ショートストーリ創作工房 16~20
5編のショートストーリズ。当たらぬ占いへの恨みの成果は。家蜘蛛の扱い。幸せを感じる香りとは。傘を巡る白昼夢。運の悪いヤツ。
目次
16. 占い
17. 家蜘蛛
18. 幸せな気分にしてくれる香
19. 傘
20. 運の悪いヤツ
16.占い
独身で小心者の男は自分に自信が持てず毎朝、「おめざめTV」の「きょうの運勢」を観てから出勤していた。
「さて、次は魚座ですよ~。魚座のあなた、今日は東に向って歩くといい出会いがありますよ~。元気に、行ってらっしゃあ~い!」と、若い女性の占い師が手を大きく振って叫びます。
男は、「そうか、東か」と呟いて、TVのリモコンをオフにし、アパートを出て東へ歩き、いつもとは違う道順で駅へと向った。路地から駅前の大通りへ出ようとしたとき、女子高生の乗った自転車とぶつかってしまった。女子高生は急いでいたようで一言「すみません」と頭を下げて勢いよくぺダルをこいで走り去った。
「痛い! 痛てえなあ! 気をつけろよな」
男はすぐに右わき腹をさすったが、くっきりと蒼あざが残ってしまった。
─数日後。
「今日、一番いい運勢は魚座のあなたですよ~。今朝は持っている洋服の中で新しいお気に入りのものを着てお出かけしましょう。きっといいことがありますよ~。行ってらっしゃあ~い!」
「なるほど。新品のお気に入りだな」
男は、着古したジャケットを脱ぎ、新調したばかりのスーツを着て、駅へと急いだ。
昨夜、雨が降ったようで、アスファルトの凹んだ所には水溜まりができていた。ドドッドドッと後ろから来た大型トラックが歩道を歩く男の横を走り過ぎた瞬間、泥水が大きく跳ねた。男は泥水を頭から靴先まで被ったが、トラックはスピードを緩めることなく走り去った。
「あーあ! この野郎、止まれ! 泥水を引っ掛けやがって、くそ! ついてないよなー」
その後も「きょうの運勢」を観ては、それを信じて行動してみたが、どうも占いの結果とは違ったことしか起こらなかった。それも悪いことばかり。社内で誘われた合コンに参加しても、女の子は誰一人として相手をしてくれなかった。その翌日には重要な書類をシュレッダーに掛けてしまったし、出張先では顧 客情報の入ったUSBを飲み屋か、どこかで落としてしまったり、と。
男にとって、最悪だったのは「今朝は財布に10万円を入れて出かけましょう。これが呼び水となって、きっと金運がアップしますよ~。2倍、3倍となって戻ってきますよ~~。お気をつけて、行ってらっしゃあ~い!」という内容の日に、財布を電車内でスラれてしまい、入れていたクレジットカードが悪用されたことである。
占いの内容に業を煮やした男はTV局へ実名入りの投書を送りつけた。それは占い師に届けられた。
占い師は、「単なる占いだのに、信じる人もいるんだあ。私の占いも捨てたもんじゃないわ。ほっほっほっ」と反省するどころか逆に呆れて、声を上げて笑った。
男は投書の文面に、占い師に直接、文句を言いたいと書いた。そして、○月○日、午前11時に局を訪ねるとも追記した。
占い師は、男が訪ねて来るという朝の内容を、
「魚座でかつ独身のあなた、今日はきっといい出会いがあることでしょう。人生、最大の出会いですよ~。それを大切になさってくださいよ~。今日一日、幸運が逃げていかないよう冷静に穏やかに行動するよう心がけましょうねぇ。冷静に、これがポイントです~。じゃあ、行ってらしゃあ~い! 行ってらっしゃあ~い!」
と、マイクに向かって手を振りいつもよりも明るい声を発した。
この内容を聞いた男は、「いい出会いだと。自転車か? トラックか? スリか? 穏やかに冷静に行動しろだと?」と小バカにして「ふん」と鼻を大きく鳴らして部屋を出た。
局に着いた男は占いを信じて行動したがためにどれだけひどい災難に遭遇したかを早速、女占い師に話した。占い師は胸の谷間が覗き見えそうな白くて薄いブラウスを着て神妙な顔で聞いていた。男はその谷間にちらちらと目をやりながらも、精神的な苦痛を金で償って欲しい、とまで訴えた。
男が話し終わると、占い師は胸を突き出すような仕草をみせてから、誘うような眼差しで答えた。
