むかしがたり
初めまして、私がエレノア・ウィンフィールドよ。
世界間戦争についてのインタビューということだったけど、私なんかで良かったのかしら?
ええ、真世界からこのイアズ世界への、戦後最初の移住者の一人ではあるわよ。でも、移住の指揮をとったマスター・セルシオ以外、移住者の中に後世まで名前が残るような人物は居ないでしょう?
あなたは、アカデミーの学生さんということだったわね。それなら、学長のケン・ミサワにでも話を聞いた方が、よほど面白い話が聞けるんじゃない?
ああ、真世界側の話が聞きたいの? そうね、おたくの学長さんも真世界の出身だそうだけど、時代が違うとかいう話だったから。
その辺の話は、私には良く分からないけれど。真世界の、ずっと前の時代から、このイアズ世界の「神様」に連れて来られたとか何とか。言葉の意味は分かるのよ? でも、何というか、同じ世界の話と思えなくて。
でもねえ、本当に、私なんかじゃ、あなたが聞いて面白いような話はできないと思うわ。私は、魔法の力にアクセスできない、当時の真世界では「落ちこぼれ」とされてた、自然科学者に過ぎないから。
そうね、当時の真世界については、歴史書なんかにも載っているでしょう? 魔法科学絶対の、能力主義社会。「劣っている」と見做される私達自然科学者は、蔑視の対象だった。
私なんかは、まだ恵まれていた方よ。それなりの家庭に生まれたおかげで、自然科学学校に入れてもらえて、社会に出て役に立つ教育が受けられた。自然科学学校にいるのは、みんな魔法科学学校に入れない「落ちこぼれ」だから、学校の中で蔑視を受けるようなことはなかったし。まあ、外に出れば、嫌な思いもしたけれどね。
疑問…? 当時はそんなもの、持たなかったわねえ。理不尽は感じてたかしら。役にも立たない魔法しか使えない連中より、自分の方がずっと能力が高いのに、何で馬鹿にされなきゃいけないの!…ってね。まあ、マスター達は別よ。高度な能力試験に合格した、特別な魔法使い達で、当時の社会じゃ雲の上の英雄達だったから。
そりゃあ、今となっては、分かるわよ。魔法の能力が高いからといって、彼等に政治的能力があるとは限らないんだから、マスター達に国家運営を任せるなんて、理屈に合わない話よね? だけど当時は、私達一般人に政治のことなんか良く分からないし、才能のある者達が人々を導く、そういうシステムとして理解していたのよ。
まあね。当時でさえ、何人かのマスターを個人的に知った後は、魔法的才能と性格の良し悪しは別の話だって、つくづく思わされたけど。
そうなの。私は、自然科学学校を出てから、移住までずっと、マスター事務所に勤めていたわ。魔法の使えない人間にとっては、まあ最高レベルの職業ね。何しろ、「落ちこぼれ」にとっては、就職そのものが難しい時代だったから。
ええ、今では、魔法が使える・使えないは、脳機能の問題で、元々個人差も大きいし、別に欠陥じゃないと分かってるのよね? 何だったかしら、そう、「異界の門」? そこから漏れてくる魔法の力に、どの程度アクセスできるかの問題ですって? 「異界の門」って、ファイロン地方の「神々の腰掛け」って山脈の奥にあるとかいう、アカデミーの管理地なんでしょう?
その辺の詳しい話は、良く分からないのよ。歴史にはあまり興味もないし。あなた達の学長、ミサワ卿の時代には、真世界に魔法はなかったんでしょう?
…そう、その後で真世界とイアズ世界の間に裂け目ができて、真世界にも魔法の力が漏れてくるようになったの。異世界からイアズ世界に漏れて薄まった魔法が、更に真世界に漏れて薄まったんじゃ、アクセスできる人が少ないのも当然よね。
まあ今は、魔法機械なんかも発達してきて、私達でも魔法の恩恵が受けられるけど。
私達の時代に、魔法機械なんかなかったわよ、当然。そもそも特権的な力なんだから、「誰にでも使えるようにする」って発想自体がなかったんでしょうね。だから逆に、データ処理なんかには、「誰にでも使える」機械が使われてて、私達が働く余地もあったって訳。学校で使い方を学べば、の話だけれど。
学校のシステム? それは、あなた達のアカデミーと変わらないわよ。幼少期から高等教育までの一貫、入校・退校は自由、国家経営だから教育費用の負担はなし。魔法科学学校も、自然科学学校もね。
それで学ばない人がいるのかって? なら訊くけど、イアズ世界のアカデミー進学率は百パーセント?
そうよね、学校のある場所まで、通うのが難しい人もいれば、時間を取れない人もいる。そもそも、学ぶのが好きじゃない人も。
私は、自然科学学校の、寮に入れてもらってたわ。教育は無償だけど、生活は有料。それほど家が遠くない人には、送迎サービスもあったけど、これも有料。
ああ、イアズ世界に、車はなかったわね。最近、開発されてるでしょう? 魔法動力のカート。あれの、地面の上しか走れない、自然科学バージョンよ。それで、学校までの行き帰りをサポートするの。
あとは、移送魔法での送迎だけど、これは魔法使いの中でも稀少な能力者が必要だから、魔法科学学校の奨学生レベルじゃないと使えなかったみたい。
あら、アカデミーで、移送魔法装置を使った通学サポートが、検討されてるの? でも、魔法機械はまだ開発中だから、難しいでしょう? そうよね、移送のステーションをいくつも設置しなきゃいけないだろうし、魔法機械は一つ一つが高価だから。
要するに、無償の教育を受けるにも、お金は必要ということよ。今も昔も、イアズ世界でも真世界でもね。
何だか、世代間の情報交換会みたいになってきたわね。世界間戦争からはだいぶ離れてしまったけど、良いの? ああ、聞きたいのは、真世界の話だと言ってたものね。いいわ、それで、お婆ちゃんに、他には何を聞きたい?
え、マスター事務所とは何かって?
ああ、まあ、そうよね。当時の社会構造なんかは教科書に載っていても、廃れてしまった旧社会の、産業一つ一つについての資料なんて、どこにも残っていないか。
ええと、マスターについては知ってるわよね? そう、最高に難しい魔法使い試験に合格した、当時のエリート達。
マスターはほぼ全員、事務所を構えていたと思う。独自の魔法研究をしていた人も多いし、マスター試験に受かると、自動的に政治評議会のメンバーになるから、資料なんかも送られてくるし。事務所の規模は、人それぞれよ。多分、内容もね。
私は、マスター・セルシオと、マスター・アンジェラの事務所でしか、働いたことがないの。マスター・ダニエルの事務所に、政治評議会の問い合わせを送ったことがあるから、政治部門は多分、どこの事務所にも設けられてたと思うわ。何しろ、書類のやり取りが多いのよ。
規模は、これも人それぞれ。政治に興味がなくて、評議会にも出席しないマスターなんて、何人もいたし。そういうところは、政治部門は多分、書類整理だけね。
セルシオは、良心的なタイプ。評議会には必ず出席して、議題については一つ一つ検討するし、分からないことは専門家に問い合わせたりして、発言すべきところではしっかり意見を述べていたわね。
アンジェラも評議会には出ていたわよ。政治にはそれほど関心がなくて、他のマスター達との繋がりを作る、いわば別種の権力ゲームの舞台だったみたいだけど。
彼女が何とか近付こうとしてたダニエルは、魔法研究より政治にのめり込むタイプ。あそこの事務所はきっと、政治部門がメインだったでしょうね。
マスターの収入は主に、評議員の給料と、魔法研究の助成金だから、研究部門も多分、各事務所にあったと思う。それと、事務所を構えている以上、経理部門もね。
みんながみんな、助成金をもらって良いような魔法研究を、していた訳じゃないみたい。当時流行り歌になった、変身術師の話なんかもあるし。
ええ、変身魔術が使える、マスターの話。「労働力の確保が難しい現場で、動物を変身させた人間を、特性に応じて雇用できないか」という触れ込みで、人間に変えた動物を、愛人として売り出してたとか何とか。
「動物の花嫁」って、こんな歌よ。
「彼女は、白い毛皮の犬だった。
綺麗な、綺麗な、犬だった。
賢い、賢い、マスター様、どうか彼女を人間に!
(僕は彼女が大好きだから)
彼女も僕に尻尾を振って
とても好きだと教えてくれる
マスター様がチト杖振ると、
アブラカタブラ、美人の女性
動物の花嫁、可愛い、可愛い花嫁
彼女は白い花嫁衣装を着
綺麗な、綺麗な、女性だった
優しい、優しい、色男が、彼女を見つけかき口説く
(どうか自分の大事な人に)
彼女は彼に尻尾を振った
もう尻尾などないというのに
彼女は彼と、どこかへ逃げた
雌犬は雌犬、仕方がないさ
動物の花嫁、不実な、不実な花嫁」
世界間戦争の時、イアズ世界に協力した、真世界のレジスタンス、「動物解放戦線」は、ここから名前を取ってるらしいわよ。そうよね、「動物解放」って、何のことかと思うでしょう? 実態は、マスター達の越権行為を暴くことで、反マスター制度を主張する集団だった訳だから。
実は、「動物解放戦線」のリーダー、セオは知り合いよ。一時期、セルシオのところで一緒に働いてたから。いいえ、親しくはなかったわね。セオは、親しくなりにくいタイプというか…いえ、悪い人じゃないんだけど…何と言うか、頭の働かせ方が独自で、分かりにくい人? 珍しいタイプではないと思うわよ。あなたの回りにも一人ぐらい居るんじゃない? 本人の中では筋道立っているんだろうけど、頭の回転が早すぎて、話や行動の脈絡が傍からは見えにくい人。
親切は親切だったわね。最初に知り合ったのは、私が学校を出てから、就職先を見つけられなくて、父の知り合いだったセルシオの事務所に、とりあえず臨時雇いで入った時。セオはセルシオの事務所で、主にデータ処理を受け持ってた。学校出たての、単なる臨時雇いに、丁寧に仕事を教えてくれたものよ。難点は、彼が教師向きじゃないということね。頭の良い人にありがちな話。分からない人の気持ちが分からないから、どう説明すれば分かるのかも分からない。自分が理解してることを、ただ伝えてくるのよ。
根気は良かった。私が同じことを何度訊いても、同じように丁寧に答えてくれてたから。…まあ、ここだけの話、前にも訊かれたってことを、覚えてなかった可能性も、彼の場合はありそうなんだけど。私がどういう立場で事務所に居たかも、認識してなかったとしても驚かないわ。
さっきも言ったけど、頭は良いのよ。決して馬鹿じゃないんだけど…どう言ったらいいのかしら…ボンヤリとも違うわね、そう…興味の幅が狭い?
