#13 話を聞いてくれるかい?
バシッ、バシッ、バシッ
ミカは、かつていつもそうしていたように、拳でミットを三回ぶった後、両手を大きく広げ、一呼吸おき、ストライクゾーン真ん中低めにミットを構えた。
「お前、目は大丈夫なのか」
「目は見えないわよ。でも…」
「…でも…何だよ」
「スグルの姿は私に見えてるよ。
プレートを踏み出した時の音、
左足を上げ、上半身をひねる時の音、
右腕を背中まで引き付け、腕を巻き込みながら振り抜く時の音、
それと……
ボールを人差し指と中指で押し出すときにスグルが吐き出す息づかいの音。
スグルの全部を、私は感じられる。
たとえ、18メートル離れていても」
「でも、ボールは見えないだろ?」
「大丈夫。スグルが、私が構えたところに投げれば良いのよ。さぁ、こい!」
にっこり笑ってミットを構えるミカを見ていたら、何だか構えたところに投げられそうな気がしてきていた。
それに、キャッチャーの防具もしっかり着けているのだから。
硬式のボールを全力投球するのは、何年振りだろうか。
「いくぞ!」
俺はそう叫ぶと、右足をゆっくりプレートにかけた。
まるで、俺の姿が見えているかのように、ミカが身構えた。
真ん中低めの直球。
ズバンッ
きれいなキャッチング音をたてて、ボールがミットに吸い込まれた。
ミカは身動ぎもしない。
「ミカ、どうした?大丈夫か?」
俺は、マウンドからミカに駆け寄ろうとした。
「来ないでっ」
ミカが叫んだ。
「スグル、凄いよ。本当に凄い。あなたは、まだ投げられる。後ろを振り返っちゃ駄目。大丈夫、こんなに凄い球を投げられるんだから」
そう言うと、ミカは立ち上がり、僕にボールを投げ返してきた。
「ミカ、そんなこと言ったって俺は…」
「大丈夫だよ」
そう言うと、ミカは手を振りながら、少しだけ寂しそうな表情を浮かべた後、グラウンドの一塁側にある土手に向かって歩き出した。
「待てよ、ミカ。待て、行くな、待てよ」
ミカは、俺の制止も聞かず、グラウンドを去ろうとしていた。
追いかけようとした俺の足が動かない。
「待て、待ってくれ。お前に、お前に話したいことが山ほどあるんだ。ミカ!頼む、行かないでくれ、ミカー」
俺は、泣いていた。
嗚咽を漏らしながら、声を上げて泣いていた。
ぶ厚いカーテンから朝陽が漏れている。
時計をまさぐり、ライトをつけて時刻を見ると5:53を表示していた。
俺は、直ぐに起き上がり、洗面所で顔を洗い、ジーンズとシャツに着替え、財布と部屋のキーをポーチに入れてスニーカーを履いた。
(グローブとボール…)
俺は、一度履いたスニーカーを脱ぎ、部屋に戻り、押し入れの中の段ボールを引っ張り出して、自分のグローブとボール、それと…キャッチャーミットをナップサックに入れ背中に背負った。
それから、俺は駅まで全力疾走し、電車に飛び乗った。
携帯を開いて、山倉から送られてきた、ミカの連絡先と住所を確認した。
(愛知県大府市〇△町…)
東京駅に着いた頃、既に6:45を過ぎていた。
俺は、東京駅から新幹線のぞみに飛び乗り取り敢えず、名古屋に向かったんだ。
ミカ。
お前には、話したいことが山ほどあるんだ。
聞いてくれるかい、ミカ。