ー開幕ー
※多少の血の表現などあります。
『怪異探偵』
ーー
僕はどこにでもいる高校2年生男子。
やましい事は今まで一度もしたことが無い清らかな人間です。
ーーただ少し運が悪いだけ。
「はぁ!っはぁ…!」
え?今なぜ僕が息を切らしながら走っているかだって?
それは簡単な答えだよ。
「っ……はぁ…誰なんだよ!」
そうです。僕は今得体の知れない黒ずくめのローブ達に追われているからです。
終業式が終わり晴れて夏休み!
などと浮かれて友達と遅くまで遊んでしまった。
こんな事なら遊ばなきゃよかった…
「嘘だろ…?!」
闇雲に走ったが運の尽き。いや、初めから運なんてないのか。
見渡す限りの金網のフェンス。
背丈は自分の倍はある。それ以上か。
一体なんでこんな所にバカみたいに高いフェンスがあるんだよ!
そう思った時、近所のおばさん達が話していた事を思い出す。『最近ゴミ荒らしが増えているみたいでねぇ。』『あら、やだ。役所に言ってフェンスでも立ててもらいましょう!』
アナタたちかぁ…
そんな井戸端会議の会話など気にもしていなかった。
ガシャガシャと無駄に揺らしてみる。
だが、この程度で壊れるわけが無い。
「くそ!くそ…!!」
フェンスの軋む音が止む頃に足音が2つ聞こえる。
くそくそくそ!!
こんなところで死んでたまるか!
せめて…今夜放送される『諸星キラリちゃん』の特番を見てから…!!
「っーーーー!」
そんな願いも叶うことなく力強く手首を掴まれ、背中に回される。
「痛!痛い!!」
みっともなくもがくも、それも無駄な話。
ぐい、と更に力が込められるとギシギシと骨が軋む音がする。
「痛いってば!!い、一体僕に何のようなんですか!?こんな事して…通報しますよ!?」
「目標を確保。本部に帰還する。」
マスク越しのくぐもった声が聞こえる。
目標?それって僕のこと?
身代金か?それなら絶対僕じゃない方がいい!
「は、離せ!離せってば!ーーーーガ…!」
肩に先とは比べ物にならないほどの激痛が走る。
それは目で認識すると更に痛みをました。
「あ…あぁ…」
肩から本のナイフが引き抜かれる。刃渡りは10cm弱と言ったところか。
血が吹き出すのが横目でしっかりと見える。
「ーーっああぁぁああああ""!!!!」
喉が切れるほどに叫んだ。
いつの間にか解放されていた手で傷口を必死に押さえる。だが、血は止まらない。
「いっ…!ああぁあ!!」
うるさいな。と小さく聞こえた気がしたが、そんなもの関係ない。
声が出るだけ叫んだ。
いずれか喉が本当に切れて口の中に血の味が広がる。
「まだ特異性が覚醒していないのか?」
「さぁな。あの方の指示だ。早く連れて帰るぞ。」
人影が近づいてくる。
「来るな…」
「拘束しろ。」
あぁ、やめてくれ。
「大人しくするんだな。」
それ以上近寄らないでくれ。
僕は今とても痛くて辛いんだ。
ーーやめろ…それ以上、それ以上……
「近寄るなぁ!!!」
「っ!!?」
「なっ!?」
人影が動きを止める。
驚いた様子で体を動かそうとしているが、その体は全く動かない。
「くそ!痛い痛い!」
痛みのせいで腕の感覚が麻痺していく。
そして次第にそれが怒りへと変換されていく。
「なんなんだよ…!なんで僕ばっかいつもこうなるんだ!ーーもういい加減にしてくれよ!」
勢いのままにただ言葉を叫び続ける。
「お前らなんか…」
「まさか、覚醒したのか!?」
「や、やめろ!!」
「お前らなんか消えちまえ!」
ありったけの声を振り絞る。
呼吸が乱れて苦しい。
刺された場所が痛い。
くそ、くそくそ。
どうしていつも僕ばかりこんな目に合うんだ。
くそ!
「おやおやぁ?」
いっその事僕を苦しめる奴らは全員消えてしまえ!
そうすればもう、こんな目に会わずに済むんだ!
「もしもし?そこのボクちゃん聞こえているかい?」
「るさい…」
「ん?」
「黙れ!!」
「っーーー」
そうだ、きっとこの人も。
この人も僕を苦しめるんだ。
「…死んじまえーーー」
舞い上がる血飛沫。
それが己のものだと気づくのにそう時間はかからなかった。
「ガハッ……!…あ"……」
冷たい地面が背中を支える。
カヒューと喉からおかしな息が数回繰り返された。
「君が言霊の持ち主なんだね。」
「あ……あ…」
「そのままだと君、死んじゃうよ?」
覗き込んだその顔は逆光で見えなかった。
「い、や…だ…」
「ふーん?なら言ってご覧?」
「しに、た、く…ない…」
「ふふ。よく出来ました。」
その声を最後に僕は意識を手放した。
頭が痛い。
まるで何かに殴られているみたいだ。
「い……」
声がする。
嫌だ、起こさないで。
「おいーー」
僕は疲れた。
まだ眠っていたいんだ。
「おい!」
「っ……」
「やっと目を覚ましたか。どれだけ寝れば気が済むんだ。」
「…え?」
「看病するこっちの身にもなれ。」
声に促され目を開ける。
まだぼやける視界には黒い影がユラユラと動いて見えた。
「おら、目が覚めたならとっとと起きろ。」
状況が全く掴めない。
とりあえずわかる事は尋常じゃないくらいに体が痛い事。
そして、隣から「まだ書類が書き終えていないのに、この忙しい時期に…クソが。」などと小言が聞こえる事くらい。
何とか痛みを我慢して体を起こす。
次第に目のかすみもよくなり、ここがどこかの部屋でベッドの上だと理解する。
「僕は…」
「新しい着替えだ。着替えたら隣の部屋に来い。」
「あ、はい。」
男は手際よく説明すると大きなため息を吐いて扉から出ていく。
「……着替えなきゃ。」
まだ頭が追いつかないがとりあえず言われた通りに渡された服を着る。
「いてて…」
右腕が思うように動かない。
何故だったか、とぼーっと考えていると隣から先程の男と思われる怒鳴り声が聞こえる。
『壱平!てめぇ、この書類終わらせとけっつったろうが!』
『あまり耳元で怒鳴らないでくれよ。鼓膜が破れそうだ。それにそんなに怒っていては血圧が上がって死ぬぞ?』
『誰のせいだと思ってやがる!朱音!お前もお前だ、面倒事ばかり持ってきやがって早く前の仕事片付けろ!』
『うへー。そんなに怒るなよダーリン?』
『あぁ"!?』
早く行かねば。
動かない右腕は後回しにして、なんとか上着を羽織り扉を開ける。
「おっ!本日の主役のご登場だ!」
そこはごく普通のオフィスのようだった。
机がいくつかに、仕切りで区切られた一角。休憩場所なのだろう。近くの棚にはお茶を入れる場所などもあった。
「あ…」
「やぁやぁ。座りたまえよ。」
「い、痛い!痛いです!」
ガシッと肩を掴まれ、革素材のソファーに座らされる。
「いやぁ。とんだ災難だったね?少年。」
「ええ?」
声の主は女性だった。ぼふん、と隣に座ると覗き込むようにして話を続ける。
「もしかして君、覚えてない?」
「えっと、その…はい。」
目を大きく見開いて何度か瞬きをする。
「あれか、あまりにも衝撃的な事すぎて記憶から消しちゃうやつか。」
「わからないですけど…あの、僕はどうしてこんなにボロボロなんでしょう?」
ぶふ、と吹き出すように笑う声が聞こえる。
そちらに目をやると、前髪が目までかかった男が口に手を添えて肩を揺らしていた。
「よし、ならばこの私が説明してやろう。」
ニヤリと口角を上げると、何とも大雑把な説明が始まった。
「ーーという訳だ。」
「へ…?」
「君はね、私に命を救われたんだよ。」
「そ、そんな。」
嘘のような話だった。
僕が、死にかけた?そんな夢みたいな話ありえない。だが、現に体はボロボロ。手当の仕方もかなり大掛かりなものだ。
ーーこの人の話は恐らく本当だ。
「まぁ信じても信じなくてもいいけどさ。君はなんで追われてたかわかる?」
「いえ…全く検討もつきません。」
「ん〜。まぁ大方、君の特異性を狙ってだと思うけどさ。」
「特異、性?」
「えー、これも知らないの?説明めんどくさいなぁ…」
腕を組み、首を左右に傾げる。
「まぁいいや、特異性って言うのはね特異体質と似ているものだよ。」
「はぁ…」
「特異体質は知ってる?」
「特異、体質?…他の人と違うとかですか?」
「まぁそんな感じ。通常の人間が異常を示さないものに対しても、過剰に反応してしまって異常な反応を起こす。ーーっと、詳しい事は省くけど、君に発現したのは特異性って言って普通の人にはない…あー、特殊能力って言ったらわかりやすいかな?」
「あ…はい。」
「うんうん。君はね、その特異性の持ち主なんだ。」
はぁーーー???
それはそんな簡単に言う言葉なのか??
僕が特殊能力の持ち主?
そんな馬鹿な。
「お?その顔は信じてないみたいだね。んっとまぁ前置きはここまでにして。」
ぴょんっとソファーから立ち上がり、顔を近づける。
「君、ウチで働いてよ。」
「は?」
「君の特異性は非常に強い。是非ともアタシはその力が欲しい。」
「……」
働くって…もうこの人話が二段も三段も飛びすぎて訳が分からない…
「君に与えられた選択肢は2つだ。1つはここで働く。2つ目は今ここで死ぬかだ。」
もはやそれは一択の間違いでは。
「う"っうん!」
笑いを誤魔化すような咳払いが聞こえる。
「さぁさぁ。選びたまえよ。」
「…死にたくない、です。」
「なーら決定だ!ようこそ、怪異探偵事務所へ!」
喜びの声と共に大きく手を広げる。
少し離れたところでは、はぁ…とため息が聞こえた。
「さてはて、なら話は早い。こちらに来たまえ。」
「い、痛いですってば!」
腕を引かれ、部屋の中央に立たされる。
「諸君!紹介しよう、新しい我らが怪異探偵事務所のメンバー!…………名前は?」
「え、あ。月島累です。」
「月島累君だ!」
「……」
「 いえーい。」
これほどまでに酷い歓迎、今まであっただろうか。もういたたまれない。
こんなだったら、いっそ拒絶してほしい。
「さて、次はアタシ達の自己紹介だね。」
首を傾け、にこりと笑う。
「アタシはこの怪異探偵事務所の所長。犬鳴朱音。」
次はお前だ、と朱音が男に視線を向ける。
男は一拍置いたあとにデカいため息をついて、さも面倒くさそうに口を開く。
「怪異探偵事務所副所長、黒金満だ。」
「僕はね霧沼壱平って言うんだ。覚えなくてもいいけど、もし名前を間違えたら殺すからね?あ、ちなみに事務係を押し付けられてるよ。」
「は、はぁ…」
「本当はあと一人いるんだけど。まぁ来てからでいっか。」
そんなものなのか?
まぁここで深く考えても意味はないだろう。
「よ、よろしくお願いします?」
こうして僕の人生は大きな起点を迎えた。
学校が夏休みで本当に助かったと思う。
右腕は未だ完全とは言えず、思うように動かせない。
だが、満の治療もあって多少は自由が効くようになった。
「あとは…あ、これで最後だ。」
預かったメモ用紙を再度確認し、店に入る。
「らっしゃい。」
「あ、えっと。怪異探偵事務所の者ですけどーー」
「あぁ。ちょっと待ってな。」
そこは普通に暮らしていたら絶対に入らないであろう怪しい雰囲気を醸し出す店だった。
店内は雑多で、キラキラと輝くオーナメントからいかにも怪しい箱まで様々だった。
「ーーほらよ。」
「ありがとうございます。」
小さな紙袋を受け取り、店を出る。
ここは怪異探偵御用達の店だそう。
一般では出回らない武具や薬が売買される、所謂アングラと呼ばれる店。
ふと、空を見上げると雲行きが怪しかった。
これは早く帰らなければ一雨降られる。
紙袋をしまい、早足で事務所まで戻る。
事務所は通りから外れて、さらに歩いた所に建っている。
それも、廃ビルが並ぶ薄暗い裏道に。
廃ビルの中でも一層ボロボロのビルに入る。
地面には瓦礫や割れたガラスが散らばっていて危険極まりない。
ヒビの入った階段を2階分登り、突き当たりの壁の前に立つ。
「怪異探偵月島累です。」
そう小さく名乗る。
するとどうだろう。何も無かった壁から扉が浮き出る。
ギィーっと嫌な音を立てて扉を押し切るとその外装には似つかわしくない綺麗なオフィスが広がる。
「おかえりー。」
「ちっ。あと一分遅かったら今夜は眠れないようにしてやったのに。」
あはは、と引きつった笑いを零し扉を閉める。
と、扉は跡形もなく姿を消してしまい、何も無かったかのように壁が広がる。
「お目当てのものは貰えた?」
「はい。しっかり受け取って来ました。」
紙袋を朱音に渡し、あとは各々頼まれた物を渡していく。
「あの、それは何が入っているんですか?」
「んー?知りたいか、少年。」
「あ、いえ。やっぱりいいです。」
ニィーッと笑う朱音に背を向けて満を見る。
(書類の量が増えてる気がする…)
行く前も山積みであった書類の山が1つから2つに増えている。
「あ、あの…」
「…………」
「なにかお手伝いーーー」
「黙れ。」
あぁ、機嫌が悪い。すこぶる機嫌が悪くいらっしゃる。
「すみません…」
黒金さんはあまり喋らない。というか、あれ以降喋った所を見たことが無い。
ずっと書類とパソコンとにらめっこをして時々目頭を押さえながらため息をつく位だった。
なにか力になれないかと思い、前にも一度声をかけたらこれでとかと言うほどにキレられた。
「少年。」
「はい?」
「そろそろ思い出してもいい頃合いだろう。」
「??」
チョコのお菓子を咥えながら、紙袋の中身を机の上に出す。
「これは君が使うものだよ。」
「え…」
それは本能だった。
置かれたそれは小瓶に入った赤黒い液体。
朱音の言葉を待つ間もなく、部屋の隅まで逃げる。
「おやおや?そんなに逃げてどうした?アタシはまだ何も言っていないが?」
「こ、来ないで!」
ニヤニヤと小瓶を振り、ゆっくりと歩み寄る。
「やめて!」
「そんなに怖がられるとなんだかこちらも気が引けるな…ーーーっと手が滑ったー。」
「んぶっ!!」
蓋の空いた小瓶が口に突っ込まれる。
口の中に流れ込むそれは苦いのか甘いのかよく分からない味だった。
そして、それが喉へと伝わった瞬間、心臓が強く脈打つのが分かった。
「あ、あぁ…」
視界がグラグラと揺れ、全身が焼けるように熱くなる。
「あっ…かハッ………」
頭に映像が流れる。
まるで映画のようにフィルム1枚1枚捲られていくように。
物心ついた時には父はいなかった。
母は毎日毎日、泣いてお酒を飲んでいた。
部屋は荒れ放題。ご飯も3日に1回食べれるかどうか。
蛇口を捻れば出てくる水道水を飲んで耐え忍んでいた。
「ママ。」
「なんで…なんで…」
「ママ。」
「あの女のせいで…私はこんな……」
「ママ。」
「なによ!?」
頬を殴られる。
でも、泣きはしなかった。
「うるさいのよ!……なんでアンタがここにいるのよ?!あなたさえ…あなたさえ居なければ…」
言わないで。殴られるのも、蹴られるのも、お腹がすいたのも我慢するから。
「あんたなんか…お前なんか……!!」
お願い。それ以上は言わないで。
ーーお願い。
「あんたなんか産むんじゃなかった!!!」
あぁ、僕は産まれてくるべきじゃなかったんだ。
母さん、ごめんね。
僕なんか産まれてきてごめんね。
母さんの隣にいるべきなのは僕なんかじゃなくって父さんなんだよね。
ごめん。ごめんなさい。ごめんなさい。
でも…でも僕は母さんに笑って欲しいんだ。
「…何笑ってるのよ。」
「……」
「っ~~~!気持ち悪いのよ!!」
僕が笑っていれば母さんも笑えると思った。
でもそれは間違いだった。
「やめてよ…ママ。」
「私の事をママって呼ぶな!」
「っ……」
いつだったか。
母さんが珍しく家を片付けていた。
その姿は嬉しそうに見えたんだ。
だから、僕も嬉しくって頑張ってお手伝いをした。
「これから彼氏が来るから、アンタどっか行ってて。」
「…え?」
「ほら、早く消えなさいよ。」
僕と入れ替えに部屋に入っていく知らない男。
そして部屋から聞こえる聞いたことも無い母さんにの声。その声はどうしても聞きたくなくて僕は必死に耳を塞いで待っていたんだ。
「うふふ。じゃあまた明日ね?」
やっと男が帰ってくれた。
「なに、まだいたの。」
「うん。」
「ふん。気持ち悪い。」
それから男は毎日のように家に来た。
僕はその度に追い出されて家の外で待っていたんだ。
「ーーねぇアンタ。」
「なに?」
「そろそろ邪魔なんだけど。」
真っ赤な首紅を塗りながら僕の事を見ることも無く発せられた言葉は僕を酷く傷つけた。
「いついなくなるのかと思えば。早く消えてくんない?」
「……」
今日も僕は家の外で待つ。
そうすればいつか母さんが笑ってくれる。
ーーそう思っていた。
「あんたのせいよ!」
「痛い…」
「あんたのせいで…また私は捨てられた!!」
あぁ、母さん泣かないで。
「ちくしょう!なんで…なんでこんな……」
「母、さん…?」
「そうよ…初めからこうしていれはよかったのよ。」
「やめてよ、母さん。」
「累、あなた母さんの事好きよね?じゃあ…母さんのために死んで?」
「やめてよ!」
「さよなら、累。」
「やめて!!母さん!!!!」
『おい!目を覚ませ!』
母さん、母さん。
僕は悪い子だったの?