私が臨時雇いでマスター・セルシオの事務所に行くと決まった時、セルシオから言われたわ。
「エリーさんは頭が良いから、臨時雇いでは勿体ないんですが、ウチもとりあえず、人員は足りていましてね。でも、まあ…しばらく、セオドール君の補佐でもしてもらいましょうか。セオドール君は、ウチの、研究関係のデータ処理をしてくれているのですがね。とても賢い若者ですが、少し独特なところがありまして。エリーさんには、彼のデータ処理の手伝いをしながら、常識面では彼の手綱を取ってもらえれば…。いえ、難しいことをお願いしている訳ではないんですよ。セオドール君で充分、手は足りるんですが、たまにね、処理したデータを、彼の解釈で関連付けてファイリングしてあったりして、まあ、参照するのに手間取ったりする訳ですよ」…って、セルシオらしい、穏便な言い回しね。
そう、「セオドール」が、セオの名前。世間には「セオ」としか伝わらなかったし、事務所の中でも、セルシオ以外の人はみんな、セオと呼んでた。フルネームは何だったかしら? ええと…ファ…フェ…ああそう、セオドール・フィンチ、だったわ、確か。でも、セオはセオよ、私にとっては。
セオの助手をしてた間は、まさにセルシオのイメージ通りだったと思うわ。セオからデータ処理の技法を学びながら、処理済みデータは研究員達が参照し易いように並べ直す。あとは、政治部門の、資料整理。そっちは、セオが全く興味なくて、私が手伝いに入るまでは、セルシオが自分でやってたみたい。
「セオドール君に任せておくと、検討の必要な資料まで、ゴミとして捨てられてしまいましてね」…って、ぼやいてたっけ。
まあ、セオにしてみれば、評議会に上がってくるような「表向き」の資料なんて、まさにゴミだったんでしょうね。セルシオの事務所ではおくびにも出さなかったけど、「解放戦線」でマスター達の裏資料を集めてたらしいから。
そうよ、歴史上はレジスタンスの英雄かもしれないけど、私にとっては、セオはただの事務屋さん。
まあ、特殊なケースではあるかしら。事務職といっても、セオは魔法が使えない訳じゃなくて、魔法科学学校出身の上、座学では成績優秀だったらしいから。ただ、実際に魔法を使おうとすると、コントロール不良で暴走するんで、危なくて魔法が使えないだけ。小さい頃、蝋燭に火を点けようとして、妹の顔に火傷を負わせた、って話は、当時から有名だったわ。ええ、その話は、イアズ世界にも伝わってるわよね。いわゆる「魔法音痴」? 珍しいけど、他に例がない訳じゃない。
あとは、どんな人物像が伝わってるの?
…ああ、凄くハンサムだったのは、事実。妹さんも、火傷してない顔半分は、物凄く綺麗だったらしいわよ、私は会ったことないけど。そうね、セルシオからいろいろ聞いてはいたけど、初対面で言葉を交わす前は、ちょっぴりドキッとしたかしら。こちらも学校出たてで、何しろ若かったから。でもねぇ…開口一番の台詞が、「眼鏡はかけないんですか?」だから。
つまり私は、「データ処理の手伝いに来た自然科学者」、ということは、「学校でずっとコンピューターを使ってきた」、それなら「目が悪くなっているに違いない」…多分、そんな三段論法を一瞬で飛び越えての、最初の台詞。後から考えれば、ね。言われた時は、キョトン、よ。
「眼鏡…ですか?」って、馬鹿みたいに訊き返しちゃった。そしたら、セオは納得顔で、「ああ、ゴーグル使いますもんね」だって。彼の論法が分かる? 分かったら、大したものよ。
コンピューター使用者なら、仮想空間に入るのに専用ゴーグルを着けるから、邪魔な眼鏡なんかする訳ないでしょ…と、私のオウム返しを解釈した結果の、納得。これも後から考えれば、だけど。言われたその時は、「この人、何語を喋ってるんだろう…?」って感じよ。
結果、超ハンサムで年も近い最初の上司は、「黙っててくれれば鑑賞には良いけれど、中身はエイリアン」って位置付けになったわね。お互い仕事中の時は、たまに見惚れてたけど。
ガッカリした…? そうね、あなた達にとっては、レジスタンスの英雄ですものね。でも、そんなものじゃないかしら。同じ時代を生きた人にとっては、ただの変わり者。その「変人」なところが、後世に名を残すような行動に繋がるのよ。
セルシオだってそう。性格的には、セオほどエキセントリックじゃなかったけど。「自分は、自分の理想とするところに向かって、一歩々々着実に進んで行く」ってタイプ。でもその「理想」が、特権を享受するマスターでありながら、「魔法至上主義からの脱却」って、やっぱり普通の発想じゃないでしょう?
いいえ、最初にセルシオのマスター事務所で働いてた時は、そんな話はしなかったわね。だって私は、学校出たての知人の娘で、ちゃんとした仕事が見つかるまでの臨時雇いに過ぎなかったもの。
仕事は評価してくれてたわ。私がやってたのは、政治関係の資料整理と、それ以外の、セオが処理分類したデータの検索インデックス付けだけだったけど。
「エリーさんが入ってから、必要なデータが探し易くなって助かると、事務職員から研究員まで、皆が喜んでいますよ。あとは頑張って、セオドール君の情報処理技術を、できる限り盗んでみてください。将来、きっと役に立ちますから。いや、セオドール君に、教えてあげるよう言っても良いんですが、エリーさんなら、手法を見て覚える方が早いと思うので」なんて、臨時雇いのヒヨッコを、ずいぶん持ち上げてくれたものよ。
セオが一流のデータ処理技術者だったのは本当。ただ、分類整理の基準が独特だったのと、相手に分かるように物事を伝える才能は、確かになかったわね。マスター・セルシオはそんな具合に、事務所に勤めてる一人一人の、長所も短所も把握してた。彼は彼で、一流のボスだったと思うわ。
そんなこんなで、二年くらいセルシオの事務所で働いた頃、マスター・アンジェラ事務所の、正規雇いの話があったのよ。
話を持ってきたのはセルシオだったけど、今思えば、私には合わない職場なんじゃないか、って懸念があったんでしょうね。あまり、積極的に勧める口ぶりではなかったわ。
「評議会で、アンジェラさんの事務所に事務員の空きが出たので、誰か回してもらえないか、と話があったんですが。大きい事務所ですし、給料は、ここの臨時雇いより、はるかに良いと思いますよ。エリーさんなら、務まる技量もあるでしょうし。何故、私に話があったのかは、良く分かりませんが。アンジェラさんとはあまり話したこともありませんし、求める人材が共通するようにも思えないんですが」って、セルシオにしてはあからさまに、反りが合わないのを面に出してたわね。
後から聞いた話じゃ、アンジェラが興味を持ってたのは、セオみたい。セルシオが若い女の子を、人員は足りてる事務所に、わざわざ臨時雇いにしてまで採用したから、今事務員が欲しいと言ったら、美男の天才技術者を回してくれるかも、ってところね。
あぁ、別に、アンジェラがセオを愛人にしようとしたとか、言うつもりはないわよ。私のことは、セルシオの愛人だとでも思ってたみたいだけど。そうでもなきゃ、臨時雇いを正規採用して主力のデータ処理者を外に出すかもなんて発想、そもそも浮かばないでしょ。
マスター・アンジェラにとっては、事務所のスタッフ、イコール、自分の取り巻き、だったんだと思う。見栄えのする男の子を、お取り巻きに加えたかった、ってところね。
雇用主なんだから、自分に合った人材を選んで採用するのは、当然の権利よ。才能で選ぼうが相性で選ぼうが、別に否定はしないけど。ただ私は、ああいう、「目上の人」のご機嫌を取って、何でも仰せご尤もで持ち上げておくような対応が、本当に苦手で。それで、セルシオも心配したんでしょうけど。
彼にしてみれば、面倒見てる知人の娘に、正規採用の機会があるのなら、話はしておかないと、って気持ちだったんでしょうね。
私…? まあ、あんまり乗り気ではなかったわね。器用な方じゃないから、やっと馴染んだ環境を変えるのは不安で。
でも、結局、話を受けたの。セルシオのところでずっと厄介になってるのも悪いし、大きいマスター事務所に正規雇用なんて、滅多にないチャンスだもの。
ええと…世界間戦争史で言うと、丁度、イアズ世界への裂け目が見つかった頃? 事務所を移るのがもうちょっと早かったら、私もイアズ世界に送り込まれてたかもしれない。マスター・アンジェラは、新世界開発プロジェクトを主導した、マスター・ダニエルのお取り巻きの一人だったから。マスター・ダニエルが裂け目からイアズ世界に送り込んだ、いわゆる「調査員」達というのは、ほとんどがマスター事務所勤務の事務員とか、下っ端の研究員。居なくなっても大勢に影響ない、余剰人員よ。使い捨ての実験動物みたいな扱いね。
そうなの。アンジェラのところでは、私もすぐに「要らない人員」に分類されてしまった。元々、私が欲しかった訳じゃないし、多分、セオでも無理だったと思うわね。あの人に、上手くアンジェラのご機嫌を取るような真似が、出来たとは思えないから。でも、私が入った時にはもう、アンジェラはダニエルのところに何人か、事務所のスタッフを調査員として出向させた後だったのよ。と言うか、スタッフを出向させたから、新しく人を雇う余地もあった訳。
アンジェラの事務所も、悪い人ばっかりじゃなかったわよ。研究員の何人かは親切にしてくれたし、大事な友達もできた。
…え? そうよ、男友達。好きだったんじゃないか、って…そんなに顔に出てた?
私、学生時代は異性と付き合ったことがなくてね。好きな人はいたけど、片思いばっかりで。駄目と分かっても、なかなか気持ちが冷めないタイプだから、苦しい気持ちばかりが長引く訳よ。正直、セルシオのところに勤めた時は、もう恋愛は懲り懲り、って感じだった。まぁ、対象者もいなかったけど。セルシオを尊敬して、セオを鑑賞して、それで充分。男性から告白されたこともないし、多分自分は、男にとって魅力のないタイプなんだと思ってた。
そんなことないって? ありがとう。そりゃあ今では、相手が異性に求めるものによるのは、分かってるわよ。でも、私は美人でも、スタイルが良い訳でもないから、見た目に惹かれる人の目には、まぁ留まらないわね。自分をアピールするのも苦手な方だから、まず目立たない。手先はまあまあ器用だから、料理とかも含めて、ものを作るのは得意な方だけど、そんなの披露する機会もないし。そんなこんなと、「魔法無し」蔑視のせいで、当時の自己評価は最低レベル。自信なんて、これっぽっちもなかったわ。
…で、アンジェラのところに移った。最初に会った相手は事務員のディエゴで、彼とアンジェラに挨拶しに行ったから、最悪のところと最初にコンタクトした感じね。
いえ、本当に最悪なのよ。ディエゴが私の受け入れ係だったんだけど、初対面で睨み付けて、「ベテランのデータ処理技術者が、来るはずじゃなかったんですか?」って言ってきたから。
「まあ、いいです。僕は受け入れ担当のディエゴ。まずは、ボスに挨拶に行きますよ」って、最初から素っ気ないこと。反感を持ってるのを、隠そうともしなかったわね。
ディエゴも、魔法の力にアクセスできない、当時の社会じゃどう足掻いても上へ行けない人間の一人。それに、子供を学校に通わせる余裕のない家庭の出で、自力で自然科学学校に入って、何とか就職できる情報処理技術を学んで、中途退校して就職したらしいわ。自分でそこまで人生設計を立てて、それに沿って努力できるところは、確かに凄いわね。でも、自分が苦労したからって、自分より恵まれた人間を全て敵視するのは、子供の発想。
今では、ディエゴが怒ってたのはそういう理由なんだろう、って何となく分かるし、ボスのアンジェラのことも、本当は嫌ってたんだろう、って察せられるけど、当時は怖いばかりよ。で、右も左も分からないところで、何故だか分からないけど初対面の私に怒ってるディエゴと一緒に、アンジェラのところへ行った訳。
アンジェラは、挨拶する私をチラッと見て、そのまま広げてた書類に目を落としたわ。
「そう、じゃ、早速仕事をしてもらって。自然科学学校卒業で、セルシオのところでも優秀だったらしいから、あんたも心強いでしょ、ディエゴ」…なんて、後から思えばディエゴへの嫌味よね。思い返してみると、あの時アンジェラは、ディエゴの方はチラとも見なかった。アンジェラの方でも、実際はディエゴを嫌ってたんでしょうね。追い出す口実は与えないように振舞ってるけど、言いなりになる男じゃないのは察して、ってところかしら。
そうなのよ。お互いの確執に、来たばかりの私は、何の関係もないじゃない? なのに当てこすりの道具にされて、こちらこそいい迷惑。あの時はそんな事情知らないから、自分が何故だかいきなり上二人の機嫌を損ねてしまったと思って、オロオロするやら落ち込むやら。
アカデミーでも、思い当たるようなケースがあるの? まあ、そうでしょうね。人が集まれば、ありがちな話だから。
あのね、人を貶めることでしか自分の価値を保てない人は、何かしら劣等感を抱えてる、気の毒な人だと思えば良いのよ。他に表現や発散の方法を知らないなんて、尚更気の毒。私は、そう思って対処することにしたわ。まぁ、そう思ってることが態度に出ちゃうと、一層相手を怒らせる危険もあるんだけどね。
もちろん、そんな対処方法を身に着けたのは、ずっと後になってからの話。
アンジェラの事務所の初日は、落ち込んでたわよ。私、ここでやって行けるのか、って。アンジェラに挨拶した後は、事務所を回って入職の挨拶。事務所の他のスタッフは、無難に挨拶を返してくれたけど。
あの時、研究員のマシューとも、初対面の挨拶を交わしたはずなのよね。全く記憶に残ってないけど。結構大きな事務所だったから、人も多くて。研究部門は、私達事務屋と直接関係ないから、名前を覚えたりするのは、事務部門優先だったし。
そう、私の、人生唯一の「彼氏」。移住の時に別れたきりで、今どうしてるのかも知らないわ。
挨拶回りの後は、いきなり仕事。
「データの分類整理が得意だという話だったから、処理済みデータのファイリングをお願いします。政治関係のものにはノータッチで。そのまま担当のルイスに渡して、彼が全て管理してるので」って、ディエゴからの申し送りはそれだけ。
ぶっちゃけ、その辺の仕事は、セルシオのところよりやり易かったわね。事務所が大きい分、データ量は多かったけど、ファイリングシステムは常識的だったから、何をどこに分類するかは、悩まずに済む。でも、初日よ? アンジェラの魔法研究の内容も分からないし、商売をやってるのも知らなかったわ。
ええ、マスターの収入は、評議会の報酬と研究助成金がメインだけど、自分の得意分野を活かして、収入に繋げてるマスターもいたのよ。「動物の花嫁」のマスターみたいに、大っぴらにできない裏収入、ってケースもあったみたいだけど。
アンジェラは、その点は大丈夫。彼女の得意分野は感覚魔法で、研究部門も、どんな刺激がどんな感覚を呼び起こすかを中心にしてたから、そこから派生した、絵画とか音楽とか、料理や香水なんかを市場に出してただけよ。彼女開発のリラクゼーションアイテムは、特に人気が高かったらしいわ。
結構、収入はあったみたい。自分を喜ばすささやかな贅沢品への需要は、どんな社会でもあるものね。アンジェラは芸術家肌で、商品開発のセンスもあったんだと思う。
考えてみれば、気の毒な人よね。マスター試験に合格するには、それなりの努力もしたんだろうし。得意分野を活かして、生活を軌道に乗せて。政治に興味はなかっただろうけど、義務だから評議会には出席して。有力なマスターの傘下に入るのは、彼女なりの処世術だったんでしょう。少し前の時代なら、そのまま無難な人生を送れたはずよ。
まあ、彼女に限らず、時代の動きを感じてたマスターなんて、あの時はそう何人もいなかったでしょうね。本気で評議会に関わってる、政治マニアのマスターでさえも。
セルシオは、セオの活動について薄々知ってはいたようだから、真世界内部の動きは感じてたと思う。ダニエルは、真世界より魔法の濃いイアズ世界への裂け目を見つけて、そちらに手を広げようとしてた訳だから、魔法至上主義社会への反発が強まっているのは分かってたんでしょう。歴史じゃ、イアズ世界を評議会のコントロール下に置いて、不満分子は真世界の方に締め出しておくのが、彼の狙いだったと言われてるのよね?
