第41話「決裂」
「幼馴染、なの……?」
鈴嶺さんの思いも寄らぬ言葉に俺が固まっていると、美咲が強張った表情で尋ねてきた。
俺が知らないのだから当然かもしれないが、美咲も初耳らしい。
「いや、そんなはずは……」
なんせ、鈴嶺さんは美咲の幼馴染だ。
俺と美咲が幼馴染でない以上、考えづらいことだと思う。
しかし――ありえないことではなかった。
「ほら、彼にとって私なんて、その程度の存在なのよ。中学の時のことも、覚えていないようだし」
若干不満そうにしながら、鈴嶺さんは肩を竦める。
そんな彼女を見ていて思い出すのは、前に彼女が俺の家に来た時のことだ。
俺が、『幼馴染が相手にしては冷たくないか?』と尋ねた時、彼女は『お前が言うな』みたいな様子を見せた。
彼女のことを、俺が忘れていたからなのかもしれない。
だけど、中学の時のこととは、なんのことだろう……?
鈴嶺さんのような子と会った記憶はないが……?
「幼馴染って……氷華ちゃんと、同じ保育園だったってこと……?」
おそらく、美咲は何か心当たりがあったんだろう。
保育園だと絞って、鈴嶺さんに尋ねた。
この言い方……どうやら美咲と鈴嶺さんは、家が隣同士でも通う保育園は違ったようだ。
そうなってくると、腑に落ちる。
「えぇ、そうよ」
鈴嶺さんはあっさりとした様子で頷く。
この態度を見ている限りでは、別に俺と深い思い出はなさそうだ。
「保育園ではよく一緒にいて遊んでいたのに、丸っきり彼は覚えていないようだけどね」
違った、単に彼女の性格があっさりとしているだけだった。
というか、なんだか根に持たれている気がする。
そういう意味では、あっさりとしていないな。
まぁ、忘れている俺が悪いとは思うが……保育園の時の友達など、高校生になって名前を覚えているほうが稀じゃないだろうか?
……だけど確かに、ある女の子とよく一緒に遊んでいた記憶はある。
というのも、まとわりつかれていたのだ。
なんなら俺を子分扱いしていて、保育園内を連れ回されていた気がする。
「あのガキ大将みたいな子が、鈴嶺さんだったのか……」
「そういうのは、忘れればいいのよ」
「うぷっ……!」
恥ずかしかったのか、照れ隠しのように塩水を顔面にかけられた。
しょっぱい……。
「覚えていてほしかったのか、忘れていてほしかったのか、どっちだよ……」
俺は手で顔を拭いながら、鈴嶺さんに尋ねてみる。
「いい思い出だけ、憶えていなさいよ」
そして、無茶苦茶を言われた。
いい思い出……なんかあったか?
保育園内を連れ回されていた思い出しかない。
「でも、氷華ちゃんって、おばさんの会社近くの保育園に通ってたんだよね……?」
俺たちが昔話に花を咲かせようとすると、それを遮るかのように美咲が再度質問をした。
おかげで、鈴嶺さんがどうして俺の母さんの行動を知っているのか、察しが付いた。
「えぇ、その通りよ」
「来斗君は、心愛ちゃんと同じ保育園じゃないの……?」
鈴嶺さんが頷いたのを確認した後、美咲は俺に視線を向けてくる。
「あぁ、違う。親から聞いた話だけど、俺の時はもう枠がいっぱいになってて、心愛の保育園には入れなかったんだ。だから、俺は母さんが働いている会社のすぐ近くにある、保育園に入れられていた」
そしてそれが、鈴嶺さんと同じ保育園だったというわけだ。
それによって見えてくるのは、俺の母さんと彼女のお母さんが同じ職場なのではないか、ということだった。
「本当に、幼馴染だったんだ……」
俺と鈴嶺さんが幼馴染だとわかった美咲は、胸を手で押さえながら俯いてしまう。
いったい、今何を考えているのだろうか?
鈴嶺さんと幼馴染だった、という驚きよりも、美咲の気持ちのほうが気になった。
「幼馴染とはいっても、美咲とは違って、俺は保育園で関係が終わっているからな? 誤解をするなよ?」
美咲が変な結論を出す前に、先手を打っておく。
鈴嶺さん自身、俺の幼馴染だと主張したところで、美咲から俺を取るつもりはない。
むしろ、美咲を安心させるために持ちだしてきていた。
それが効果があるかどうかはともかく、ちゃんと話の流れを覚えていれば、誤解をすることはないはずだが……。
「――ごめん、先に戻ってるね……!」
美咲は、なぜか岸に向かって突然泳ぎ始めた。
「はっ!? おい、美咲……!」
声をかけるも、美咲は止まる気配がない。
もしかしたら、泳いでいることで声が聞こえていないのかもしれない。
そのまま美咲は、水泳選手並の速度で遠ざかっていく。
「くそ、あいつ速すぎだろ……!」
運動神経がいいのは知っていたが、俺が全力で泳いでも追いつけそうになかった。
「はぁ……そうじゃないかとは思ったけど、いつの間にか、嘘が本当になっていたのね……」
鈴嶺さんは何やらブツブツと呟き、俺に近付いてくる。
そして――。
「ほら、早く追いかけて」
俺の背中を、押してきた。
「いや、追いかけろって言ったって……」
「こういう時は、彼氏が追いかけるものでしょ?」
確かに、漫画とかではそうかもしれない。
だけど、偽彼氏の俺が追いかけて、いったいなんて声をかければいいんだ……?
「原因を作ったのは、鈴嶺さんなんだが……?」
「私は変に疑われてるから、身の潔白を証明しようとしただけよ」
本当に、そうなのだろうか?
それにしては、悪手にしか思えなかったが……?
まぁ問い詰めても答えないだろうから、聞いたりはしないが。
「それじゃあ、追いかけるぞ」
「えっ!? ちょっと、なんで私の手を掴むのよ……!?」
あえて手を掴んでみると、鈴嶺さんは顔を赤くして怒ってきた。
自分は掴むくせに、俺が掴むのは駄目らしい。
「浮き輪がないと泳げないんだろ? 一人置いて戻って、万が一があったら困るからな。岸に上がったら、離れてくれればいい」
そう言って、俺は手を放す。
ボートの浮き輪も持って帰らなければいけないのだし、元々手を繋いで泳ぐつもりなんてないのだ。
本当は美咲を追いかけるなら、彼女を連れて行くのは逆効果だろう。
だけど、泳げない彼女から目を離すのは怖いし、海の中でナンパ男たちに絡まれたら、それこそ洒落にならない。
振られた腹いせに、彼女から浮き輪を奪う馬鹿がいるかもしれないのだ。
安全な砂浜に戻るまでは、放っておけない。
逆に言えば、砂浜に上がって美咲に声をかけるまでの間で、彼女には少し距離を取ってもらえばいいのだ。
「そういう気遣いは、美咲にしなさいよ……」
「美咲に関しては、これでも俺は頑張ってるほうなんだぞ……?」
クラスメイトたちと関わらないようにしていた俺が、美咲には結構寄り添っていると思う。
それこそ家の中では、甘えられたらちゃんと拒否らずに甘やかした。
正直、これ以上はキャパオーバーだ、とすら言いたい気持ちだ。
それでも、まぁ……一度乗った船を、降りるわけにはいかない。
たくっ、ほんと手間がかかる妹みたいだよなぁ……。
心愛と大違いだ。
「……なんだかんだで、面倒見がいいのよね……」