苦しいよ。悲しいよ。寂しいよ。
母さん、僕を見てよ。
僕の声を聞いてよ。
お願いだよ。母さん。
『カ……ハッ……ぁ……』
やめて、やめて母さん。
僕を殺さないで。
手を離して母さん。
『ちょいちょい!朱音ちゃん!特異使ってよ!』
僕を殺さないで!
僕を愛して!
「母さん!!!」
「ぁっ………ハッ………」
「いい加減、離せっての!!」
「やめて!やめてよ!母さん!!」
「俺はお前の母親じゃねぇ!」
「やめて!やめて!!」
「っ………る、い…」
「ーー!!」
あぁ、温かい。
抱きしめてくれたんだ。
やっと…やっと僕の声は届いたんだね。
「母、さん…。」
「っ…ゲホッ…!カハッ!………あぁ"〜。」
累は朱音の胸の上で涙を流しながら眠りについた。
「…はぁ。」
「寝たの?ーーうっわ。すごいメンタル。」
「あ"ー。マジで死ぬかと思った。」
「まったくだ。特異も使わず一体何を考えてるんだ。」
累の背中を軽く叩きながら、満達を見上げる。
「満、ちゃんと読めた?」
「あぁ。しっかりと写せている。」
「なら命を張ったかいがあったってもんだね。」
「少しは反省しろ。」
「へーへー。」
「ん…」
またこのベッドの上だ。
「起きた〜?」
「朱音さん。」
「具合は大丈夫そ?」
「え?は、はい。」
「そ。なら良かった。」
「あの…僕は、寝ていただけなんでしょうか?」
「んー。それは落ち着いてから話そうか。」
ヒラヒラと手を振り背を向ける。
なんだか長い夢を見ていたようだった。
でも、うまく思い出せない。
しばらくベッドの上で考えた後、事務所に戻った。満達はいつも通り仕事をしていて何も変わらなかった。
「あの…」
「口を開く前にこれでも読んどけ。」
満から1冊の本を手渡される。
それはとても分厚く、表紙は凝ったデザインをしていて、黒を基調にした繊細な彫刻を彫られた美しいものだった。
「はい…」
自分の席について、本を開く。
「………」
言葉を失った。
そこに書かれていたものはあまりにも酷く残酷な内容だった。
「な、なんですかこれ。」
「なんですかも、かんですかもさ。それ、君の事だから。」
「え?」
「しょーがないから、ボクが教えてあげるけど。君はね、朱音ちゃんを殺しかけたんだ。」
ハッと朱音を見る。
朱音はそんな事気にする様子もなくいつものように菓子を口にしてスマホをいじっていた。
「いやーさすがのボクも焦ったよね。思いっきり首を絞めるんだもん。」
「……」
「それでさ、思い出した?」
「なにを、ですか。」
「だーかーら!君の過去についてだよ!」
思い出していた。
母との記憶と自分が母を殺した日の事を。
「あれだけ大暴れしたんだから思い出してよね。」
「……」
認めるのが怖かった。
自分の中にある母の記憶は優しい母だった。
でもそれはあの現実から目を背けるための虚像に過ぎない。
「……ーー思い出しました。」
僕は思い出した記憶を漏らすこと無く全て話した。
母が僕を殺そうとしたその日、僕の中で何かが弾け飛び気づいた時には目の前で母が息絶えていたこと。
「ーー多分、その特異性って言うのを使ったのはその時が初めてだと思います。……僕はあの時、無意識のうちに母に死ねと思ってしまいました。」
3人は何かを考え込むように黙り、部屋は沈黙に包まれた。
「母親に自分を見てほしい、自分の声を聞いて欲しい。ただその一心で叫び続けた結果、その特異性に目覚めたという訳か。」
「んだねー。ちなみに今使えるの?」
「わかりません。その、コツとかあるんですか?」
「コツゥ?えー、うーん…じゃあ試しにアタシに向かってなんか言ってみてよ。」
「ええ!?」
「なんでもいいからさ、ほら。」
「えぇっと、じゃあーー」
咄嗟のことで特にいい言葉が思いつかない。
「黒金さんを殴ってください!」
「は?っ~~~!」
「うっわ!マジで体勝手に動くんだけど!」
朱音は思い切り満を殴り飛ばす。
床に転がった満は鬼の形相で立ち上がり、累を殴る。
「いった!……ーー今のって使えてました?」
「うん。確かに使えてた。」
「言霊。」
壱平が静かに呟く。
「古代から信じられてきた、その名の通り言葉に霊力が宿る。言葉の信仰だよ。」
確か、路地裏で朱音に出会った時もその言葉を聞いた気がした。
「あの、それってすごい特異性?なんでしょうか。」
3人はキョトンとした顔で累を見つめる。
「すごいって…」
「お前、その発言がどれほど馬鹿なものか分かってるのか?」
「本当、君はバカの傑作だよ。」
「ええ…」
ごほん、と朱音が咳払いをし累に歩みよる。
「そこに、この世の全ての人間が滅んでしまえ。と思っている人がいる。」
「はい。」
「もしその人間が"言霊"の特異性をもつ特異者だったらどうなると思う?」
「えっと………まさか…」
「その通りだとも。おバカくん。」
事の重大さが頭に認識される。
「それは、じゃあ!僕がこの世界をどうにでも出来るってことですか!?」
「いかにも。」
そんな…そんな恐ろしい特異性、どうして僕なんかが。
「それは自分の運を恨め。」
「…え?」
「特異性は選ばれた者に神から与えられる。そう説くやつもいるが、俺はむしろ神から忌み嫌われた人間が贖罪として与えられた罰だと思っている。」
満は視線をあの本に落としたんたんと述べる。
「それは…」
若干の違和感を覚えつつも、こう思う。
神への贖罪ーーそんなもの一方的に与えられて何を償えと言うんだ。
僕は何もしていないのに。
「まぁそれが最もな意見だろうな。」
…やっぱりだ。
僕は今の言葉、口に出していない。
なのに全て見透かされている?
「はぁ。俺の特異、読心は人の心を読むことが出来る。言葉通り人の心がこの本に書き写される。俺はそれを読んでいるだけだ。」
「人の心、を?」
「あぁ。先にみせた内容もお前が薬を飲んで眠っている間の心の声だ。」
「そうだったんですか…」
読心。人の心を読める。一見便利そうに聞こえるが聞きたくもない事まで聞こえてしまうのだろう。
「お?なになに、特異紹介しちゃう?」
「なら、次はこのボクがしよう。」
「え?は、はい!」
こうして始まった特異紹介。
「このボク、霧沼壱平の特異は"疑心暗鬼"さ。」
「疑心暗鬼?それってあの疑心暗鬼ですか?」
「どの疑心暗鬼かは知らないが、恐らくその疑心暗鬼だよ。」
「へぇ…。」
「いいかい?ボクの言うことは全て真実さ。」
いつの間に出したのか手には緑が基調とされ銀色で綺麗に模様の描かれた扇子を口の前に広げていた。
「は、はい。」
「君はどうやら両親に恵まれなかったみたいだね。それはそれは可愛そうに。でも大丈夫だよ?ここにいるみーんな、優しくて親切で君を守ってくれる。」
頭に壱平の声が響く。
それはずっと反響してぐわんぐわんと脳を揺らすような。
「守、る…」
「そうさ!だから、君も安心していいんだよ?」
本当にそうだろうか?
この人たちは僕を守ってくれるのだろうか?
優しい?親切?それは本当なのか?
「君の名前は月島累。そうだね?」
それは事実か?
僕は月島累?本当に?
ーーわからない。
「僕は…僕は、?」
「月島累!君の名前さ。」
違う。それはきっと僕じゃない。
僕は一体…
「はいはい、ストーップ。」
不意に朱音の声で遮られる。
「はっ…!はっ…ぼ、僕は?」
「君は月島累君ね。壱平、やりすぎ。」
「ええー?ボクはほんの少し特異を使っただけだよ?」
「自分の存在自体を惑わせてどうすんのさ!ーーまぁこれが壱平の特異性だよ。」
「すごいです!頭に声が響いて、そう思った途端に壱平さんの言葉を信じられなくなりました。」
自慢げに壱平がニヤニヤする。
「満さんの読心も壱平さんの疑心暗鬼も凄すぎます!」
となると、1番気になるのは……
「んじゃ次はアタシか。」
ゴクリと固唾を呑む。
「アタシの特異はーーー」
「我回来了〜〜〜!!!!」(タダイマ)
突然扉が姿を現し、勢いよく開かれる。
それと同時に物凄い速さで目の前から朱音が消える。
「我爱你〜」(アイシテル)
「おぉ!帰ったか!いよーしよしよし。」
遅れて目を向けると、朱音はデスクに突っ込みその上に誰かが乗っていた。
見るからに人なのだが、それはまるで犬のようにも思えた。
「ライ。大人しく入れと何度言えばわかる。」
「えぇー。朱音ちゃんだけに挨拶?ボク達は?」
ひとしきり頭を撫でられその人物は立ち上がる。
「タダイマー!」
立ち上がった姿は累よりも遥かに大きく、その身長は裕に190cmはあるだろう。
ニコニコと楽しそうに持っていた袋から一人一人に何かをくばっていく。
「これネ、頼まれてたヤツ!」
「助かる。」
「待ってたよ〜。本場の月餅!」
「朱音チャンはコレ!ーーっと?」
バチりと視線が合う。
「あ、僕はーーー」
「昨日からここで働くことになった月島累君だよ。例の言霊使い。」
受け取ったお菓子を頬張りながら、とてもわかりやすい説明をする。
「月島累です!入ったばかりでご迷惑をおかけすると思いますがーーーうわぁ!!っへぶ!」
「イイネー!久々の新人ダー!」
言葉を言い終わることなく抱き上げられ、天井に頭をぶつける。
「全く、騒がしいやつだ。」
「オレはライ!中国から来た特異者だヨ!」
「ラ、ライさん、降ろしてください!」
おっと、ごめんネ。と着地する。
「ライ、出張お疲れ様ね。」
「ウン!朱音チャンの頼みならばどこにだって走るヨ!」
「可愛いヤツめ!」
「アイヤ〜!ーーあ、そうダそうダ。」
何かを思い出したようにポケットから紙を1枚取り出す。
「ついでにネ仕事貰ってきたヨ。」
「マジか!」
「ほう?」
「ライのついでの仕事とかボクはパス。」
話が進められていく。
僕はまるで蚊帳の外だ。
「ーーーふーむ。よし!ちょうどいい。累、行くぞ。」
「え?」
「ほら、さっさと支度して。」
「ええ!?」
「朱音チャン、オレも行っていい?」
「うーん、よしついて来い。」
そうして突然訪れる初仕事。
颯爽と扉を出ていってしまう2人の後を上着を急いで手に取り追いかける。
「月島。」
「は、はい!?」
「死ぬなよ。」
「えっ。」
「あの、仕事内容というのは?」
目的地も仕事内容も明かされること無くただ街を練り歩く。
「まー着いたら嫌でもわかるさ。」
「そんなぁ。」
「累は怖がりなのかナ?」
「いやぁだって…」
行き際に放たれた満からの一言。『死ぬなよ。』
どう考えてもおかしいよ!
普通の仕事じゃないことは分かっていたけど、死ぬ!?
どういう事ですか!