…で、彼の送り込んだ「調査員」が、イアズ世界屈指の諜報員に見つかって、こちらでも裂け目の存在が分かったって訳。世界間戦争は、いわば裂け目の管理主権を巡る争いだったのよね。ダニエルの侵略戦争とも言われてるけど、内に爆弾を抱えたまま戦争を始めるほど、あの男が馬鹿だったとも思えない。魔法の濃い世界なら、魔法の力を尊ぶ価値観で懐柔して、こちらに自分の足場を築ける、ぐらいのつもりだったんじゃないかしら。
だって考えてもみて。最初から力で征服する気なら、いくら様子見だって、捨て駒ばっかり調査に送り込まないでしょ。最初は本当に、未知の世界の様子を探るだけのつもりだったんじゃない? それにしたって、雑なやり方だけど。
その辺の話は、あなた達と同じで、後の資料でしか知らないの。移送魔術師に調査員の一団を率いて裂け目を越えさせ、そこからランダムに一人ずつ、探査魔術師が抽出した、人里らしき反応がある場所の近くへ転送させたんでしたっけ。一年後には送り出した場所に引き戻される、限定魔法付きで。その間のフォローは一切なし。魔術師達は、送り出しが終わったらさっさと真世界に戻って、一年後にお迎えに行ったのは、情報処理技術者のチームだったのよね?
ディエゴが、お迎えチームに参加したとは聞いてる。酷いものだったらしいわね。その間に事故なんかで亡くなった人も、自動的に引き戻されてきたとか。
丁度、調査団が送り出された頃よ、私がリッキーに会ったのは。
アンジェラの事務所に移ってから間もなく、セルシオに挨拶に行ったのよ。それまでお世話になったお礼と、職を世話してもらったお礼を言いにね。
私の顔つきがよほど変わってたんでしょう、セルシオは心配そうだったわ。
「エリーさん、忙しいんじゃありませんか? 体は大丈夫ですか…?」って、何度か訊かれたけど、セルシオの紹介で移った職場よ、上手くやれそうにないなんて、言える訳がない。
でも多分、セルシオは察してたわね。何しろ、人の様子の変化になんかおよそ気付きそうにないあのセオまで、「エリーさん、何だかやつれたんじゃありませんか?」って言ってきたぐらいだから。
その時にね、リッキーのことを聞いたのよ。
「セオドール君の知り合いの音楽魔術師が、今度アンジェラさんの事務所の研究部門に、手伝いに入ることになったんです。セオドール君が紹介したらしいので、エリーさん同様、うちの事務所から移ったようなものですね。できれば、様子を見てあげてください」って言ってたけど、リッキーの方にも、私の様子を見るよう頼んでたみたい。
実際に会ったのは、その二、三日後。
アンジェラの事務所では、昼休みだけでも刺々しい空気から逃れたくて、外でお昼を食べてたの。感覚魔法の研究をしてたから、フラワーガーデンなんかもあってね。
ベンチに座ってサンドイッチを広げてたら、急に声をかけられた。
「貴女が、エレノア・ウィンフィールドさん?」
驚いて目を上げると、小柄で細身の、見知らぬ男の子が立っていた。いえ、子供じゃないんだけど、若々しさの感じがね。
「ええ、そうですけど…貴方は?」
「音楽魔術師のリチャード・マンソン。リッキーで良いですよ。セオから、ちょっとやつれた事務員の女性に、声をかけてみて、と言われてきました」そう言ってニヤッとすると、スルリと隣に座ってきたわ。
「セオが元同僚の心配なんて、珍しいと思ったけど、入ってみて納得しましたね。何ですか? 事務所を取り仕切ってるあの男。いえ、政治部門のルイスは別格ですけど、他のあらゆる人間に噛み付いてる」って…研究部門に入ったばっかりで、良く見てること。
「まあ…私は仕方ないわ。直接の部下だし、彼の望む仕事ができてないのは事実」
…事実ではあったわね、実際。それが、「こうやって」をろくに伝えずに仕事を任せてきて、自分の想定通りになってないと、「学校でも前の事務所でもデータ処理をやってきて、自信はあるんですよね?」って嫌味を言う、繰り返しだったにしても。「仕方ない」のも、まあ、本当。自信なんて元々なかった上に、「こんなやり方で、人なんか育つ訳ないでしょ!」って、言い返してやる気概も、私にはなかった訳だから。
気弱なのは、今も変わらないわよ。周囲の反応を恐れて、物を言わないタイプ。おかげで、自分への態度を見て、ある程度相手の人物判断ができるようになったわ。言えない気持ちを気遣ってくれるのは、共感力が高かったり、保護欲が強かったりする人達。ディエゴみたいに苛々するのは、「白黒ハッキリ」タイプ。アンジェラみたいに気分で当たり散らしてくるのは、反撃のない相手だけ攻撃する「弱い者いじめ」タイプ、って具合。
そう、アンジェラには、ヒステリックに怒鳴りつけられたのよ。研究部門データの、分類ミスをした時。
「研究内容を、知りもしないでやってるから、こういうことになるのよ!」なんて、そりゃ確かにそうだけど、ディエゴだって研究内容なんか分かっちゃいなかったわ。誰がどのチームだか知ってるから、提出者を見てファイリングしてただけ。
でも、そう言われたら、悔しいじゃない。私も、変なところで負けん気が出るから、「じゃあ知ってりゃ良いんでしょ!」って、時間外に教えてもらったりして。
え? 誰に、って…それが、かなり意外な人物。
最初、研究室に行ったのよ。データ分類が正確にできるように、各チームの研究内容を教えて欲しい、って言ったら…あれは確か、ティール、って名前の、研究チームリーダーだったかしら…、「僕達にしても、他のチームの研究内容まで、全て把握してる訳じゃないんですよ。研究協力してるチームのことなら、多少は分かりますけどね。全体像が知りたかったら、ルイスに訊くのが一番良いんじゃないですか?」って、結構丁寧に答えてくれたわ。
「ええと、ルイスさんって…政治部門のデータ管理をしてらっしゃる…?」私がキョトンとして訊くと、ティールはちょっと笑ったわ。
「ルイスは元々、事務所の全データの管理責任者でしたからね。最近、政治部門が忙しくなったんで、そちらの専任になってディエゴに後を任せてますが」…とまあ、それは初耳だったけど。
で、ルイスに頼みに行ってみたら、あっさり、「いいですよ」って。
「正確にデータ分類するには、必要な知識ですからね。ディエゴから教えれば良いんでしょうが、僕もまだ、一通り把握してはいますから」なんて言ってあれは、ディエゴにその知識がないのも、承知の上だったわね。
ああいうところじゃ、思わぬ人物が味方になってくれたりするのよ。こっちに好意を持ってのことじゃなくて、ディエゴへの反感からだったりはするんだけど。敵の敵は味方、ってヤツ。
リッキーに出会った頃は、ルイスに事務所内のことを教わり始めてた。
「上司には嫌われてるみたいだけど、力になってくれる人もいるから、どうにかやっていけると思うわ」
そうリッキーには言ったけど、実のところ、アンジェラやディエゴの私への当たり方はちょっとひど過ぎやしないかって、研究部門でも話題になってたようね。
リッキーはそれからも、たまにお昼休みに様子を見に来てくれた。多分そのせいで、ディエゴに目の敵にされるようになったんじゃないかしら。
いえ、リッキーも、反抗的なところがあったのよ。お昼休みのお喋りの時、私に「動物の花嫁」の歌を教えてくれたのも、彼だったし。
リッキーには、どんな音楽でもイメージ通りに紡ぎ出せる、魔法の才能があったわ。彼が聞いたことがあって、イメージできる楽器の音なら、何でも再現できたし、オーケストレーションも自由自在。それで、ストリートミュージシャンをやってたらしいわ。確かに凄い才能だったけど…マスター事務所の敷地内で、「動物の花嫁」よ? 演奏は別に、私だけに聞こえる訳じゃないから、誰の耳に入ってもおかしくない。後でティールが、「程々にしとけよ」ってリッキーに言ってた。
私の方は、事務所の全体像を、ディエゴ以上に把握しつつあった。ルイスは優秀な教師だったわ。研究チーム同士の協力関係はもちろん、商品開発部門への貢献度まで、完璧に掌握してたし。
それでね、セルシオのところでやったみたいに、分類整理されたデータに、協力部門が分かるタグを付けてみることにしたの。
ディエゴが気付いたのは、少し経ってから。一度まとめ終えたデータを、事務屋が参照することなんて、滅多にないのが証明されたわね。
私はたまたま、研究部門のデータ入力室にいたの。実験データに、どう視覚的処理を加えるか、チームリーダーに訊きに行ってたんだと思う。研究部門は、私が内容まで分かってデータ管理してるのを、すぐに察して協力的になってきてた。
そこへディエゴが来て、開いてたコンピューターのデータを指差して、「このタグは何ですか? 僕は、こんなものを付けろと、指示した覚えはありませんが」と噛み付いてきた。
「済みません、指示は頂いていないのですが、チーム間や部門間で協力関係がある場合、データが参照し易いようにした方が、便利かと思いまして」って、しれっと答えてやったわよ。別に、私の方が間違ってる訳じゃないから、この時ばかりは、怖いとも思わなかったわね。
そしたらティールが、「良いんじゃありませんか? データ管理に誤りがある訳じゃありませんし、タグくらい覚え書きのようなもので、別に邪魔にはならないでしょう?」と擁護してくれた。そこへ、たまたま近くにいたマシューが、ティールに反論するような顔で、「邪魔にならないどころか、関連実験のデータが、格段に参照し易くなりましたよ」って、駄目押ししてくれた訳。
研究員達が、あった方が良いって言う以上、ディエゴにしても、禁じる訳にはいかないわよね。
「まあ、それなら構いませんが、こういうことは、始める前に僕に断ってください」とだけ言って引き下がった。断ったら、自分にはできない処理なんだから、反対するに決まってるじゃない。だから、まず既成事実を作った訳なんだけど。
マシューが、「自分は味方だよ」ってサインを送ってくれたのは、あれが最初だったと思う。
…そう、「敵の敵」じゃなくて、「味方」よ。積極的にアンジェラやディエゴに逆らう訳じゃないけど、「貴女が正しいと思う」っていう表明。
そりゃあ、有難かったわよ。でも、あの頃はマシューに恋愛感情はなかったわね。だって…私、リッキーに夢中だったもの。
実際のところは、恋愛じゃなかったかもね。私もリッキーも、どんどん風当たりがきつくなってたから、お互い庇い合ったり慰め合ったり…運命共同体みたいな感覚? 私は、ほら、誰かとそこまで近い関係になったことがないから、リッキーは「特別な存在」だった。
あぁ、もちろん、魔法が使えないからと蔑視を受けてた人達は、みんな運命共同体みたいなものよ。でも、それは「仕方ない」って感じで、誰かのために理不尽を感じて怒ったり、一緒に戦おうと思ったりするような、強い感情じゃなかった…少なくとも、私にとってはね。あの当時にも、魔法至上主義と戦ってた人達はいた訳だから、私みたいに諦めてしまった人ばかりじゃなかった、ってことだろうけど。
そうよね、私みたいなタイプは、「自分のため」だと諦めてしまうのかもしれない。そして、戦う気持ちになるような「誰か」もいなかった。
じゃあやっぱり、リッキーの存在が特別だったのかも。
リッキーが、どう思ってたかは知らないわ。後から聞いた話じゃ、彼の「特別な誰か」は、別に居たみたい。
ほら、イアズ世界に送り出された、「調査団」。あの中に、アンジェラの事務所から選抜された、リッキーの「想い人」がいたらしいわ。リッキーは、セオの「動物解放戦線」の仲間で、彼女の消息を知るために、伝手を辿ってアンジェラの事務所に入ったんだそうよ。
多分、私が体を壊した頃、リッキーはマスター・ダニエルの「新世界プロジェクト」に辿り着きつつあった。
