アイ・システム1
「アイ・システム成立の背景とその影響」
気候変動の時代に先駆けて、一番最初にシティが作られたのが筑波だ。
苛酷な環境となりつつあった「外」には頼らない、自給自足可能な体制の整ったモデル都市。
もともと筑波は研究施設が多く集まり、首都に比較的近く土地に余裕がある絶好の場所だった。
次に、第二、第三のシティが、急速な人口減少と働き方の変化とで利用されなくなった首都中心部を利用して作られた。
当時は土地に資産としての価値があり反発もあったそうだが、環境の変化はシティの建設とそこへの移住が避けられないほどに切迫していたという。
初めに作られたシティに周辺の人々が移り住み、人々が居なくなった場所に新たなシティが作られてゆく。
海面上昇が想定された臨海部や標高の低い地域、過疎の進んだ山村など、大小にかかわらず多くの居住地が地図から消え集約されていった。
社会と経済が混迷を極めるなか、こうしたことが全国的に行われていった。
最初のわずか10年ほどで主要なシティが作られ、続く10余年で残った全ての人々もシティに移り住んだのは今考えても驚異的だ。
数百のシティが作られ、ひとつに10万人前後が住んだ。
300年ほど続いた気候変動の時代が終わり、環境が落ち着いても人々はシティを生活の拠点としていた。
しかし、やがてシティの外にある広大な土地を農業や林業に使うことを試みる人達も現れた。
彼らが暮らすための作業拠点が現れ、整備が進むとシティの衛星都市タウンと呼ばれるようになった。
だが現在でもシティとタウン以外は生活の場とはなっていない。
保存地区や行楽地といった少数の例外があるだけだ。
世界の他の地域でも人々は様々な方法でこの厳しい時代を生き抜いていた。
一方で動植物は大きな影響を受けた。
特に大型の生物は資料でしか残らないものが多い。
海中は水温、水深、海岸線の変化による影響が陸上よりも大きく、それ以前とは生態系が一変したらしい。
もっとも、人間の活動範囲が狭くなったおかげで、野生生物の総数は増えたとする調査結果もある。
シティには人々を自然環境から守る他に、もう一つの機能が持たされた。
それがアイ・システムだ。
労働力の不足は気候変動の時代が始まる少し前から深刻になっていた。
これには人工知能=AIという考え方が切り札になると期待され研究が行われていた。
その研究成果はシティの建設時に大胆に取り入れられた。
大量情報の収集・蓄積と、その分析はコンピューターの得意分野だ。
考案された様々な解析手法が評価され組み込まれた。
一方で多くの課題や異論が残っていた「知能」の部分、最終判断や方向付けについては人の仕事として残した。
コンピューター・システムによる情報分析と評議員会の判断によるシティの運営という形は、人工知能の一部を人が肩代わりするという考え方で生まれた。
この時期には機械や処理装置の制御や運用も大幅な自動化が進められた。
コンピューターの利用、例えば部屋の照明を明るくするとか、シャトルの予約をするとか、これらは現代と変わらず会話で指示をする技術が既に存在していた。
しかし、照明を明るくするためにはどのスイッチを操作するかとか、シャトルの予約をするときの予約先や手続き、支払い先や方法、利用人数や利用区間などの確認すべきこと、そういった処理手続きの部分は専門性の高い技術者がひとつひとつ「コンピューター専用の」命令書を作成していたのだという。
それには膨大な労力と時間が必要とされていたらしい。
現在のアイ・システムはおおまかにホストと端末とで構成される。
ホストには情報の蓄積と解析を行う情報処理機能と、評議員会やオペレーターとの会話で問い合わせに応じるインターフェイス機能がある。
このインターフェイス機能が当時のコンピューター・システムを大きく発展させた。
人との自然な会話によるコミュニケーションを目指して改良を続けた結果、インターフェイスのためのユニットが一度は切り捨てられた知能にも匹敵する機能と性能を獲得した。
これが現在の思考ユニットの元となる。
このようにして成長したインターフェイスユニットは「人が使うものと同じ」取り扱い説明書を使って自ら処理手続きを組み立てることができた。
処理手続き作成の自動化により技術者が地道な作業から解放され、設計~製造~運用~改善のサイクルをコンピューターシステムが一貫して行う体制が整った。
このことが現在につながる大きな革新となった。