#3 女将の怪我
前の晩、自分の店を閉めた後、従業員の一人を連れて、西麻布の交差点近くにある行きつけのおでんやを訪れた。
経営が思わしくない焼き鳥屋を、立ち上げ当初から支えてくれたスタッフに、給料の半減か、クビのどちらかを選択させるためだった。
スタッフのリーダー格だった彼のサラリーは、フルタイムのアルバイトを4人雇える程の金額だったとはいえ、彼を失った時に、自分の店がどうなるのかは、想像だに出来ぬほどダメージが大きい。
それは、分かっているつもりだったが、もはや、店が立ち行かないのだ。
今なら、多少の退職金も付けてやれる。
そう言いかけた時だった。
「もう、潮時だと思ってましたよ。来月から、下北沢にある居酒屋、任してもらうことになってるんです。退職金もいらないっす。そのかわり…」
店のバイトを二人連れて行く。
多分、そう言ったんだろう。
一発殴ったのは覚えている。
「一発殴られるのは覚悟してましたよ。でも、二発目来るんなら、警察呼びますよ。また、暴力で挫折ですか」
口から流れ出した血を拭いながら、ヤツの口から出た言葉に体が凍りついた。
そいつがそんな捨て台詞を吐いて店を出ていった後、俺は、しこたま焼酎を呑んだんだ。
そして、やり場のない怒りを納める術が見つからず、椅子を床に叩き付けたんだ。
「それが、今回の件の顛末か。さみしいもんだな、立花よぅ。全部、自業自得じゃねぇか、あん」
反抗する気にもならなかった。
「あぁ、全部俺が悪いんだ」
「朝までは、ここでお前を預かる。おでんやからは、まだ被害届は、出てねぇ。とにかく、明日、すぐに見舞いに行って誠意を見せるんだな。女将さんは、横浜イーグルスの大ファンで、いつも呑んだくれてるお前の身を案じてたそうだよ。そう言う人を大事にしなきゃダメなんだよ、特に、お前みたいなダメなヤツはな…」
俺に、返す言葉はなかった。
何度も通っていたおでんやの女将が横浜イーグルスのファンだってことは、すぐに分かった。
料理をだすカウンターに、小さなチームフラッグが飾られていたからだ。
多分、俺が横浜イーグルスでピッチャーをしていた立花だってことも、なぜ六本木、麻布界隈でフラフラとさ迷い、呑んだくれているのかも、全てお見通しだった筈だ。
でも、女将さんは何も言わずに、いつもニコニコ話し掛けてくれた。
「そう言う人を大事にしなきゃダメなんだよ、特に、お前みたいなダメなヤツはな」
そんなことは、分かっている。
次の日の朝早く、西本と言う若い刑事に、おでんやの女将さんが入院していると言う病院を教えてもらい、六本木警察暑を出た。
急いで北千住のアパートに戻り、シャワーを浴びて髭を剃り、地味なスーツに着替えた。
土下座して謝ろう。
後は、とにかく、女将の怪我が、酷くないことを祈るのみだった。