「実は、私この半年間、絶不調なんです。当たらないんです。かすりもしないんです。あ~ぁ。どうしましょう? クシュクシュ。占いで人を傷つけるなんて……。それも未来ある若い男性を。クシュクシュ。これじゃあ、占い師失格ですよね。もう耐えられなくてぇ、先輩の占い師に自分の運勢をみてもらったのですよ。そうしたら……この仕事では大成しないって言われちゃいました。クシュクシュ」と、涙声で答えるとハンカチで目尻を拭い、「転職すべきでしょうって。できれば廃業して、結婚するのがいいだろうとも言われました。でも、この仕事を続けたいのだと言ったら、一つだけ解決策があるって……。もし、本当にこの仕事を続けたいのであれば、私の占いに反論をしてくれる友達に相談してみなさいって。それも異性に。そしてその異性はすぐに私の目の前に現れるでしょうって……。もしかして異性って……。ほっほっほっ」
男の目をじっと見つめ艶のある微笑を浮かべてみせた。
これを聞いた独身男はこれまでの不運をすべて取り返えせそうな気分になってしまった。(了)
17.家蜘蛛
目が覚めて窓へ顔を向けると、女が四角いテーブルで文庫本を手にコーヒーを飲んでいた。
「あぁ、よく寝た。昨夜は3連戦だったから。ふっふっふっ。今、何時かな?」
「もう、9時20分よ」
「あぁ、そう。ここに来るといつも爆睡できるよ。さて、起きるか」
「夕方までに帰らなきゃいけないのでしょ。出張は今日までよね」
「うん。大丈夫だ。夕飯時までに着いていればいいから」
「コーヒー、あるけど飲む? よければクッキーも」
「いただこうかな」
男は洗顔と着替えをして、テーブルの椅子に座った。マグカップのコーヒーを一口飲んで、いつもよりきつい苦味を和らげようとクッキーをバリバリと齧った。
「小説? どんな内容なの?」
女は目を文庫本に落としたまま教えた。それを聞きながら男はギクリとした。その表情を窺うかのように女が顔を上げたとき、束ねたカーテンに1匹の蜘蛛を見つけた。
平然と、
「あんな所に蜘蛛がいる」
と呟いた。
「どこに?」
「カーテンに。ほら、動いてるでしょ。降りてきている」
「おぉ。小さいな。よし、退治してやろう」
「だめよ。朝の蜘蛛は仇に似ても殺すな、って言うじゃない。朝、蜘蛛を見ると金運が上がるとも言うわ。それに一寸の虫にも五分の魂、っていうでしょ」
「そっ、そぅかぁ。でも、気色悪くないのか?」
「ううん、平気よ。芥川の『蜘蛛の糸』じゃないけど、どこかで救ってくれるかもよ」
「じゃあ、ティッシュに包んでトイレへ流しちゃお。その小説のように」
「だめよ。家の外へ逃がしてあげて」
「分かったよ」
男は蜘蛛をティッシュに包みテーブルの上に置き、そのティッシュの端に灰皿を乗せた。それからタバコを1本、吸い終ると、
「じゃあ、今日は帰るわ。ちょこっと会社に顔を出さなきゃならないので」
と言って、丸めたティッシュを握り部屋を出て、電柱の下にあるゴミ収集箱の中へ投げ入れた。
男は引かれたカーテンから室内の灯りが薄っすらと漏れる時刻に帰宅した。夕食後、男は斜め前に座っている女房に顔を向けてお茶を飲んでいた。出張から帰宅した夜は後ろめたさからか、いつもより長く女房と話す時間をとるようにしていた。今夜も出張中に聞きかじった文庫本の内容を意気込んで話し始めた。
「小池真理子の超短篇に『百足』という作品があって、これは浮気をしているダンナが自宅で百足を退治するときに、ドジを踏む話だ。『百足だ! 百々子、そこの蝿叩きを取って』と、とっさに浮気相手の名前を叫んでしまうんだ。もう最悪よ~。奥さんは博美っていう名前なんだけど、この後の奥さんの表情と奥さんがダンナに問いかける間合いというか、空気の流れが実にうまく表現されているんだ。
ティッシュに包んだ百足をトイレに流して、ほっとして戻って来たダンナは、『博美が能面のような顔をしているのに気づ』くんだ。ダンナがはっとした瞬間に、『百々子、って誰?』と訊かれた。しまったと後悔する間も弁解する間もなく、目の前の『妻は椅子から立ち上がった。その立ち姿は、1本の冷たい釘のように見えた』ってね。この最後の文章は小説の結末を読み手に想像させるための間合いになっている、と思うんだよな。
俺なら、『ダンナはぞっとした。冷たい手でふいに背筋を撫でられでもしたように、肌が粟立つのをはっきりと感じた』とか『妻はわめきもしなかったが、ただじゃすまない様子がはっきり分かった』とか、どちらかを描くけど。でも能面の顔や釘のような姿は瞬間だけど、この空気は、ダンナの頭には永遠にインプットされちゃうよな」
「何よ。表現も間合いもへったくれもないわ。私ならすました顔なんかしてないで、1本の釘なんてよりも、ストレートに、『今にも脳天に五寸釘を打ち込んできそうな形相をしていた』って書くわ」
