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キス

 ある日の雑貨屋からの帰り。普段から彼が忙しくなければ、家まで送ってもらうことがある。今日もそうだった。晩秋は日が沈むのが早いから。そう、それだけの理由しかない。


「それでは。家に入ったらきちんと戸締まりして下さいね」


 彼が軽く会釈して去ろうとするのを今日は黙って見送れなかった。


「待って、うちで、ちょっと温まっていきません?最近寒いし」


 寒いと、人恋しくなるものである。


 彼を家に上げて、飲まずに残っていた缶チューハイを一缶ずつ開けた。

 

 本当に落ち込んだ時、勢いで酒を買ったことを思い出したのだ。気持ち良くなることができれば、お酒に溺れてもいいと思った日が何度かあった。


 家だから。大丈夫。薬もあるけど、多分大丈夫。

 

 アルコールが入って良い気分で雑貨屋のインスタを眺めていた。リールに私が撮った写真が縦にずらりと並んでいる。なかなかよく撮れているようで自己肯定感が上がった。

 写真には一般の人からのスタンプやコメントがついているものもあった。


「雰囲気が気に入りました。今度お店に行ってみます」


 そのコメントを残した人はもう店に来てくれただろうか。

 その人は、撮った私のことは興味が無いだろうが、それでもあの雑貨屋が評価されるのは嬉しい。

 

「僕の店の写真撮ってもらうことで一杯いっぱいだと思うのです。だけれど、わがままを言うと、麻緒さんが好きに撮った風景の写真もまた見たいです」


 私のアカウントを見ながら彼は言った。雑貨店のアカウントのいいねが徐々に増えていくのに対し、私のインスタはあまり人が見に来なくなった。最近更新していないのだから仕方がないかもしれない。


「汐谷さんのお店を撮るにしても、自分の写真を撮るにしても、もっとスキルアップしたいかもです」


 ふと思い立ち、彼と2人、電子書籍のサイトで「カメラ プロ 撮り方」などと検索してみた。鮮やかな絶景の写真の表紙がいくつも現れた。星5つの評価とともに、カメラを嗜む同志達が本の感想を書き連ねている。


 サンプルを開き、画面をスワイプしてページを捲る。専門用語や、実践してみないと想像が難しい部分も多い。カメラの扱いはなかなか奥が深く難しいようだった。

 

 自分も同じステージに立ちたい。レビューで交わされているような高度な話を理解したい。


 いずれはコンテストに出してみたりしても楽しそうだ。

 最初は一次審査も通らないだろう。それどころかボロクソな評価がつくかも。そうしたら私は落ち込んで、引きずってしまうだろう。

 でも、汐谷さんが私の写真のファンだと言ってくれるから。1人の心には刺さっているから。そう考えると自信になるような気がした。


 まだ未熟かもしれないけれど 少しずつ勉強してみよう。


 今後について色んな希望的観測を話し合った。

 もうすぐ日付が変わる。


「もう、帰りますね。こんな時間まで女性の部屋にいてはいけないから」


「……一緒にいてほしい。寂しいです」


 酔いのせいだろうか。無意識にわがままを言っていた。


「そんな意地らしい目をしないで下さい。帰れないじゃないですか」


 帰り支度をやめた汐谷さんの肩に、私は頭を預けた。


 ずるずると時間が経ち、秒針が0時を越える。


「本当に帰らないと……」


 彼が荒く息をついた。


「だめ。ずっといて」


 無理を言う私に、口を引き結んで彼が黙り込んだ。沈黙が部屋に落ちる。

 

「違うんです……。これ以上一緒にいたら……とうとう俺の理性が、効かなくなる、っ、」


 彼が抱き締めるように覆い被さってきた。唇が一度は控えめに触れて離れていったが、次の瞬間には貪るようにキスをされた。


 いつか彼とキスをすることになると、積極的に考えていた訳ではない。でももし妄想するなら甘く優しいものだと思っていた。

 

 しかし彼との初めてのキスは優しくなかった。

 舌が入ってきて、絡め取られて溶け合う。


 彼の匂いなのか、いつもは感じない甘い香りがする。

 ちゅっ、と舌を吸われ、呼吸ごと奪われる。

 息ができない。

 

 鎖骨を優しくなぞられて身体が震えた。

 

「可愛くて、可愛くて、仕方がなくて。ずっと我慢してたのに、どうして」


「汐谷さん、んっ、あぁ」


「凪って呼んでよ、あなたに呼ばれたい」


「凪……さんっ」


 彼の目が獰猛に光った。


「麻緒さん、麻緒、俺のになってよ。全部くれよ。君が好きだ」

 

 彼はパーカーの上から胸を柔く触り、胸の先の飾りの辺りを甘く引っ掻いた。


 大きく武骨な手が下へと滑り、腹の肉をさらに下へ辿る。その手の触れたところ全てが熱を持った。左手は腿を撫でた。


 そして私の足と足の間に手を伸ばした。


「……だめだ。これ以上はだめです。まだ。僕はあなたのことを大事にしたい」


「……」


 彼は伸ばした手をぐっ、と握り、唇を噛んで私を抱き締めた。


 本当はもっと触ってほしい。一線を越えてもいいと思っている。でも、それは口にするべきではないと感じた。


「……せめて、朝まで一緒にいてくれませんか」


色んな欲望を堪えて、そう言った。


「いいよ」


 2人で布団に潜った。眠ることもできず、彼の息遣いを朝になるまで聴いていた――

 


 


 

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