そうなの。その前も今も、丈夫だけが取り柄みたいな私が、やたらと熱を出したり風邪をひいたりし始めたと思ったら、胃に穴が開きかけてたのよ。
あの日は食欲もなくて、でも風邪薬を飲まなきゃいけなかったから、いつものフラワーガーデンで、卵のサンドイッチを突き回してた。そこへフラッと、リッキーが来てね。
「食べないの? エリー。なんか、顔色が悪いけど」って、リッキーも蒼白い顔して、それでも気遣ってくれて。
「ちょっと風邪気味で、私にしちゃ珍しく、あんまり食欲がないのよ。でも、薬があるから、何かお腹に入れとかないと」私がそう言うと、リッキーはゼリー状の栄養飲料を手渡してきた。
「だったら、これ。時間がない時の非常食で持ってるんだけど、薬で胃が荒れるのは防いでくれるでしょ」
「ありがとう。飲み物なら、大丈夫かな」
…それが、大丈夫じゃなかったのよね。ゼリーを少し飲んで、そのまま薬も飲んで、少しすると猛烈に胃が痛くなってきたの。慌てて水場に行って、しゃがんで全部吐き戻して、そのまま立ち上がれなくて。
「エリー! どうしたの? 大変だ…待って、誰か呼んで来るから」普段飄々としたリッキーが、珍しく慌ててた。
リッキーの急報で、ティールとマシューが駆けつけてくれたけど、一番頼りになったのは、たまたま研究室にいたルイスだったわね。
「とりあえず、エレノアさんを私の事務室に連れて来てください。ソファーがあるから、横になれる。私は、知り合いに連絡を取ってみます」いつもの如く事務的な采配で、その場を取り仕切ってくれた。
ルイスが連絡した知り合いというのが、治療魔術師でね。治療魔法の使い手は数も少ないから、大抵の人は自然科学医師にかかって、薬で病気治療をしてたご時世よ。ルイスも、事務職ってことは、魔法を使えない「欠陥人間」の一人だったんだろうけど、どうやって、「呼んだら来てくれる治療魔術師」なんて伝手を作ったんだか。
とにかく、ルイスが連絡した治療魔術師が、事務所に来て私を診てくれて。
実際、大したものよね、魔法って。すぐに痛みが落ち着いて、風邪症状まで治ってしまったわ。
「胃に数カ所、糜爛ができていましたね。修復していますが、癖になっていると、いつ次ができてもおかしくありません。原因に心当たりは…? ああ、ストレスですと、根治は難しいでしょう。しばらく刺激物は避けて、なるべく無理せず過ごすように、としか言えません」なんて、ルイスの知り合いだけあって、治療魔術師も素っ気ないタイプだったけど。
それでとりあえず、騒動は収まったわ。その間、アンジェラもディエゴも、何事か覗きにさえ来なかった。別に、来てほしかった訳じゃないけど、事務所のトップと、直接の上司よ?
その後でディエゴに事情を報告すると、彼は顔を顰めてたわね。
「何でもない時なら、もちろん治療に専念してください、と言えるんですが。今はちょっと、休んでもらう訳にはいかないんですよ。僕が、週明けから一月程、出かけてしまうもので。まあ、とりあえず、体は完治しているんですよね?」
…その、ディエゴが出かける用事というのが、「調査団」の受け入れだったから、私やリッキーがアンジェラの事務所に入って、もう一年以上が過ぎてた訳ね。
目的を達しつつあったリッキーは、陰で動いてた。セオと連絡を取って、実験動物扱いされた「調査団」の帰還者を、マスター・ダニエルの統制下から解放しようとしてた訳よ。もちろん、彼の「想い人」も含めて、ね。
私は、そんなこととは知らなかった。いえ、知ってた人が、そもそもほとんど居なかったはずよ。
マスター・ダニエルは、他のマスターにも協力を求める必要があって、「新世界プロジェクト」については一応、評議会に届け出ていたらしいわ。後で、セルシオに聞いた話。評議会に提出された報告書は、
①天然資源を探索中の探知魔術師が、未知の世界に通じていると思われる、世界間の裂け目を発見した。
②裂け目の周辺では魔法の発現が非常に不安定なので、裂け目が形成されるに当たっては、何らかの魔法的要素が関わったものと思われる。
③魔法の影響を受けにくい人員を配置して、この未知の世界が、我々の世界に影響を及ぼす可能性を調査する必要がある。
④不要な不安感を煽らないために、裂け目の存在についてはしばらく一般人民には伏せ、調査も小規模で行うことが望ましい。
⑤裂け目の報告を最初に受けた者として、また、居住地が裂け目の比較的近くにある者として、自分、マスター・ダニエルが、数名のマスターの協力を得て、予備調査を行うことを提案する。
…とまあ、最小限の情報だけ押さえた内容だったみたい。
居住地の近くで起きた、良く分からない現象について、自分が予備調査を行いましょう、って提案だから、評議会ではあっさり承認されたし、調査の内容に疑問を持つマスターもいなかった。
未知の世界ということで興味を持って、予備調査の調査報告を、心待ちにしてたマスターはいたみたい。セルシオも含めて…ね。調査手法がそこまで酷いとは、思ってなかったそうよ。
調査団が帰還すると知って、リッキーはセオに報告した。その時に、私がストレスで体を壊したことや、その状態で、穴埋めのために働かされてることも、話していたみたい。で、セオからセルシオに、その報告が行った訳。
「動物解放戦線」が本格的に反マスター制度の活動を始めたら、雇い主のセルシオにも迷惑がかかる。だからセオは、ダニエルの「調査団」の、帰還者の自由を確保して、その実情をすっぱ抜く前に、セルシオに辞職を願い出に行ったらしいわ。
だから、私がセオに最後に会ったのは、アンジェラの事務所に移って間もなく、挨拶に行ったあの時だったってことね。
そして…リッキー。
ディエゴが出かけて十日ぐらいまで、リッキーは何事もなかったかのように、研究室に通って来てた。その間に、セルシオがアンジェラを訪ねて来てね。
セルシオは、珍しく怒ってた。
「私がご紹介した事務の者が、こちらで体調を崩したと聞きました。しかも、休暇も取れずに勤務しているとか。これは事実ですか? 事実だとすれば、私にも紹介者としての責任があります」
態度が穏やかな分、最初アンジェラは、高を括ってたみたい。
「エレノアのことなら、確かに先日調子が悪かったみたいですけど、すぐに治ったので続けて勤務してもらったと聞いてます」お高く留まった調子で、そう答えた。
セルシオは、口調も態度も変わらなかったわね。
「アンジェラさん、貴女はご自分の事務所で起きたことについて、誰からどんな話を聞いたというのですか? 私は、事実を確認しているのです。エリーさんは、深刻な症状だったそうですね? 魔法治療で治まりはしましたが、治療に当たった魔術師も、無理をするなと言っていたそうですが…?」
高飛車にあしらえない相手と分かって、アンジェラの顔色が変わったわ。
「ごめんなさい、私が知っているのは、エレノアから体調不良の報告を受けた、事務主任のディエゴの話だけなんです。確かに、治療魔術師が来たという話は出ましたけれど。それに、ディエゴが、この後自分が留守にするのでできれば休んでほしくないと伝えたら、エレノアの方から大丈夫だと言ってきたそうですが」
「全て、伝聞ですか。事務所で勤務者が倒れるというのは、かなり重大な出来事だと思うのですが、ご自分で状況確認をしようとは思わなかった訳ですか? 治療に当たった専門家への確認も。雇用主として、あまりにも杜撰な健康管理体制ですね。エリーさんは生真面目な人ですから、業務上の要請があれば、無理をしてでも大丈夫と言うぐらい、一年も一緒に働いていれば、分かりそうなものです。現に健康被害が出ている以上、職場の責任者が、自分は何も知らない、で、通用すると思われますか」
冷静に畳み掛けられて、アンジェラは少々ヒステリックになってきた。
「私に、どうしろと言うんですか? ディエゴが留守を任せていったのに、エレノアを休ませるべきだったと? それも、病気自体は魔法で治癒しているのに」
アンジェラにしてみれば、気に食わない事務員なんかのために、どうして自分が責められなきゃいけないの!…ってところね。自分が被害者だと思ってるのが見え見えなんで、セルシオは少々呆れ顔だった。彼にしては、態度が素っ気なくなってたわ。
「私が問題にしているのは、その、どうすべきかという判断を、貴女が一切していない点です。どうしてこうなったかという、検証はもちろん。エリーさんには、紹介者として責任も感じますし、これ以上、貴女に任せてはおけませんね。丁度、セオドール君が辞めて、事務員の席も空いたので、エリーさんさえ良ければ、うちの事務所に戻ってきて頂きましょうか。ディエゴ君の留守と言いますが、こちらの事務所には、ディエゴ君の前任でエリーさんより事務処理に長けた方が、勤めていらっしゃると聞きました」
セルシオがどうして、ルイスのことまで知ってたのか。
私の方は、セオが辞めたのもその時初めて知って、びっくりよ。セオは、ずっとセルシオのところに居るものだと思ってたから…と言うより、他のところじゃ勤まらないだろうと思ってた、のかしら。
私はもちろん、セルシオのところに戻るのに、異論なんかなかったわ。アンジェラにしたって、セルシオに責められたのは心外だろうけど、私を手放すのは、むしろ歓迎だったんじゃないかしら。
その後、ルイスが呼ばれて、ディエゴの留守中全体の事務を見ることぐらい、彼には何の問題もないと分かった。
「いろいろ、有難うございました」って、彼には本心から挨拶できたわね。ビジネスライクで、親しみを持てるような相手じゃなかったけど、仕事を教えてくれたのも、倒れた時助けてくれたのも、結局は彼だったし。アンジェラのところで、一番世話になった人。
彼は、最後まで頼りになったわ。
「まだ体は辛いでしょうが、持って行く私物等があったら、まとめておいてもらえると助かります。後でまた取りに来るより、その方が楽じゃありませんか? 運ぶのは、こちらの人間に任せますから」そんな手配までしてくれて。
セルシオに待っててもらって、荷物をまとめてる時、リッキーがフラリと、様子を覗きに来た。
「良かったね、エリー。安心して働けてた、元の職場に戻るんだって?」
笑顔を見せる彼に、セルシオが声をかけた。
「君が、セオドール君を通してこちらの状況を教えてくれた、リチャード君ですか? セオドール君から話は聞いていましたが、お会いするのは初めてでしたね。いろいろ、エリーさんの力になってくれて、有難うございました」
私はその時初めて、リッキーがセオを通じてこちらの状況を知らせてたお蔭で、セルシオが助けに来てくれたと知ったのよ。
「何てお礼を言ったら良いか、リッキー。貴方も辛い状況なのに、本当にお世話になって」
私がそう言うと、セルシオはまじまじとリッキーを見つめたわ。
「そういえば、リチャード君も、あまり顔色が良くありませんね。大丈夫なのですか? セオドール君は詳しい話はしませんでしたが、聞いた限りでは、君もいろいろと、大変な状況なのでしょう…?」
私は職場環境の話とばかり思ってたけど、セルシオが言ってたのは、レジスタンス活動の話だったんでしょうね、多分。リッキーは分かってたみたいで、ニヤッとした。
「目的があれば、多少大変だろうと、頑張れるものですからね、マスター・セルシオ。本当に辛いのは、ここみたいな、訳も分からず敵視されて、どれだけ努力しようと否定される、理屈に合わない環境ですよ。それでも努力してた、エリーは偉いと思います。俺なんか、ここの仕事はいい加減なもんですから」
そりゃ、嬉しかったわよ、好きな人から褒められて。でも私、未だにそうだけど、褒められ慣れてなくて。賛辞は、どう受けて良いか分からないの。