「それじゃあ表現があまりにも露骨すぎて、読み手に読み込ませる、想像させる間合いがとれないんじゃないか。空気の流れも大切なんだぞ」
「でも、それくらい腹立たしいことじゃないの? 浮気って。絶対、許せない。そんな男」
「そっかあ。お前はスーパーストレートだな。で、この夫婦はこの後、どうなると思う。想像してごらん」
そのときだった。夫の背後にある壁紙の中頃を小指の爪ほどの蜘蛛がゆったりと降りてきていた。それを見つけた妻は慌てふためいて、
「後ろに蜘蛛! 壁に蜘蛛! 何とかして、早く! 気色悪い! 叩き潰してトイレへ流して!」
と叫んだ。
振り向いて、蜘蛛を確認した夫は、ティッシュを手にして立ち上がり、
「朝の蜘蛛は仇に似ても殺すな、って言うじゃないか」
とティッシュに包んでベランダへ投げ捨てようと窓のロックに手をかけた。
「それじゃあ、また入ってくるじゃないのよ! 何を寝惚けてるの? 今は夜よ。夜の蜘蛛は親に似ても殺せ、とも言うわ。叩き潰してトイレへ流してってば! 蜘蛛とか百足って大嫌い! もう早くして! 気色悪い!」と叫ぶヒステリックな金切り声が夫の背中を突き刺した。(了)
18.幸せな気分にしてくれる香
―普段は就寝中である時刻にM博士はドーデモイイ・テレビ局の教養番組を偶然視聴した。画面にはアメリカの有名大学で人間の幸福度を測定している教授の熱血講義が放映されていた。
教授 人間の幸福度を測るということが学問になるくらいですから、世界には幸福を実感できない人たちが多数、いや無数にいるということです。これまで幸福というものは相対的なものであって測定などできないものと考えられてきました。人が神や仏を信じるか否かという精神論と似たような議論に終始しがちだったのです。しかし、今や幸福度を科学的に解明すべく心理学、社会学、脳科学など学際的な研究者たちが互いに融合し合って、ある共通の尺度を作り上げました。
経済力や周囲の環境は人間が幸福を感じるときの絶対条件ではありません。では平均的な人間が幸福を感じるときの条件とは何でしょうか。次の3つです。
1.人と交わる→ 社会的なつながり。
2.親切心→ 他人から感謝される、も・て・な・し、の姿勢。
3.ここにいること→ 眼の前のことに集中し、それを解決し達成感を得る。
―番組では、一部の薬品会社がこうした条件を感じさせる薬品の開発に着手したこと、この条件を充たす組織作りをしている会社が紹介された。
M博士 そうか。これは金になるぞ。この3つの条件を感じさせる薬品を開発しよう。人畜無害な薬品であれば、役所の審査も通過しやすい。何か、いいアイディアはないか。たくさんの先行研究を読むくらいなら、誰かからアイディアをもらおう。
―それから博士は友人のAさん、その友人のBさん、そのまた友人のCさん、と紹介してくれる研究者たちにはすべて会って、アドバイスを受けた。そんな中でH博士を訪ねたときだった。
H博士 私は金の回りを良くして景気を良くする薬品を開発しているのだが、何かいいアイディアはないかね。
―と、逆にアドバイスを求められた。
M博士 そうですね。以前に読んだ星新一のショートショートの中にお金を手放したくなる人畜無害な薬品のことが書かれていましたね。その薬品は悪臭を放つ霧状のものでシュシュとお金に吹きかけておくと、そのお金を手にした人はその嫌な臭いで、すぐにお金を手放そうという気持ちになるそうです。どうでしょう。そんな嫌な臭いのする薬品を開発してみては。
H博士 ご親切に、ありがとう。参考にさせてもらいます。
―講義にあったように、人と交わること、感謝されること、ここにいること、これらが幸福です。博士は薬品開発に邁進するが、開発は一向に進展しません。人畜無害でないと多くの人たちに買ってもらえないし、感謝もされません。悩んでいても時間は過ぎるばかりです。
M博士 そうだ、期限を決めよう。あと1年、がむしゃらに頑張って、だめならばこの野望はきれいさっぱりと捨てよう。
―ある日、コーヒーカップを手にぼんやりと庭の木瓜の花を眺めていると、アイディアがピ~ンと閃いた。博士はかつて自分がH博士にしたアドバイスを思い出します。
M博士 そうか。人畜無害であれば、花の精分、香がいいかもしれない。嫌な臭いでお金を手放す人もいるくらいだから。花であれば、誰でも嫌がらずにその香を嗅ごうと鼻先を近づけるものだ。これはいいかもしれないぞ。
「社交性のある」花は?
