#10 山倉からの電話
俺は、西麻布にあるおでんやの女将さんに怪我を負わせてから、何故か、女将さんの計らいで、自分の店を閉めた後、おでんやで夜食を取るようになっていた。
もちろん、アルコールは、一切飲むことはなかったが。
ある日の晩、ちょうど他のお客さんが途切れた所で、俺が、プロ野球界から追放されることになった、岡田コーチへの暴力事件の顛末を女将さんに説明した。
俺が負わせた怪我で入院していた女将さんを虎ノ門の病院に見舞ったときに、
「野球は、もう出来ないの?」
そう聞かれていたので、いつか話そうと思っていたのだ。
「結局、体に問題があるわけじゃ無く、野球界から追放されている、そう言うこと」
俺は、そう話してため息をついた。
「でもね、スグルちゃん。この店ね、スポーツ新聞の記者なんかもよく来ててね、その人からは、岡田コーチの方は、一言謝罪があれば、復帰に向けて話し合う余地がある、なんてことを聞いたことがあるわよ」
確かに、あの暴力事件の後、岡田コーチが被害届けを取り下げたこともあり、俺は執行猶予付の判決を受け、時間がある程度経てば、本人のやる気次第で、復帰が許されるのではないかと言われていた。
しかし、俺は、その道から、どんどん離れるように野球界から遠ざかり、見よう見まねで始めた商売もうまくいかずにいたのだ。
おでんやを出た後、細い路地から夜空を見上げた。
星なんて全く見えない、みすぼらしい、小さな夜空。
耳慣れた喧騒が煩わしく感じた。
通りすがりの外国人達が何やら奇声を上げ、はしゃいでいた。
以前の俺なら、唾でも吐き付け、喧嘩でも売っているとこだが、そう言う元気さえ無くしていた。
俺は、野球をしたいのか?
俺は一体、ここで何をしているのだろうか。
北千住のアパートには、六本木交差点近くにある自分の店に預けてある自転車で帰る。
既に閉店している自分の店に向かって歩き、六本木交差点そばのコンビニの前を通りかかった時だった。
ズボンのポケットに入れていた携帯が振動した。
携帯をポケットから取りだし、送信者の名前を見ると、中学時代の野球部のチームメイト、山倉からだった。
俺は、6年前にプロ野球を暴力事件でやめることになったあとは、中学、高校時代の野球仲間とは連絡を絶っていた。
特に、仲の良かった山倉からは度々連絡が来ていたが俺は、ことごとく無視していた。
だから、ここ2年くらいは携帯に連絡なんて来ていなかったのだ。
「山倉…」
少し、深呼吸をしたあと、携帯の応答ボタンを押した。
「はい、立花ですが…」
「お、ス、スグルか?俺だよ、山倉、分かる?」
「あぁ、分かるよ」
「携帯かけても全然出てくれないしさぁ、もう、死んでんじゃねぇか、ってうわさしてたとこだよ、元気かよ?」
「あぁ、まぁ、何とかな」
「お前のかーちゃんに前に街でばったり会ってさ、何か東京で店やってるって聞いたんだけどさ…」
「あぁ、まぁな」
「たまには、お前に連絡してやってくれってさ」
「…」
「おい、どうかしたか?」
どうしたんだろうか。
自然に、瞼から涙が溢れてきた。
六本木の喧騒がやかましい。
俺は、ここで何をしているんだ。
「なぁ、山倉。俺は、ここで何をしてんだろうな…」
「スグル…」
俺は、何を話して良いのか分からずに、ただ黙っていた。
「そうだ、スグル、中学の時にキャッチャーやってたミカなんだけどさ…今どうしてるか、お前知ってるか?」
その時、俺はなぜ、山倉が突然そんな質問をしたのか、分からずにいた。
「ミカがどうかしたのか?」
俺は、山倉にそう問いかけ直した。