「私が馬鹿なのよ。手の抜き方を知らないの。それにね…癪に障るじゃない。無能扱いされて、やる気なんか起きる訳ないけど、やっぱり何もできない、ってしたり顔されるのは、もっと我慢ならない」
まあ、本心でもあるんだけど。
「でも、変な負けん気のせいで、リッキーにも迷惑かけちゃったわね。私と親しいと思われなきゃ、貴方もここまで敵視されなかったでしょうに。私だけ逃げ出すのは、何だか申し訳ないわ」
今思えば、リッキーにとっちゃ、余計なお世話だったわね。しんどい職場環境だったのは確かだけど、やっと探してた想い人の消息を掴んで、仲間と一緒に助け出す計画を立ててるところだったんでしょうし。
「俺は大丈夫。どうせ、近いうちに他所へ行くつもりだしね。心配しないで、セオの後任を頑張ってよ。それとも、セオの後始末…? 事務の仕事のことは良く分からないけど、何かと浮世離れした奴だから」
浮世離れとは、よく言ったものよ。
「セオは、優秀な情報処理技術者よ…まとめたデータの分類基準が独特で、他の人が探し出せなくなったりはしてたけど」
リッキーはまた、ニヤッとした。
「あー、何となく分かる。凄い奴なんだけどね…彼に付いて行ける誰かが、常に補佐してやらなきゃいけない」
リッキーの言葉に、セルシオは微笑んだわ。
「必ず、その「誰か」が居ますよ。それが、セオドール君の凄いところです」
その後、リッキーは、応援だと言って一曲演奏してくれて。
「そろそろ行かなきゃ。それじゃあ、元気でね、エリー」
それが、リッキーと会った最後になった。
極秘になってて、私は知る由もなかったけど、調査団の帰還と、彼等からの聞き取りが進んでて、イアズ世界の様子が分かりつつあった頃。一方イアズ世界の方でも、「陰の英雄」コリン・シェーマンと接触した、調査団のミリアム・エアを追って、裂け目の存在や真世界側の調査について、把握しつつあった。
マスター・ダニエルの研究分野は、魔法の特性や働き方の解明だったそうね。ミリアムは、自分で魔法は使えなかったけど、どうやら周囲の魔法を増幅させるらしい、ってことで、研究対象としてダニエルの事務所に居たみたい。実際は増幅じゃなくて、周囲にある魔法の力を体が勝手に吸収して、濃縮して放出するという、特異体質だったそうだけど。可哀想に、慣れた環境よりずっと魔法の力が濃い、イアズ世界に送られて、混乱してしまったそうね。その辺の話は、あなた達の方が詳しいでしょう?
ダニエルの得意な魔法は、魔法の力の検出と分析。だから彼には、魔法の力が人間の中じゃなく、環境にあるのが分かってた。個人の才能じゃないのが分かってて、自分達の特権を守るために、魔法至上主義社会を維持してた訳ね。まあ、今開発されてる魔法機械の、最初の開発者でもあるようだけど。
そうよねぇ、魔法の力が検知できるんだから、それを蓄えられる鉱石も分かってただろうし、分析もできるんだから、それをどう変換すれば良いかも、分かる訳だわ。ただ、「誰にでも使えるようにする」って発想はないから、あくまでも自分の目的を達するための、補助装置を作っただけでしょうけど。
結局、ダニエルは何をしたかったのかしら。イアズ世界から最初の接触があった時には、未知の世界の調査が目的だと言っていたんでしょう? でも、やっていたのは、イアズ世界の魔法の源、「異界の門」を探し出すことと、作った補助装置にイアズ世界の魔法の力を蓄えること。あの男は政治マニアで知られてたから、研究云々より、とにかく力を手に入れようと考えてたんでしょうね。
ダニエルには一度、会ったことがあるわ。「会った」というより、「見かけた」かしら。アンジェラの事務所に、訪ねて来たことがあったんだけど、あちらは、ただの事務員になんか、目も向けなかったから。
オーラはあったわね。良くも悪くも、後世に名を残す人よ。やっぱり凡人とは違うというか、周りの空気を変えるような雰囲気があるのよね。セルシオもそうだけど、彼の場合は、穏やかながらピンと背筋が伸びる感じ。ダニエルは、猛禽類みたいな容姿も相まって、ビリビリするような緊張感を作り出してたわ。
あぁ、あなた達のアカデミーの学長、ミサワ卿は違ったかしら? 確か、五英雄の一人だけど、自分は凡人だと標榜してるのよね。別の世界・別の時代から来たから、凡庸の基準が違うだけだ、って。でもねぇ…凡人に、独力でアカデミーを設立したりできる? だとしたら、古代真世界の「平凡」って、恐ろしい水準よね。
ミサワ卿の時代は、まだ世界間の裂け目はなくて、真世界に魔法は存在しなかったんでしょう? じゃあ、魔法が消えた時期の真世界は、元の状態に戻っただけ、ってことだった訳ね。
ええと、調査団の話よね? 世界間の裂け目の前に戻って来た人達は、マスター・ダニエルの指示で、外部との接触を禁じられたまま、イアズ世界での経験を聴取されてた。もちろん、極秘でね。「動物解放戦線」は、彼等の監禁場所を探っていた。彼等を助け出して、マスター・ダニエルの「調査」なるものの実態を暴くために。
私は、そんな水面下での動きなんて、全く知らなかったわよ。
マスター・セルシオの事務所に戻って、体調はあっさりと良くなったわ。まとめておいた荷物は、マシューがセルシオの事務所に届けに来てくれた。夕方だったから、仕事を早めに終わって、帰りに回ってくれたんでしょうね。
「エレノアさん…体はもう、大丈夫なんですか?」
こちらの眼を覗き込むようにして尋ねてくる様子が、遠慮がちだけど、「俺は味方だよ、貴女に好意を持っているよ」って、伝えているようだった。
「ありがとうございます、マシューさん。現金なもので、古巣に戻った途端、体が軽くて食欲もあるんです。魔法で治してもらったんだから、もう大丈夫なはずだというのは、本当だったみたいで」
「いや…あの発言は、酷いですよ。職場に原因があるんだから、何も改めずに良くなるはずがない。ティールとかとも、話していたんです。気付いていたのに、何の力にもなれなくて、ごめんなさい」
「皆さん、力にはなってくれたわ。マスター・アンジェラとディエゴ以外は、やった仕事は認めてくれたし。貴方とティール、ルイスやリッキーには、倒れた時もお世話になっているし」
私達が話しているのを遠目で見ていて、何か察したんでしょうね、マスター・セルシオが声をかけてきた。
「エリーさん。仕事が一段落しているのなら、荷物の片付けは明日にして、お友達とお茶でも飲んで帰っては如何ですか」
有難く、そうさせてもらったわ。マシューはまだ何か話したそうにしていたし、私も前から、彼とは話ができそうな気がしてたから。
その日は、ただの近況報告。
「今のところ、事務所は静かなものですよ。ボスが、マスター・セルシオに叱られてむくれてるので、仕事の方にはあまり口を出してきませんし。ディエゴが留守で、リッキーも少しのびのびした様子です。リッキーだけじゃありませんね…事務の統括がルイスに戻って、みんな、だいぶやり易いんじゃないかな。ルイスは細かい方ですが、こちらがミスをしても、ディエゴのように噛み付いてはこないし。連絡してきて、納得がいくまで確認して、それで終わりです。こちらの研究内容や経理については、元々ディエゴより詳しいし」
リッキーの状況が少しでも良くなったのなら、私としてはそれで良かった。
「でも、顔には出しませんが、ルイスは大変みたいですね。元々、政治関係の仕事が増えて、ディエゴにその他の事務を引き継いだ訳だから。その、政治評議会関係の業務が、このところ立て込んでるみたいです」
それは、私も薄々知ってたわ。
「ディエゴの出張も、評議会関係なんでしょう? なんで、ルイスが行かないのかと思ってたけど」
「良くは知りませんが、体力仕事なんで若い者を出して、ルイスにはそのまま、事務処理を統括してもらうことになったとか」
新世界プロジェクトは、マスター・ダニエル主導で進んでたけど、ダニエルのスタッフは現場で聴取を担当して、集まってきたイアズ世界についての情報は、ほとんどルイスがまとめていた、というのが実情みたい。極秘の話だから、ルイスと、ルイスがデータを送っていたダニエルしか、当時は知らなかった話ね。
「でも、変ね。セルシオのところでは、評議会関係の仕事が、そんなに増えてる様子はないのよ。マスター・ダニエルが主導するプロジェクトへの協力ということだったけど、評議会全体に関わる話じゃないのかしら」
「まあ、例によって、自分の研究や事務所運営と、政治的課題との境目が、曖昧になってしまったマスターがいる、ってことじゃないですか」
マシューが言うような政治批判は、当時の社会でも結構あったのよ。マスター制度の崩壊が迫っているとも知らずに、私達はその批判をしてた。変革への行動を、セオやリッキーが起こしている間にね。
マシューは、私を家の前まで送って、少し長めに手を握ってた。
「また、話をしに来ても良いですか?」
ええ、分かり易いアプローチよね。男性と付き合ったことのない、私でも分かった。リッキーへの想いはあったけど、マシューとは楽に話ができたし、元々好意はあったから、やっぱりドキッとしたわ。
結局、マシューとは、また会う約束をしたの。
ところがその間に、「調査団」メンバーの、監禁場所からの解放と、イアズ世界の秘密調査についての暴露があった訳。
新聞で、コンピューターで、「動物解放戦線」からのメッセージと画像が、全ての国民に届けられた。
一マスターによる、独自の文化を持つ別世界への、不必要な調査。調査員と称して、魔法が使えない者や力の弱い者、何かトラブルがあった際自力で対処できない者達を、未知の世界ヘ送り込んだこと。送り出した転送魔術師はそのままこちらの世界に戻り、調査員達は一年間、様子を確認する者も非常時に助けてくれる者もなく放置されたこと。送られた先で事故に遭って亡くなった人や、怪我をした人の画像と共に、人間を実験動物扱いにする非道な調査と断じ、調査対象の世界にはそうした犠牲を要するような脅威はないと報じていた。
人間の価値は、その人の使う魔法にはない。試験に合格しても、このような非道を行うマスターに、尊さなどない。今こそ魔法の偏重と、マスターの評議会による政治を、見直す必要があるのではないか。
…マシューはその夕方、慌てて訪ねて来たわ。
「こっちはもう、大騒ぎです。五日前に、リッキーが急に事務所を辞めて。ディエゴの帰りが近いせいかと思っていたら、そのディエゴが予定より早く、怪我をして戻って来て。襲撃を受けて、プロジェクトが中断したとだけ言ってましたが、このことだったんですね。その後、うちの事務所からプロジェクトに参加していた、ジーナから連絡があって。助け出してくれたリッキーと、マスター制度廃止のために働くから、事務所には戻らない、という報告でした」
セルシオは、冷静だったわね。セオから、何となく察しがつく程度のことは、聞いてたんじゃないかしら。
「動物解放戦線、でしたか。では、リチャード君もメンバーだったんですね。まあ、彼等の言うことは、理に適っています。魔法の力は、その人を形作る一因子に過ぎないし、それが強いからといって、政治的才能があるとは限らない。国家の運営は、その方面の才覚がある者に任せるべきです。歪な制度は、そろそろ潮時だったのでしょう」
マシューは、肩をすくめた。
「その理屈は分かります。マスターの口から聞くのも、妙な気分ですが。そういえばリッキーは、こちらの事務の方の紹介でしたね。エレノアさんの前任者も、この騒動の立役者ですか」
セルシオは微笑んだ。
「君は、なかなか鋭い若者ですね。今後も、エリーさんの力になってもらえたら、私も助かります」
恥ずかしながら、私の方は、政治論どころじゃなかったわ。リッキーに彼女がいて、一緒に反政府活動をしてる…? それって本当に、私が知ってる、あのリッキーの話なの?