「感謝される」花は?
「集中する」花は?
これらに該当する花、花、花は? 薔薇は純愛、月桂樹は栄冠。そうだ、花言葉から探そう。
―博士はネットで逆引き花言葉を検索します。「社交性がある」花は、……交際を表現するものとして、ブバルディアがあることを知ります。「感謝される」花として、女郎花がありました。「集中する」花は、集中力ということでは、レンギョウでした。これらを花屋で調達し、香りの精分を抽出し改良を加え混合します。開発期限は刻一刻と迫っています。
M博士 ブバルディアとオミナエシの混合物は心を和ませ幸福を感じさせてくれるいい香だ。しかし、これにレンギョウを加えても幸せを感じない。集中力を高めるのであれば、覚醒作用のあるカフェインがいいかな。コーヒー豆のカフェインを加えてみよう。
―でも、うまくいきません。
M博士 この香を嗅いでも幸福を感じない。達成感がしない。眼が冴えるばかりだ。コーヒーは飲むに限る。どうやら最後の「集中すること」が一番厳しい条件のように思える。せめてあの講義の続編があれば何かヒントが得られたのだが。
―博士は熱血講義のプロローグを視聴しただけで、続編があることを知りませんでした。何事も目の前にあることに集中して取り組まないと無駄な時間を過ごしてしまうものです。この3つの条件がすべて充たされることはありません。一つでも充たす瞬間があれば、自分は幸福者だと思いましょう。(了)
追記。この作品は2014年1月4日(土)、NHKで放映された番組の内容をヒントにして書いた。星新一、2013、「景気のいい香り」『つぎはぎプラネット』新潮文庫所収。
19.傘
真夏、真っ青な空、汗々(かんかん)照りの昼下がり、私は徹夜明けのだるい身体、おもい瞼とぼんやりした意識のままバス停へと急いだ。
そこには黒いバッグを持った一人の男が立っていた。このくそ暑いのに上下とも黒のスーツを着て、空の一点を見つめ、何やらごにょごにょと呟いている。
「雨が降っても、草と木と月が……だろう。ぶつぶつ……ぼそぼそ、雨が……水溜りの空が……だろう。ぼそぼそ……ぶつぶつ」
「何の念仏だ。何かのまじないか?」私は聞き取られそうにない声を漏らした。
「雨は空から降って、濡れて……ぼそぼそ……土が生き返って、草と木が……、月は昼間から……、星は夜だし、雨はやはり……ぶつぶつ」
「気色の悪いヤツだな」また、小さな声を漏らした。
男は、まだ続けていた。
「雨でなきゃ……ぼそぼそ……太陽か。星が落ちて……ぶつぶつ……、カエルが蛇を追いかけて……、蛇はマンモスの時代から……ぶつぶつ」
(相手になって欲しいのか?)聞き耳を立てようと微かに顔を動かしてみた。その瞬間、男の目と視線がぶつかってしまい、身動きがとれなくなった。その目は温度というものをまるで感じさせない、感情的な要素は皆無であった。まるで蜥蜴の目のようだ、と私は思った。
(しまった! まずい! 見るんじゃなかったぁ)私は急いで視線を反対側に向けた。
私に気づいた男はぎょとした表情とともに、ほっとしたような笑みを浮かべた。そして唐突に「雨が降ると、傘が必要ですよね。お持ちです?」と、なれなれしく声をかけてきた。
私は考え事でもしているふうに知らんふりを決め込んだ。
それでも男は諦めてはくれなかった。
「傘、傘ですよ。お持ちですか? 雨になりますよ」と、半歩だけ近づいて詰問する声音で訊いてきた。
答える前に私は空を見上げた。この雲一つ無い晴れ渡った空のどこから雨が降ってくるというのか、降水確率はゼロ%。怪訝な声で、顔には微笑を浮かべ、
「はあ、でも用心のためにいつも携帯傘を持ち歩いてますから」
と、バッグを軽く持ち上げてみせた。
この答えに安心したのか、男はやけに相好をくずし、「色は何色ですか?」と訊いてきた。
