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手のぬくもり

「朝ご飯、作ったよ。起きて」


 いつもはいないはずの人の声で目が覚めた。


「朝まで、居てしまったね」


 甘く、優しく 秘密を打ち明けるように彼は呟き、汐谷さんは外から布団ごと私を抱き締めた。

 

 布団越しにぬくもりが伝わってくるようだ。ぎゅっとされて逃げるように布団を出る。


 昨晩あんなことがあって、心が昂ってしまってほとんど寝られなかったと思っていたが、隣に人の温かさを感じて朝方眠ってしまったらしい。


 彼の方は寝られたのだろうか。


 朝ごはんなのか、部屋にはトーストの焼ける匂いが漂っていた。


 汐谷さんはシャツの上のボタンを緩く外していて、無防備な格好に思わず目を逸らした。


 テーブルにパンやサラダなどが2人分並んでいた。こんな材料うちにあっただろうか。


 さくさく。こんがり焼けたトーストは噛むと小麦の甘さがした。


 寝ぼけまなこを擦ってパンを齧っていると嬉しそうに見つめる目と目が合った。気まずくて視線を外す。


 瑞々しいトマトにレタス。かりかりに焼けたベーコンに艶のある目玉焼き。どれも簡単な料理だが絶品だった。


「薬飲むのも、忘れないようにしないとだね」

 

 優しく促されたが不快にはならなかった。


 親鳥のような彼に"これ以上甘えてはいけない"そう思うのに心が自立しきらない私はつい甘えてしまう。


 


「午前中から動くの辛いよね。でも、少しだけ、一緒にお散歩しない?」


 今日は天気も良い。でも外に出掛けるのならお風呂に入らなきゃ。服も選ばなきゃ。メイクもしなきゃ。

 

「楽しいこと話しながら準備しよっか」


 彼が笑いかけてくるのを見ると、心が重だるくても、つられて私も口角が上がってしまう。


 

 準備その1。服を選ぶのも一苦労だ。


「服を選ぶの、苦手なんです。もう少し待たせてしまうかもしれません」

 

 ダイニングで待っている汐谷さんにそう話すと、手持ちの服の中から似合うものを選んでくれた。彼に合っていると言われると嬉しい。自分自身には自信が無いけれど、褒められると似合っている気がしてくる。


 デートに着て行くにはラフすぎる気がしたが汐谷さんはそれがいいと言ってくれた。


カメラを持って散歩に出かける。


 初めて汐谷さんと過ごす朝。今日の風景を写真に残しておこう。


 いつとより景色が色鮮やかに見える。

 寒さの中真っ赤に燃える紅葉。朝の光を映す木漏れ日。水面(みなも)にも光がきらきらと反射している。

 


 歩きながら、ひっそりとピントを汐谷さんに合わせる。

 カシャリと、彼の横顔を盗むように撮った。

 

 整った造形だ。頬に長いまつげの影が落ちていた。


「勝手に撮ったなぁ」


 カメラを向けられていることに気がついた彼が腕で小突いてきた。


「良く撮れてる?」


 のぞき込んでくる彼から咄嗟にカメラを隠した。私だけが自分の部屋でそのフォルダを眺めていたい。

 

 見慣れた街を彼と歩く。彼と歩くのは初めてではない。

今までに家までの道を送ってくれたことは何度もあった。


 でも、朝の街並みを2人で並んで歩くと新鮮だ。何もかもが甘く輝いて見える。


 いつもは寄らない公園のベンチに立ち寄り、2人で休憩する。ほんの少しだけ、ぼんやりと物思いに耽った。


 彼にしてもらってばかりで私は何も恩を返せていない。私には何ができるだろうか。


なんのお礼にもならないけれど、せめてそこの自販機で温かいコーヒーを買って渡そうという気分になり立ち上がった。


「今は、まだ横で座っててよ」


「……?」


 穏やかな声に引き留められた。


 黙って、ひと一人分間隔を空けて座り直す。汐谷さんはコーヒーひと缶すら私に奢らせてくれない。

 

「……何か私にできることはありますか?」


「ん?できること?」


「私は、いつも汐谷さんに助けてもらってばかりで。私は何も返せてない」


「麻緒さんが元気でニコニコしてくれたら、いいよ」


「そうじゃなくて……」


「……。じゃあ、お願いをひとつ聞いてくれますか?」


「はい」


「手を、繋いでも、いいですか?」


 手。キスはしたけれど手を繋いだことは無かった。


 彼の手をちら、と見た。


 大きくて優しい手。視線に気がついた彼が反対の手で左手を覆った。


「すみません。僕のこと、どう思っているのかも確認してないのに……」

 

「い、いえ!こちらこそ……手、お願いします」

 

 ベンチの少し空いた距離。彼は握手する時のように左手を差し出してきた


 大きな手に右手を重ねる。


 温かい。


 どくん、どくんと心臓が大きく脈打ち出す。どうしよう、動悸がする。胸が苦しい


「……」


汐谷さんはどんな顔をしているのだろう。気になったが隣を見られなかった。


鳥が囀る声と風の鳴る音だけが公園に響いている。


「……君の防波堤になりたいんです。あなたを傷付ける全てから守りたくて」


「傷一つ付いてほしくないんです」


 発せられる一言一言が蜜のように甘くて飲み込む前に喉につっかえた。


「本当に、そんな全肯定みたいなこと、汐谷さんに会うまで言われたこと無さ過ぎて……」

 

 汐谷さんは優しすぎるから、甘えすぎないようにしなきゃいけない。


 手のぬくもりを感じながら、しばらく黙って冬の空気と今まで言われた言葉を反芻していた。


「ずっとここにいたら、体が冷えてしまいますね。そろそろ帰りましょうか」

 

 汐谷さんの言葉でようやく立ち上がる。沢山話をしながら帰った。


 部屋に着くまで、手はぎゅっと繋いだままーー


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