境界を行くもの
早朝は、だいたい曇っている。
北海道。大自然。どこまでも続く青空――そういうイメージを持っている人には申し訳ないが、それは場所による。
私の住む所は高台(低山とも言う)を造成した住宅地だ。
高度のせいなのか、二階の窓から遠くに見える海のせいなのか、早朝は曇り空の日が多い。
家は、集落の外周の道路に面している。
道路を挟んで向かい側は、造成されなかった土地――少し高い位置にある雑木林へと続くクマザサの斜面だ。
朝は冷たい空気と、少し湿った土の匂いと、ハクセキレイの可愛い鳴き声を運ぶ。
季節によっては、ウグイス。そしてカッコウ。
雑木林の中で、パキッと枝を折る音やガサガサッという音がしたら、それはエゾシカだ。
家の前の道路は、まるで巡礼地への道のように人が通る。過疎の割には。
つまり、近所のお散歩コースってこと。
朝晩の犬の散歩と、午前中のお年寄りの散歩が『巡礼者』のツートップである。
次いで、成人病予防か美容のためのウォーキングが続く。
運動にしろ巡礼にしろ、物事はまず形――装備――から入る事が大事だと思っている。
運動効果を高めるため、意識づけをするため、そして空き巣の下見や徘徊老人に間違えられないためにも。
お年寄りの間では、ノルディックウォーキングのポールを持つのがトレンドらしい。
ノルディックウォーキングには、膝腰の負担軽減、姿勢改善等の効果があるという。
が、ここの『巡礼者』達にとってのポールは、完全に『転ばぬ先の杖』だ。
一番足の悪そうなおじいさんは、ポールを引きずって歩いていて、もはや『転ばぬ先の杖』の役目を果たしているのかも怪しい。
歩くその足も上に上がらず、ズルッズルッと引きずっている。
今日は歩かなくていいんじゃないのと、思うようなツルツル路面でも、おじいさんは歩く。
あれはきっと、歩く事に意義があるのだ。
おばさんの二人連れ。
こちらは、喋る事に意義がある。装備の帽子は欠かせない。
男性は、たいていスポーツウェアを着ている。シューズも『ウォーキング用に買いました』という風情だ。
仕事もプライベートも、TPOが大切という信念があるに違いない。
そんな男性陣の中に、毎朝6時頃に現れる『巡礼者』がいる。
私が朝起きて、二階にある寝室のカーテンを開けるタイミングで現れるので、妙に目が行く。
年の頃は20代後半から30代前半。
(私は勝手に『お兄さん』と呼んでいる)
体型はややぽっちゃり系。もちろんTPOに合わせた装いだ。
この『お兄さん』は、走るのが遅い。
驚くほど遅い。
フォームはジョギングのフォームなのに、速度は散歩。こちらの脳がバグる。
たぶん、健康診断で引っかかったんだろうな。あれじゃ、長くは続かない――そんな私の予想を裏切り、『お兄さん』は毎日朝もやの中を走って来る。
かれこれ、5年にはなる。
ただし、速度は変わらず遅い。
体型も変わらない。
内臓脂肪くらいは減ったかも知れないが、目に見える効果は感じられない。
彼の『巡礼』の意義は『継続』なのだろう。
努力嫌いの私には、決して手に入れる事ができない境地である。
そして時には、境界の道では珍妙な事が起こる。
ある朝の事である。
2階の窓から、ちょっと色あせた紫色のウィンドブレーカーを着たおばさんが見えた。
家の横はご近所さんの家庭菜園なのだが、その際で四つんばいになっている。
草むしり? 何か落としたのかな……
気になって見ていると、その人がグラッと揺れた。
あっ、具合が悪かったんだ!
窓を開けて、『大丈夫ですか?』と言いかけた私の目に映ったものは――
……犬。
黒いモジャモジャの毛の犬。
全身を覆う紫のレインウェアを着せてもらってる、大型犬。
揺れたように見えたけど、頭を起こしただけ。
脱力した後、私は狂ったように笑い出した。




