#11 失明
俺は、中学の校舎の屋上から、雲一つ無い冬の青空を眺めていた。
年明けの始業式が終わると、それまで、「勉強なんてかったりぃ」なんて言っていたやつらも含め、皆、高校受験に向けてラストスパートをかける。
野球で地元の名門私立高校に特待生入学を決めていた俺は、一人、時間を持て余していた。
「何してんの、スグル」
後ろから、聞き慣れた声がした。
「あん?」
振り向くと、ミカがにっこり笑って立っていた。
「Y高に特待生決まったんだってね、おめでとう」
「おぅ、サンキュー」
「公立中学の軟式から特待生ってスゴいんでしょ?さすがスグルだね。シニアリーグで硬式やってた連中に負けないでね」
「あぁ」
俺は、空を眺めながら、他人事のように話すミカの嬉しそうな言葉を聞いて溜め息をついた。
胸につかえるこのわだかまりはなんなのだろうか。
「お前はどうするんだよ?高校で野球はやんないのか?」
ミカは暫く考える風をした。
「スグルには分かるでしょ?」
「何がだよ?」
「あたしが、高校じゃ通用しないってこと」
「そんなことは無いだろ、県大会二位のチームのレギュラーキャッチャーじゃねぇか」
「本気で言ってる?県大会準優勝は、全てスグルのおかげ。あたしの貢献度なんて…たかが知れてる。それはスグルが一番…」
そう言ってミカは笑った。
ミカは分かっていない。
どんなに俺にとって完璧なキャッチャーであったのか。
確かに、中学に入ってキャッチャーポジションをミカに譲った山倉には、3年になった時に遠投で負けるようになっていた。
でも、相手バッターの苦手なコースを瞬時に読み取り、打ち気にきているのか、様子を見にきているのか、読みは抜群だったし、何よりも…
俺の心理状態、体調への配慮は完璧だったんだ。
だから…
「あたしね、卒業したら、名古屋に帰るんだ。あたしもね、名古屋の私立高校にスポーツ特待で内定もらってんだ。親父のコネでソフトボールなんだけどね」
そう言ってミカは、舌を出して照れ笑いを浮かべた。
「なんだ、そうなのか」
突然のミカの報告に、俺はなぜか反応できずに、そっぽを向いてしまった。
(キーン コーン カーン…)
「授業が始まるよ、じゃぁ行くね…」
そう言うと、ミカは俺に背を向けて教室に向かって歩きだした。
受験シーズンが終わると、3年生は一気に卒業に向けて動き出す。
受験を終えたチームメイトは、それまでのウサを晴らすかのように、カラオケやボーリングなどに興じたが、スポーツ特待が決まっていた俺とミカは毎日放課後に後輩に混じり自主練に励んでいた。
俺は、ミカのソフトボールのキャッチボールに付き合い、ノックをしてやった。同じように、ミカは俺と硬式ボールでのキャッチボールをし、ノックをしてくれ、最後に100球の投げ込みに付き合ってくれた。
卒業式前日だった。
いつものように、放課後、二人で自主練をしていた。
最後に、俺の投げ込みで練習が終わる。
「ラスト3つ、ビシッとこい、スグル!」
そう言ってミカは、ミットをこぶしで数回打った。
一球。
二球。
「ラストぉ!さぁこい」
ミカは、俺の決め球、アウトコース低めにミットを構えた。
俺は、大きく肩で息をした。
プレートに足をかけ、大きく振りかぶり左足を上げ、渾身の力を振り絞り、右腕を振り抜いた。
(ズバーン)
ボールは、見事に微動だにしないミカのミットに吸い込まれた。
ミカはゆっくり立ち上がり、俺の方に歩き出した。
「ありがとう、スグル。スグルは、間違いなく、プロに行っても通用するよ。このボールにサインしてちょうだい」
そう言うと、ミカは笑いながら、お尻のポケットから油性ペンを取りだし、俺にボールと一緒に渡した。
俺は、素直にサインをして、ミカに渡した。
「じゃあ、お前のサインもしてくれよ。このグローブに。お前はソフトボールでオリンピックの金メダルとるんだろ」
「あはは、でもそれ、硬式用で買ったばかりじゃん、いいの?」
「あぁ、構わねぇょ」
俺の言葉ににっこり笑ったミカは、グローブの内側の土手の位置に控え目に
「一球入魂 美果」
そう書き込んだ。
ミカは、翌日の卒業式を終えた日の夕方、新横浜駅から、野球部員や友人達に見送られ、名古屋に発って行った。
あれ以来、ミカには会っていない。
「ミカなんだけどさ…今どうしてるか、お前知ってるか?」
久しぶりに電話で話した山倉は、俺にそう問いかけた。
「ミカがどうかしたのか?」
「いや、あのさ、お前とも、最近疎遠だしさ、野球部のOBでさ、同窓会でもどうかなと思ってさ、やっぱりお前呼ぶなら、ミカも呼ばなきゃなと思ってさ、アイツの居場所探して連絡とったんだよ」
「そうか、で、どうしたんだ?」
「やっぱり、知らないのか…」
「だから、どうしたんだよ」
「いやさ、電話口には、元気に出て来てさ、ヤマクラ久しぶり~って明るい声でさ」
「で、だからどうしたんだよ?」
「うん…6年前に失明しちゃってるらしいんだ。だから横浜には行けない、って…」
ミカが失明?
俺は、体の力が一気に抜けて行くのを感じた。