(お前には関係ないだろ? 放っておいてくれ)私は答えなかった。
ところが、男はさきほどよりも穏やかな目をして丁寧な口調で「色は?」と、また訊いてきた。
(そんなに知りたいのか? 知ってどうするの?)「薄い水色ですよ。見せましょうか」バッグに手を掛けた。
「いえ。いいです。お持ちであれば、幸い……」男は言いよどんでから、「携帯傘。それは便利ですね。傘、傘」と続けた。
「それがどうかしましたかぁ?」もう話し掛けてくるな、と鼻であしらうよう怒気を含んだ声で答えてやった。
こう答えると話題を変えたいのか、男は黒いバッグをかざして自分も持っているが、その傘が何色であるか当ててみろ、と言う。
(なぜ、答えなければならないのか? こんなクソ暑いバス停でクイズになんか答えられるか? やっかいないヤツに捉まってしまったぁ、と思いつつ)「分かりませんね」と素っ気なく返した。
「あなたのは薄い水色でしたね。じゃあ、ノーヒントのクイズを出します。5択です。緑、白、黒、青、赤。さあ、どれでしょう? チャンスは3回きりです」
(なぜ、こいつに付き合わなきゃならないのか……ぶっきらぼうに)「白ですかぁ」と言い放った。
「ギャハハハ! 見事に大はずれ!」男は口をピエロのように開いて叫んだ。
「(こんちきしょう)じゃあ、青でしょ」
「ギャハハハ! またまた大はずれ! ファイナルアンサー!」そう言うと男は私を睨みつけた。
「何!! この野郎!」その目を睨み返し、思わず攻撃的な汚い言葉が出てしまった。間髪を入れず、私は吐き捨てるように怒りを込めて答えた。
「じゃあ、黒だろ!?」
その瞬間、男はにやりと口元を歪め、まばゆいばかりの太陽光線を反射したかとおもうと、鬼のような形相を浮かべて、
「ピンピ~ンピ~ンピ~ンポ~~~ン」
と、叫んで虚空へ飛び吸い込まれた。
私は一瞬、強烈なめまいを感じ、腰を抜かしそうになった。自分がどこにいるのかさえわからなかった。
ブーブー! 短いクラクションが鳴った。ふと我に返ると、母親に手を引かれ、手にプール遊具を持った女児が近づき通りすぎた。母親は見てはいけないものを見なかったことにするよう困惑した目を泳がせてから、驚きと怯えのあまり思いつめた顔で空間の一点をじっと凝視したまま歩んだ。女児は身をよじって振り返って、けらけらと笑い声をたてた。
私はわななく唇を噛みしめ、右を、そして左を見回し誰もいないのにただ一心に、「私はぁ……私はぁ~怪しい……者じゃ~……ない……怪しく~ない~」と、声にならない声を発していた。
到着したバスに乗り込もうとステップに右足をかけた。が、頭の上前方に進入を拒むものがある。上目遣いに見ると、私は黒い傘をさしている自分に気がついた。(了)
20.運の悪いヤツ
―2016年10月21日(プロ野球日本シリーズの開幕前日)、閉店後のとある地方銀行。
「いいですか。サングラスをかけて、白いマスクをして、野球帽を被った小太りの男が拳銃を持って入ってきます。落ち着いて、その男の指示どおりに行動してください。なるべく時間をかせいで、必ず足元にある警報装置を踏んで、警察署へ通報してください。訓練とはいえ、犯人役の刑事は本物の勢いで演じますからね。物怖じせずに臨機応変かつ冷静沈着に対応してくださいよ。リハーサルはなくてぶっつけ本番ですから」
主任刑事は行員たちに、こう念を押した。
昇進したばかりの支店長は不安げに訊いた。
「当日、他のお客様がいらっしゃるかも知れませんが……」
すると、横に立つ総務課長が自分の存在を誇示するかのごとく割り込んで言った。
「訓練中はお客様を外へ誘導しましょうか?」
別の刑事はそれをドスの利いた声で全面否定した。