「ほら着いたよ。」
「わっぷ。」
突然止まったライの背中にぶつかる。
いてて、と鼻を押さえながら顔を上げるとそこには見たこともないような洋館が広がっていた。
「この街にこんな建物ありましたっけ?」
「んにゃ、ないね。」
「?なら何なんですか?」
「異界だネ。」
「???」
2人は何も臆することなく進んでいく。
「あ、ちょ!」
ここではぐれたら戻れない。直観的にそう思った。
「異界ってのは、常世と現世の狭間の世界って事。」
重たく閉ざされた扉を押し開く。
「怪異が最も好み住処とする、常人には決して足を踏み入ることを許されてない禁忌の地とも呼ばれてるね。」
「禁忌の地…」
「まぁ人間の住む世界もあれば怪異の住む世界だってあるってこと。」
「へぇ。」
あまりにも突飛すぎる話に頭がショート寸前。
とりあえず2人について行きながら屋敷の中を見渡す。
「んで、ライ。ここで何があった。」
「人が攫われタ。」
「ふーん?」
はぐれぬようライの裾を掴みながら様子を伺う。
『こっち…』
「え?」
ふと、後ろから少女の澄んだ声が聞こえ、振り向く。だが、そこには何者の姿も見えなかった。
「あの、ライさんーーライ、さん?」
向き直し、掴んでいた裾の持ち主を見上げる。
「…あれ?」
「………」
僕はその手を離すことになった。
理由は言わなくてもわかるだろう。
「だ、誰ですか…」
「~~~~~~」
そこにいたのはライでも朱音でもない。
ごく普通のスーツを身にまとった男性だった。
男性はダランと、腕を前に落とし力なく歩く。
「あの!ここはとても危険な場所なんです!だから、ここから出ないと!」
一般人が何故ここにいるのか?
もし迷い込んだのであれば、それほど危険なことはない。
よろめきながらも前に進む男性の肩を掴む。
「あの!!」
ボキン。
「え?」
男性の肩が…いや、腕が…
「~~~~シネ~」
「ーーー!?!?」
「人攫いって事は妖怪系統か?」
「ンー。どうだろうネ。西洋にも人攫いはいるシ。累君、大丈ーー」
「んあ?」
「累君!?」
「ちょ、なに?」
「朱音チャン!非常事態ダ。累君が持っていかれタ。」
「ンな!?」
館内にけたたましい程の笑い声が響く。
それは老若男女問わず何百人の声にも聞こえる。
「っー!るっさ!」
「朱音チャン、オレは累君を探してくル。」
「おう。任せたよ。」
「応。」
一筋の稲妻が走ると、ライは落雷の音を残して消えていった。
「さーてさて。」
『~~~~!』
『~~!!』
「こりゃ親玉のお出ましかな?」
そこは生暖かくて気持ち悪かった。
木造で出来た家で、床は軋み所々雨漏りをしていた。
「ここは…」
先までいた洋館では無いことは確か。
1度深呼吸をして冷静に状況を分析する。
が、何もわからない。
ならば状況整理だ。
思い出せる限り思い出す。
「確か、ライさんの裾を掴んでてそれが他人にすり替わってて…死ねって言われて。」
そうだ、その後に意識を失って気づいたらここにいた。
早く朱音さん達と合流しなきゃ。
「っ!」
立ち上がろうとした瞬間足に痛みが走った。
原因を確認しようと振り返ると、そこには自分の足に無数の子どもがしがみついていた。
肌が焼き爛れた子。皮膚が大きく裂けて骨が見えている子。それはおぞましいものだった。
「う、うわぁぁぁあああぁ!!!」
叫び声をあげると同時に走った。
何とか子供たちを振り払い、ドアに手をかける。
「朱音さん!!ライさん!!!」
ドアを開けると外は森になっていた。
「はぁ…はぁ!!」
ここがどこかもわからない。
ただあるのは得体の知れない恐怖。
『ニゲルノ?』『ニガサナイ』『アソボウ?』
「来るな!来るなぁ!」
四方から聞こえる声から逃げる。
『ア ソ ボ』
「ぁああああぁああああ""!!!!!」
突然目の前に大きな顔が覗き込む。
転びながらも方向を変え、また走る。
『ガァァダァアィアオェ』
言葉ではない。
人間のものとは思えない奇声がギリギリと響く。
「やめろ!来るな!ーーつぁ!!」
木の根っこに足を引っ掛けて転んでしまう。
「いっ!あっ、っ……!」
まさか、こんなところで死ぬのか!?
『死ぬなよ。』
くそ!黒金さん!!
あなたがフラグを立てたんですよ!
『ングァガバナガ』
「なんだよ!何言ってるかわかんないよ!」
怖い怖い怖い!!
人であって人の形をなさないバケモノ。
歪な動きを何度も繰り返し、訳の分からない奇声を発する。
ありえない程の恐怖が脳を支配する。
「それでも〜生きていく〜♪」
銃弾と破壊音がいい伴奏。
「あ〜た〜し〜ら〜とっくいしゃは〜」
伸びた触手の上を地面のごとく走る。
「お〜まえ〜をこっろしにきったんっだよっ!」
『ギィヤァァァアアァ!!!!!』
奇声を上げて崩れ落ちていく。
部屋の中には無数の人造と血溜まりで埋めつくされていた。
「さてさて、るいるいは見つかったかなぁ?」
バンッーー
クルクルと回した拳銃を構え、真後ろに撃ち抜く。
「この調子じゃまだか。」
この拳銃に弾丸は必要ない。
己の異力を弾丸に真似て怪異に撃ち込む。
装填する必要がないから時間ロスも隙もない。
便利な付喪。
「あ〜。疲れたぁ。」
でも、そろそろ飽きてきた。
ここで一発ぶちかまして終わりにしたいが。
「おやおや、これはどっかのビビり君が養分になってるね?」
怪異はみるみる内に肥大化し、呻き声をあげる。
「こんなんじゃ永久機関の出来上がりじゃんな。」
はぁ、と溜息をつきながらポケットから棒のついた飴を取り出す。
コロンと口の中に転がして、何味か想像する。
これはチェリーかな?
甘酸っぱい味が口内にじんわりと広がる。
満の飴選びのセンスは本当にいい。
「さぁ、ライ。この飴が舐め切る前に累くんを見つけてくれよ?」
これは自分の失態だ。
朱音が同行という事もあり油断していた。
「累君…!ドコにいるんだイ。」
一筋の閃光すぎる後には落雷の音が遅れて響く。
だが、おかしい。これだけの速さで館中を探し回っているのに一向に見つかる気配がない。
早く見つけなければ、彼の命が危ういというのに。
(今回の怪異は人攫い。)
先刻の朱音との会話を思い出す。
この館からして妖怪ではない。
ならば西洋の…
「…ブギーマン。」
西洋で子供さらうという怪異。
ブギーマンは特定の体を持たず、人の恐怖心を具現化してその姿を形成する。
そこでライの足が止まる。
恐怖心を具現化するのであれば、恐怖心を抱けばブギーマンに会える。
一つ深呼吸をして精神を統一する。
「……ッタァァア!」
ダメだ。
どう頑張っても恐怖を抱けない。
なにか怖いこと…怖いこと………
「そうダ!」
それは、ある日の事。
まだ怪異探偵に入りたての時に、仕事をしくじり勝手に拗ねてヤケクソになった時。
始めは笑っていた朱音も次第に機嫌が悪くなり、最終通告を受けた。
それでも腹の虫が収まらなくて、暴れた結果……
「今思い出しても恐ろしいヨ……」
それは言葉で表すのであれば鬼神のようだった。
全治半年の怪我を一撃で負わされた。
すると、目の前が暗転する。
次に光が射した時、そこはどこか薄暗く霧のかかった森だった。
「入れたかナ?」
恐怖を忘れず、歩いてみる。
しばらくすると霧の中に人影が立っているのを見つけた。
「累君?」
人影はユラユラと霧に揺らされ、次第に姿がハッキリとする。
「ウ、ウソデショ。」
それは紛れもない朱音だった。
せっかく治りかけていた体はまたもやボロボロだった。
足元に伸びる木で足は切り傷だらけ。
転ぶ度に擦り傷も増える。
「はぁ…はぁ!ライさん!!朱音さん!」
声もガラガラに枯れていた。
後ろを振り返ればヤツはまだ追いかけてくる。
「もう嫌だ…!」
もういっその事諦めてしまおうか。
累の心は折れかけていた。
「…え?」
よく耳を澄ますと、どこからが何かがぶつかる音聞こえる。
それは何度も衝突しているのか止むことがない。
今まで変わらなかった状況が変わる気がした。
痛む身体に鞭を打ち、音のする方に走る。
「なっ!」
目を疑った。
そこには2つ影が現れ、それはよく知った姿だった。
「ライさん!」
「オ?ーーあぁ!累君!」
「な、何やってるんですか!?」
「戦ってるヨ。」
「でも相手は朱音さんですよ!」
「もう少しで終わるから待ってて、ネッ!」
ライの足が朱音を貫く。
飛び出そうとした時、朱音だったものはドロドロと泥のように溶けていった。
「あれ?」
「アレは、偽物だヨ。」
「偽物?」
「ソウ。オレが創り出した恐怖の具現体。」
「そうなんですか?」
なんて話していると、追いかけてきていたヤツが近くまで迫るのがわかった。
「ライさん!僕ずっとあれに追われてて…」
「ウン。キミは今怖イ?」
「え?」
「オレがそばに居る。それでもまだ怖イ?」
「いや…ライさんがいるなら、怖くないです。」
『ギィヤァァァアアァヤァァアア!!!!!』
「っ〜ー!!」
けたたましい悲鳴のような声が響く。
それはとても我慢出来るものではなく、ライに体を寄せ耳と目を塞ぐ。
ーー
目の前にはもうヤツはいなかった。
「ヨシ。もう大丈夫だネ。」
「助かりましたぁあ…」
ライの声で緊張の糸が解ける。
足から力は抜けへにょへにょと地面に倒れ込む。
「オット!まだ終わってないヨ。」
ライに抱き抱えられ、館内を移動する。
しばらく走っているとどこからか音がする。
「銃声?」
「早く行かないと朱音チャンに怒られル!」
銃声は次第に大きくなり、ライは足を止める。
ここで朱音が戦っている。
ライから飛び降りるようにして降り、急いでドアを開ける。
「朱音さん!!」
声に気づき、朱音がコチラを振り返る。
「お?見つかったのか。」
「ウンー!」
「なら良かった。」
ニコリと微笑む。
『ピガアャァァアアァアァ!!!!!』
「朱音さん!!!」
そんな朱音の後ろから怪異が勢いよく触手を伸ばしていた。
「ァ!累くん!!」
ライの制しも無視して、体は無意識に飛び出していた。
守らなければ。
「死んじゃ、ダメだ!!」
間に合わない。
累の手が朱音を掴む前に怪異の方が数秒早く朱音を突き刺す。
「っ…………」
「特異、反転。」
ポツンと響く声。
それと同時に朱音に伸ばされた触手は方向を変え、触手の主である怪異に突き刺さる。
『イガィギヤァアアアガアァ!!!!!』
「はい、終了ー。」
「さすがだネェ。」
「え…?」
「どしたー?こんな陰鬱な所さっさと帰ろうぜい。」
「ア、腰が抜けちゃってるネ。ーーヨイショっと。」
またもやライに抱き抱えられる。
だが今回は降りるなどしない。
帰宅途中、あの瞬間が頭から離れない。
よく思い出せば、怪異に向かっていったのは触手だけではなかった。
同時に降り注ぐ瓦礫や血などが全て向かう方向と逆さまの方に飛んで行った。
あれが朱音の特異性なのか…?
そんな事考えていると、いつの間にか事務所前まで着いていた。
「怪異探偵、犬鳴朱音。」
扉が何も無い壁から構成されていく。
これはもう慣れたもだ。
「タダイマー」
「帰ったよー。」
満と壱平がコチラをみる。
満は累を見るなり眉をひそめた。
また怒られる…
確かに何もしないでボロボロだけど、今お説教は受けたくないなぁ。
なんて肩を落とす。
無言で近寄る満をチラリと見ると、「よく生きて帰った。」と慰められた。
「あ、はっはい!」
「手当てしてやる。ライ、医務室まで運んでやってくれ。」
「応!」
予想外の優しさと言葉にポロポロ涙が零れる。
「泣くほど痛かったのか?」
2人きりになった医務室で満はいつもより饒舌に話してくれた。
「いえ!その、てっきり怒られると思っていたので。」
「俺は無闇矢鱈と怒らない。」
いや?果たしてそうだろうか。
救急セットを片手に軽く額を弾かれる。
「俺は、アイツらのコンビが1番厄介だと思っている。」
「と言うと?」
消毒とガーゼを貼りながら答える。
「アイツらの異力は特異者の中でも桁違いに多い。そして、それに甘んじない身体能力の高さを持ち合わせている。故に人並み程度の異力しかない俺たちはついていけない。」
確かに。
ライは累を抱えてなんの造作もなく走り続けていた。
それに少しだが見れたライの戦闘。
雷のように輝き、尋常ではないスピードだった。
朱音もあのような大きな怪異を1人で相手にしていた。
「アイツらの戦闘は見れたか?」
「はい。確かに黒金さんの言う通り桁違いでした。」
「満でいい。」
「え?」
「俺は堅苦しいのが嫌いだ。さん付けも要らないし敬語も要らない。」
「そ、それは!!」
「次使ったら殺す。」
「はい…あ、えっとわかった。」
満足気に頷くと救急セットを棚に戻し、椅子に腰掛ける。
「きっと、アイツらからすれば俺と壱平のコンビが1番嫌だと言うだろうな。」
「どうして?」
「俺たちは朱音たちとは違って精神破壊を主に戦う。特異性からして物理は向いていないからな。」
「確かに。満が読心を使って相手の行動を読んでそこに追い打ちで壱平さんの特異性を使えば簡単に相手を疑心暗鬼にさせられる。」
「ご名答だ。いっけん、ただの会話にしか見えないだろうな。だがそれも策略の1つ。自分の仲間がただの会話で段々と狂っていく。お前だったらどうだ?」
「かなり焦る。何が起きているか分からないから。」
「だろう。それに壱平は特別性格が悪い。1人相手に徹底的に潰しにかかる。壱平の疑心暗鬼をモロにくらって通常の精神状態に戻った奴を俺は見た事がない。」
はは…と乾いた笑いが出る。
「お前は今回の仕事で特異を使わなかったのか?」
「…怖くてそれ所じゃ、なかった。」
そう。怪異という恐怖に飲み込まれ己の仕事も特異も忘れていたのだ。
悔しさに膝にかかった布団を握りしめる。
「そうか。まぁ初仕事だ、そう思いつめる必要は無い。」
「そうだけど…やっぱり悔しい。」
普通の人間が持たない特別な力。
母を殺した忌み嫌うこの力をこの怪異探偵で正しく使い、自分を許したかった。
この力は嫌うべきではない、呪うべきではない。
誰かを守れる正当な力なのだと。
だがどうだ?
