草原実習1
よろしくお願いします。
「ケイ。そろそろ食堂へ行きませんか?朝食の時間に遅れますよ。」
「えっ。うわ、もうこんな時間っ!?」
あわてて時計を見ると7時18分になっている。
「まんぼさん、ありがとう。僕、何だかぼーっとしてたね。」
「まんぼさん」といってもリアル・マンボウじゃない。
僕は海底人じゃないからね。
本物のお魚はしゃべったりしないし。
あともちろん海底人なんて居ないよ。
ドラマの話だからね。
僕の目の前にいるのは、手のひらに乗るぐらいの大きさのホログラム。
左手首に付けた銀色のブレスレットがその本体なんだ。
これはシティを管理する「アイ・ホスト」とつながっている情報通信端末だ。
ちゃんとした名前だと「アイ・端末」っていう。
僕たち誰もが生まれた時から使っている生活必需品なんだ。
みんな小さいころにホログラムと名前を付けてもらっている。
途中で変更することもできるけど普段は表示していない人がほとんど。
それにやっぱり愛着もある。
だから、たいていの人は子供の時に付けた名前とホロをそのまま使っている。
まんぼさんも僕がまだ3歳ぐらいのころに母さんが設定してくれた。
旅行で行った水族館のマンボウに僕が釘付けだったんだって。
僕が舌足らずに言ったという「まんぼ」が彼の名前になった。
その時のことはぜんぜん覚えていないけれど。
寮の食堂には7時半までに入ることになっている。
いつもどおりに歩いても間に合うけれど、ぎりぎりになるのは嫌だな。
なので今日はエレベーターを使うことにする。
食堂は見晴らしの良い一番上の階にあるんだ。
僕はエレベーターはめったに使わない。
閉所恐怖症ってわけじゃないし、誰かと一緒に乗るのが苦手ってことでもないよ。
特に深い理由は無いのだけれど自分で歩けるところは歩いて行くことにしている。
だからエスカレーターとか動く歩道もほとんど使わない。
そのせいで、僕を乗りもの全般が苦手だと誤解している友達も少なくない。
「みんな同じじゃあつまらないさ。」
僕だけ変なのかな?って父さんに相談したらそう言われた。
相手を間違えたかもしれない。
エレベーターでは数人の友達と一緒になった。
いつもの遅刻ぎりぎり組だ。
「お、珍しいなぁ。寝坊か?」
「一緒にしないでほしいな。」
「今日の草原実習のことを考えてて眠れなかったんだろう。」
「そういうのじゃないってば。」
「隠すことないじゃないか。俺だって来月の実習が楽しみで仕方ないんだ。」
僕たちは「筑波シティ」という街で暮らしている。
「シティ」は千年ほど前の気候変動の時代に作られた。
それよりも前の人々はどこにでも家を建てて住んでいたっていう。
でもシティを出た「外」に住むのが、だんだんと難しくなったんだって。
もちろん今は外に出ても平気だし「タウン」という小さな街もできている。
でも現代の僕たちにはシティやタウンの外での生活っていうのは想像ができない。
そんな外で普通に寝泊まりできるのは学者さんや冒険家なんかぐらいだ。
そんな「外」に出てひとりきりで一晩を過ごすのが「草原実習」。
草原っていったって畑や森もあるんだけどね。
昔話の林間学校とか肝試しってこんな感じなのかな?
13歳になると行われることになっていて僕の場合は今日からなんだ。
「ねえ、それよりもヴィークル使うのが心配だったんじゃないの?」
草原実習には寝泊まりのできる専用のヴィークルが用意されている。
草原実習は一泊しかしない。
なのに念のため一週間以上生活できるだけの食べ物とかが積んであるんだって。
「安全には万全を期しているから大船に乗った気持ちで行ってきなさい。」
とクラス担任が説明してくれたっけ。
「でも船に例えるのはケイには逆効果かな?」
どうやら誤解しているのは友達だけじゃなかったらしい。
ともあれヴィークルを嫌がっていたのでも寝坊したわけでもないんだよね。
でも朝の情報番組見てボーっとしてただけって言っても信じてもらえなそう。
何て答えようかな?と首をひねっているとエレベーターが止まって扉が開いた。
友達は僕の答えなんか待たずに食堂へ行っちゃった。