「いいえ。訓練はものの30秒もあれば終了しますので、もし、お客さんが店内にいれば、後で事情を説明して納得していただきますので、そのままにしておいてください。その方がよりリアルですから。強盗は10時30分に押し込んできますからね。ジャスト10時30分。我々はあのドアの向こう側にある駐車場で待機していますから」
「はい、分かりました」と支店長は答えてから、窓口の若い女性行員へ声をかけた。「本番では慌てずに、しっかり偽札を犯人に差し出すんですよ。そして足元にある警報装置を踏むことを忘れないようにね。落ち着いてね。頼むよ」
「はい。承知いたしました」女性行員は快活に返事した。
─訓練当日。
予定どおり小太りの強盗がサングラスをかけ、白いマスクをして、野球帽を被り、右手に拳銃、左手に黒いバックを持って怒鳴りながら、正面の玄関ドアから入ってきた。
「動くな! 静かにしろ! 金を出せ! 動くな! 動くと撃つぞ!」
店内にいた5人の客は「キャー、助けてー、キャー、怖いー、キャー、……」と悲鳴をあげて壁際へ逃れる者、ソファーの後ろに身を隠す者、観葉植物の陰にうずくまる者、記帳台の下にひざまずく者、各人が
それなりに身を守る行動をとった。その後は一言も発せず、顔を背け恐怖に震えていた。
強盗は例の若い女性行員の窓口へ来て、サングラスの奥の眼で睨みつけ、恫喝した。
「早く金を出せ! 早くしろ! あるだけ札束をこのバックに詰めろ! 早くしろ! 変なまねをすると撃つからな!」
女性行員はちらっと腕時計を見た。10時29分30秒になろうとしていた。訓練は定刻よりも早まったのかな?と一瞬、思った。が足元の警報装置を踏んでから、打ち合わせたとおり新聞紙で作った札束をバックに詰め込もうとした。それを見た強盗は三オクターブ声を張り上げた。
「てめえ!! 殺されたいのかあ! 本物を入れろ! 本物だ! 変なことをしやがると撃つぞ! 殺されたいのかあ?!」
カチカチカチと時計の秒針が3つ動く間、女性行員の息は止まった。他の行員たちの好奇な目は彼女の一挙手一投足に集まったままである。
「早くしねえか! このやろう! 撃つぞ!」
凄い剣幕、演技力である。まるで映画のワンシーンの中にいるような感覚であった。強盗は拳銃を女性行員に向けたまま微動だにしない。その勢いに押され、またこれは訓練をよりリアルにするためのアドリブだろうと判断し、女性行員は本物の札束をバックに詰め込んだ。もちろん詰め込む前に後方の席に座っている支店長に目配せし、承認をとった。支店長も同じ判断をしたのであろう、目尻に笑みを浮かべて軽くコクンと頷いた。
その他の行員たちは業務の手を止めて訓練の様子を見ているばかりであった。なかにはこの真に迫る演技に感心したように相好をくずしている者もいた。不謹慎ではあるが、明らかに笑みを洩らしている者もさえいた。総務課長などは、まるで職務とでも思っているのか、怖い顔で腕組みをしたまま左手の手首に付けた腕時計をちらちら見ては訓練の経過時間を計っていた。望まぬ恐怖を押し付けられたのは事情を知らされていない客たちのみであった。ただただ、この悲劇にうろたえていた。
27秒後、強盗は大きく膨らんだバックを小脇に抱えて、必死の形相で店内を疾走し、駐車場側の出入り口にあるドアノブに手を掛けた。外にはパトカーが停まり、マッチョな刑事数人と北海道日本ハムファイターズの野球帽を被った小太りの男が立っていた。そのうちの一人が腕時計に目をやってから口を開いた。
「予定の時刻になった。さて、はじめよう」
刑事たちがドアの前まで歩を進めたとき、サングラスをかけ、白いマスクをして、バックを抱えた小太りの男と鉢合わせになった。男は広島東洋カープの赤い野球帽を被っていた。
その日は2016年10月29日(この日はプロ野球日本シリーズで北海道日本ハムファイターズが4勝2敗で優勝を決めた日である。ただし、この日は土曜日だったので、銀行は閉店していたことになるが)であった。(了)