第13話「もしかして、好きだった?」
「――にぃに、だっこ」
翌日の朝、保育園に行く準備ができると、心愛は俺の前で両手を広げた。
いつも俺が抱っこして、保育園に連れていっているのだ。
「心愛、たまには自分で歩かない?」
「…………」
心愛は目をウルウルとさせ、無言で訴えてくる。
抱っこしてほしいようだ。
本当は、足腰を鍛えるために歩かせたほうがいいんだろうけど……。
「もう少し大きくなったら、自分で歩くんだよ?」
まだ幼いので、抱っこすることにした。
「んっ……!」
心愛はご機嫌そうに頬を俺の頬へとくっつけてくる。
そして、スリスリとこすりつけてきた。
相変わらずの甘えん坊だ。
俺たちは家を出ると、そのまま徒歩で保育園まで行く。
保育園は比較的家から近いので、歩いて行けるのだ。
「――せんせい、おはよ~!」
「はい、心愛ちゃんおはよう。白井さんも、おはようございます」
保育園に着くと、笹川先生が笑顔で挨拶をしてくれた。
「おはようございます。今日も、妹をよろしくお願いします」
「おねがい、します」
俺が頭を下げると、心愛も真似して頭を下げた。
これは、朝の日課みたいなものだ。
「任されました。白井さんも、学校頑張ってください」
「ありがとうございます。心愛、いい子にしてるんだよ?」
「んっ……! にぃに、ばいばい!」
「ばいばい」
元気よく手を振ってくる心愛に対し、俺は小さく手を振り返す。
そして、先生に視線を戻した。
「…………」
「えっと、どうかされました?」
お別れの挨拶をして学校に向かおうとすると、なんだかジッと見つめられていることに気付いた。
普段、こんなことはないんだけど……。
「ふふ、白井さんでよかったです」
「……? なんの話ですか?」
「こっちの話ですよ」
意味深に笑った笹川先生は、笑顔で首を横に振ってしまう。
いったいどういうことかわからない。
気になってしまうので、ちゃんと聞きたいんだが……生憎、電車の時間というのがある。
逃せば、次は三十分後だ。
「すみません、電車の時間があるので行きますね」
「はい、お気をつけください」
「失礼します」
俺は笹川先生に頭を下げ、再度心愛に視線を向ける。
すると、心愛はニコッとかわいらしい笑みを浮かべてくれた。
それだけで、今日も一日頑張れそうだ。
俺はその後、かわいい妹と先生に見送られながら、駅を目指すのだった。
◆
「なんでいるんだ……?」
駅に着いた率直な感想が、それだった。
なんせ――。
「お、おはよう、来斗君」
美咲が、駅にいたのだから。
一緒に行く約束もしてなければ、駅も違う。
彼女は学校から見て、俺の駅よりも二つ向こうの駅から通っているはずだ。
電車の中ならともかく、駅でたまたま鉢合わせをするはずがない。
「待ち伏せとは、いい趣味だな?」
「彼女相手に言うセリフ……?」
美咲は困ったように笑いながら、俺に近付いてくる。
仕方がない、彼女とはいっても偽なのだから。
「一緒に行くなら、昨日にでも連絡してくれればよかったのに」
「えっと……実はさっきね? 氷華ちゃんに『付き合っているのに、一緒に通わないの?』と言われちゃって……」
「咄嗟に、この駅で待ち合わせしていると答えた、と?」
「はい……」
大丈夫か、この子?
自分から十字架を背負いにいっている気しかしないんだが。
「嘘ついて回避する癖をつけるのは、やめといたほうがいいぞ?」
一瞬祭りの時のことが脳裏をよぎるが、それはそれ。
たまには、嘘を吐かなければいけない状況は確かに存在する。
だけど、日常的に嘘で凌ぐようになってしまえば、人からの信用を失ってしまう。
「そうだよね……ごめんなさい……」
「いや、俺に謝られても……って、まぁいいか。普段は、鈴嶺さんと待ち合わせをして、通学してたわけじゃないんだろ?」
「うん、家が隣同士だから、自然に一緒になってただけだから……」
それならば、鈴嶺さんも深くツッコんだりはしないだろう。
彼女と約束していたのに、俺とも約束しているとしたら、この駅で美咲が降りるのはおかしい。
先に鈴嶺さんに断りを入れるか、俺に電車へ乗ってくるよう言うのが筋だろう。
だけど、鈴嶺さんと約束していないのなら、俺とだけ約束していて、俺の都合で電車の時間をずらしている、ということにもできるからな。
彼女たちは朝早く通学しているので、俺が普段乗っている電車より一本早いのだろうし。
まぁ効率が悪いから、鈴嶺さんにはバレてそうだけど……根拠がなければ、彼女も嘘だと決めつけはしない。
「俺の家に迎えに行くって言ってれば、一番怪しくなかったんだけどな」
「そこまで、気が回らなかったの……」
「まぁいいけどな。嘘には変わらないし」
とりあえず、タイミングを見て鈴嶺さんへフォローはしておくか。
なぜか俺の家庭事情に詳しいみたいだし、妹を保育園に連れて行っていたことを伝えておけばいいだろう。
……問題は、あの氷の女王様みたいな彼女に、どうそこまで話を持っていくかだが。
「…………」
「んっ、どうかしたか?」
改札口を通った後、美咲がジッと俺の顔を見つめてきたので、尋ねてみる。
「もしかして、氷華ちゃんとのことの、口裏合わせを考えてくれてる?」
「なんでわかったんだ?」
「このタイミングで黙り込んで、何か考えてるようだったから、そうかもって……」
鈴嶺さん絡みになると、美咲はポンコツっぽくなるので忘れかけてたが――この子も、賢いんだった。
確か学年では、毎回一番をとる鈴嶺さんに次いで成績がいいはずだ。
勉強だけだったら、俺は手も足も出ないな。
「やっぱり、来斗君優しい……」
「いや、彼女を敵に回したくないだけだから、俺の都合だ。優しいわけじゃない」
「……もしかして、氷華ちゃんのことが好きなの?」
「……はっ?」
数秒、彼女が言ったことに対して考えてしまった。
「そ、そんな怖い顔しなくていいと思う……!」
「いや、なんで俺が鈴嶺さんを好きってことになるんだよ?」
「だって……氷華ちゃんかわいいし、頭もいいし、その……二人は、元々知り合いなんでしょ?」
美咲は顔色を窺うように、上目遣いで見てくる。
だけど、言っていることはよくわからなかった。
「元々って、祭りより前からってことか?」
でもそんなの、同級生なら当たり前だと思うが……。
「学校に入る前から……あれ、違う?」
「俺、鈴嶺さんを知ったのは高校に入ってからだぞ?」
「そうなんだ……?」
うん、なんで疑問ふうに返してきたんだ?
もしかして俺、鈴嶺さんに昔どこかで会っていたのか?
それをもし、俺が覚えていなくて、彼女が覚えているなら――学校で、俺に冷たかった理由はそれが原因かもしれない。
とはいえ、他の男子にも冷たいので、普通に考えすぎだと思うが。
「まぁとりあえず、俺が鈴嶺さんを好きってことはない。てか、好きな人がいないし」
「そっか、よかった……」
美咲はホッと胸を撫でおろす。
これは――。
「氷華ちゃんのことが好きだったら、私との関係が凄く困らせることになっちゃうもんね」
だよな、そういうもんだ。
美咲が俺を好きとか、ありえない。
「――あっ、電車来たね」
電車が来たので、俺たちはもうこの話はしないのだった。