いざと言う時に己の弱さで使いこなせていない。
これじゃあただ人を殺したクズじゃないか。
…こんなんじゃ僕はここにいる意味が無い。
「ーー俺はお前がここに来てくれて助かっている。」
「…え?」
「お前が来てからというもの、仕事の捗りが前までの倍以上だ。見たとおり、アイツらは仕事をしない。だが、やらなければいけない仕事はどんどんと増えていく。ーーでも今はお前が手伝いをしてくれる。」
「……」
「確かに、怪異探偵事務所社員を名乗るのであれば特異を使えなければ論外だろう。でもそれは外に出れば、の話だ。」
「……っ…ぅ…」
「もう一度言おう。俺はお前を歓迎している。お前という、月島累という男に感謝している。」
「あ"……あ"い"……」
「もし、お前の事を用無しと笑い追い出そうとする奴がいれば俺がソイツの黒歴史をばらまいて二度と表に顔を出せないようにしてやろう。お前がいる意味などあとから作ればいい。」
「ぅ…ぅああぁぁん!!!」
声を上げて泣いた。
高校生というのに、大声を上げてみっともなく涙を流してないた。
そうだ。僕は居場所が欲しかったんだ。
ここに居ていい。
僕はここにいていいんだ。
「あーあー、泣かした泣かした。」
「へっ。アイツもたまにはいい事いうじゃねーの。」
「朱音チャン、それなんのキャラ?」
3人はドアの外でコソコソと話した。
「なんか面白そうだしボクも混ざってこよーーっへぶ!」
ニヤニヤと笑い、壱平がドアを開けようとした瞬間思いっきりドアは開き壱平の顔面をはじき飛ばした。
「お前ら、盜み聞きとはいい趣味だな。」
「きゃっ。満ちゃんが怒っているわ!」
「満、累君は?」
「泣き疲れたのか今は寢ている。そっとしておいてやれ。」
「へーへー。ありがとうね。」
「別に。本当の事を言ったまでだ。」
「素直じゃないネ。」
「てめぇ!満!人の事吹っ飛ばしておいてスカしてんじゃねーよ!」
「うるさいと言っただろうっ。」
「いって!」
揉める2人を橫目にデスクに戻る。
「朱音チャン賑やかになったネ。」
「あぁ。これはとてもいい仕事場になるね。」
「だネ。」
「満!さっきのデータまとめ終わったよ!次は何を手伝おうか?」
「あぁ。もう終わったのか。ーーそうだな、後はここにあるだけだ。少し休憩としよう。」
夏休みも後半。
僕が怪異探偵事務所で働くようになって半月が経った。
あの仕事以降、目立った仕事はなく至って平和だ。
「あ、それなら!」
ぴょこんと嬉しそうにデスクに戻ると、何やら丁寧に包まれた箱を手に満の元に戻る。
「これ作ってみたんだ、琥珀糖!」
「なんだと!?」
「コハクトウ!」
今までどこでサボっていたのか、気配を消していた朱音とライが滑り込んできた。
「いやはや、累少年。君がここまで優秀な部下だとは思わなんだよ。」
「イッタダキマース!」
「あ!そ、それはーーー」
累の忠告も間に合わず。
2人は赤い綺麗な琥珀糖を口に放り込むなり、火を噴く勢いで叫んだ。
「かっっっっっっっっっら!!!!!」
「ナナナナナナナ何コレ!!?!??」
「それは満が辛いのが好きだって言ってたから作ってみた激辛琥珀糖だよ…」
「激辛琥珀糖!?ンなもん聞いた事ねぇよ!」
「おかしイ…ニホンジン、おかしいヨ…」
「仕事をサボり、行儀悪く手を伸ばした罰だな。」
呆れた目を2人に向け、琥珀糖を食べる。
「ふむ。中々悪くないな。」
「本当に!よかった!」
「累君、この禍々しいオーラを放ついかにも毒物を交えたであろう琥珀糖は?」
覗き込むように壱平が尋ねる。
「あ、それなら壱平さん用です。」
「…お前さんはボクのことがそんなに嫌いなのか。」
「いえいえ!なんというか、壱平さんは味覚がかなりぶっ壊れてるので色々混ぜたらこういう仕上がりになりました。」
「空いた口が塞がらないというのはこういう事だよ。まぁいいや、頂戴。」
「お前、本当に食うのか。」
「はむ。……これは…!」
その場が静まり返る。
皆の視線が壱平に集中する。
「美味い!何を混ぜたらこんな美味くなるんだ!」
「よかったぁ。残念ながら二度と作れませんね、こんなの。」
「全部寄越せよ。」
「もちろんです!」
朱音達はドン引きしていた。
その後朱音とライにはちゃんと甘さ増し増しの琥珀糖を渡し、あっという間に箱は空になった。
「うんま!てか本当に累は器用だね?」
「はい。炊事洗濯は昔からやっていたのでもちろんですけど、それじゃあ味気なくてつまらないのでお菓子も作っていたんです。ーーただ、1人で食べるのはつまらないので要領だけ掴んで辞めてました。でも、今はこうしてみんなで食べれるので作りがいがあります!」
「少年…」
「あれ、みなさん?えっ?そんなに抱きついてどうしたんですか?」
「これからも沢山作っておいで…アタシ達が残さず食べ尽くしてやるからな…」
「累君、オレは好き嫌いないからネ。」
「俺は甘すぎなければほとんど食える。」
「何でも寄越せ寄越せ。」
何故か励まされた。
ここに来て少しだけどみんなの事か分かってきた。
満はしっかり者だけど、きちんと力を抜く所は抜けるハイスペック人間。
だけど、ストレスが凄い(主にみんなのせい)から胃に穴があかないか心配。
オマケに味覚が無くなるほどの辛いものが好きだから尚更、心配。
壱平さんは言わずもがな口が悪い。
だけど、ふとした瞬間に出る優しさが彼の本当なんだと思う。きっと何か理由があってあんな悪態つくのだろう。
意外にも食べる事が好きなようで見ると口が動いている。
そして、人智を超えた味覚の持ち主。
ライさんは見た目を裏切らないいい人。
その笑顔に裏はないと思う。でも、ちょっと力の加減が苦手なようでよく備品を壊して怒られている。とても頼りになる人だ。
日本の駄菓子が好きなようでよく朱音と買ってきては食べている。
最後に朱音さん。
何とも掴みどころがないのが1番の印象。
決して怖いという印象も受けないしだからと言って優しそう、とも言えない。
笑ってはいるけど、どこか心ここに在らず。と言ったところだ。
上辺だけの印象で語るのであれば、自由奔放で思い立ったが吉日!という言葉は彼女のためにあるのではないかと思うくらいピッタリだ。
財布を手に持ち、昼食は何を食べようかと悩む。
「おやおや?るいるいはコレからお昼?」
「はい。お弁当作ってこようと思ったんですけど、ちょっと寝坊しちゃって。」
「ほう。ならばアタシも同行しても?」
「え?それはもちろん!」
「俺も行こう。」
「ジャーオレも!」
「はい!みんなで行きましょう!壱平さんはーー」
「んじゃ壱〜。留守をよろしくねん。」
「はいよ。」
「はい、行こー。」
壱平さんはいつも事務所にこもっている。
外に出てる所は1回も見たことがなく、朱音達に聞けば「壱平?あー深夜たまーに散歩に出てるよ。」との事。
買い物も外回りも基本的にライか朱音と累の2人組。たまに気晴らしにと満が出るが壱平は何がなんでも外に出ない。
「あれー?累、はべはいほ?」
「朱音。口にものを入れながら喋るな。」
「ングっ。るいるい、そんなに考え込んで何か悩み事かい?」
累の皿に伸ばした手が満に叩かれる。
「いえ、壱平さんってどうして外に出ないのかなって。」
「壱平?あー、アイツはあれでいいんだよ。」
「でも、少しは出ないと体に悪くないですか?」
んんー、と少し悩み朱音はライと満になにか問うような視線を送る。
「別に話してもいいんじゃないか。」
「ウン。累くんが地雷を踏む前に伝えておくべきだと思うヨ。」
「たーしかに。」
皿の上のミニトマトをフォークで刺す。
それをふよふよ浮かすと次の一口を食べようとする満の口に放り込んだ。
「壱平はね対人恐怖症なんだ。」
ー対人恐怖症ー
人前に出る事を極度に嫌い、恐れる事。
「そうなんですか?」
「うん。まぁあんまり本人不在で過去の事を喋りたくはないけど。壱平は昔、取調官だったんだ。」
怪異探偵事務所に来る前、その異彩な特異性を巧みに使い霧沼壱平はとある組織の取調官を勤めていた。と言ってもそれはただの取調べではない。
もはや拷問と言った方が似合うだろう。
重要人物を捕まえると、何日も飲まず食わずで椅子に縛り付けて精神を疲弊させる。
そこで壱平は特異性を使い、ありとあらゆる事を自白させる。
そして用済みとなったその者はゴミのように捨てられる。そんな毎日を過ごしてきた壱平は誰彼に恨まれ、悪夢にうなされ眠れぬ日々を何年も過ごしてきた。
次第に彼の心は壊れていった。
自分のせいでこの人は死ぬ。そう分かると口元は震え上手く声が出せなくなった。
本当は逃げたかった。でも自分の居場所はここ以外にない。
いつしかそこにいる皆が自分を恐れる憎んでいるように見えた。
覚えたのは『恐怖』
人が怖い。視線が怖い。
「ーーンな感じで、他人に対して異常なまでの恐怖心を抱くようになっちゃったわけ。」
「まぁ当然だよな。自分のせいで人が死ねば誰だって壊れるさ。」
「可哀想だよネ…」
「…そうですね。」
重くなった空気を遮るように朱音が水を飲み干す。
「んま、詳しい事は壱平が話してくれた時に聞くといいさ。さ、帰ろ。」
「あぁ。」
「累くん、特異性を憎んでいるのは君だけじゃナイ。だからここでは1人で悩むような事はしないでネ。」
「はい!」
ライの言う通りだ。
誰しもがみんな特異性を望んで得たわけじゃない。
みんな、僕が知らないだけできっと心にわだかまりを抱えてそれと上手く向き合って生きているんだ。
「ふふ。少しは元気出たかな?」
「はい。なんだか気を遣わせてしまってすみません。」
「いいってことよ!あ、ここの会計は年長のーー」
「俺は自分の分しか払わんぞ。」
「んだぁ!いいじゃんか〜!」
「服を掴むな、伸びるだろう。」
「満ちゃ〜ん!」
ーーー
「はい?」
「だーかーらー、君の付喪はなんだい?」
出勤してすぐ、朱音からまた意味不明な言葉が飛び出る。
「付喪…?なんですか、それ。」
「えー!?付喪も知らないで怪異探偵名乗ってんの?」
「えぇ…説明されてないですもん。」
「んだよ〜。君ね、少しは自分で調べたりしたらどうだい??」
「ンな事調べて出てきたら世も末だわ。ほら、これ付喪についての資料。」
「ありがとう!」
朱音を叱る満の声を背後に渡された資料を読む。
『ー付喪ー
特異者が己の特異性を存分に発揮出来るための道具。
特異者になった者は付喪に己の異力を移植することで自在に特異を操ることができる。
それは持ち主の念や覚醒のトリガーとなった記憶物から生成される事が多い。
一定量の異力を与えることで修理は出来るが復元は不可能。
※もし、付喪が破壊された場合、命の保証はない』
ふむ。よくわからない。
ちらりと満に視線を送ると、読み終わったか。と朱音を放り投げ歩み寄る。
「まぁあらかたそこに書いてある事以外特に説明はない。つまり、特異をより便利に使う道具と思ってくれて構わない。」
「なるほど…ここには生成と書いてあるけど、その魔法みたいにポンって出せるものなの?」
「いや、それは無理だな。」
朱音が自信満々に二人の間に割って入る。
「そーこーで!この犬鳴朱音様の力を使うのさぁ!」
「え?」
「朱音の異力は前にも話したが桁違いなんだ。本来であれば上位特異者を15人程度集めて行われる儀式みたいなもんを1人で出来る。」
「え、それ凄くないですか?」
「朱音様はね〜すごいんだよ?」
「あぁ。こればっかしは素直に認めよう。で、だ。何か思い浮かぶか?」
「うーん…満の付喪はその本だよね?」
「そうだ。まぁこれが無くても使おうと思えば特異自体は使えるが、うるさくて仕方ないからな。基本は使わずにここに写されるものだけを読むようにしている。」
「ボクのはこの扇子さ。美しいだろ?」
バッと扇子を広げ、軽く扇ぐ。
各々、ちゃんとした理由があって付喪を持っているんだ。
僕は…僕の特異が覚醒したのは母親からの強烈な殺意からだった。
残っている物は何も無い。
「別にそこまで悩まなくていいよ。アタシなんか使いやすいって理由で拳銃の形にさせてるし。」
「うん。オレはばあちゃんからの形見でこの勾玉だけド、別に形は何でもいいんじゃなイ?」
「そーそー。使いやすければそれに越したことはないよ。」
「うーん…」
僕は悩んだ。
『何でもいい』
これ程までに魅惑的なことばはあるだろうか。
「使いやすくて…何でもいい…」
言霊は確かに強い。
ただ、上手く使いこなせてないのもまた事実。
出来れば朱音のような武器がいい。
「…決まりました。」
一行は事務所近くの空き地へと足を運んだ。
「よっし、じゃあやるか。」
「はい!」
「付喪召喚に当たって注意事項が2つ!」
ゴクリと固唾を飲む。
「1つ!途中で想像を変えないこと!2つ!逃げ出さない事!」
「分かりました!」
朱音は大きく頷くと近くにあった棒で大きく円を描き始めた。
「いいかい、ここから出たら死ぬと思え。」
「は、はい…」
「まぁそんなに固くならなくて大丈夫だよ。念の為、満達もいるしなんかあったら殺してでもここから出さないさ。」
「それ結局死ぬやつじゃ…」
「さっ!始めるよ。」
辺りがシンと静まりかえる。
空気が変わったのが肌に伝わる。
「特異送転」
鈴の音が響くような声だった。
(ここは…?)
体は金縛りのように動かず、声も出せない。
唯一動かせるのは目のみ。
そして、瞬きをした次の瞬間には情景が変わっていた。
(どっかの神社なのかな?)
大きな真っ赤に塗られた鳥居の前に立ち尽くす。
そして、その前には立派な社が建っており朱音は何も言わずに背を向けて立っていた。
『~~~~』
どこからか声がする。
子どものよう幼い声。
それと同時に聞こえてくる太鼓と鈴の音。
それは次第に近くなり、遂には耳元で甲高く響き始めた。
(な、なんなんだ?うるさいし…なんか熱い?)
