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何者でもなく、何者にもなれず、今後とも何者かになるつもりはない  作者: 中原 誓
冬の章

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13/20

境界を行くもの

 早朝は、だいたい曇っている。


 北海道。大自然。どこまでも続く青空――そういうイメージを持っている人には申し訳ないが、それは場所による。


 私の住む所は高台(低山とも言う)を造成した住宅地だ。

 高度のせいなのか、二階の窓から遠くに見える海のせいなのか、早朝は曇り空の日が多い。


 家は、集落の外周の道路に面している。


 道路を挟んで向かい側は、造成されなかった土地――少し高い位置にある雑木林へと続くクマザサの斜面だ。


 朝は冷たい空気と、少し湿った土の匂いと、ハクセキレイの可愛い鳴き声を運ぶ。

 季節によっては、ウグイス。そしてカッコウ。

 雑木林の中で、パキッと枝を折る音やガサガサッという音がしたら、それはエゾシカだ。


 家の前の道路は、まるで巡礼地への道のように人が通る。過疎の割には。

 つまり、近所のお散歩コースってこと。


 朝晩の犬の散歩と、午前中のお年寄りの散歩が『巡礼者』のツートップである。

 次いで、成人病予防か美容のためのウォーキングが続く。


 運動にしろ巡礼にしろ、物事はまず形――装備――から入る事が大事だと思っている。


 運動効果を高めるため、意識づけをするため、そして空き巣の下見や徘徊老人に間違えられないためにも。


 お年寄りの間では、ノルディックウォーキングのポールを持つのがトレンドらしい。

 ノルディックウォーキングには、膝腰の負担軽減、姿勢改善等の効果があるという。

 が、ここの『巡礼者』達にとってのポールは、完全に『転ばぬ先の杖』だ。


 一番足の悪そうなおじいさんは、ポールを引きずって歩いていて、もはや『転ばぬ先の杖』の役目を果たしているのかも怪しい。

 歩くその足も上に上がらず、ズルッズルッと引きずっている。

 今日は歩かなくていいんじゃないのと、思うようなツルツル路面でも、おじいさんは歩く。

 あれはきっと、歩く事に意義があるのだ。


 おばさんの二人連れ。

 こちらは、喋る事に意義がある。装備の帽子は欠かせない。


 男性は、たいていスポーツウェアを着ている。シューズも『ウォーキング用に買いました』という風情だ。

 仕事もプライベートも、TPOが大切という信念があるに違いない。


 そんな男性陣の中に、毎朝6時頃に現れる『巡礼者』がいる。


 私が朝起きて、二階にある寝室のカーテンを開けるタイミングで現れるので、妙に目が行く。


 年の頃は20代後半から30代前半。

(私は勝手に『お兄さん』と呼んでいる)

 体型はややぽっちゃり系。もちろんTPOに合わせた装いだ。


 この『お兄さん』は、走るのが遅い。

 驚くほど遅い。

 フォームはジョギングのフォームなのに、速度は散歩。こちらの脳がバグる。


 たぶん、健康診断で引っかかったんだろうな。あれじゃ、長くは続かない――そんな私の予想を裏切り、『お兄さん』は毎日朝もやの中を走って来る。


 かれこれ、5年にはなる。


 ただし、速度は変わらず遅い。

 体型も変わらない。


 内臓脂肪くらいは減ったかも知れないが、目に見える効果は感じられない。

 彼の『巡礼』の意義は『継続』なのだろう。


 努力嫌いの私には、決して手に入れる事ができない境地である。



 

 そして時には、境界の道では珍妙な事が起こる。


 ある朝の事である。

 2階の窓から、ちょっと色あせた紫色のウィンドブレーカーを着たおばさんが見えた。

 家の横はご近所さんの家庭菜園なのだが、その際で四つんばいになっている。


 草むしり? 何か落としたのかな……


 気になって見ていると、その人がグラッと揺れた。


 あっ、具合が悪かったんだ!


 窓を開けて、『大丈夫ですか?』と言いかけた私の目に映ったものは――



 ……犬。



 黒いモジャモジャの毛の犬。

 全身を覆う紫のレインウェアを着せてもらってる、大型犬。

 揺れたように見えたけど、頭を起こしただけ。



 脱力した後、私は狂ったように笑い出した。




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