第109話「重なる姿」
「心愛ちゃんも喜ぶよ?」
俺のツッコミを聞き取った美咲は、純粋無垢な瞳を俺に向けてきながら、かわいらしく小首を傾げる。
なんでもかんでも心愛を持ち出せば俺が頷くと思ったら、大間違いだ。
「笹川先生が大変だから駄目だ」
「お姉ちゃん本職だから大丈夫だよ。それに、家にいてもゴロゴロしてるだけだし」
「美咲~? 最後の必要なくないかな~? 彼氏を取られたくないからって、私を下げようとするのは印象悪いと思うよ~?」
俺たちの会話を黙って聞いていた笹川先生だけど、美咲の発言を聞き流すことはできなかったらしく、珍しくも間延びした口調で話に入ってきた。
それによって、少し怒っていることがわかる。
まぁ自分下げをされていれば、当然の反応かもしれないけど。
「事実を言っただけだもん……」
美咲は不満そうにボソッと呟くが、事実でも言っていいことと悪いことがある。
それくらい本人もわかっていると思うが……姉に対しては、なんだか甘えがあるんだよな。
俺や鈴嶺さん相手だと、絶対にしないだろうに。
――というか、笹川先生の言う通り、未だに俺を笹川先生に取られるかもしれないと思っているのだろうか?
「笹川先生を敵に回してもいいことなんてないぞ?」
「大丈夫だよ、お姉ちゃんこれくらいじゃ怒らないし」
いや、現にちょっと怒ってると思うんだが……?
確かにガチギレすることはないだろうけど。
「それでも、しないようにな?」
「んっ……」
優しく頭を撫でると、美咲は気持ちよさそうに目を細めながら頷いた。
まぁわかってくれたのならいいが……。
「美咲はなんだか、白井さんを相手にすると子供になりますね。まぁ元々根は子供っぽい子なので、それだけ白井さんには心から甘えられているということなのでしょうけど」
先程の意趣返しなのか、本人を前にして笹川先生は俺に話しかけてきた。
しかし、美咲は気にした様子もなく、相変わらず気持ちよさそうに頭を撫でられている。
姉を相手にするよりも撫でられることのほうが大切らしい。
「やはり姉としては、見ているとあまりよく思いませんか?」
「いえ、そんなことはありませんよ。幸せそうで何よりですから」
一応尋ねてみると、笹川先生はニコニコとした素敵な笑顔をミラー越しに返してくれた。
さすがに、本心からの言葉だとは思うが……。
「ただ……」
とはいえ、やはり思うことはあるようだ。
笹川先生の表情が少し曇ってしまう。
「どうかされましたか?」
「いえ、しっかりとされている白井さんにわざわざ言うことではないのかもしれませんが……体調を崩さないように気を付けて頂ければと。白井さんが寝込んでしまうと、美咲は酷く取り乱すでしょうから」
……なんとなく、笹川先生が言いたい言葉がわかってしまった。
おそらく彼女が言いたいことは、今言葉にしたことではないだろう。
――いや、言葉にしたことも含まれていることではあるのだけど、実際に言いたいことは、死なないように気を付けろってことじゃないだろうか。
多分笹川先生は今、自分と美咲を重ねて見えているんだと思う。
だからこそ、美咲が自分と同じような道を辿ることを恐れている。
夫を亡くしてから笹川先生は三年間まともに外に出られなかったというのも、今の美咲を見ていれば想像に難くなかった。
「もちろん、大丈夫ですよ。心愛の面倒を見ないといけませんし、体調を崩している暇なんてありませんからね」
そう、心愛が不自由なく暮らし、行きたい学校にも問題なく進めるようにするためにも、俺はこれから頑張っていかないといけないのだ。
母さんも楽にしてあげたいし、そう簡単に死ぬわけにいかない。
「そうですよね、信じております」
笹川先生は再度優しい笑顔を向けてくれると、それ以上は何も言ってこないのだった。