#2 六本木警察署
「全くしょうがねぇよなぁ。おぃ、立花、起きろ」
「たちばな? あれ、この酔っぱらい、横浜イーグルスにいた、立花じゃないっすか?」
「あぁ、そうだよ。そうか、西本、おめぇ、高校野球やってたんだっけな。こいつ、プロ野球引退した後、あちこちフラフラしてたんだが、最近、麻布に店出したらしいんだ。
だがな、なかなかうまくいってないみたいで、店閉めた後、酔っぱらっちゃ、こうして、六本木警察署の世話になってやがんだ。全くしょうがねぇ。おぃ、立花起きろ」
「僕も、神奈川出身ですから。立花卓と言えば、小さい頃のヒーローでしたよ。こんな所でお目にかかるとはなぁ…」
記憶は、ない。
今度は、おでんやの椅子を壊してしまったようだ。
六本木警察署の江川刑事に世話になるのも5度目、いや、6度目か。
いや、分かっている。
悪いのは、全部自分のせいだ。
焼き鳥が好きで麻布に開いた店だけど、32歳で何もかも過去を振り切って、焼き鳥屋のオヤジになりきるなんて出来る筈がない。
そんなことは、最初から分かりきっていた。
「あっ、と、立花さん、大丈夫ですか?状況確認しますけどね、いいですか?」
なんだ、若い刑事か。
「江川さんは、どうした?」
「江川は、今、別の取り調べしてます。今日は僕、西本が担当しますんで。立花さん」
「何だよ、おまわりが『さん』付けなんて、気持ち悪いな」
「僕も、神奈川で小学校から野球やってまして。立花さん、ずっと僕らのヒーローだったンですよ。12年前の横浜市の市長杯の開会式、挨拶に来て下さって。よく覚えてますよ」
「俺は、覚えてねぇよ」
イライラした。
この体たらく。
部外者に現役時代の話をされるのが、一番堪える。
短いノックの後、ドアがカチャリと開いた。
「おぅ、立花、意識は戻ったか」
江川刑事が、苦笑しながら部屋に入って来たが、目は笑っていなかった。
「西本、もう、終わったか?」
「あっ、いや、まだ、本題はこれからでして…」
江川刑事が、舌打ちした。
「バカ野郎、酔っぱらい相手にそんなに時間かけちゃダメだって言ってるだろう」
「江川さん、コイツ無駄話ばっかしやがって…引っ込めてくれよ」
また、江川刑事が、舌打ちをした。
「西本、お前、今運ばれてきた、別の酔っぱらい処理しとけ。ミニスカートのべっぴんだぞ、早く行け」
そう言うと、江川刑事は、西本を部屋から外に出した。
(お前、野球の話しただろう。今のアイツに野球の話は禁物なんだよ)
江川刑事が、西本を部屋の外に出す間際、そう言って頭を平手打ちしていた。
そうなんだよ。
俺に野球の話はやめてくれ。
「おぅ、立花。手際が悪くて悪かったな。アイツまだまだ新人なんだよ。まぁ、勘弁してくれや」
「別にいいっすけど…」
「あぁ、俺が謝るのはオカシイな。問題を起こしたのは、てめぇだからな。今回はヤバイぞ。おでんやの女将、お前がぶっ壊した椅子の欠片が飛んで、目を怪我したそうだ。ご主人が、かなりご立腹だ。被害届出す、って息巻いてる。目だぞ目」
僕は、江川刑事から、おでんやの女将の怪我を聞いて、自分の体から血の気が引いて行くのを感じていた。
また、やってしまったのか、と。