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クリスマスイブに最初の一歩

作者: 右田川 叶

「お前、今日早退だろ? 帰っていいぞ、やっとくから」

そう言う石井さんに、すみません、と頭を下げて机の上を片づけた。

部屋を出るときにすれ違ったお化粧帰りの小坂ちゃんがニマニマしながら見ているのに気づいたが、そんなんじゃない。

クリスマスイブに早退する理由はデートだけじゃないのだ。



通勤経路とは路線が違う駅にそのケーキ屋はある。

「今日はすみません、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくね」

ショーケースの向こうにいる奥さんに挨拶して手早くエプロンをつけた。

大学時代のアルバイトはほとんど販売だったから売り子は慣れている。クリスマスケーキは箱に入ってるから、丁寧に扱えば崩すこともないだろう。

店頭だから寒くて申し訳ないけど、と数日前に打ち合わせに来たときに店主の旦那さんに言われた。

お店の分厚いブルゾンを着込み、店先に出ると、足元にヒーターも置いてあった。


つまり、早退の理由はこれなのだ。クリスマスケーキ売り。

もともとは妹がやるはずだった。大学の近くのちょっと有名なケーキ屋でアルバイトを決めた妹が泣きついてきたのは数日前。

いい感じだった男の子にクリスマスの予定を聞かれて、何もない、と答えてしまったのだという。

「だって、バイトしかないんだから何もないでしょ! そしたら、一緒に出かけようって。バイトは他の子に頼もうと思ったら、みんな無理って言うし」

私だって仕事がある。

「夕方だけでいいから! ねっ!ねっ!ねっ!」

無理やり引き受けさせられ、結局、夕方の忙しい時間からいきなり始めるのは無謀、ということで、会社を早退してまで妹の代役を務めることになったというわけだ。

年末の忙しい時期に早退するのはなかなか大変で、残業したり、いつもよりバタバタしながら仕事をこなすことになった。

その結果があれだ、今日わかったミス。取引先から連絡があって、振込金額が1円少なかったっていう。

課長もチェックしたのに、なんて言えない。私のミスだ。

1円だけ振り込むのに、手間も手数料もかかる。それでも自分でやるのならまだマシだ。

石井さんに迷惑をかけてしまった。

石井さん、今日急ぎの仕事なかったっけ? クリスマスイブなんだから早く帰りたいよね?

そう考えて思い出す。

月曜日に石井さんがつけていた新しい手編みのマフラー。

クリスマスイブが平日だから、その前の週末に彼女と会ったのかも。

だったら、今日はデートじゃない。

ほっとすると同時に、残念なような気もした。

私のミスのせいで石井さんがデートに遅刻すればいいのに。

少しだけ、そう思った。

大体、あのマフラー、ダサい。色の選び方とかボーダーの入り方とか、おばさんっぽい。

石井さんの彼女、ダサい。

「あたしがもつ!」

子供の声に意識がクリスマスケーキに戻る。

その子に小さなかわいい手提げを渡す。毎年、必ずケーキを持ちたがる子供がいるらしく、サンタクロースの蝋燭の入った手提げを別に用意してあるのだ。

「はい、サンタさんを持ってくれる?」

透明な手提げの花柄の合間から、サンタさんが覗いている。

子供が機嫌よくそれを受け取ったのを見てとり、お母さんにクリスマスケーキを渡した。



閉店の8時になる前にはショーケースは空になっていて、クリスマスケーキも予約のお客さんがちらほら受け取りに寄るだけになっていた。

片づけをしながら最後の一個の受け取りを待つ。あと5分。

「すみません、予約してたケーキ」

声と一緒に日本酒の匂い。

「あれ、三上?」

石井さんだった。

おばさんっぽい趣味の手編みのマフラーは、もしかしたら彼女じゃなくてお母さんが編んだのかも、その考えも浮かんだけど。

違う、彼女だ。

だって、この駅は石井さんの使ってる路線だけど、石井さんが住んでるって言ってた駅とは会社を挟んで反対方向だ。

4号のクリスマスケーキを持って、彼女の家に行くのだろう。

「これ、石井さんのだったんですね」

サンタの蝋燭の手提げをクリスマスケーキの箱にテープで貼り付け、石井さんに手渡す。あと少し、石井さんが帰って、ここを片づけて、家に帰ったら、この決定打を受け止めよう。

彼女がいそうと思いながら、あえて聞かないでいたことが、ついにわかってしまったことへの。

「うん、駅前のいつもの立ち飲みで飲んでたら、母親からLimeが入っててさ、親父が受け取るのを忘れて帰ってきちゃったって。親父の会社と違って俺、逆方向だっての。気づいたのがぎりぎりでさ。悪かったな、閉店前で」

会社のある駅の前のいつもの立ち飲み、クリスマスイブに。

ケーキは石井さんちの。

だめだ、まだ信じちゃいけない。だって、手編みのマフラー。

いいや、もう今日は一回心臓が壊れた。再起不能になるかもしれないけど、でも。

「石井さんは今日はデートじゃなかったんですか? そのマフラーの人と」

「うるせえ、母親が作ったんだよ。悪かったな、彼女いなくて。お前こそ、早退したから絶対デートだって小坂が言ってたぞ」

心臓やや復活。彼女いない。いないって言ったよね? マフラーはお母さん作、お母さん、マフラーけなしてごめんなさい! とってもあったかそうです!

「デートじゃないです。見ればわかりますよね?」

「……ボーナス、少なかったもんな。副業届、ちゃんと出したか? 金ないんなら、今度昼飯奢ってやるから」

「違います! 妹がデートで、その代理です! お姉ちゃんはクリスマスイブ暇でしょうって。副業届はちゃんと出しました!」

「そっか」

目尻を下げて笑っている石井さん。余分なことを言ったような気がしないでもない。クリスマスイブに暇とかなんとか。

でも、ここまで頑張ったんだから、もう一押し。

「でも、ランチは奢ってくれてもいいですよ? というか、私が奢ります。今日は振り込みミスの修正ありがとうございました。バイト代も入るし、明日のお昼はどうですか?」

「いや、それくらい別にいいけど、じゃ、とりあえず明日の昼な」

やった! 一緒にランチ!

「石井さん、酔ってるからって忘れないでくださいね」

「忘れないって! 気をつけて帰れよ」

「はい!」



駅前広場の電飾が瞬く大きなクリスマスツリーの横を、ケーキの箱を下げた(今、彼女がいない)石井さんが歩いて行く。

明日、何を着ていこうかな。

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