気づけば、立っていられない程に足元が熱くなっていた。逃げようにも体は動かない。
助けを求めようにも声も出せない。
朱音は依然ただ背を向けて立っているだけだった。
(熱い!朱音さん!助けて…!)
『言霊、貴様の罪穢を禊祓う。』
低い男の声が聞こえる。
熱はどんどん上がっていき足の裏だけではなく体全体が焼けるように熱かった。
『汝、言霊使いにて我ら召喚されたし。』
「あっ……あぁ"……」
『声が出せるのか。流石言霊を従えし者。さぁ汝の付喪を申した前。』
「ぼ、ぼぐの…つく…も……」
体の熱はどんどんと上がっていく。
今にでも逃げ出したい。ここから離れたい。
『逃げたい。それが汝の心移か。承知した。』
呆れたように声は低く囁いた。
すると途端に体が軽くなり熱さから解放される。
「ガハッ……ハッ…ぁ……っ…」
『貴様の様に心の情弱な者に我等の付喪を授ける事は認められぬ。』
声の主がモヤと共に姿を現す。
殺意。憎悪。落胆。憤怒。
様々な感情が言わずとも読み取れた。
その姿は神のように神聖で仏のように堂々としていた。
「あ…っ………」
その威厳に喉が締まる。
『我の名は釈迦如来。万物に悟りを教え安らぎへ導く者。』
「釈迦…如来……」
名前を口に出すと、押し潰されそうな程の殺気が向けられる。
『貴様の様な愚か者が我の名を軽々に口にするな。…貴様が言霊を宿すとは世も末だ。急ぎその言霊を剥奪し次なる者へと後継する。』
「そんな…待ってください!ーーっ!!」
『誰が口を開く事を許可したか?愚か者目が。』
目には見えない力で体が圧迫される。
顔を上げるのがやっとだった。
ーー恐い。
だけど…ここで逃げたら僕はまた僕を許せなくなる。…朱音さん達が信じてここまで送ってくれたんだ。やらなきゃ、いけないんだ!
『ほう?まだ我の前に顔を見せるか。だが、それももう終いだ。』
「なんだよ…それ。」
釈迦如来が手を広げると、神々しく光る無数の刀が宙に浮かぶ。『来世は凡人に産まれるよう唱えろ。』見下すように言い放つと、それを合図かのように刀が降り注ぐ。
(っ…こんな、こんな所で負けちゃダメなんだ…!)
無意識に体が動いていた。
何とか刀を避ける。だが、全てを躱す事は叶わず幾つもの刃が体を切り刻む。
「っぁあ!!」
『避けるか。ならば良い。次で終いにする。』
容赦のない刀の雨。
少しでも判断が遅れれば間違いなく剣山になるだろう。
『小癪な。』
「僕は!僕は…確かに朱音さん達と違って弱いです。覚悟も足りなければ実力も伴ってない。だけど、ここで諦める訳にはいかないんです!」
『逃げたい。そう思ったのにか?』
「逃げたいですよ!熱いし怖いし。それでもここから逃げたら…僕にはもう居場所がなくなってしまう。」
というか、そもそもあの状況下で素直に付喪を思える方がおかしいんだ。
あぁ"〜!なんだかイライラしてきた!
「あなた仏様なんですよね!?だったらもっと優しくまずは説明から始めたらいいんじゃないですか!!?」
まさかここで言い返す事が予想外だったのか、釈迦如来は一瞬驚いたよう顔を浮かべた。
「何が万物を安らぎへ導く者。だ!そんなだったらまずは目の前にある事を説明しろよ!会話だよ!会話!」
『貴様……』
「あぁ"もう嫌だ!ーーほら、かかってこいよ。やってやるよ!」
足元に転がる錆びた刀を手に取る。
これでも、剣道部だ。多少は扱い慣れている。
『我に刃を向けるか。その心意気は買うてやる。だが、その選択を悔いてももう遅い!』
「ったぁ!」
刀と刀がぶつかり合う。
力の差は圧倒的。肩にまで痺れが伝わる。
何とか刀を離さずに一度距離を取り、息を整える。
『中々な動き。さぁ来たまえ。』
「言われなくても…!」
一気に間合いを詰める。
闇雲に振っては体力ばかり削られていく。
ここは少しでも隙を作ってーー!
「らぁ!」
『っーー』
押しつぶされていた時に握っていた砂利を顔目掛けて投げつける。
ーーこの一瞬があれば!
『考えは悪くない。だが、甘い…!』
「なっ!?ーーーーっ!」
釈迦如来の刀が腹を突き刺す。
とてつもない痛みが全身に伝わってきた。
「ガハッ…ぁ…っぁあ…」
吐血が止まらない。
刺された箇所は熱を帯び、どれだけ押えても血が水のように流れ出てくる。
あぁ。視界が掠れていく。
呼吸をする事がやっとだ。
ここで…終わってしまうのか…
せっかく与えられた居場所を、チャンスを自分のせいで無くしてしまうのか…
『悪くはなかった。この我に刀を握らせたのは貴様が2人目だ。だが、貴様では我を倒せぬ。』
足音が近づいてくる。
嫌だ。僕は、絶対に付喪を貰うんだ…!
「…け…い…」
『ん?』
「負けて……な、い…!!」
『!?』
自分でもよく分からなかった。
絶対に負けないと強く思った時、体が軽くなって頭にコイツを倒す。という考えしか浮かばなかった。
『なるほど。加護付きか。面白い…!』
「負けない…僕は…お前を倒す…!」
そこからは記憶が曖昧だ。
まるで体を操られているかのように手足が勝手に動いた。
痛みも何も感じなかった。
『なんという力!これが加護の力なのか!』
「殺す…殺してやる…」
その眼はまるで獲物を見定めた獣。
そして体中を纏う白銀の美しい羽衣。
この男はどこまで楽しませてくれる…!
「っぁぁあ!!」
『来い!』
物凄い衝撃音と共に辺りの草木が吹き飛ぶ。
社の屋根も鳥居も2人を囲む全てが少しの土台を残し消え去った。
「……」
『…どういうつもりだ。』
周りの塵が晴れ、二人の間に立っていたのは朱音だった。
「はいはい、ストップっと。」
『邪魔だてするつもりか?』
「どう考えてもやりすぎでしょ。」
釈迦如来と朱音は数秒目を合わせ、釈迦如来は不服そうに刀を納めた。
「わかってくれて助かるよ。ーーっと。君はどうかな?」
「退け!僕は、そいつを殺さなきゃいけない!」
「はぁ。累少年、まぁ落ち着きたまえよ。」
「うるさい!退けよ!!」
何かに取り憑かれたかのようにその瞳には釈迦如来のみを写して刀に力を込める。
朱音はそんな累を見て呆れたため息をひとつ吐き、向き直った。
「いいかい、少年。今から10数えてあげる。その間に自分を取り戻しな。」
「うるさいうるさいうるさい!!僕は…殺すんだ…!」
一つ
二つ
ゆっくりと数を数える。
三つ
四つ
それは酷く落ち着いていて脳内に響いた。
五つ
六つ
どうして朱音さんは僕の邪魔をするんだ。
七つ
八つ
僕は勝たなきゃいけないんだ。皆と一緒にいたいから。
九つ
だから…邪魔をしないでくれ。
十
僕から居場所を奪わないでくれ!!
「どけぇぇえええ!!!!」
「残念だよ。累。」
「ーー!?っがはァ!!」
体に一瞬、衝撃がぶつかったと思うとそのまま逆らえぬ重力と共に吹き飛ばされた。
その力は強く、抵抗する間もなく壁に背中を打ち付ける。
「ガはァ…!っ…あ"っ…」
呼吸が止まる。
地面に崩れ落ち、近づく足音を感じながら意識を失った。
「~~~でさぁ。」
『~~ほんとに!』
声がする。
それはどこか楽しそうで聞き覚えのある声。
(ここ、は…?)
触れた床は柔らかくそれが布団だと気づく。
「いってて…」
起こそうとした体の節々は軋むように痛く、指先を動かすのがやっとだった。
ここで何があったか思い出してみる。
付喪を貰いに朱音さんと…
「付喪…朱音さん!」
そうだ。朱音さんと一緒に知らない神社に来て僕は釈迦如来と戦って…!
「おー?目が覚めたかい?」
「朱音さん!ここは?ーー釈迦如来は!?」
襖が開き、いつも通りの顔で朱音が覗く。
慌てて声を上げると、その後ろから長い綺麗な金髪を結った着物姿の男が顔を出した。
「あ、あなたは…」
「やっほ〜!そんな熱烈に呼ばれちゃってあたしったらモテモテ??」
「は…?」
男は体をくねらせ近づくと、容赦なく手を握ってきた。
「んでもぉ釈迦如来なんて可愛くない名前で呼ばないでっ!あたしの事はお釈迦ちゃんと呼んでっ。」
「いててて!!…えぇ。」
やはり、この人は釈迦如来で間違いないのだろう。ただ、なんだこの喋り方は…先程まで刃を交えていた相手だとは思えない。
「釈迦ちゃん、そんなグイグイいったら累が引いちゃうよ。」
「あら、ごめんなさいね。久しぶりの男だったからつい。」
てへ、っと舌を出し謝る。
…一体なんなんだ。
「ごめんねー。ビックリしちゃったでしょ?」
「いえ、あの…本当に釈迦如来さん…なんですか?」
「そうだよ。」
朱音の言葉に暫く頭を悩ませる。
そうなのか…本当なのか…
「ほんとーよ!あなた、よく見ると可愛い顔してるわね?ちょっとタ、イ、プ、かも♡」
「ヒィ!や、やめてください!!朱音さん!」
蛇のように首筋に指先が這い寄る。
背中に鳥肌が立つのを感じで体を引き離す。
「あっはは!釈迦ちゃん、悪いがその子は上げられないよ。」
「んもぉ〜!朱音ちゃんったらケチなんだから!前もそうやって満ちゃんの事譲ってくれなかったじゃない!」
満ちゃん?それはあの満くんの事だろうか?
だとしたら、満もこの人に会っているんだ。
いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
「あ、あの…僕の付喪って…」
2人の視線が集まる。
どこかこの2人は謎の威圧感がある。
きっと今の僕は2人から見たら、蛇に睨まれた蛙だろう。
「そうねぇ。僕は何か焦っているようだし本題に入りましょうか。」
釈迦如来が腰を下ろすと、着物の隙間から1匹の白蛇が姿を現す。
白蛇は柘榴の実のように凛と真っ赤な目をコチラに向け、じっと見つめてくる。
その視線からは離れることは出来ずゴクリと固唾を飲む。
ピンと張りつめた緊張が部屋を包み込む。
すると蛇は1つ頷き累の膝元まで釈迦如来の腕を伝い移動する。
「えっ…と…」
「頭に触れてご覧なさい。」
言われるがままに差し出された頭に軽く触れる。
その肌感はひんやりとしていて、なんとも言い難いものだった。
『名を申せ。』
頭に響く声。
反射的に名前を叫ぶ。
『月島累。言霊使い及び加護の思し召しを授かりし者。そなたにはこの付喪を授けよう。』
言葉が言い終わるとガパリと口が大きく開かれる。そして、喉の奥から何かがニュルニュルと吐き出される。
「これは…」
「あなたの付喪よ。大切になさい。」
「おー。出てきた出て来た。」
それは刀の柄だった。
それだけ。
刀身もない。鞘も見当たらない。
「えっ?」
手のひらに乗せられた付喪。
白蛇は満足そうにまた釈迦如来の腕へと戻っていく。
しばらくの沈黙。
「ぶっふ!」
それを破ったのは、もう我慢の限界だと言わんばかりの朱音が吹き出す声だった。
「ごめん!めちゃくちゃ我慢したんだけど。」
「あら〜。随分と可愛らしい付喪ちゃんだ事。」
「わ、笑わないで下さい!!…もう少しカッコイイと思ってたのに。」
そう。自分が思い浮かべていたものはもっと強そうで男子なら誰でも憧れるであろう…
「ん?あら、白蛇ちゃんからの伝言。『あの冴えない付喪は却下だ。ワシが嫌だ。』だそうよ。」
「ったー!!どんなの想像してんだよ!」
腹を抱え、壁をペシペシと叩きながら笑う朱音。
そんな…あれは誰で憧れるそれはそれはカッコイイ鎌なのに…
「マジで笑った。久しぶりにこんな笑ったわ。」
「まぁ仕方ないわね。付喪召喚は白蛇ちゃんの仕事だもの。ちゃちゃはいれられないわ。」
「そんなぁ…」
柄だけで一体どうすれば?
