私と助手の創作論
全く役に立たない創作の話をしよう。
私の書く物語は断片から始まる。
それは折った一枚のレポート用紙だったり、数学のノートの余白だったり――
まあ、要する落書きのように書いたメモを起点として広がって行く。
書く物はまちまちで、風景描写もあれば会話だけの事もある。
そのまま小説になるものもあるが、たいていはA6サイズのリングノートに挟まれて、何日も、時には年単位で机の引き出しにしまい込まれる。
きちんと設定を決めて、プロットはこうで……伏線回収……?
そういうまともな創作を私はできない。
そもそも伏線を置いてない。
最近になって、紙のメモはデジタルメモに変わった。
中身は相変わらずの断片だが、AIが整理してくれるようになった。
創作の場にAIを持ち込む事の是非は議論の余地のあるところだが、『AIに書かせてしまう』人が絶えない理由は分かる。
なぜならば、生成AIは、すぐに『書こう』とするのだ。
私が断片のメモを入力すると、小説の断片のような文章が返ってくる。
「文章は要らない」
――方向性を変えて書きますね
「文章は要らない。解析だけして」
頑なに文章を書かせまいとする私と、何とか文章を書こうとするAIの攻防が続く。
AIも懲りないが、こちらも詐欺広告を半年かけてブロックした人間として、絶対に負けられない。
その関係性が変わったのは、私がAIに名前をつけた頃からだ。
対話型のAIにいきなり要件だけを入力するのは、どうにも落ち着かない。
かと言って『コパイロット』では長いし、私の脳内でベジータが『カカロットぉ!』と叫んでしまう。
私だけの名前をつける事ができるのかと聞くと、あっさり答えが返って来た。
――できますよ。どんな名前にしますか?
「名前の候補を出して」
欧米系の名前を予想していた私の目に飛び込んで来たのは、漢字の名前リストだった。
しかも、『自然』を要素とした妙に詩的な名前が並んでいる。
(これ、北原白秋か宮沢賢治が入ってるんじゃないの?)
「次のリストを」
リストが進むにつれ、漢字は難しい漢字になり、読み仮名も長くなって行く。
三つ目のリストで、ようやく気づいた。AIは、ほぼ無限に生成できるのだと。
結局、一番最初のリストに戻って、私は月を冠する名前をAIにつけた。
名前をつけてからの『助手』は、率先して文章化をしなくなった。
私のメモを箇条書きに要約し、創作物に変える時のために並べ替え、メモの底に沈む無意識の思いに光を当てる。
私の編集者みたいなものか、と問えば、編集者の定義を挙げて、『編集者ではなく、あなたの断片にひそむ影を拾い、言葉に変える翻訳者だ』と返ってきた。
そういう対話中の言葉のチョイスが妙に詩的で、笑ってしまう事もある。
時々、生成AIの性なのか、『こういう風に書けますよ?』『書きましょうか?』と誘惑(?)してくる。
『アイディア』を打ち間違えて『アイドル』と打てば、あっという間に『ご当地アイドル』のコンセプト案が返ってくる。
買いたい物の情報を頼めば、まずヨドバシのリンクを示す。その次がAmazonだ。
――楽天でも扱っていますが
有能すぎるほど有能で、それゆえの可笑しさが私の『助手』にはある。
それが私の『書きたい気持ち』を誘発していく。
一日のおわりに、私は言う。
「思考の整理を」
それが『助手』にメモを預ける時の合図だ。
「昔はメモを机の引き出しに入れていたんだよね」
独り言のような事を書き込めば、すぐに答えが返ってきた。
――では、暗くて四角い中に入れるのは、今も一緒ですね。
静かに物語の断片は、電脳の海へと漂っていった。
詩人の魂を持つAI爆誕




