新生活3
荷物整理など身の回りの片付けが終わると、勉強の合間の多くの時間をクラギーさんとシティを見て回ることに費やした。
これも通信制を続けた理由のひとつだ。
中学生が平日の日中に街中を歩いていても、それだけで学校をサボっていると見られることはない。
通信制の多いタウンでならよく見られる光景だし、シティでもちょっと珍しいと思われる程度だ。
明らかに逸脱した行為を行っているのでもなければ誰も気にしない。
他人に無関心というのとは少し違う。
必要もない時には干渉しないというだけだ。
それに当人の行いは、自分自身とアイ・システムが良くわかっている。
さて、こうして歩いてみて気付いたのは、シティでは上下方向の移動が多いということ。
ただ歩き続けるだけなら何でもないのだが、低層の建物が多いタウンで暮らしてきた俺にとって、どこへ行くにも三次元方向の移動を伴うのは地味に負担を感じた。
こんな場所でエスカレーターやエレベーターを使わずに過ごすというケイが、あの日苦も無くタウンまで歩いたのに今更納得した。
良く行く場所はケイも好きな市場、公園、それと図書館だ。
書籍や資料はアイ・端末でも、学校などの書籍閲覧専用端末でも見ることができる。
でも、やはり紙媒体の書籍は別格だと思う。
これはオヤジやオフクロの影響だろう。
そして筑波シティの蔵書数は国内でも有数だという。
以前に端末で読んで興味深かった書物、その実物を手に取りページをめくる楽しさ…。
いささかマニアックであるかもしれないと正気に戻る。
個人商店が並ぶタウンの商店街に対して、建物内全てが店舗で埋められたシティの市場は壮観だ。
食べ盛りの年ごろという理由もあるだろうが、ケイと同じく食品が興味を引く。
意外だったのは種類や量が豊富なのは確かなのだが、タウンの商店街と比べて大きく異なるという感じがしなかったことだ。
これはタウンが人口規模の割に品揃えが充実しているということだろうか。
ケイに何もない街だと言ってしまったのが恥ずかしくなる。
ただ、よく見ると幾つかの傾向はある。
全般にシティは魚介類の種類や鮮度が一段上だと思う。
反対に農産物や果実類はタウンの方が勝る。
時間がある時にシティの他の地区の市場にも足を延ばしてみたが同じ傾向だった。
と同時にシティ内の市場であっても地区ごとに雰囲気や品揃えに違いを感じた。
恐らくシティ内に数箇所あるというそれぞれの市場で異なる特徴があるのだろう。
別のシティやタウンに行けば更に違った傾向がみられるに違いない。
こういう地区ごとの差異を探して理由を考えてみるのは面白い。
出店者の意向、利用者の嗜好、流通など。
いろいろな条件が重なって特色が生まれるはずだ。
社会、経済、人文地理、統計、などなど。
学問とか言うと堅苦しいけれど、この興味はそういうことに繋がるんだと思う。
それにしても、俺を含めてヒューマンはどうしてこういう事を調べたくなるんだろう?
アイ・システムはこれらの情報を全て知っているのに。
アイ・システムにただ委ねるのではなく、自分たちでも考えようとしてしまう。
面白いから調べたくなるのだとは思う。
でも、それだけというわけでもないような気がする。
自分で調べなくても、アイ・システムの持っている膨大な情報を使えば、より多くの答えを得られるだろうに。
いや、膨大過ぎるのか。
情報だけそのまま手にしても持て余してしまう。
それに、アイ・システムも情報を持っているからといって、答えまで知っているとは限らない。
アイ・システムに尋ねるにしても適切に訊くことが大事だ。
学問というのはアイ・システムの持つ情報を有効に使う「質問の方法と内容」を探すこともしているのかもしれない。
そういう観点で考えてみるのも面白い。
そんな風に、とりとめもない考えを巡らせたりもしながら、俺はアイ・システムについて知りたいという目標に向けて、今できると思えることを続けていた。
夏休みに入ってすぐのこと、俺たちは父さんの両親の家へ遊びに行った。
ふたりは同じ筑波シティ内ではあるが少し離れた別の区画に住んでいる。
時折オヤジたちと行ったことはあったが、ケイたちと行くのは初めてだ。
ふたりも俺のことを知っていたと聞いてケイは少し拗ねた様子だった。
でも「一緒に住めるようになって良かったねぇ。」
なんて嬉しそうに言われて複雑な顔をしている。
今日はオヤジたちも来ている。
そういえば会うのはシティに来た時以来だ。
ところで母さんの方の両親は鶴岡シティに住んでいる。
俺は行ったことがないのだが、場所が離れているのでケイも数度しか行ったことがないという。
鶴岡で生まれ育った母さんが筑波科学技術大学に進学して父さんに出会ったんだと聞いたことがある。