殴るか?いや、絶対違う。
「君、特異の事を忘れていないかい?」
「でも、僕の特異は言霊ですよ?朱音さんみたいに強いものじゃないし…」
悩む累を見かね、朱音は付喪を取り上げる。
「あ!」
「アタシだったらこう使うね。ーー言霊、抜刀。」
まるでそこに刀身があるかのように柄を構える。
その気迫は凄まじく、それを振り下ろせば今にでも切り殺されそうだった。
「付喪を武器と捉えてはダメだ。あくまで付喪は自分の特異を補助するサポートアイテム。戦う気があるならその言霊を使わないとね。」
…そうか。
僕の言霊は何でも実現実行出来るんだ。
朱音から柄を取り、構える。
「特異言霊、抜刀。」
寂しいほどの静寂が訪れる。
…あぁ恥ずかしい。
柄からは何も出ず、言葉は風に流され消えていく。
「まぁ無理もないね。まだ特異自体使いこなせてないんだ。」
「そうよ。これからこれから!」
「…はい。」
落ち込む累に釈迦如来は優しく声をかける。
「それに、あなたは加護だってついてるんだから。心配しなくても大丈夫よ。」
「あの、その加護ってなんですか?」
驚いた表情で2人は顔を見合わせる。
そして、やべ。と小さな声を漏らし朱音は目を逸らした。
「まさか!朱音ちゃん、あなた加護の説明もしてないの?」
そのまさかだ。
まぁ朱音さんの事だからまた満に頼もうと思っていたのだろう。
「全く、仕方ないわね。加護って言うのはね、特異者の中でも数少ない御加護持ちのことを言うのよ。」
ー加護ー
それは特定の特異者にのみ与えられる御加護。
加護は特異者の異力を底上げし、更に特異をより強力なものとする。
ただし、加護を纏うにあたって膨大な異力を使う。
「あなたは羽衣のようなものだったから、天女様あたりかしら?」
「なるほど…つまりは特別なものってことですね。」
「その様子じゃまだあまりわかってなさそうね。」
「まぁ追追わかるでしょ。」
それから3人は少し談笑を済ませ、外に出る。
「そういえば、ここら辺一帯吹き飛んでませんでしたっけ?」
「ん?あぁそれなら直しておいたわよ。」
「え。そんな簡単に直せるんですか?」
当たり前じゃなーい。と指を鳴らすと近くに1本の大きな木が立ち上がる。
「うわっ!」
「ここはあたしの異力で作り上げられた異界よ。だから、あたしの思うがままなの。」
「す、すごいですね。」
「でしょ〜?さ、満ちゃん達も待ってる事だし帰りなさい。」
釈迦如来に見送られながら、鳥居をくぐる。
足元がふわりと軽くなり、視界が真っ白になる。
目を開けると、そこははじめに来た薄暗い空き地だった。周りには飽きた様子で読書をする満と何やら2人で遊んでいる壱平とライがいた。
「帰ったか。」
「やっと戻ったの?遅すぎ。」
「オカエリー!」
3人は近づいてくると何やらソワソワした様子で累に問いかけた。
「付喪はどうなった?」
「どんなのかな。早く見せてよ。」
「楽しみだネー!」
向けられる期待の眼差し。
多分、みんなは言霊なんて立派な特異だからそれは大層な付喪を期待しているのだろう。
思わず服の中に付喪を隠す。
「えっと、それは…」
「まぁまぁ。累の付喪は事務所に帰ってゆっくり見ようじゃないか。」
朱音の言葉に少々不満を漏らしながらも大人しく事務所へと戻る。
累は1歩後ろを歩いていた。
どうしよう。みんなの期待に応えられる気がしない。みんなはあんなにカッコイイ付喪を持っているのに僕は刀の柄だなんて…
気づくと事務所前まで着いていて言い訳を考える猶予は過ぎ去った。
「それで?」
「もったいぶったんだから早く見せてよ。」
「…これです。」
両手に収まる柄。
なぜか頭を下げ献上品のようにみんなに見せる。
またこの沈黙だ。
きっと笑いを堪えているに違いない。
「僕はもう少しカッコイイものを想像したんです!でもーー!」
「ほう。これは中々興味深い。」
「刀の柄、ね。言霊によっちゃ何にでも変化可能って訳か。」
「スゴイ!万能性が高くて累にピッタリだネ!」
「え?」
予想外の反応に間抜けな声が出る。
満はまじまじと眺めるように見ると、どこか嬉しそうに壱平たちと話していた。
…これは予想していなかった。
「わ、笑わないんですか?」
「笑う?なんでだ?」
「だって、みんなみたいにカッコイイ付喪じゃないし。」
「あのね、付喪がカッコイイからって強い訳じゃないんだよ。まぁ正直言霊使いって事だからもっと凄いものが出てくると思ったけど釈迦如来さんがコレって言ったんでしょ?なら君に適した付喪なんじゃない。クッソしょぼいけど。」
「ウンウン!これもカッコイイと思うヨ!」
優しい。優しすぎる。
その優しさに浸っていると朱音が肩を叩く。
「まっ。これが累の付喪ってことは変わらない事実だからさ。カッコイイと思うよ?」
「朱音さん、笑ったじゃないですか。」
「そ、そんな事はないよ!笑ってなんか…」
その口は今にでも吹き出しそうに歪んでいた。
ムスッと顔をしかめ、朱音に付喪を突き出す。
「ほら!カッコイイですか?!よく見て!」
「や、やめ…ふは!見せんなって!!」
「ほら!笑ってる!」
「ヒー!やめろって!」
逃げる朱音を付喪を突き出しながら追い回す。
そんな光景を満はため息をつきながらも微笑ましく眺めていた。
「満。朱音チャン、楽しそうだネ。」
「あぁ。」
「あの頃とは大違い。」
怪異探偵の10ヶ条。
その3。朱音の過去は無闇に探らない。
己の付喪に記された文字を改めて黙読し、パタリと閉じた。
ーーー
『コックリさん』
あれやこれやで時は経ち気づけば夏休みも終わりに近づいていた。
「明日から僕は学校が始まるので出勤は夕方からになります。」
「おー。もう夏もお終いか。分かったよ、遅くなるようだったら連絡くれればいいからね。」
「はい!あ、それと火曜と木曜は部活があるので19時を超えると思います。」
「部活?」
「はい。これでも一応剣道部なので。」
「それなら無理してこなくていいよ?明確なシフトは決まってないけど、君はバイト感覚で言い訳だから火曜と木曜はお休みにしても構わない。」
「いえ!少しでも来ます!」
グイッと朱音に顔を寄せると、その勢いに少し戸惑いながらもニカリと笑う。
「いい心意気だ。まぁ私達も君の顔が毎日見れると安心できる。好きにした前。」
「はい!!」
ぺこりと頭を下げてパソコンを開く。
色々と詰まり詰まって一生忘れられない夏休みとなった高校2年の夏。
怖い思いは沢山したけれど、それ以上にいい人と沢山出会えてとても嬉しかった。
まだまだ課題は山積みだが、一日でも早く役に立てるように頑張ろう。
残りの仕事を手早く終わらせ、お疲れ様でした!と一礼する。
「もうそんな時間か。累、今日は俺が送って行こう。」
「え?いやいや!大丈夫だよ。」
「遠慮するな。」
「そうだよー。満が言ってるんだから甘えなさい。」
「じゃあ、お願いします。」
「あぁ。」
満の用意が終わるまで少し待ち、2人で外に出る。
満はこうしてたまに送って行ってくれる。
近くの駐車場に停めてある車に乗り込み、シートベルトをする。
車の中は若干タバコの匂いが漂っていて、タブレットガムが常備してある。
(やっぱりタバコ吸ってるのかな。)
事務所内ではみんなタバコは吸わないが、休憩と出て行った満は時々タバコの匂いがした。
「どうした。」
「いや、満ってタバコ吸うの?」
「あぁ匂いか。気分を入れ替えたい時に少しな。臭かったか?」
「ううん。なんだか意外だなって。」
そうか?とエンジンを着け、ゆっくりと発進して行く。
会話は他愛のないものだった。
学校の話から怪異について、あとは覚えていない。
事務所から家までは徒歩で30分。
車でスピードを出さなければ10分で着いてしまう。
「ありがとう!」
「あぁ。また明日。」
送ってもらう度に毎回思う。
車移動は本当に楽だと。
そして、運転する満を見て思う。
「絶対モテる。」
何かを確信して頷き、玄関の鍵を開ける。
「おっはよー!」
「おはよー。」
学校に着くと久しぶりの再会を大袈裟に喜ぶ者、課題の量に嘆く者、様々だった。
「月島ぁ!」
「宮下!おはよう。」
「月島君、おはよう。」
後ろから声をかけられると同時に肩を組まれる。相手は友人の宮下篤だった。
その後ろから控えめに顔を出してきたのは、同じく友人の坂部彩花。
ちなみにこの2人は付き合っている。
「よーお。久しぶりだな?元気だったか?」
「うん。変わらず元気だったよ。」
「課題は終わった?かなり量があったと思うの。」
「きちんと終わらしたさ。バイト先の人が頭が良くて手伝ってもらっていたら直ぐに終わったよ。」
「バイトー?お前バイトなんてしてたっけ?」
「してたよ!あーでも、前のバイトは辞めて新しく始めたかな。」
「そうか?まぁいいや。俺はな彩花と一緒に夏祭りとか〜プールとか行ったぜ?」
「篤君!やめて!」
「はいはい。朝からごちそうさまです。」
お熱い2人を手ではらい、席に着く。
何だかこうして普通の生活を送るのはとんでもなく久しぶりな気がした。
それもそうか。夏休み中は毎日朝から晩まで事務所に居て普通では聞けない怪異の話や特異の話ばかりしていたから。
「おーい、席につけー。」
担任が入って来て、各々席に着く。
今日は始業式をして課題を提出。
その後は部活で少し集まり午前中には解散となる。
始業式が終わり、課題を机の上にだす。
(あれ?)
おかしい。ノートが1冊足りない。
(嘘だろ嘘だろ!)
何度漁ってもカバンには影も形もない。
課題を忘れた場合、1度帰って取りに戻るか、後日反省文と共に提出となる。
1度取りに帰って届けに来るのが1番手っ取り早いが、些か面倒くさい。
(そうだ!)
担任が目を離している間にカバンの中に隠してあるスマホを急ぎ開く。
『満!おはよう!突然なんだけど事務所の僕の机にこの間やった課題ノート忘れてない!?』
既読は有難いことにすぐについてくれた。
『これか?』
写真添付と共に確認の返事。
『そう!…大変申し訳ないのですが届けて頂けませんか。』
『構わない。今すぐにか?』
『午前中に学校が終わるから正午に来てくれると助かる!』
『了解』
神か仏かはたまた満様か。
なんて優しいんだ。本当に性格までカッコイイ。
担任に届けてくれるので放課後まで待って欲しいと伝えると、「次はちゃんと自分で持ってこいよー。」と名簿で軽く叩かれた。
部活の集会が終わり、急いで校門に向かうと何やら人集りが出来ていた。
それは大半、というか全員が女子で黄色い声が飛び交っていた。
「あのぉ誰かと待ち合わせですかぁ?」
「あぁ。」
「それって彼女ですかー?」
「いや違うが。」
何とか間をくぐり人集りの中心が見える。
「満!」
居たのは満だった。
その表情は非常に困っており、累の声が聞こえるとハッと顔を上げて助けを求めているようだった。
「す、すみません!僕の知り合いなんです!」
「誰あの子。」
「さぁ?」
聞こえる声は先程とは全く違い、探るようで怖かった。
「あ、ありがとう…!」
「あぁ。…少し離れた場所で待ってる。」
「うん!また連絡するね。」
ノートを渡すと女子たちを適当にあしらって車に乗り込む。
コソコソと話す声を背に急いで校舎まで戻る。
教室に戻ると窓から様子を見ていた宮下が嬉々として走りよってきた。
「なぁなぁ!なんかめちゃくちゃ人たまってたけどあれってお前の知り合い!?」
「うん。課題をひとつ届けてもらったんだ。」
「遠目からだったけど、凄くカッコイイ人だったね!」
「あ!こら!浮気かぁ?」
「カッコイイってだけだよ!」
言い合う2人に手短く挨拶をし、課題提出を済ませ満へと連絡する。
「もしもし!」
『あぁ。終わったか?』
「うん!今どこにいる?」
『角を曲がったところだ。…なるべく早く来てくれると助かる。』
「あ、うん。分かった!」
電話を切り、ため息をつく。
聞こえてきたのは満の声と追いかけて行ったのであろう女子の声だった。
カバンを背負い走って向かうと、先程よりかは少ないが同じ制服の女子が満を囲んで話していた。
「もし良かったら連絡先教えてくださぁい!」
「いや、それは…」
「はい!私の番号です!」
「いや…」
「み、満!」
半ば無理やり押しのけ、満を車に誘導し助手席に乗り込む。
外ではまだ何か言っているが、そのまま車を走らせる。
「はぁ…」
「ご、ごめん…僕が課題なんか忘れるから…」
「別にそれはいい。…ただどうもあぁいうのは苦手だ。」
ハンドルを片手に深いため息を何度もはく。
これは申し訳ないことをした。
今後は忘れ物などしないように心に誓った。
事務所に着き、扉を開けると中にいたのはライと壱平だけだった。
「おはようございまーす。あれ?朱音さんは?」
「朱音ちゃんなら商談に行ったよ。」
「商談?」
「シゴトだヨ。」
へぇーと生返事をして席に座る。
そうか。事務所の場所がバレないように外で商談を済ませているのか。
確かに、そうしなければここの扉を隠している意味がなくなってしまう。
「それよりさ、君すごいよね。」
「何がですか?」
「何がってあの満に忘れ物届けさせるとかどれだけ命知らずなの?」
「…確かにすごく悪い事をしてしまったなと思いました。」
背もたれに腰を伸ばし、机に突っ伏す。
「朱音ちゃんもそうだけどさー、満も丸くなったよねぇ。」
「え?前は違ったんですか?」
「そうだとも。2人とももっとーーー」
「余計な口を聞く暇があるなら仕事をしろ。」
「いて。そうやってすぐ叩く!労基にパワハラで訴えてやる!」
「勝手にしろ。累、お前はこれをまとめておいてくれ。」
「うん。」
2人の昔はどんなものだったのか。
受け取った書類の端を整えながら考える。
確かに、朱音は未だに未知数な所がある。
特異についても詳しい事は聞かされていないし、釈迦如来と会った時だってやたら親しそうに話していた。
でも、満は厳しい所もあるが人間として確立していて憧れでもある。もしや昔はヤンチャしていた。とかそういうものか?それならまたギャップとやらが生まれてモテる要素が増えそうだ。
そんなことを考えていると、事務所の扉が姿を現し朱音が入ってくる。
「あ、お帰りなさい。」
「ん?あ、もう来てたんだね。」
「はい。満に送ってもらったので早く着きました。」
それはよかった。と頭を撫でられる。
その様子はどこか疲れているような気がした。
「あの、お茶入れましょうか?」
「いいの?それじゃあお願いしようかな。」
お茶に加え、少しのお菓子をトレーに乗せて運ぶ。机の上にはA4サイズの茶封筒が1枚置かれていた。
「はいどうぞ。」
「ありがとうねー。」
「仕事内容は聞いてもいいものですか?」
「んぁ?あぁ別にいいよ。ついでだしみんなにも話しておこうかな。」
クルクルと椅子を回転させながら封筒を開く。
「依頼者はここの町内会長さん。」
「随分とまた大きなところからだな。」
「うん。そんで今回の怪異はーー」
"コックリさん"
それは一昔前に爆発的に学生を中心として流行り始めた降霊術。
起源は「テーブルターニング」というヨーロッパ圏で普及した交霊術とも言われている。
一枚の紙に鳥居を一つ、それを囲むように「はい」「いいえ」と記しその下にはあ〜んまでの全ての平仮名を書き、10円玉を鳥居に置く。
準備はこれだけで5分もあれば出来てしまう。
そして、参加者全員10円玉に人差し指を添えてこう唱える。
『コックリさんコックリさん。いらっしゃいませ。』
3度唱え終えたら次は、
『コックリさんコックリさん。いらっしゃいましたら「はい」へ。』
これが動くまでこの問いを続け続ける。
次第に10円玉は勝手に動き始めて、唱えた者の質問に回答していく。
当時、コックリさんを行った生徒数名が集団パニックなどを起こし禁止する学校も数多くあった。
だが、子どもの好奇心は禁止程度の言葉でどうにかなるものではなく、大人たちは「コックリさんなどいない。勝手に指が動くのも無意識に動かしているか筋肉の仕業だ。」と何度も唱えた。
だが、そんな話もいつしか勢いを無くし、今や過去にあった産物として密かに囁かれているだけだった。
「ーーそれが今になってまた人気が出てきている。何とかしてくれ。だってさ。」
ペラペラと紙を揺らし、お茶を口にする。
差し出されたのかと紙を受け取るとそれは先に説明にあったコックリさんを行う為の用紙だった。
「とある学校の女子生徒が行った所、4人中1人に異常が見られたとの事。それがその時に使われたと思われる物だよ。」
カランと10円玉が零れ落ちる。
その瞬間、真っ黒の禍々しいモヤが広がった。
「なっ!?」
それは迷うこと無く累へと向かう。
モヤに包まれた途端、言いようのない感情が一気に流れ込むのが分かった。
沼に沈むほどの悲しみ。
胸を引き裂くほどの怒り。
それはとてもじゃないが言葉では表せない。
「あ"…」
目の前が真っ暗になる。
怪異に飲み込まれるとはこういうことなのか。
「ほれ、大丈夫かい?」
「ゲボっ……っ…だ、大丈夫です。」
その闇を引き裂くように差し出された手を強く握ると、あっという間に怪異は消え去った。
「君のように少しでも異力があったり霊感というものがあると、こういう低級霊はすぐに取り憑こうとする。」
「そうなんですね…」
改めて思う。
怪異とは邪悪で危険なものだと。
「でも、今回の依頼はちょっとばかし厄介なんだよなぁ。」
「だな。」
「と、言うと?」
握った累の手をいじいじと弄りながら朱音は続ける。
「コックリさんってのは、降霊術を行った者の霊力によって集まる怪異も違うんだ。んで、特定の怪異を呼び寄せるんじゃないからそこら辺に漂ってる低級霊をかき集めて怪異となる。だから、3箇所でコックリさんを行った場合3箇所同時に怪異が発現する。ヤバいでしょ?」
「あぁ…それはかなりヤバいですね。」
「しかしまぁ、どうして今更になってコックリさんなんだろうね。」
「そりゃあオトギリの仕業に違いないね。」
オトギリ…?
