようなお酒があるように思えて?」
隻眼の店主に問われ、高慢に返したトワイラであったが、そっとシケモク煙草を一本差しだした。安酒と同じ値段のそれを寄越したのは、場代は払うから放っておけと言いたかったからだろう。
「丁度、北渡りの葡萄酒があったんだが……」
「〝クレーターランド〟のワイン!? そんな物があるなら最初から仰いなさいな!」
「ちょっ、馬鹿! お前、そこまで手持ちないだろ!!」
慌てて止めようとしたハジメだが、体格差もあって細いアドラーを止めることはできない。彼女は店主から受け取った瓶に頬擦りすると、さも当然のように額を押さえられて藻掻いていたハジメに差しだした。
栓を抜けというのだ。
「んっの傲慢浪費家エルフ……」
トワイラは元貴族だけあって、金に頓着しない。良い意味でも悪い意味でもだ。それこそ気に入れば、財布の状態が何であろうが手に入れる。たとえツケの帳簿に名前が載ってもだ。
なればこそ〝こんな世界〟であっても、下手なお洒落に気を払い、希少な割りに品質の粗悪な化粧品に大枚を叩くのであろうが。
斯様な扱いを受けながらも、圧倒的な美女から命令されると断れない性分のハジメは――当然、彼は化粧をしているより美しい、すっぴん姿を何度も拝んでいる――ポケットから多目的ナイフを抜いてコルクを抜いてやった。
「グラスは?」
「それくらい手前でやってくれませんかね」
店主が気を利かせて寄越した、しかし清掃が行き届いていない曇りがちのワイングラスへ、せめて一滴も溢すまいと彼は丁寧に酒を注いだ。
やってられんと上等な葡萄酒を堪能する同僚を横に、せめて残りの美味い酒を楽しもうと姿勢を正しかけたハジメの野戦服が引っ張られた。
下からだ。
「ん?」
「ずるい」
「クイン!? お前、いつの間に」
そこにいたのは、歳の頃は十の頭かという少女だった。白い髪に紅い目、どこかウサギのような雰囲気をした彼女は、まるで自分の写し身めいたウサギのぬいぐるみを抱いていた。
しかし、それは見た目だけであり、中身は鞄だ。そして、はち切れんばかりの爆薬が綿の代わりにつめられ、一本のナイフがいつでも抜けるように片手が突っ込まれていることを、この三人はよく知っている。
「ハジメ、あたしにもおごるべき。ずるい」
「いや、奢ったというか略奪……」
「ずるい」
紅い目に見上げられて、仕方がないかとハジメはポケットから丸い硬質樹脂製の缶を取りだした。
紅いパッケージには日本語と似た、しかし何処かが異なる書体で〝国民加増嗜好食・除倦怠仕様甲種〟と書いてあった。
中身は八等分にされたチョコレート、のような何かだ。どんな環境でも溶けず、凍らず、腐らない。あまりに得体が知れないものの、囓れば控えめな甘みと一緒に、不思議と元気が悪いてくる嗜好品をハジメが不寝番に備えて手放さないことを少女、クインは熟知している。
そして、ケチな彼が滅多に分けてくれないことを不満に思っているが故、ここぞとばかりにねだったのだ。
「一欠片にしとけよ」
「ふたつでかんべんしておく」
「おい」
きっちり二欠片なくなった加増食を不承不承といった表情でしまい、頬杖をついたハジメは、で? と様々なものを省いた問いをかけた。
クインは、酒場のような騒がしい場を好まない。態々訊ねてくる理由があるはずだ。
「ハイランダーが呼んでるって」
「ぶっ!?」
折角の上等な酒をハジメは吹き出して台無しにしてしまった。
そして怒鳴る、そんな大事なことならもっと早く言えと…………。
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