雑貨フェス
「……ですね、店頭の商品のみになります」
今日も散歩のついでに雑貨店に立ち寄った。汐谷さんは一人の女性客の接客で忙しそうだ。
「ていうか店員さんかっこいいですね!この後空いてます?」
なにやら絡まれている気もしなくはない。私、お邪魔だろうか。今日は帰ろうかな。
「すみません!今日は所用がありまして。また、お店に来ていただけたら。その時またグッズをご紹介しますね」
女性に穏やかな声が向けられている。
「んふ、それじゃあ、また来ますね」
女性客が気を良くして帰っていく。店内は嵐が去ったように静まり返った。
残されたのは、帰るタイミングを失った私、と汐谷さんの二人。
「麻緒さん。ちょっといいですか」
誰もいないのに少し声を潜めて私を呼んだ。
「来週、雑貨のフェスに行くんです。見学と、楽しむのを兼ねて。麻緒さんも行きませんか」
何で自分も、とはその時は思わなかった。彼が私の写真を好いてくれて私自身に対しても気にかけてくれるのは単純に有難い。
行きたい。でも大丈夫だろうか。私は体調に左右されるし。起きられないし。
でも少しは頑張らなきゃ。甘えるのは良くない。
「ご一緒したいです」
少し考えて、声を絞り出すように言った。
「ご自宅まで迎えに行きます」
「え、うちまで……」
申し訳ない。
「何時だと行きやすいですか?」
本当は午後に集合が楽だ。でも今回は頑張ると決めた。
「……10時でもいいですか」
「もちろん」
彼は微笑んだ。よし、頑張って起きよう。
帰宅中、ふらふら飛んでいくトンボを見つめながら思った。
あれ、マンションの住所言ったっけ。知っていたような雰囲気ではあったが。まあ、DMで確認すればいいか。
***
7時から5分置きのアラームを10回繰り返して布団から這い出た。
やばい、こんな時間だ。
朝ごはんを咀嚼し飲み込み、歯を磨き、いつもより丁寧にメイクする。服を3パターン交互ににらめっこし、気が付けば時間になっていた。もちろんカメラも忘れずに。
玄関を出て、エントランスへと走る。
マンションの前に空色のコンパクトカーがとまっていた。
汐谷さんはこちらに気が付くと、手を振ってきた。
ドアを開けると、中は緩く空調がかかっていて 足元にはブランケットがしまってある。
「おはよう。よく、起きましたね!体調はどう?」
汐谷さんは午後ティーのペットボトルを差し出してきた。
「元気です」
少し無理をしたことは黙っておく。
窓の外の澄んだ空を見上げる。まだ今日は27度と暑いが、雲は秋が近いことを感じさせていた。
「雑貨などのフェスは行ったことがありますか?」
アクセルを踏み込みながら彼は聞いた。
「いえ。小さい頃に行ったかどうか、って感じです」
「そうなんですね。人は多いかもしれませんが、公園はとても広いし、密集することは少ないと思います」
混雑が苦手な私を気遣ってくれているようだった。
「汐谷さんは、お目当ての商品とかあるんですか?」
「僕は、革雑貨の店が気になっています」
1時間半ほど喋っていると前方に木の群れが見えてきた。どうやら会場に着いたらしい。
車を駐車場にとめて、公園に入る。入場ゲートには若い女性や家族連れが多く列をなしていた。
広い公園に沢山の白いテントが並んでいる。 テントの中には長机が置かれ、その上に選りすぐりの雑貨たちが並べられていた。
手前から順々に見て行く中に、ひと際気品を感じる店を見つけた。
シーリングスタンプやインクやガラスペンが箱に入れられて並べられている。骨董品のような佇まいだ。家に飾っておくだけでも見栄えがしそう。
「最近流行ってますよね!」
元気よく振り返ると、その勢いに気圧されて彼は目を丸くした。
「気に入ったんですね。巷で人気なのは聞いていますし、僕も入荷を考えてみます」
さらに暫く見てまわって、私はとあるテントで足を止めた。