また知らない単語が出てきた。
気になるけど、今は聞く雰囲気じゃないし…
「累。オトギリについては後々話してやる。ーーそれで、どうするつもりだ?」
「んー。」
弄り続けた手をぐるりと背中に回し、累を背負うような体制をとるとプラプラと体を揺らしながら悩む。
「わかんなーい。」
「わかんないってお前、仕事は貰ってきたわけだろ?」
「とりあえず保留って事にしてる。」
朱音さんが悩むということはやはり、相当大変な事なんだ。
僕が特異を使いこなせてたらいっその事、コックリさんなんて元から無い!と提言して消しされたのかもしれない。
「それはいい考えかもしれないぞ。」
「え?」
「確かに、お前の特異を使えばそれは可能だ。」
「なになに?2人だけで進めないでよ。」
「えっと、僕が思ったのは僕の特異を使ってコックリさんなんて元から無い!って言ってみるって事です。」
バカな考えかとは思ったが、満があぁ言うんだ。
出来ない話ではないのだろう。
「いいね!それ!採用だよ、累少年。」
「本当ですか!」
「うん。ただ、その前に君は特異を使いこなせるようになる。という難題が待っているけどね?」
「それは…何とかします!」
ここで壱平が吹き出す。
ライも今まで何も言わずに話を聞いていたが、我慢できなかったのか笑い始めた。
「累君らしくていいネ。」
「何とかするって君に出来んの?」
「できます!やってみせます!」
朱音に握られた手をブンブンと降り、意気込みを表す。
僕が特異さえ使えればこの問題は解決する。
みんなの役に立てるんだ。
それは何としてでもこなさなければならない。
「まぁいずれかは累も特異を使えなきゃいけないからね。いいタイミングっちゃいいタイミングか。」
その後、累の指導役を誰にするかを話し合い、結果はみんなで日替わりに。という事で決まった。
時間は有限。という事で早速今日から特異特訓が開始された。
「よろしくお願いします!」
「そんなに気を張らなくていい。いつも通り力を抜くのも1つの心得だ。」
「はい!」
今日は1番丁寧に初心者にでも優しそうという事で満となった。
2人は付喪召喚時に行った空き地へと足を運び、特訓を開始する。
「まず始めにやる事は己の特異について深く知ることだ。」
「はい。」
精神を統一し、心の奥底を感じる。
深く深く潜ってその先にある己の特異に触れる。
これが満が特異を使うにあたって大切にしている心得なのだと。
目を閉じて心の核に触れるイメージを持つ。
深くそこのない水の中をどんどんと沈んでいく感覚が足先までに伝わる。
ーーもう少し。
あと少しでたどり着く気がする。
「…今ならいけるかも。」
「ならやってみろ。」
付喪を構え、一つ言葉をだす。
「抜刀。」
……が、しかし事は上手くいかないようで何も起こらない。
「ダメだ。どうしても出来ない。」
「別に焦ることじゃない。その意識を忘れなければすぐに出来る。」
あとは多少の戦闘技術を学び、日も暮れた事もあって2人は事務所へと戻った。
ーー
学校も通常に始まり、長々とつまらない授業を聞く。怪異探偵での出来事が突飛すぎて普通の生活が物足りなくなっているのは気の所為という事にしている。
ノートを書き写しながら考える。
そもそも、「抜刀」という言葉は自分が考えた訳ではなくて朱音が発した言葉だ。
もしかしたら、根本的に考え直す必要があるのでは無いのか。
まずは己の特異を知り、付喪を操る。
簡単なようで果てしなく難しい。
朱音達は難なく使いこなしているが、あそこまでに至るまでどれほどの時間を費やしたのだろうか。
いや、それは今考えることじゃない。
あの人たちはすごい人たちなんだ。今の僕が考えても無駄な話だ。
午前の授業も終わり、昼休み。
累は宮下篤と坂部彩花と共に昼食を囲んでいた。
「それでさ!その先輩が。」
「またその話か?前も話してただろ。」
「そうだっけか?おん?どした、彩花。」
「…ん?ううん!なんでもないよ!」
「そうか?でさー。」
どうにも坂部の元気がない。
宮下は何も気にとめずに話し続けるが何かあったのだろう。
「坂部、何かあったのか?」
「ううん…なんでもないの。」
「まぁ話したくないなら無理には聞かないけど。何かあったら話せよ?」
「うん。ありがとう。」
「聞いてるかー?」
坂部彩花はとても優しく人の話を聞かないということは無い。そんな彼女が自分の彼氏でもある篤の話を上の空になにか悩んでいる。
女性の悩みは尽きないと聞いた事があるが、これもそう言った類なのか。
「そういや、昨日のあの男の人ってバイト先の人なんだろ?」
「そうだよ。」
「あんなイケメンこの近所のバイトに居たか?」
「それは…あの人は裏の仕事が多いから。」
「裏ぁ?なんだそれ。まぁいいや。」
「うん。」
それ以上は聞かないでくれと心の中で叫んだ。
確かに、この周辺で満が普通に働いていたら人気店として売上は上々だろう。
昼食を食べ終え、午後の授業も適当に受ける。
時は放課後まで進み、ホームルームを終え帰り支度を済ます。
「じゃあまたね。」
「おう!また明日なー。」
「また明日。」
やはり。あれからずっと坂部の様子がおかしい。
校門まで行き、少し歩くと見慣れた姿がスマホをいじって待っていた。
「朱音さん!?」
「おー、来たか少年。」
声に気づき顔を上げると、ヒラヒラと手を振りスマホをしまう。
「どうしたんですか?こんな所で。」
「いやなに、昨日の商談の帰りだったからついでに拾いに来たよ。」
「ほんとですか!ってことはそのバイクは朱音さんの?」
「そうだよ。ほれ、ヘルメット。」
ポイッと投げられたヘルメットを慌てて受け取り、被る。
「んじゃー後ろ座ってー。」
「はい!」
バイクなんて乗った事がなかった。
それは配達などで使われるバイクではなく、赤いペイントがされた男の憧れとも言えるほどにカッコイイものだった。
心を躍らせてバイクにまたがる。
「OK?なら出発するよ。」
「OKです!」
朱音の声がヘルメット内部の耳あたりから聞こえ。無線のような通話越しのような少しくぐもった声だったがしっかりと聞こえた。
「これ、ヘルメットって何か改造してあるんですか?」
「あーこれ?少しね。仕事上、話しながら移動とかしょっちゅうだからさ。」
「カッコイイです!」
「それはよかった。」
車はバイクと違って風を直接体に受ける。
情けないが、朱音にしっかりとしがみつき落ちないよう気をつける。
車と車の間をくぐり抜けたり、車では通れない路地をスイスイと進んでいく。
何とも清々しい気分だ。
「ほれ、ついたよ。」
「早いです!」
「バイクはこれだから便利だよねー。」
満の車の隣にバイクを止め、ヘルメットは持って歩く。
そうか、このバイクは朱音さんのものだったんだ。
「ひょっとして車も運転出来るんですか?」
「もちろーん。でも、バイクの方が使い勝手いいから車はあんまり乗らないかな。」
「へぇ。満も朱音さんもカッコイイです。」
「そう?累もバイト代貯めて免許取るといいよ。」
確かに、ここで貰うお給料は普通の高校生が到底貰えない額だ。
おかげで家賃も生活も何も困らずに済んでいる。このままいけば免許も夢ではない。
「そういえは、今日友達の様子がおかしかったんですよね。」
「んー?」
ビルの階段を登りながら坂部の事を話す。
ビルの中に自分の声が木霊するのが気になり自然と声が小さくなる。
「なんだか言い出しにくい事なのか話してはくれなかったんですけど、何か気になって。」
「ほー。それで?」
「別に特にはないんですけど。」
「君がそこまで気になるって事は何かあったって事なんだね。」
そこで突き当たりの壁に着く。いつも通り扉を開き、朱音の後に続いて事務所へと入る。
今日の特訓相手はライと壱平だった。
本来は一人一人の予定だったが、「壱平は絶対サボるから見張りとしてライも付けるからね。」との事で2人となった。
それに対し壱平は「どれだけ信用ないの?ボクだってやる時はやるよ。」などとごねていたがここでは所長命令は絶対。なんだか文句を言いながらもやっと空き地まで着いた。
「それで?どこまで使えるようになったわけ?」
「それが、全くと言ったところです。」
「はぁ?昨日満と特訓したんじゃないの?」
「すみません…」
覚悟はしていたがやはりこうも直接言われるときついものがある。
頭を下げて項垂れていると見かねたライが優しく背中を撫でる。
「マァマァ。まだ特異が覚醒して1ヶ月しか経ってないんだからお手柔らかにいこうヨ。」
「ライさん…」
「大体さ、ライも朱音ちゃんもみんな君に甘いんだよ。特異っていう普通じゃ計れないものを持っているんだからその自覚をちゃんとしてもらわないとさ。」
壱平の言う通りだ。
人を殺すだけの力があるのだからその自覚は持たねばならない。壱平の言葉には何故か説得力がある。それは彼の過去を少し聞いたからなのかもしれない。
「…壱平さんの言う通りです。それを踏まえご指導お願いします!」
「はぁ。口だけは達者だね。じゃあまず、君が特異を初めて使った時と同じようにボクに殺意を向けてご覧よ。」
「え?」
「だーかーら。君は母親に対して強く殺意を持って特異が覚醒したわけだろ?それと同じようにやれって言ってんの。」
そう突然言われても難しい。
仲間に対して殺意など向けられるはずは…
「君がやらなくてもボクは殺す気で教えるからね。」
「っーー!」
壱平が付喪を開く。
すると肌にまで伝わる殺気が辺りを包み込む。
「少しでも気を抜いたら死ぬと思って。」
体は無意識に付喪を構えていた。
やらなきゃ死ぬ。本能でそう分かった。
ジリジリと二人の間に沈黙が走る。
それは1歩でも動けば奈落へと繋がる崖の上を立っているようだった。
「特異、疑心暗鬼。」
来る。
グッと肩に力を入れて地面を強く蹴る。
「ったあぁあ!」
「そこに地面はあるかい。」
「!?!」
身が竦む感覚だった。
今まで立っていた場所は真っ暗で底のない奈落。
慌てて体を戻し、地に足を着く。
「おっと。そこも危険なんじゃないかな?安心するのはまだ早い。」
まずいまずい。
分かっていたのにまんまと疑心暗鬼にかかってしまった。
足の着く場所全てがぽっかりと穴を開けていく。
ここは地面。そう分かっているのに脳が穴だと錯覚して体が逃げてしまう。
「そこに1本の縄があるね。そうさ、それは危険と隣り合わせ。でもそこしかボクへと続く道はない。」
目の前に浮かぶ頼りない縄。
これは壱平の作りだした幻覚。
振り解け、己の迷いを消しされ。
「残念。時間切れだ。ーー君は死ぬんだ。でも安心して。その刀で首を斬れば現実に戻れる。」
刀…?自分の手に握られる付喪を見ると、白銀の綺麗な刃がギラりと光を反射していた。
「僕の、付喪…?」
「そうさ。君の付喪だよ。さぁ早く首にあてがえよ。」
カタカタと音を鳴らして首筋に近づく刃。
ダメだとわかっていても壱平の言葉だけが脳に響きわたり体が言うことを聞かない。
「それを引けば済む話しさ。どうした?あぁそれとも君は自分を疑っているのかな?」
「っ…だ、ダメだ…」
「自分の付喪を信用しないでどうする。さぁ信じて。」
「ダメ…だ…」
「まだダメかい。それならボクが手を貸してあげよう。特異、疑心暗鬼『鳴翠』」
ドクンと心臓が強く脈打つ。
なんだ、この感覚は。
まるで自分の体が自分じゃないみたいだ。
「月島累。ここにて終演。」
「っ~~~~~!」
刀が強く引かれる。
それと同時に首元には激痛が走り生暖かい血がとめどなく流れ出る。
「っうぁあああぁああ!!!!」
勢いよく背中から倒れ込む。
首が…僕は死んで…
「あ、れ…?」
死んで、ない?