失恋の痛みは、もうお馴染み。何しろそれまでが、片思いばっかりだったから。多分それより、世間を騒がせてるレジスタンスの活動家が、知り合いだってことの方が、ショックだったかしら。現実の話とは思えない、っていうか。
マシューは、私が混乱してるのに、気付いたみたい。
「家まで送りますよ、エレノアさん。ここへ来るまでの路上も、かなり大騒ぎだったから。今日は、早く帰った方が良い」
早く…は、なかったわね。途中で話し込んでしまったから。
街は、確かに大騒ぎだった。「動物解放戦線」が配った新聞が、あちこちに散らばってて。まず、セルシオのところを出る時に、説明を求める人々が集まり始めてた。どこのマスター事務所も、そうだったみたい。中には、石を投げ込まれたり、襲撃された事務所もあったというわ。
「動物解放戦線」のせいじゃないのは分かってるけど、マスター全てが悪者と受け止める群集心理や、騒ぎがあればそれに便乗して暴れる乱暴者への対処は、もう少し考えておいてくれても良かったんじゃないかしら。
でも、群衆を避ければ、別に危険はない訳よね。
いえ…危険だったのかしら、別の意味で。
「少しだけ、お時間をもらっても良いですか?」
マシューはそう言って、私を、営業終了した遊園地に連れて行った。
ええ、屋外の、敷地への立ち入りは自由なところ。乗り物の類は全部止まって、明かりも消えてて、機材を操作する建物だけはしっかり施錠されて、スタッフは全員帰った後。辺りには、人っ子一人いなかった。普段は、そうでもないらしいのよ? 人目を避けて会いたいカップルが、大抵ちらほら居るらしいわ。でも、こんな非常事態に、のんびりデートするような恋人達も居なかったのね。
私達は、ベンチに座って話し込んだ。
いえ、話をしたのは、ほとんどマシューだったけど。
「マスター・ダニエルのプロジェクトについてもですが、リッキーの活動についても、僕等は全く知らなくて。あれこれ、本当に驚きました」
ルイスは、かなりのところまで知ってたみたいで、驚きはしなかったけど、頭を抱えてたそうよ。
「ここまで暴露されたとなると、全てのマスターに火の粉がかかりますね。特にウチは、マスター・ダニエルの主要な協力者の一人として、相当糾弾されるでしょう」
マシューが驚いたのは、ディエゴが「当然でしょうね」って吐き捨てたこと。
ディエゴは、出張から戻って以来、いつになくおとなしかったらしいんだけど。
「俺は、調査員の受け入れのために、裂け目の向こうに行ってきたんですよ。酷いもんでした。事故か何かで亡くなって、だいぶ前に埋葬された遺体が、魔法で墓から呼び戻されてきたり。行き合った相手が悪くて、身を守る術もなく暴行を受けた話も聞きました」
考えてみれば、彼も事務職、つまり、特権階級のマスターより、使い捨てにされた調査員達に近い立場の人間な訳よね。口止めされて、仕方なく黙ってたんだろうけど、秘密にする必要がなくなれば、噛み付く相手は当然、マスター達ということになる。
「貴方達には分からないでしょうけど、魔法が使えない私達は、それだけで欠陥人間扱いされて、生きにくい世の中を何とか生きてきてるの。同じ立場の人間が、更に踏み付けにされたとなると、他人事じゃないのよ」
私が言うと、マシューはひょいと片手を振った。
「俺も、大した魔法使いじゃありませんよ。事務所じゃ、有能な事務職の方が、よっぽど役に立つ。それに、誰だろうと、今回の調査員達みたいに扱われて、良い訳ないと思ってます。でも、ある意味、マスター・アンジェラも、可哀想な気がしますね。あの人は芸術家肌で、特技を活かした商品開発にしか興味はないし、それが当たって真っ当な商売として成り立ってた。政治には関心なさそうですが、顔繋ぎで評議会に出席して、無難に過ごすために、有力そうなマスターの腰巾着になってた訳でしょう。マスター・ダニエルのプロジェクトの内容なんて、ルイスやディエゴの方が良く分かってたみたいだし。築き上げてきた全てを失う程、悪いこともしていないんじゃありませんか? 勿論、経営者としても、一政治家としても、「知りませんでした」で済まされる筈はないんですが。それに、エレノアさんやリッキーに対する態度は、人間として言語道断ですが」
…まあ、一理はあるわね。得意分野を極めて、難しい試験に合格して、その結果興味もなければ知識もない政治運営の責任を押し付けられると思えば、マスターの大半は、むしろマスター制度の犠牲者かも。
だからといって、彼等が不要な責任と一緒に、特権まで手放すとは思えないわね。
「これから…どうなるのかしら」
その不安はみんな感じてただろうけど、当のマスター達が、一番強く思ってたでしょう。特に、矢面に立たされたダニエル。何とかしようと焦った挙句、イアズ世界と対立するような結果になったんだと思う。
ダニエルはその時までに、イアズ世界と接触して、異世界に一定の地盤を築いてたのよね。世界間の裂け目については、発見者がこちらの人間ということで、管理権を認められてた。目的が調査だけなら、ということで、拠点として今私達が暮らしてる、この集落の建設も許可された。もちろん、調査内容については、イアズ世界の方でも監視することや、イアズ世界の文化や生態系に影響を及ぼさない条件付きだったけど。
安定した魔力の供給を確保するだけなら、世界間の裂け目の管理権を、守っていれば良かった。糾弾されたマスター達の逃げ場なら、調査協力者としてこの集落に移って来れば良かっただけよね。イアズ世界の魔法の源、「異界の門」を掌握する必要はなかったし、新たに真世界の魔術師達の活動拠点を作る必要もなかったはず。ダニエルが、イアズ世界に管理権がある「異界の門」に手を出したのと、そのために「神々の腰掛け」山脈に研究施設を作ろうとしたのが、世界間戦争のきっかけだった。
そりゃあ、「異界の門」から漏れ出る魔力は、世界間の裂け目辺りとは桁違いよ。でも、真世界での糾弾を逃れるだけなら、そんな、制御できない程の力は必要ない。ダニエルがイアズ世界の征服を目論んでた、って見方もあるらしいけど、一握りのマスターだけで世界征服だなんて、いくら彼でも…ねえ?
理性を失ってた、というのが私の解釈。
まぁ、「動物解放戦線」の告発があった時点では、そんな展開、誰も予測してなかったし、私達一般人にしてみれば、重苦しい不安感が街を覆ってただけよ。
そういう雰囲気に、当てられたのもあるんでしょうね。そろそろ帰ろうとベンチから腰を上げた時、マシューが私を抱き締めてきた。
「エリー…離れたくない。このまま、連れて帰ってしまえれば良いのに」
私…? まだリッキーを愛してたし、マシューに好意はあったけれど、恋愛感情はなかったわね。でも、拒まなかった。話のできる誰かと、一緒に居たかったのもあるし…何よりそれまで、あんなに間近に、異性の体温を感じたことがなかった。心地…良かったのよね、多分。
私が受け入れてるのを感じてか、マシューはそっと、唇を重ねてきた。でも、その日はそこまでだったわ。
「…ごめん、遅くなってしまったね。送って行く」
家の前で、両手で包み込むように、手を握られたの。
「また…会ってもらえる?」
それが何を意味するかぐらい、分かってたわよ。お互い、恋愛感情がないのも分かってた。私の方は…多分、真似事にしても一度ぐらい、異性との付き合いっていうのを、経験してみたかったのかもしれない。ええ、私は同意したわ。
その間にも、世界は動いてた。
マスター達への反感が強まる中、評議会は、セルシオ主導で異世界調査の詳細を解明し、世間に公表すると決めた。セルシオは同時に、政治の改革も提案したの。将来的には、選挙で選ばれた国民の代表が、国家を運営する形にするとして、体制が整うまでの間、政治的な空白を作らないように、引き続き評議会が政権を担う。ただし、評議会に名を連ねる各マスターが、これまでどんな働きをしてきたかも公表して、国民に信任投票をしてもらうこととする。
次にマシューと会ったのは、マスター・ダニエルの新世界プロジェクトに協力したマスターの名簿が、公表された頃だった。協力…って、要するに、「不要な」人材を調査員として差し出したマスター達のことね。
当然、アンジェラの名前も入っていたわ。
ダニエルは評議会で、異世界の調査は必要な事であり、自分は何ら非道な行為はしていない、と主張したみたい。でも、自分と協力者が処罰を受ける可能性や、処罰はないとしても、国民の不信任を受けて政界から追放される可能性を考えて、イアズ世界に拠点を移そうと動き始めてた。もちろん、後から知った話よ。
アンジェラも打診を受けたらしいけど、ある意味、賢明だったわね。調査員を出したことで処罰を受けるなら甘んじて、元々それほど興味のない政治からも手を引いて、そこそこ上手くいってる商売分野で身を立てることにしたみたい。
「事務所は、規模縮小ってことになって、商品開発関係の研究室と、商業部門だけ残される予定らしい。事務関係の仕事も減るから、ルイスだけ残して、ディエゴには他所へ移ってもらうんだって」
マシューは、そんな話をしていたわ。
彼は、商業部門の研究室所属だったから、クビの心配はなかったみたいね。マシューの魔法の力…? それがね、実は、「魅了」よ、何となく納得できてしまうけど。
本人によれば、普段は魔法の力を使わないようにしてるらしいわ。多分、事実だと思う。魔法で強制しなけりゃ人間関係を築けない、ってタイプじゃなかったし、そんなふうに思われるのも、我慢ならない性格だったわ、多分。
え…? マシューとどうなったのか、って? 世界間戦争とは全く関係ない話だけど。それに、学生さんにその辺の話、赤裸々にしてしまって良いの?
