24話 精霊魔術師ティリア・フローレンス
――あいつだ!
動く影を目の端で捕らえた。
俺は全速で刺客を追い駆けようと動いたが、
「ちょっと貴方! 逃がしませんわよ!」
馬車に押し込んだはずの少女が俺の手を掴んできた。
「は? 逃がさないって?」
「とぼけないでくださいませ! わたくしを突き飛ばしたではありませんか!」
「いや、そりゃ確かに突き飛ばしたけど……」
「ほら御覧なさい!」
俺は呆気にとられてしまった。
「でもそれはアンタの命を守る為であって――」
「『アンタ』ですって? フローレンス公爵家が長女、わたくしティリア・フローレンスに対して『アンタ』と仰られましたの?」
――面倒だな。
すると少女は馬車から出てきて掌を上に向けた。
数個の赤い火が生み出され、それぞれ人型へと変化していく。
「わたくしは精霊魔術師でもありますのよ」
「そりゃ珍しいな」
精霊魔術師は貴重だ。
「貴方は、わたくしを突き飛ばすという不敬を働いたのです。フローレンス公爵家並びに精霊魔術師協会に対して、謝罪の意を示す必要があるのではなくて?」
――謝っておくべきか?
とも思ったが、俺は真実を伝える事にした。
「アンタ……いや、君は死ぬところだったんだ」
俺は掴んでいた矢を見せた。
矢尻にはベッタリと毒のような物が付着している。
「これは何ですの?」
「さっき君に向かって射られた矢だ。不敬な俺が気付いて良かったな」
俺は皮肉を込めて事実を告げた。
「……えっ?」
「君は殺され掛けたって事だよ」
途端に少女はガタガタと震え出す。
「そ、そんな……まさか」
「お、おい。大丈夫か?」
膝から崩れ落ちた少女を咄嗟に支える。
「お前等も何ぼさっとしてんだ!」
俺は近しい者達に怒鳴ったが、従者も護衛も誰も動こうとしない。
一種異様な光景だった。
「この子は死に掛けたんだぞ? 分かってるのか?」
「私共は『お嬢様を今日ここにお連れするように』との命しか仰せつかっておりませんので」
護衛の一人は顔色一つ変えずに淡々と答えた。
「連れて来た後はどうでもいいって事か?」
「お答えしかねます」
しかしその態度を見るに、守るつもりがなかったのは明白だ。
まるで少女の死を見届ける為だけに、ここまで来たような態度。
「……マルティナ」
少女は青い顔のまま、侍女を見つめた。
「これが、お父様の御意思なのですね?」
「ティリアお嬢様……申し訳ございません」
「いいのよマルティナ」
少女は涙を流す侍女の手を取った。
「今までわたくしに仕えてくれた事、感謝しておりますわ」
そう言って毅然と前を向く。
「これよりわたくしは、フローレンス公爵家の者ではありません。お父様……いえ、当主様には『ティリアはフローレンスの籍を抜ける』と、そう伝えなさい」
「……お嬢様」
「さようならマルティナ」
侍女は躊躇いながらも背を向ける。
「そのまま帰していいのか? あいつ等は君を見殺しにしようとしたんだろ?」
「仕方がなかったのでしょう。お父様に逆らえば、侍女や護衛達だけでなくその家族も殺されてしまいますもの。それに、公爵令嬢の地位を失ったわたくしには、もうどうする事も出来ませんわ」
少女は物悲しそうな顔で、遠ざかっていく侍女や護衛の一行を眺めている。
しばらくすると「城門は明朝以降の通行再開になる」という旨を、衛兵達が周知していった。
並んでいた人達には不満の色があったが、誰も逆らえないようだ。
そして数分後には人がまばらになり、城門は閉められた。
「君は命を狙われてるんだろ? これからどうするつもりだ?」
「どうもしませんわ。なるようにしかなりませんもの」
俺の問いに平気な顔で答えているが、強がっているのが丸分かりだ。
「先程は御無礼を働いてしまい申し訳ありませんでしたわ」
「いや、それは別に気にしてない」
「助けていただき、ありがとう存じます。では、失礼いたしますわね」
「待てよ」
踵を返して立ち去ろうとするが、腕を掴んでこちらを向かせる。
今にも泣きそうな顔だった。
「まさか死ぬつもりじゃないだろうな?」
「それが何か? 貴方には関係ありませんでしょう?」
確かに関係ないが、その言葉には無性に腹が立つ。
「死ななくてもいいだろ」
見た限りだとミーナと大差ない歳だ。
放っては置けない。
「わたくしはフローレンス公爵家の生まれですわ」
「それがどうしたんだよ?」
「当主の意向には逆らえませんの! 当主であるお父様が、わたくしの死を望んでおりますの! ですので、もう死ぬしかありませんの!」
俺は怒鳴りつけたくなるのを我慢していたが、一瞬で頭に血が昇った。
「公爵家とは縁切っただろうが! 大体、子供のくせに死ぬとか言ってんじゃねーよ!」
「歳は関係ありませんわ!」
俺達は一触即発の雰囲気で睨み合う。
「ライル君」
クリフさんが間に入って宥める。
俺の方が年上だ、熱くなるべきじゃなかった。
一呼吸置いてから、俺は少女を見つめて問い掛ける。
「死にたいのか死にたくないのか、本音はどっちなんだよ?」
努めて冷静に言った。
「死にたくなどありませんわ! ですが、わたくしにどうしろとおっしゃいますの! 市井で隠れて生きる事など出来ませんわ! 暗殺の手から逃れる術も知りませんのよ!」
「知らないなら教えてやるよ」
クリフさんも大きく頷いている。
「同情など結構です。生き延びたとして、それでどうなるのです」
「子供が何言ってんだか。未来なんて分からないだろ」
「確かにわたくしは子供なのかもしれません。未熟者でもあるのでしょう。ですが、それでも誇りはあります。貴方達を巻き込むような、無責任な真似は出来ません」
「さっきは死にたくないって言ってただろうが。強がってんじゃねーよ」
すると力ない目線を向けてくる。
「確かに強がりなのかもしれませんわね。ですが――」
そう言って笑ってみせると、長い白銀の髪が風に揺れる。
「刺客の手で亡き者にされる時が来たとしても、多少はあがいてみせますわ。それがわたくしに残された最期の矜持です」
綺麗なアメジストの目には、何の迷いもなさそうだった。
「死ぬかもしれないってのに、君は強いんだな」
「強くなどありませんわ。生きる事から逃げているのですから」
「けど、死ぬのはもう無理だから諦めろ」
「はい?」
「これからは俺達が仲間になる。絶対に死なせないから安心しろ」
俺は、この少女を守ろうと思った。




