第172話「待ち受ける運命」
「絵里奈、か……」
俺は彼女が言ってきた名前を呟き、天井を見上げる。
ふむ………………誰だ?
『その反応、もしかしなくても覚えていないわね?』
先程までの優しさが含まれていた声はどこへやら。
鈴嶺さんは声のトーンを数段落とし、寒気がするほどに冷たい声で聞いてきた。
この反応を踏まえるに、彼女にとっては大切な人なのだろう。
まぁ、俺との共通認識的な言い方を考えると、保育園の知り合いなんだろうけど。
「保育園の同級生だろ?」
『はい、確定。その言い方、絶対にわかっていなかったわね?』
おかしい。
綺麗に誤魔化せたと思ったのに、なぜか確信を与えてしまったようだ。
彼女、超能力でもあるんじゃないか?
「どうしてそう思うんだ……?」
この返しをすれば《覚えていなかった》と白状するようなものだが、もう確信を得られているので今更だろう。
それよりも、バレた理由を知りたい。
『絵里奈のことを覚えていたのなら、あなたはこう答えたはずよ。《いつも俺たちに付いて歩いてた子だろ》ってね』
そこまで言われて、やっと誰のことを言っていたのかわかった。
保育園時代にいつも一緒にいた、普段からおろおろとしていて、自分の意見をまったく言えない気弱な女の子のことだ。
ただ、鈴嶺さんが言っていることと実際は少し違う。
「まぁ誰のことを言ってるのかはわかったけど、あの子が付いてきてたんじゃなくて、気弱なあの子を無理矢理鈴嶺さんが連れ回していたんだろ?」
そこははっきりと覚えている。
ガキ大将みたいだった鈴嶺さんが、朝あの子が保育園に来るとすぐに捕まえ、いつも連れ歩いていたのだ。
自分の言うことに逆らえず、素直に言うことを聞くから子分扱いしていたのが理由だった。
ちなみに、俺も逆らうのがめんどくさくて彼女の言うことに従っていたので、子分みたいに連れ回されていたのだろう。
『……どうやらあなたとは、今度またゆっくりとお話をする必要があるようね?』
思っていたことを正直に伝えると、鈴嶺さんはとても含みのある言い方をしてきた。
悪気はなかったが、また地雷を踏んでしまったらしい。
まぁ彼女からすれば、ガキ大将みたいだった幼女時代は黒歴史のようだし、それも仕方がないのかもしれない。
「確か、父親の転勤で引っ越していったんだよな。戻ってきたってことは、また父親の職場がこっちになったってことか?」
彼女を敵に回すのは厄介なので、俺は誤魔化すように話を進める。
引っ越しやその理由に関しては、保育園時代母さんから聞いた。
職場が一緒とのことで、事情には詳しかったのだろう。
鈴嶺さんが知っているのも、母親経由だというのは想像がつく。
『今度、憶えておきなさいよ?』
と、怖い前置きをしながら、彼女は続けて口を開く。
『もともとお父さんのほうは、時々こっちにも顔を出していたみたいよ? 戻ってきた一番の理由は、お父さんの再婚が理由らしいわ』
転勤してもなおこっちに顔を出すなら、転勤させなくてもよかったのでは……?
と思うが、会社のことなんて全然知らない。
わざわざ転勤したというのは必要があったからだろうし、それはいいのだが……再婚、か。
「年頃でそれは、きついかもな。あの子、メンタル弱かったし。それに、そろそろ受験も視野に入れていかないといけない時期に、引っ越しもきついだろ」
保育園時代、あの子の母親は健在だった。
離婚か、俺と同じように死別かはわからないが、それだけでもきついだろうに、新しい家族が増えるというのは少なからず心に負担があるはずだ。
気弱だった子なら、尚更だろう。
その上、高二の夏という大学受験などを考えていく時期に引っ越しというのは、あの子のことを考えていないのではないか、と思ってしまった。
『……その辺は心配しないでいいんじゃない? 元々再婚は結構前に決まってて、転校や引っ越しは夏休み明けにできるように合わせてただけみたいだから。それに、本人も乗り気だったらしいし』
「詳しいな……?」
『私も先日お母さんから聞いたばかりだけど、根掘り葉掘り聞いておいたから』
鈴嶺さんは、よほど母親との仲がいいのだろう。
俺も母さんと良好な関係ではあるが、ここまで踏み込んだ話はしない。
というか、鈴嶺さんが他人の家庭事情に首を突っ込みすぎな気もする。
うちの家庭事情にも詳しいようだからな、彼女は……。
「で、わざわざ言ってきたということは、その子の転校先が俺たちの高校ってわけか?」
『さすが、その辺は察しがいいのね』
やはりそうなのか。
鈴嶺さんが無関係の話をするはずがないし、このタイミングで話してきたことを考えてもそれが濃厚だった。
同じ学校でなければ、特に関わることもないだろうし。
「まぁ、保育園時代いつも一緒にいたとはいえ、鈴嶺さんが間にいたからだし、同じ高校になるとはいえ俺は関わらないようにするさ。これ以上、美咲の心労を増やしたくないし」
ただでさえ鈴嶺さんや笹川先生のことでいっぱいいっぱいになっているのに、新しい幼馴染枠の子が登場したら美咲は絶対に気にする。
彼氏としては、彼女のことを一番に考えないといけないのだ。
……正直、新たな爆弾を抱えるのは怖いというのが一番の理由だが。
だってまじで美咲が暴走しかねないからな……。
『それができたら、苦労しないと思うわ』
突然鈴嶺さんは、仕方がなさそうに苦笑した。
うん、なんでそんな反応になる……?
「保育園の頃から何年経ってると思っているんだ……? そもそも、鈴嶺さんはともかく、俺がいることは知らないかもしれないし」
『まぁ……諦めなさい。運命があなたを逃がしてくれないようにできているから』
うん、なぜだろう?
既に諦めたような態度で鈴嶺さんが溜息を吐いているんだが?
「運命って……鈴嶺さん、そういうの信じるタイプなんだな……?」
むしろ、現実しか見ないタイプだと思っていたが。
おかげで嫌な予感しかしなくなっている。
『決まっている未来が既に見えているからね』
「決まっている未来……?」
『えぇ。せめて後少し……それこそ、あなたと美咲の関係が始まるのが一ヵ月くらいタイミングが違えば、また運命は違ったかもしれないけどね』
「あの、さっきから不穏なことを言わないでくれるか……?」
いったい何が待ち構えているんだ、と恐ろしくなってくるじゃないか。
いや、まぁ、ただでさえ今もまずい状況なのに、これ以上爆弾が放り込まれるときつすぎるのは間違いないのだが。
『フォローはしてあげるつもりだし、あなたのお母様も気を遣ってくれてるみたいだから、どうにかなるでしょ。一つ言えるのは、夏休み明け待ち構えているのはとんでもない爆弾、ということかしら。あなたにとっても、美咲にとっても』
彼女はそれだけ言うと、『頑張りなさい』と言って通話を切ってしまった。
最後の辺、言いたいことだけ好き放題言って行った感じだ。
とりあえず、うん……ずっと、夏休みが続かないかな……。
――と、あまりにも不吉な未来が待っているようなので、俺は人生で初めて夏休みが終わらないでほしいと心から思うのだった。







