第77話「まだ離れたくない」
「……♪」
よほど自分が初めてだったことが嬉しかったらしく、電車に乗ってからも美咲はご機嫌だった。
俺の腕に抱き着いて肩に頭を乗せてきているのだけど、ずっと鼻歌を歌っている。
声が綺麗な子なので鼻歌も耳心地が良く、今は好きにさせていた。
とはいっても――。
「着いちゃった……」
二駅向こうなだけなので、電車はすぐに着いてしまうのだが。
「確か、駅から十分くらいのところだっけ?」
俺は改札口を出ながら美咲に確認を取る。
前にそう言っていたはずだ。
「うん、そうだけど……」
美咲は答えながら、なぜか繋いでいる指で俺の指をサスサスと擦り始めた。
今日はよく甘えていたし、離れたくないのかもしれない。
「まぁ夏休みだし、すぐに帰る必要はないけど……」
あまり遅くなると、邪推はされるだろうな。
「美咲も、遅くなると親が心配するだろ?」
ただでさえ女の子だから心配されているだろうに、美咲は容姿がとてもかわいい。
親からしたら、どうしても不安になってしまうだろう。
「あっ、それは……お姉ちゃんの家に行ってるってことで、大丈夫……」
美咲は、気まずそうに俺から視線を逸らす。
なるほど……。
「また嘘を吐いていたのか……」
本当に、嘘で逃げるのが染み付いてる子だ。
とはいえ、これからは改善していくんだろうけど。
「し、仕方ないよ、男の子の家に遊びに行ってるなんて言えないもん……! それも、ほとんど毎日だなんて……!」
まぁ言わんとすることはわかる。
普通の親なら心配するだろうな。
「笹川先生には付き合っていることを話してたけど、親には言ってないんだな?」
「わざわざ言うことではないから……その、ちゃんと付き合ってたわけでもないし……」
じゃあ、なんで笹川先生には話したんだ、と思うが、美咲のことだから何かしらポカをやらかして気付かれたのかもしれない。
あの人、察しが良さそうだし。
「美咲の考えもわかるからとやかく言わないけど、さすがに毎日姉の家に行ってるというのは、疑われるんじゃないか?」
笹川先生と口裏を合わせているとしても、疑問を抱かれる気がする。
しかし――。
「それはほら、私ってよくお姉ちゃんの家に行ってるから大丈夫。こまめに掃除しないと、後が大変だもん」
「…………」
そういえば、家ではずぼらとか言ってたなぁ……。
未だに、笹川先生のずぼらなところは想像できないが。
「お姉ちゃんが住んでるマンションも、ここから歩いて十分ほどなんだよ? 私の家とは方向が違うけどね」
「それなら、実家に帰ってもいいんじゃないか……?」
お金がもったいない気がするんだが……。
「……あの家から離れたくないんだよ、旦那さんとの思い出があるから……」
美咲は困ったように笑いながら、理由を教えてくれた。
笹川先生は未だに結婚指輪をしているし、やはり旦那さんのことは忘れられないようだ。
「それは確かに……そうかもな」
なんと返したらいいかわからず、俺は曖昧な返事をしてしまう。
「――あっ」
気まずい雰囲気になったと思っていると、何かに気が付いたように美咲が声を漏らした。
「どうした?」
「…………」
声を掛けてみると、美咲はチラチラと俺の顔色を窺い始める。
これは、何かお願いしたい時の態度だと思う。
「気にせず言っていいんだぞ? その……彼女なんだし」
「~~~~~っ!」
慣れないことではあるけど、心愛に向けるような感じで微笑んでみると、美咲は言葉にならない声を上げて悶え始めた。
この子、意外にこういうのに弱いんだよな……。
今まで、沢山言い寄られてきただろうに。
「大丈夫か?」
「不意打ち、ずるい……」
声をかけてみると、真っ赤にした顔で恨めしそうに見られた。
別に照れさせようと思ってしたわけじゃないんだが……。
「前も言った通り、俺はあまり乙女心とかわからないから、言ってくれたほうが助かるんだ。だから、遠慮なく言ってくれ」
俺が伝えたかったことはそれなので、ちゃんと言葉にして伝えてみる。
すると――。
「怒らない……?」
美咲は繋いでいる手をニギニギと握ってきて、上目遣いに尋ねてきた。
今更、何を怒るというのか。
「言われてみないとわからない」
「うぅ……来斗君はそう答えるよね……」
俺がどう答えるかわかっていたようで、美咲は困ったように視線を彷徨わせる。
「その、ね……?」
覚悟が決まったらしき彼女は、再度俺の顔色を窺うように見てきた。
先程の余韻を引きずっているのか、その瞳にはいつの間にか熱が含まれている。
「お姉ちゃん、今日は友達と泊まり込みで遊びに行ってて、家にいないらしいの……」
「…………」
「私、まだ……来斗君と、離れたくない……なぁ……?」
そう言ってきた美咲は、甘えるようにまた俺の肩に頭を乗せてきたのだった。