第92話「謝るべきなのは」
「大人、ですか?」
「はい……美咲がゾッコンになるのも、よくわかります。……羨ましいほどに……」
笹川先生は、自身の左手を右手で優しく擦る。
後半はボソッと呟くように言っていたので聞き取れなかったが、何か思うところがあるようだ。
「言うほど大人じゃないですよ。歳は美咲と変わりませんし」
彼女が精神的意味で言ってきているのはわかっているが、俺はあえてとぼけてみた。
まじめな話をすればするほど、空気も重くなってしまうだろう。
元々険悪というほどでなくとも、子供の喧嘩みたいな雰囲気にはなっていたので、空気を変えることは大切だ。
「そうですよね……。一回り年下の子に、大人げなかったです……」
しかし、笹川先生は俺が思った以上に引きずっているのか、急に申し訳なさそうな表情を浮かべる。
美咲から聞いていたので二十八だということは知っていたけど、確かにその年齢差を考えると大人げなかったのかもしれない。
ただ――これは、よくない流れだ。
「美咲、ごめ――」
「謝るのは、やめてください」
美咲に対して謝ろうとした笹川先生の言葉を、俺は声を被せることで遮る。
「えっ……?」
俺の対応が予想外だったようで、笹川先生は瞳を大きく揺らしながら俺を見てきた。
「今回のことに関して、笹川先生に落ち度はほとんどなかったじゃないですか。それなのに、謝るのはやめてください。今回悪かったのは、俺たちのほうですから」
笹川先生が大人の対応を見せてくれようとしたのはわかる。
だけど、悪くないほうが悪いという扱いを受け、本当は悪かったほうが謝られる側に回るのは良くないだろう。
悪く言えば、美咲を調子に乗らせてしまうことになりかねないのだ。
ただでさえ美咲には、十二歳年上の姉に対する甘えのようなものが見える。
それは多分、今みたいに笹川先生が大人の対応を取ってきたからだろう。
高校生になってまで、その関係がいいとは俺は思わない。
「ですが……」
笹川先生は対応に困るのか、目を彷徨わせながら言葉を探しているようだ。
美咲は美咲で、謝ろうとする姉を止め、自分が悪いと言われたのが納得いかなかったのか、グリグリと俺の胸に顔を押し付けてきていた。
二人が今までどういう関係を築いてきたのかが、よくわかる。
「ここは笹川先生のお家ですから、連絡をせずに勝手にお邪魔した俺たちがどう考えても悪いです。それさえなければ、後のことは起きなかったんですから」
俺は美咲の背中をトントンッと軽めに叩いてあやしながら、事実を笹川先生に伝える。
彼女に落ち度があるとすればノックをしなかったことだけなので、誰がどう見たって俺たちが悪いのだ。
だから謝らないといけないのは、こちら側になる。
「美咲、俺が言いたいことはもうわかってるよね?」
刺激しないように優しい声色と口調を意識して、俺は美咲に声をかける。
それにより、美咲はバツが悪そうに俺の顔を見上げてきた。