濡れて。
「やるよ。
見てて。」
彼女は僕にそう言った。
僕は何のことだかわからなかった。
だが、僕は彼女に興味があった。
何をしてくれるかは検討もつかないが、
彼女が僕のために何かをしてくれる。
これ以上に嬉しいことはない。
手には、安物のカミソリを握っている、
さっき帰りに僕が買ったものだ。
最近ヒゲが伸びてきたので、明日か、今日のいつかに、
剃ろうと思っていた。
彼女はそっと僕を見る。
胸がキュッと縮む。
そして彼女は、自分の長く伸びた爪と、
乾燥した肉の隙間に、カミソリを押し込んだ。
僕はそれを見て、まずいと思った。
だが、止めに入ることができない。
なぜなら僕は、興奮していた。
止めないといけない。
絶対に止めないといけない。
そう脳みそが叫ぶ、
だが、僕は見ていたかった。
心の底から、
彼女が美しいとおもった。
彼女はカミソリを前後に引く。
「あっあぁ”」
彼女も痛みを感じているのか、
声が漏れる。
そして爪は、
徐々に赤く染まる。
間の肉を削ぎ落とす。
いとも簡単に彼女の爪は、
地面に転がった。
そしてその爪を拾うと、
立ちすくす僕の手の中に、そっとおいた。
「助けてくれた…お礼」
彼女はいった。
手のひらを見ると、まだ、生暖かい爪が、
僕の手の中で眠っている。
嬉しかった。
もちろん、
嬉しかった。
でも、それ以上に不快感が巻き上がる。
こんなおぞましいもの、
見たことがなかった。
胃が、入ってたものを溢れさす。
僕は吐いた。
さっきまでの興奮は、ただの生存反応だった。
カミソリを握った時点で、こうなることはわかっていたはずなのに、
僕は、彼女より自分の身を案じてしまった。
口の中が気持ち悪い。
吐瀉物が彼女の爪にかかる。
悪いとは思った。
でも、これは耐えられない。
まともな人間、こんな物見せられては正気ではいられない。
「はぁっあぁっ、なんて事するんだ!
人のカミソリで、自分の爪をちぎり取るなんて!
こんなことして、ぼくが喜ぶとでも思ったのか!」
僕は怒鳴ってしまった。
喜んでくれるかなと、確定的な不安を抱える彼女を、
突き飛ばすかのような言葉を…
でも、そんな事言ってられない、
体と脳が、こんなにも拒絶をしているじゃないか、
僕は普通の人間なんだ。
耐えられなくて当たり前だ。
僕はひたすらに自分を正当化する。
彼女の気持ちなんて考えずに、
ただひたすらに、自分は悪くないと、
「あっああぁ!」
やってしまった。
言い過ぎてしまった。
いくら彼女に非があれど、
あそこまでい言う必要はなかった。
彼女が、
泣いているではないか。
彼女は食人鬼だが、
僕に好意を持って行動してくれた。
それを真っ向から拒絶したんだ。
僕は最低だ。
「ご、ごめんよ、
そこまで言うつもりは…」
ようやく頭が冷えた僕は、
彼女へ謝罪を口にする。
だが、もう遅かった。
彼女は、僕がちかづいた瞬間、
ドアから飛び出していってしまった。
残ったのは、彼女の血がついたカミソリと、
ゲロにまみれた彼女の爪だ。