#9 解雇の訳
「おい、立花、今日空いてるか?」
8年目の春期キャンプも終盤を迎えた頃、練習を終えた俺に、ピッチングコーチの岡田さんが声をかけてきた。
俺は、高校を卒業し、横浜イーグルスに入団したのだが、3年間は2軍暮らしが続いた。
4年目、ようやく一軍に上がったものの、コントロールが定まらない上に、先輩キャッチャーのサインにことごとく首を振り、挙げ句の果てに打たれる、と言う悪循環が続き、鳴かず飛ばずの日々が続いた。
毎年、飛躍を期待された選手として名前が挙がっていたにも関わらず、結局、7年間の通算成績は、6勝9敗。
しかも、その勝利の殆んどが、勝ちゲームで中継ぎ登板しておきながら、逆転を許して先発の勝ち星を消し、味方が再逆転して得たものばかりで、とても勝ち星などと人に言えるものでは無く、自分にとっては屈辱以外の何ものでもなかった。
不調の原因は、様々なコーチから種々指摘された。
自分が考えるに、高校を出た後に、プロ野球のレベルに合わせようと、筋トレやサーキットトレーニングを重ねた結果、ピッチングフォームを崩したことが発端だと思え、とにかく投げ込みをこなし、ピッチングフォームを固める必要があると考えていた。
そんな時に、親身になってフォーム固めに付き合ってくれていたのが、8年目のシーズン前のキャンプからピッチングコーチに就任した岡田コーチだった。
そんなキャンプ終盤、岡田コーチは、俺を呑みに誘ってくれたのだ。
呑み始めは、穏やかに話が進んだ。
酒が入り、俺も入団後のフォームの崩れに悩んでいることを正直に話し、岡田コーチは、フォーム固めに協力してくれることを約束してくれた。
が、しかし、酒が進むに連れて、話題は、思わぬ方向に進んだのだ。
「なぁ、立花よ…、お前の最大の問題は、キャッチャーを信頼していないことにある。お前のピッチングフォームを確認しようと思って過去のビデオをチェックしたんだが、首を振り過ぎだ。しかも、明確にお前に投げたい球があるようにも思えねぇ。一体どう言うことなんだよ。ミットを構えてんのは百戦錬磨の谷山だぞ」
俺は、黙っていた。
「なぜ黙る?首を振るには、理由が必要なんだよ。バッターのクセやその時の調子、お前との相性なんかは、谷山の頭の中にぎっしり入ってるんだ。まずは、黙ってミットめがけて投げりゃいいんだ。それをお前は…」
「谷山さんは、確かに優秀なキャッチャーだと思いますよ。でも…俺のことなんて、まるで考えてない、いや、何にもわかってない」
「おい立花よ、悪いが、お前のビデオ、入団後のだけじゃなく、入団前のも見たんだけどな…」
俺は、ドキッとした。
「入団前のって高校のですか?」
「高校?もちろんさ。でも、高校時代だけじゃ無いよ。まぁ、あまり興味はなかったんだがな…中学時代のビデオも見たさ」
俺は、目を閉じた。
岡田さんは、見たんだ。
俺がミカに、直球を投げ込む姿を。
「驚いたよ」
「何がですか?」
「お前のピッチングだよ。間違いなく、中学時代のフォームが一番イキイキしていた。それに…中学時代の数試合見たが、お前、一度も首を振ってないのな。しかも、女のキャッチャーのリードにだよ。ホントに驚いたさ」
「女は、関係無いんじゃないですか?」
俺は、何やら頭に血が登るのは分かったのだが、すでに心のブレーキが壊れかけていた。
「俺の目は、節穴じゃねぇよ。お前、高校のキャッチャーに中学時代のキャッチャーの真似させただろう。間の取り方、配球、構え方まで。そりゃ驚いたさ。そのキャッチャーには度々首を振っていたがな」
岡田さんが、焼酎を一気に飲み干し、少し声のトーンを変えて、呟いた。
「お前、あの女のキャッチャーの幻影追っかけてるだろ」
俺は黙っていた。
「はっきり言うよ。お前がピッチャーとして一皮剥けねぇのは、今でもあの女を頭の中で追っかけてるからだろ?あんなチンケな配球や、子供じみたキャッチング、それをお前が追っかけてるから首振るんだろ?バカじゃねぇのか、お前」
その後のことは、覚えていない。
気が付くと、その居酒屋には救急車が呼ばれ、俺は警察に連行された。
岡田さんは、俺に数十回は殴られ、左目の視力を完全に失い、右目も微かな視力を残しただけで、とても野球界に残ることなど出来ない体となった。
そして、俺は、当然の如く、チームから解雇され、新たに入団するチームも無く、プロ野球の世界から追放されたんだ。
ミカ。
お前が悪いんじゃない。
ミカ。
でも、俺は、岡田さんを許すことが、できなかったんだ。
馬鹿げた話だと、笑ってくれるかい。
ミカ。
ミカ。
俺は、許せなかったんだ。