聞き役の日常
知らない人に話しかけられやすい。
学生時代の先輩は、
『声をかけられても立ち止まるな。急いでるふりをしろ。キャッチセールスに捕まるぞ』
と、言っていたので、その教えを守り、今でもポケットティッシュを貰う事はほぼ無い。片手を上げて『ごめん。急いでる』のポーズで通り過ぎる。
避けられないのが、病院の待合室だ。
コロナ以降はそういう事もなくなったが、前はよく隣に座る人に話しかけられた。
ここでも、『この本、すごく面白い』という雰囲気を出しながら、必死に文庫本とにらめっこをするわけだが、1時間――時には2時間の待ち時間で、結局は『おしゃべり』をしたい年上の女性に捕まる。
『はぁ』『へえー』『そうなんですね』
やや、やる気に欠ける合いの手も、話しかけてきた女性は気にしない。
そうして、医者に呼ばれる頃には知らない人の『女の半生』を知る羽目になる。
曰く――
どこ出身で、今どこに住んでいて、子供は何人、孫は何人・何歳。夫は亡くなっていて、一人暮らし。過去の病歴。現在通院の訳。家庭菜園はいいわよ。
――いやいやいや、個人情報保護はどこ行った。
自ら開示しているのだから、私に責任がないことは確かだ。
が、私は見ず知らずの他人。これでいいのかと、心配になる事もある。
一度だけ、珍しく私の方から見知らぬ人に話しかけた事がある。
仕事の帰り、健康のためにバス停三つ分先にあるスーパーに徒歩で向かっていた時の事だ。
両手にレジ袋を持った老婦人が、私の前を歩いていた。買い物帰りとおぼしき袋の中身は結構な量だ。
私は、彼女の横をスタスタと追い越した。
追い越してから――
はっきり言おう。
私はことなかれ主義だし、他人と話すのが苦手だ。
でも、これはない。
私は軍人さながらにくるっと踵を返して、その老婦人に話しかけた。
「あの、どちらまで行かれますか?」
「T町まで」
T町は私の目的地よりはるか先だ。
「私、Aスーパーまで行くんですけど、途中まででよろしければ、お荷物お持ちしますよ?」
感謝の言葉と共に断わられるかな? その予想とは裏腹に、
「あら、ありがとう。じゃ」
荷物の片方が差し出された。
「病院の帰りにちょっとお店に寄ったら、買いすぎちゃって」
世間話をしながら、並んでゆっくり歩く。
そこから先は、数々の『女の半生』を傾聴していた私の真骨頂である。
なぜだ。
なぜ、みんな自分の半生を語りたがるのだろう。
誰に対してもそうなのか、私の何かがそうさせるのか。
歩きながら知ったのは、一人暮らしで、息子さんが定期的に様子を見に来ること。ビールが好きで、一日に一本は缶ビールを空けること。本当は糖尿病だから、あまり飲んではダメと医者に言われていること。
「帰りにお茶屋さんに寄らなきゃ」
まだお買い物を?
「C町のお茶屋さん、閉店セール中なの。知ってる?」
「ずいぶん昔に行った事があります。店を入ると、白い番頭猫がいて――閉めるんですか?」
「そうなの。後継者がいないから閉じるらしいよ」
そこは映画を見に行った帰りに、友達の買い物に付き合って入った店だった。
古風なガラスの引き戸を開けると、薄暗い店内のカウンターの上に真っ白な猫がいた。
置物のようなその猫がニャアと鳴くと、お店の人が奥から出て来て、まるで童話の世界に迷いこんだようだった。
猫の番頭さんがいたあの店は――そうか、無くなるのか。
「その先にO金物店あるでしょ、あそこ刃物研ぎしてくれるんだよね」
「あ、そうなんですね」
「この間、はさみを持って行く途中で、お巡りさんに声かけられて」
なぜ?
「『おばあちゃん、そんなの持ってどこ行くの?』って言うから、刃物研ぎだって言ったんだけどね。何か知らないけど、持って歩いちゃいけないんだって。家を出てすぐ、家まで送られちゃった」
「どんな、はさみだったんですか?」
「植木バサミ。あれ、長いから袋に入らなくてね」
長い植木ばさみ?
もしかして、村雨辰剛が使うようなやつ?
「重いから柄を持って歩くしかないじゃない。引きずってたから、だめだったんだろうかね?」
ええと……
たぶん、それ違います。