見つけたのは、青い石がついたペンダントだった。
「それはシーグラスです。海で揉まれて、角が取れたガラスのことを言います」
店員が近寄ってきて一言添えた。
紐の先のそれは曇っていてマットに光っている。つるつるの一般的なガラスとは違うようだ。
シーグラス。小さい頃家族で旅行して、海でそれを拾ったことがあった。母はそれをペンダントにして暫身に着けていた。今どうなったかは知らない。
手を伸ばし値札をちらと見て、それを机に戻した。
***
何時間も、沢山の店を夢中で見ていた。その最中。革の小物を眺めている時、視界がゆっくりと暗転していった。
「大丈夫ですか」
汐谷さんに腕を支えられる。
「すみません。大丈夫です」
「休憩しましょうか。お昼食べましょう。またふらついたら危ないので、腕につかまってください」
彼の締まった腕にしがみついてゆっくり歩く。
私、情けないな。今日は頑張るって決めたのに。
フェスの屋台は揚げ物やプレートメニューが多い。
見ているだけでお腹がいっぱいだか、軽くつまめそうな唐揚げを選ぶことにした。
ワゴンに並んでいると、一つ前の若いお母さんがベビーカーを前に押しながら、店員からドリンクを三つ受け取っていた。
なんとなく不安で、その親子を眺める。
ストローの刺さった大きなカップ三つ分を煩わしそうに持ち直し、母親は一つをベビーカーの子どもに預けた。子どもはドリンクをゆらゆらしながら不安定に抱えている。
2つのドリンクを両手に持ちながら母親はベビーカーを押そうとした。
いやいや、無理がある。
手を貸してあげた方がいいかもしれない。
自分たちのお会計を済ませた汐谷さんと目が合った。彼は流れるような所作で母親のところに向かった。
「ドリンク、お持ちします」
私も後ろで会釈して相槌を打つ。
「えっ」
母親はこちらを見た。
「なんだか……本当にすみません」
「気にしないでください」
母親と、汐谷さんと、私と。ドリンクをひとつずつ持って、ベビーカーを押して公園を歩く。
昼時で沢山の人とすれ違った。きっとお母さん1人では大変だっただろう。
他と比べて人が少ないテントの脇で、二人の主婦が各々の子どもをあやしていた。
「おまたせ!待ってた人に手伝ってもらっちゃった」
私たちを視認した主婦友たちが小走りでドリンクを受け取りに来る。
「ありがとうございます」
「すみません!……エミ、呼んでくれればよかったのに」
ママ友たちが談笑するのを尻目に私たちはご飯を食べにテーブルへ向かった。
一通りお店を見て、一段落ついて。私は会場にカメラを向けた。
フェスは笑顔で溢れていた。人と人を、人と幸せを、雑貨が結んでいる。レンズには、家族連れもカップルもおひとり様も映っている。
レンズを通した私たちは、どう見えているのだろうか。
駐車場。帰るための車の中。改まった雰囲気で汐谷さんが私の方へ向き直った。
「君が熱心に見ていたペンダント。プレゼントしたくて。買ってきちゃいました」
汐谷さんの手には先ほどのシーグラスがあった。太陽の光を受けて淡く青く反射しているようだ。
「シーリングスタンプとかも興味あったみたいですけど、あっちは店に入荷するので。その時はやってみましょう」
「向こうむいて」
彼が後ろを向かせて私の首にペンダントをつける。
「とても似合ってる。可愛いです。ペンダントも。あなたも」
彼は眩しそうに目を細めた。
「シーグラスは願いを叶えてくれると言われているらしいです。……何か願ったら、叶えてくれるかも」
願い。私の願いは何だろう。お金が欲しい。美味しいものが食べたい。可愛くなりたい。
普通になりたい。
彼に言うには重すぎるような気がして、口には出さなかった。
信号機が変わるのを待ちながら、ミラーに映った胸元をぼんやりと眺める。
「気に入ってくれましたか?」
「はい!」
私は頷いてそれを指で撫でた。