まあ、お婆ちゃんの昔話として、聞き流しておいて。
その日は、お酒を飲みながらお互いの近況を話した後、ホテルに連れて行かれた。
イアズ世界に、ああいう施設はないわよね。いえ、宿泊施設はあるけど、私が言うのは、人目を避けたい恋人同士向けのホテル。真世界では珍しくないけど、私は初めて入ったの。普通の宿泊施設と違って、手続きもスタッフと顔を合わせずできるようになってるのよ。
マシューは、勝手が分かってるみたいだったわね。全く戸惑わずに自動受付を済ませてた。
部屋に入ると、私を抱き締めて、唇を重ねた後、ベッドの方へ誘って。
「服を脱いで、貴女を見せて、エリー」
私は自分で全裸になって、ベッドに横たわって、彼に体を差し出した。
何もかも初めての経験だから、夢を見ているようだったわ。そのくせ、頭の一部は冷静で、脱いだ服はどこに置いたら良いんだろうとか、畳んだ方が良いかしらとか、そんなこと考えてるのよね。躊躇ってる訳じゃなかったんだけど、マシューにはそう見えたのかしら、ずいぶん気遣ってくれた。
「綺麗な体だ」そう言いながら、遠慮がちにそっと触れてきて。
私の方は、自分の身に起こってることを、受け止めるのに精一杯よ。あんな、下腹を抉って背筋を駆け上るザワザワした感覚とか、体の中に侵入された時のショックとか、未知の経験ばかりだったし。
彼の手に導かれて、硬く膨れ上がったペニスを握って。これが私の中に入るとは思えなかったし、マシューが入れようとした時は、さすがに拒んでしまったわ。
「嫌! 痛い…やだ!」
「ごめん…強引だったね。貴女が壊れてしまう。エリー、初めて? 大丈夫、壊さないようにするから」
マシューは時間をかけて、指で私の奥を押し広げながら、緊張を解いていったわ。怖いほど的確に、感じ易いところを探り当ててきた。私は堪らずに声を上げて身悶えながら、何度も何度も潮を吹いて、あとは破られるのを待つばかりだった。
「ごめん、エリー。少しだけ、我慢して」
苦痛の悲鳴を上げてしまったけれど、マシューがそのままじっと、慣れるのを待ってくれたから、何とか落ち着けたわ。
「もう大丈夫。ほら、奥まで入ってる。可愛いよ、エリー」
マシューとは、その後何度も体を重ねたけれど、一度も中に出されたことはないの。私はどうなっても良かったんだけど、今思えば彼の方は、責任が生ずるような結果になるのを避けてたわね。
ええ…想像はつくでしょう? 遊び慣れて、女のあしらいも上手い男。私みたいなタイプは新鮮なんで、つまみ食いしてみた、ってところ?
私がそんな恋愛ごっこにうつつを抜かしてる間に、世界間戦争が始まってた。
真世界の側では、マスター達への信任投票の準備が進んでいただけよ。その前に、新世界プロジェクトに関わったマスター達の責任を問うべき、という意見もあったけど、セルシオは、ダニエルも含めて、まず各マスターへの世間の評価を問うことにしたの。各マスターの経歴と魔法の力、マスター試験に合格して以来の、評議会への出席率、提出した議題の内容や、どんな議題に賛成・反対してきたか、そんな情報が公開された。政治評議会員としての信を問う投票だから、政治活動への関心や、活動内容を中心に情報公開した訳ね。
笑えたのは、新世界プロジェクトに関わったとして世間に糾弾されてたマスターの大半が、熱心な評議会員だったこと。
まぁ、そうなるわよね、当然。
でも、判断材料は、公表された資料だけじゃない。アンジェラみたいに、商売の分野で世間と関わってるマスターも居れば、事務所ぐるみで近隣の住民と交流してるマスターも居たから。第一、流れからして、新世界プロジェクトに関わったマスター達が、信任されるとは思えなかった。
だからダニエルは、賛同者と一緒に、イアズ世界へ拠点を移そうとしたんでしょうね。
真世界で信任投票が行われたのが、イアズ世界でダニエルの調査機関の動きがおかしいと、監視が強まった頃ね。
投票は、希望する国民全員を対象に、任意のマスターへの信任票・不信任票を投ずる形で、複数投票可で行われた。結果も、そのまま公表されたわ。予想通り、新世界プロジェクトに名を連ねたマスターへの、不信任投票が多かったわね。それと、情報公開や国民投票を主導した、セルシオへの信任投票。あとは、それまでの実績が物を言っての、まあ順当な結果。「動物解放戦線」の告発があった後、きちんと説明の機会を設けたマスター達は、概ね信任されたみたい。
結果を受けて、新世界プロジェクトに関わったマスター達の内、不信任票が一定以上信任票を上回った者に、罰則を課すことも決まった。マスター資格の剥奪と、調査団のメンバー達への補償ね。
アンジェラは、処罰を免れた何人かの一人。
「彼女の開発した、フレグランスやリラクゼーションアイテムの愛用者が、こぞって信任票を入れてくれたらしい」
抱き合った後、ベッドで寄り添いながら、マシューがそんな話をしてた。
「そう…まあそれだけ、政治的には小者ってことなんだろうけど、リッキーや彼女…ジーナさん?…は可哀想。でも、良かったわ。貴方が職を失わずに済んで」
失業問題の深刻さが、明るみに出始めてた。アンジェラのように、投票前から事務所の規模を縮小してたマスターや、投票の結果政治部門を整理することになったマスターもいて、特に事務職は、元々求人が少ないこともあって、再就職先が見つけられなかったのよ。
その矢先に、ダニエルと、彼に追従するマスター達が、イアズ世界へ逃亡したの。
その後の話は、あなた達も知ってるわよね? イアズ世界の情報機関が、「動物解放戦線」と接触して、こちらの情勢を知って、侵略者達を真世界の犯罪者として処断することと、世界間の裂け目を閉ざすことを決めた。
こちらはそんな話、全く知らなかったから、裂け目が閉ざされた時は、暴動寸前だったのよ。
「動物解放戦線」は、ダニエル達が異世界に逃亡したこととか、侵略と見做されたけれど、こちらの世界そのものに害意はないと説明したこと等、分かる限りの情報は公開してたわ。異世界で侵略者として追われたダニエル達が、こちらに逃げ戻らないよう、自分達が対処するとも宣言してた。
でもそれと、いきなり魔法の力が消えることとは、結びつかないじゃない。
世界間の裂け目を巡って何が起こってるか、真世界の一般住民には、ほとんど分かってなかったの。世界間戦争と言われてるけど、戦いは知らないところで起こってた。
ええ、別の戦いは、見えるところで起こってたわよ。真世界の、魔法至上主義との戦い。
…その最中に、魔法そのものが消えてしまった訳。
当然、私には影響もないし、すぐには気付かなかったわ。最初に気付いたのは多分、日常生活で魔法の力を使ってる、生活魔法の使い手達ね。灯りを点けたり、火を熾したり、物を乾かしたり、そういう類の魔法使い。
家じゃ、母がそうだったのよ。洗浄魔法の使い手。
仕事を終えて帰ったら、母が困惑した顔をしてた。
「何か変なのよ、エリー。昼過ぎから急に、洗濯も洗い物もできなくなっちゃって。いえ、機械を使って何とかできはしたんだけど、魔法が使えないの」
驚いて父に連絡を取ると、父も気付いてた。
「オフィスを閉めて帰ろうとしたら、魔法のロックがかからなくてね。どうしたものかと思ってたところだ。いや、ロックは、通常の鍵がかかっていれば問題ないが、魔法が使えないという、この状況がね。とりあえず、セルシオのところへ行ってみようと思う。お前もおいで、エリー」
マシューにも連絡したけど、繋がらなかった。私はとりあえず、セルシオの自宅に向かったわ。
街は騒然としていた。「動物解放戦線」の、告発があった時と同じよ。あの時はマシューが送ってくれたけど、一人であの騒ぎの中を通るのは、ちょっと不安だったわね。
父が、先に着いて待っていた。
「大丈夫だったか、エリー? 来いとは言ったが、こんな状況とは思わなかった」
セルシオは、眼鏡をかけて出て来たわ。
「そうなんですよ、いつものように、本を読もうと思ったら、視力強化の魔法が働かなくて」
それでも、眼鏡を探し出してきて読書してるところが、彼らしいけど。
「多分、世界間の裂け目で何かあったんでしょう。異世界の人達が、ダニエル達に対抗して動き出したようですから。それで魔法が消えるということは、元々この世界に魔法の力は存在せず、異世界に由来するものだった、ということですね。だとすればこの状態は、在るべき姿に戻っただけのことです」
落ち着き払ったセルシオに、父も少々、呆れていたわね。
「誰もが貴方のように達観できるなら、それはそれで、問題はないんでしょうが」
「ああ…もちろん、人々のパニックは、何とかしなければいけませんね。なかなか、難しい問題ですが、奥様の洗濯機や貴方のオフィスの鍵、私の眼鏡のように、魔法がなければ生活が立ち行かない訳ではありません。それなりの形に、落ち着いていくと思いますよ」
そりゃあセルシオは、無理にでもどっしり構えてなきゃいけない立場だったでしょう。何が起こったのか、これからどうなるのか、一切分からないにしても、ね。だけどあれ、かなり、彼の本心に近かったんじゃないかしら。
騒然とした街を抜けて、何とか帰宅した頃、マシューから連絡があったわ。
「そちらは大丈夫? いや、俺の方も、自分じゃ気付きもしなかったんだけど。魅了の魔法なんて、滅多に使わないから。エリーと同じだよ、家族が、生活魔法を使えないと言い出して分かったんだ。どこも一緒だろうけど、代替は効くから不便はないにしても、本人達にはショックみたいで」
様子を見に行ってあげたいけど、家族を宥めなきゃいけないから…そんなふうに言ってたわね。
何だか歯切れが悪いとは思ったのよ。でも、こちらも魔法なしの生活に適応するのに、手一杯で。
ええ、結局皆、適応していったのよ。そうするしかなかったし。それに、魔法の力は、生きるのに必須じゃない。どうしたら良いか困った時には、元々力を使えない人達に、魔法に頼らない方法を訊いてみれば良い。
そうよ、私達にとっては、人権回復期間だった。
結局、魔法の力は、限定的に戻ってきたけど。
問題になったのは、イアズ世界に取り残された真世界人。ダニエルが「異界の門」に送り込もうとしてた、ミリアム・エアとか、実験材料として連れて行かれた人達ね。彼等を故郷に戻すために、イアズ世界の魔術師達が、再び世界間の裂け目を開いたんでしょう?
ちょうど、セルシオが調査を始めた時だった。民衆のパニックがようやく落ち着いた頃になって、世界間の裂け目がどうなったのか、何が起こったか知る手がかりでも見つからないか、一度は現地に行ってみないと、って話になって。
私も同行したのよ。裂け目があった場所は、人里離れた山間で、人が行き来した跡は残っていたけれど、他には何もなかった。その、往来の跡がね…ある一線を境に、片側の草は複数の人に踏みしだかれて、木々も小枝が折れたりしてるけど、反対側は何の痕跡もない人跡未踏の地。ああ、ここに、このぐらいの幅の境界があったんだ、って、少し時が経ってもハッキリ分かるの。
同じ場所に扉が現れたのは、調査二日目の昼過ぎだったわ。
ダニエル達が異世界に逃走するまでの足取りと、世界間の裂け目が完全に閉じていることは分かったけれど、他には何の情報もなくて、いい加減くたびれてきてた。セルシオは道端の岩に腰を下ろして、この後どうするか思案してたみたい。彼に同行した事務所のスタッフ数名は、これ以上何もないと承知の上で、まだ逃亡者達の痕跡を探してた。
そこへ急に、境界のあった辺りから、何かが爆ぜるような音がし始めて。
「何か分かりませんが、少し離れた方が良いですね」
セルシオの助言で、助かったわ。爆ぜる音はどんどん激しくなって、境界線の草が薙ぎ倒されて、その上の方がぼんやり光り始めたと思うと、扉大の四角い輪郭が浮き上がった。その後のことは、どう表現すれば良いのかしらね。光った輪郭の中だけ、空間そのものがグニャリと歪んで、別の景色が現れたの。
別の景色と言っても、あちらも山間だったわね。でも、植生や陽の光、空気が全く違った。
そして、その奇妙な扉を通って、イアズ世界の「案内者」、フィコリオ・ログが現れたのよ。
正直、あまり感銘は受けなかったわね。フィコは当時、まだ少年期を脱して青年期に差し掛かったぐらいの肉体年齢だったから。実際にはもっと長く生きてるなんて、見た目では分からないし。衝撃的な開き方をした扉から、無造作に踏み込んで来るにしては、ずいぶん若い子だな、って拍子抜けした感じ。格好もラフなチュニック姿だったし、何より彼の態度がね。
扉を一歩入って足を止めると、フィコは物珍しげに辺りを見回して、私達に気付いた。
「なんだ、人が居るなんて、思わなかったな。怪我はありませんか? ええと、真世界の方達…?」
「真世界…ですか。それでは、そちらは…?」
セルシオの問いかけに、フィコは一礼した。
「我々の世界は、「イアズ」と呼ばれています。住んでいる人間は全員、そちらの世界から移り住んだ人達の子孫ですよ。だから、そちらが真世界なんです。ええと…この場での真世界の代表は、貴方と思って良いのでしょうか。申し遅れました、私はイアズ世界の、フィコリオ・ログという者です」
セルシオも、丁寧に頭を下げた。
「私はセルシオ・ビリヤーニ、暫定的に、こちらの世界の代表を務めている者の一人です。どうやら、魔法の力が戻ってきているようですし、貴方がたの「イアズ世界」が、ダニエルの調査していた異世界と思って良いようですね」
フィコは、小首を傾げた。
「その辺の話は、前にそちらの世界の…ええと、セオ、さんでしたか…見栄えの良い若い方に、伝えてあるのですが」
「ああ、セオドール君ですか。そちらの世界と接触したことは、聞いています。ただ、彼の報告は極めて限定的でして。彼にとって優先順位の高い情報しか、伝わっていないようです」
フィコは、察し良く頷いた。
「それじゃあ、僕達が今回、苦労して閉ざした扉をわざわざ開き直した理由も、ここに居る皆さんには、分からない訳ですね」
そして彼は、「ちょっと失礼」と断って、扉に頭を突っ込んだ。
「入って来ていいよ。人が居るけど、危険はなさそうだ。今度は、正規の代表者みたいだから」
そして、取り残された人達が帰還してきた。
「全員じゃないんです。イアズ世界に残りたいという人も居ましたし。移住希望だけど、できれば家族と一緒に、という人も居ます。僕達としても、真世界の機械文明については、少し学んで取り入れたいし、世界間の交流が全く絶えてしまうのは避けたくて。でも、以前のように出入り自由にするのは危険でしょうから、扉の管理をどうするか、ご相談したかったんです」
後のことは、知っているわね? 扉は時間限定で開かれることになって、管理者として両側に、移住者の集落が築かれた。
その話し合いには、立ち合ってないのよ。あの日は、セルシオの指示で、私達は帰還者を連れて街に帰った。イアズ世界の人達も、帰っていったん扉を閉ざしたわ。セルシオと、話し合いの日時だけ取り決めて。
帰った翌日、話があると、マシューに呼び出された。
「実は…婚約者が居るんだ。黙っていてごめん。まだしばらく、今まで通りでいられると思ってたんだけど…この騒ぎで。不安な状況だから、結婚して生活だけでも安定させた方が良いと、彼女からも双方の両親からも言われて」
こちらもいろいろ、話したいことがあったんだけど、いきなり爆弾を落とされて、扉やイアズ世界のことなんか、頭から吹き飛んでしまったわ。
「エリー…どうする?」
そんなこと言われても、頭の中は真っ白よ。
そりゃあ、本気じゃないのは分かってたつもり。でも、私にとって、マシューは「唯一」だった。「唯一」付き合った男性で、「唯一」そのままの私を肯定してくれる相手。
「本気じゃない」と言っても、好意がなかった訳じゃないと思うの。アンジェラの事務所で、リッキーみたいに巻き添え食う可能性もあったのに、味方になってくれた人だし。
マシューを責めるつもりもないのよ。私にしたって結局、誰かから奪ってでも、って気持ちじゃなかったし。第一、あそこで婚約者を捨てられる人なら、私の方が、好きじゃなくなってたと思う。
「もっと早く出会っていたら」なんて言ってたけど、あれは社交辞令ね。出会いの順番が変わったところで、「臨時の愛人」と「生涯の伴侶」が、入れ替わるはずもないんだから。
マシューは、言葉が出なくなった私を、突き放すこともできなかった。
「もし、まだ会いたいと思ってくれるなら…俺が結婚するまで、このままでいよう」
…そうよね、彼の婚約者には、申し訳なかったわ。あの場で別れるべきだったし、結局、耐えられなくなって逃げ出したのは、私の方だった。
きっかけは、セルシオとイアズ世界の話し合いがまとまったこと。セルシオが話を持ち帰って、評議会に報告した後、事務所の中で、世界間の扉の管理者として移住するメンバーを、どう選ぶかという話になって。
「マスターは、論外だと思っています。でもそれ以外で、やはり魔法の使える環境で生活したい、という人は、受け入れても良いかと思うんですよ。それと、異世界について、真面目に研究をしたい人。扉の管理業務もありますから、全体を統括するのに、情報処理技術者も必要でしょう。私としては、エリーさんに行ってもらえると、心強いのですが」
セルシオに指名されたのは誇らしかったけど、正直、荷が重いと思ったわ。移住者名簿の管理とか、異世界研究の内容把握とか、何をどうする必要があるか、分かってる仕事については問題ないのよ。でも、異世界移住となったら、未知の事柄の方が多いでしょうし、皆不安な状況だろうから、私如きに統括なんて、とてもとても。必要なのは、人々の気持ちを落ち着かせて、安心感を抱かせるようなリーダー。自分が真っ先にオタつくような、事務屋じゃないでしょ。
後で、セルシオと二人で話した時、そう言ったのよ。そしたらセルシオは、事も無げに言った。
「周りに、助けてくれる人が居るでしょう。アンジェラさんのところでも、そうだったんですから。そういえば、アンジェラさんのところのお友達…マシュー君、でしたか…彼と一緒に移住して、心の支えになってもらってはどうですか」
自分でも、表情が強張るのは分かったわ。
「マシュー…は、無理だと思います。もうすぐ結婚するはずですし、こちらに、彼の家族も婚約者の家族も居るはずです」
セルシオは多分、何となく事情を察してたと思う。
「ああ、なるほど…そうですか。家族と言うなら、エリーさんも、こちらにしがらみがある訳ですしね」
とりあえず、相談してみた方が良かろう、ということで、セルシオは結論を保留した。
私の「しがらみ」…うちの両親に関しては、何の問題もなかったわね。父はセルシオを信頼してたし、母は元々、楽観的なタイプで。
「統括、って…それだけ、今までの仕事を認めてもらえた、ってことでしょう? 結構な話じゃない。心配なら、私も一緒に行きましょうか…? あちらでは、生活魔法が使えるんでしょう? 長年慣れ親しんでると、魔法なしはやっぱり不便で」
まるで、普通の引っ越し気分。つられて父まで、この際引退して、異世界研究でもしてみようか、なんて言い出したわ。
結局、家族ぐるみで、この集落に越してきたのよ。
マシューには、両親と一緒に異世界に移住することになりました、って、報告だけしておいた。そうしたら、最後にもう一度だけ会いたい、と言ってきて。
いつもの、人目を避けてホテルコースよ。最初からそうだった。だから言ってるの、本気じゃないのは分かってた、って。
それでも、最後は激しかったわね。何度も求められて、「どうして、行ってしまうの」って、繰り返し言われたわ。
…引き留めたかったのかしら? 却って面倒なことになったと思うけど。
マシューとは本当に、それが最後だった。
だからね、世界間戦争なんていっても、渦中で生きてた人間にとっては、単なる日常なの。いえ、巻き込まれた人達にとっては、戦いは日常を奪う災いよ。でもあの戦争は、世界間の裂け目と「異界の門」を巡る攻防だったから、ほとんど山中で終わって、一般の人達は関わりを持たずに済んだ。「動物解放戦線」の告発の時と、魔法が消えた時の、パニックはあったけれどね。あれは、私達が当事者であるべき戦いだったんだと思う。真世界人民の、魔法至上主義に対する戦い。
今は真世界も、政治評議会員を選挙で選ぶ制度が定着して、落ち着いてきたようね。世界間の扉が開いて、魔法の力も戻ったし。イアズ世界から真世界側への移住者が、魔法機械の研究を進めてくれたから、扉が閉まっている間も溜めておいた魔法の力で、生活魔法ぐらいは賄えるし。扉の開閉自体も、最初はいちいちドラゴンを呼ばなきゃいけなかったけど、機械の操作でできるようになって、管理が楽になったわ。
そうよ、世界間の障壁を壊したり修復したりできるのは、魔法生物であるドラゴンの、高等魔法を込めた炎だけだから、それを機械で再現できるようになるまでは、開閉の度に来てもらってたの。壮観だったわよ。巨大なドラゴンが飛来しては、扉に向かって、周囲を焼かない黄色い炎を、ゴォーっと吐きかけて。
機械の開発まで、あれを見てきたからかしら、真世界からイアズ世界への移住者には、魔法生物を研究する人が多いわ。父も、それに夢中になってたの。相手を害さない約束の下で、ドラゴンやラービィ、有袋人類のロトシンなんかを、スケッチして回ってたわ。三年前に亡くなったけど、真世界で仕事をしていた時より、移住してからの晩年の方が、ずっと楽しそうだった。
母は、まだ存命。こちらは移住以来嬉々として、移住者達の相談役みたいなことをしてるわよ。
私…は、まあ、何とかやってきた、って感じ。セルシオが、自然科学学校を出たばかりの優秀な若い子を、三人も助手に付けてくれたから。
ええ、今、集落を管理してる、あの三人。え…? そうよ、三人とも、自然科学学校出身。ええ、イリスは魔法が使えるわね。それが面白いことに、真世界では魔法の力にアクセスできなかった人達が、魔法の力の濃いイアズ世界に来て、魔法を使えるようになったケースが、数件あるのよ。私は、駄目だったけど。その辺の研究をしてる人達が、アカデミーにも居るんでしょう?
だからね、まだまだお互いに、やりたい事、できる事は、いろいろあると思うの。文字通り、世界が広がったんだから。
あなた達も、学生時代に心から楽しめる何かを見つけて、生き生きと過ごせると良いわね。
(イアズ暦二千八十三年六月十八日。真世界移住者集落事務管理者、エレノア・ウィンフィールド(当時五十七歳)へのインタビュー。王立アカデミー歴史研究科、近代史ゼミ監修)