慌てて首元を触り、改めて自分が生きてることを確認する。
「まったく。精神攻撃の特異相手に突っ込むとか本当に笑える。」
「気持ちいいくらいに引っかかったネ〜。」
「ど、どうして…何が起きて…?」
呆れたため息を大きく吐くと、付喪をしまい倒れ込む累の上に座る。
「ぐえっ。」
「ボクの特異疑心暗鬼は惑わせて幻覚を見せるのが主な技。でも、途中に使った『鳴翠』は相手の惑いを強制的に実行させることができる奥義みたいなもの。」
「す、すごい…そんなことも出来るんですね。」
「感心してる場合?こんなのライだって満だって出来るよ。それより、せっかく見せてあげたんだから少しは成果あげてみたらどう。」
それは途中で見た付喪のあるべき姿の事だろうか。やり方は少々危険だったが、確かにどのような形なのか明確に想像できた。
「白銀…」
「ほら、立って。やってみなよ。」
「はい!」
精神を統一し、付喪を思い描く。
あの刀身をもう一度出すんだ。
「特異、言霊。白銀。」
ぽつんと水滴の落ちる音がした。
恐る恐る目を開くとそこには美しい模様の描かれた白銀の刃が輝いていた。
「で、できた…」
「スゴい!できたネ!」
「ふん。このボクがご指導してあげたんだから当たり前だよ。」
「やった…できた、出来ました!!!」
「ちょ!危ないから振り回さないでよ!」
嬉しさのあまり、壱平に抱きつく。
嫌がる素振りを見せるも、振り払う事はせずにそっぽを向いてしまった。
「ありがとうございます!本当に、本当に…」
「別に。ボクは朱音ちゃんに頼まれたからやっただけだし。出来たならもう戻るよ。」
「はい!」
納刀。と唱え刃に手を触れると雪が舞ったように結晶を残して消えていく。
ライは嬉しそうに拍手をしてくれてどこか恥ずかしさを感じながらも先を歩く壱平を急いで追いかける。
「壱平さん!本当にありがとうございます!これで朱音さんとの特訓は付喪を使える状態で挑めます!」
「だから、礼を言われる事じゃないって。…朱音ちゃんはあぁ見えても忙しいんだからあんまり手を煩わせないでね。」
「?ーはい!」
そう言った表情は目元は髪で隠れてあまり見えなかったが、どこか不貞腐れたような顔だった。
「ボクは先に行く。感覚を忘れないように少しライと遊んできたら。」
「わかりました!」
ライは隣でニヤニヤと頬を緩ませながら、壱平が去っていくのを見送る。
「なんか、壱平さん拗ねてます?」
「あのネ。壱平は朱音チャンの事恩人としても人としても大好きだからきっと君に付きっきりになって嫉妬してるんだヨ。」
「そ、そうなんですか!?」
「内緒だヨ?」
意地悪っぽく笑い、人差し指を口元に当てるとライは空き地に置かれたドラム缶へと腰をかける。
「せっかくだから、特異は常異したまま話ソッカ。」
「はい。」
もう一度、同じ手順で白銀を抜刀し、ライの隣に座る。
「前に少し話したけど、壱平はとある組織の取調官だったんダ。」
「はい。」
「それでね、精神を病んだ壱平は用済みとして殺されるはずだっタ。そこに朱音チャンが乗り込んで壱平を連れ出したんだヨ。」
「そうだったんだ。」
「ウン。その時、オレは国外での仕事だったから応援には行けなかったんだけど満も別の仕事って言ってたから朱音チャン1人で周りのヤツら蹴散らしてきちゃったんだヨ。」
それは凄い。
強いとは思っていたがまさかそこまでとは。
「壱平から見たらその時の朱音チャンは神のようにもヒーローのようにも見えたんだろうネ。入ってしばらくは朱音チャンにしか口は聞かないしオレたちとは目も合わせなかったんだヨ。」
「へぇ…だから僕に対しても冷たいんですね。」
「オレたちの頃に比べれば全然マシだヨ。」
「そう…ですかね…。」
「累?」
「あ、れ?目の前が……クラクラして…」
言葉を言い終わる前に体が倒れる。
「アチャー。異力切れか。仕方ネ。」
ライの言葉が遠くから聞こえる。
ダメだ、目が開けられない…
体がポカポカする。
なんだろう。とても温かくて心地がいいな。
布団の中?いやそれもあるが、それだけじゃない気がする。まるで何かに包まれているようなそんな気分だ。
「起きたかな?」
「あ、朱音さん。」
薄ら目を開けると、ベッドの横に微笑み座る朱音が優しい眼差しを送っていた。
「あれ?どうしてまたベッドに。」
「異力切れでぶっ倒れたんだよ。今少し分けてるからもう少し寝てなよ。」
「え、それって…すみません!!」
「いやいや〜。謝らなくていいよ。」
体を起こしたものの、頭は重く風邪を引いたようにダルかった。
ここは甘えておこう。
目を閉じると壱平の特異が鮮明に浮かぶ。
疑心暗鬼。相手を惑わせ幻覚を見せる強力な特異。それに初めて聞いた『鳴翠』という奥義。
少し自我を強く持って逆らおうとしても鳴翠を使われては疑心暗鬼での惑いを強制的に後押しされてしまう。
恐ろしく強い。
「壱平は強かったでしょ?」
「はい。鳴翠という奥義もとても凄かったです。」
「おや?壱平に鳴翠を使わせたの?」
「確かに使われました。」
朱音は驚いた表情をすると、どこか嬉しそうに肩を揺らした。
「それは見事!すごいね。」
「そうなんですか?」
「そうだよ。鳴翠はとても強力でね。壱平はあまり使いたがらないんだ。でも、君が本気で特異を使いこなして付喪を自分のモノにしようとしている熱意が壱平に伝わったのかな?」
「そう、なんですね。」
もしかしたら、それは美化しすぎかもしれない。
きっと壱平はこれ以上朱音の手を煩わせないで欲しい。その一択なのだろう。
「さて、そろそろいいかな?私の異力ばかり入れては君は私になってしまうからね。」
「はい!なんだか体のダルさも抜けました!」
「良かった良かった。それじゃあ私は先に事務所で待ってるね。」
「はい。」
少し乱れた服を着直しながら立ち上がると、多少のフラつきはあるものの四肢の動きは正常だった。
(他人に異力が送れるってそれもまた相当凄いよな。)
事務所に戻ると皆はいつもと変わらぬように各々の仕事とにらめっこをしていた。
自分もぼちぼち仕事に取り掛かろうと席に着くと見覚えのないチョコレート菓子が置かれていた。
(あれ?こんなの持ってたっけな。)
意味もなく裏側を見ると『調子乗んなバーカ!』と荒々しくペンで書かれていた。
それは誰が書いたかすぐに分かった。
きっとこれに返事は必要ないだろう。
はい!と大きく心の内で返事をし、一口頬張る。
「コックリさんコックリさん。どうぞお越しください。」
「お越しくださいましたら、はいへ。」
夕暮れ差し込む教室の一角。
無自覚な呪詛の言葉が幾度と繰り返される。
ーー
「ーーここにXを代入し…」
今日も今日とて授業には全く集中できず、晴れ渡る空を眺めていた。
白銀。
きっとこれは付喪の名前なんだと思う。
めちゃくちゃカッコイイな。次は壱平のように技の名前をーーー
「月島累!!」
「は、はい!?」
「聞いているのか!外ばかり見て、罰としてここの問題を解いてみろ。」
「えぇ…」
黒板の前まで行き、チョークを握る。
この問題は確かこの間を満にーーー
「っ!?」
微かに感じた怪異の気配。
それは微量だが、確かにわかった。
これはあの時の10円玉から放たれた怪異に似ている。
まさか、ここにコックリさんが…?
「お、おい。月島?お前顔色が…」
「すみません、先生。少し具合が悪いので保健室に行ってきます。」
「お、おう。それなら坂部、お前保健委員だったよな?付き添ってやれ。」
「はい。」
本当は一人がよかったが、やむを得ない。
今は怪異の居場所を掴まなければ。
「大丈夫?」
「あぁ。ごめんな。」
「いいのいいの。それより本当に顔色悪いね?汗もかいてるし熱でもあるのかな?」
「いや、そういうわけじゃ。」
ここだ。
廊下の奥から明らかに殺意のこもった異力を感じる。
早く行かなければーー
「月島君!」
「あ、えと…少しあの教室に…」
「ダメだよ!保健室に行くの!」
真面目な坂部が着いてきたのだ。
行くては阻まれ、強制的に保健室に連行される。
「熱はないみたいだね。」
「…うん。」
「保健の先生今居ないんだって。後で説明しておくからベッドで休んだ方がいいんじゃない?」
「そうするよ。」
「それじゃあ私は戻るね。」
ニコリと微笑み保健室を出ようとする坂部の背中に黒いモヤがかかる。
ーー間違いない。怪異だ。
「ま、待って!」
「え?どうしたの?」
「あ、えっとその。少し話がしたいんだ。」
「?別にいいけど。」
焦って引き止めてしまったが、坂部に怪異の事を話しても信じてはくれないだろう。
どうやって聞き出そう。
「どうしたの?やっぱり体調悪いんじゃ…」
「なぁ坂部。」
「うん?」
「お前の周りに、コックリさんをやった人はいないか?」
「…え?」
「その、なんだ。あー最近流行ってるってバイト先の人が話しててさ。」
少し無理があったか。
だが、ダメだ。坂部から感じた異力もあの時と同じもの。きっと何かあったに違いない。
「……お姉ちゃんが、ね。」
「お姉さんが?」
「うん。…数日前に友達とコックリさんをやって、それから…っ…」
「あ、おい。大丈夫か?」
「うん…。帰ってきてから様子がおかしくて、何かわからない言葉を急に叫んだり…深夜に食べ物を食べ漁ったり…」
涙がこぼれる。
そうか、元気がない理由はこれだったのか。
背中をさすり、無理に話さなくていいと声をかける。
何とかしなければ。
怪異探偵として原因を知っている僕が助けなければ。
「ねぇ…お姉ちゃんは死んじゃうのかな?」
「いや。大丈夫。僕が助けるよ。」
「でも!お祓いもいったし御札だって、お守りだって沢山ーー!!」
「大丈夫。」
優しく肩に手を置き、坂部を宥める。
特異も付喪も使えるようになった今、これは最大のチャンスだ。
そう強く思った。
ーー
「ーーだめだ。」
「どうしてですか!?」
累は学校を早退し、足早に事務所へと向かった。
それは今回の怪異は任せて欲しいと朱音に直談判するからだ。
「僕の友人が巻き込まれているんです!」
「それは分かっているよ。でもね、君一人に任せる訳にはいかないよ。」
「大丈夫ですって!特異も付喪も使えるようになりました。アイツの姉さんを救うのくらい僕一人でーー!」
「ダメだと言っている。」
「そんな…」
くるりと椅子をまわし、累に背を向ける。
「君は過信しすぎている。確かに言霊は強力な特異だよ。ましてや君には加護もついている。ただ、よってその反動は凄まじいものだと私は思っている。」
「反動って…」
「ハイリスクハイリターン。強力な力はそれ相応の力を主に与えるがそれによって主に返るリスクも相応のものとなる。私たちだって何度もそれで失敗を重ねてきた。まだ実践もしていない君がいきなり怪異と戦うのは無茶なんだよ。」
「そのくらい自分で何とかできます。」
はぁ。と呆れたため息が聞こえる。
「今回の件は私とライが何とかする。君の友人のお姉さんだって助けてやるさ。だから慌てるな、少年。」
「っ……」
「何をそんなに慌てているか知らないが、物事には順序というものがある。それを1段でも飛ばせばその被害は計り知れない。怪異と戦うということは常に危険と隣り合わせなんだ。少し頭を冷やしなさい。」
「…はい。」
己の悔しさに事務所を飛び出る。
確かに、朱音とライの2人であればあの程度の怪異などすぐに倒せるだろう。
ただ、違うんだ。
僕は僕の力で坂部を救いたい。
自分だってみんなと同じように戦いたいんだ。
「くそ…!」
「そう焦るな。」
「だって!僕だってこの力を役立てたいんだ!…この力で誰かを救いたいんだ。」
「朱音だってそれは分かってるはずだ。ただ、特異はそう簡単に自分の言うことを聞いてくれる訳じゃない。」
「わかってる!わかってるけど…」
満は缶コーヒーを片手に累の隣に腰掛ける。
慰めにきてくれたのだろう。
ただ、今はその優しさが苦しい。
「朱音は誰も傷つかないよう、あぁやって怪異を見極めて適正の人物を送り込んでるんだ。」
「適正って言うなら、僕だってそうじゃないか。」
「確かにな。そもそも、今回の怪異はお前の特異を使って何年かは封じる予定だ。ただ、お前を出すには少し早すぎるだけだ。」
早いってなんだよ。
誰かが死ぬかもしれない。そんな状況で早いも遅いもないはずだ。
「お前が焦る気持ちも分かる。自分が早く何とかしなければと急いているんだろ。」
「…うん。」
「大丈夫だ。みんなそれは分かっている。だから、お前が安定して特異を使えるまであの二人が祓い続けるんだ。わかったか?」
「それでも…僕は坂部を助けたいんだ。」
「お前も聞かねぇなぁ。」
そう言うと、コーヒーを飲み干し「所長がダメと言ってるんだ。今は大人しく言うことを聞いてろ。」と事務所へも戻って行った。
「…朱音さんがダメと言っても僕は出来るんだ。」
深夜、坂部と連絡を取り人1人いない公園で集合した。
「それで、お姉ちゃんを助けられるって本当?」
「あぁ。僕なら出来る。」
「でも、お祓いでもダメだったのに月島君に…」
「お姉さんに憑いているのはそこら辺のお祓いなんかじゃ無理なんだ。…お姉さんに合わせてくれ。」
「うん…」
坂部の姉は今は家とは別の小さな部屋に隔離しているとの事。
最近は家を荒らし、両親に暴力を働くようになったのが原因らしい。
その部屋は住宅街から離れて林を少し行ったところにの奥にひっそりと佇んでいた。
部屋と言うよりも小屋という方が似合のものだった。
「……」
「本当に大丈夫なの?」
「…あぁ。」
小屋から溢れ出る異力。
それは禍々しく小屋を包み込んでいた。
腰に着けた付喪を握り、小屋の戸へと手をかける。
「何をしているんだ。」
「っ!!?」
「だ、誰!?」
突然の声に驚き振り返ると、小さな光が一筋線を描き漂っていた。
「み、満…」
「ったく。1人で行くなっていったよな?」
「どうしてここに…」
よく見ると、片手には付喪が開かれていた。
…そうか。全て読まれていたのか。
「知り合い?」
「うん。僕のバイト先の人。」
「あぁ!この間校門にいた人!」
満はタバコを小さなポケット灰皿に押し付けると、呆れたように大きなため息をつく。
「どうして1人でやろうとする。」
「友達が困ってるんだ。放っておけない。」
「それは言い訳だろ?本当は自分の特異を使ってソイツを祓い自分を認めさせたい。だろ?」
「そ、それは…」
「はぁ。…朱音は居ない。今なら戻れる。帰るぞ。」
「ダメなんだ!!お願いだから邪魔をしないで。」
「えっと…」
全く二人の会話についていけない坂部は小屋の鍵を持ち、オロオロと困っていた。
すると小屋の戸が強く叩かれる。
それと同時に人ではない獣のような叫び声が辺りに響き渡る。
「お姉ちゃん!」
「早く!鍵を開けて!」
「おい!やめーーー」
切羽詰まった人間は時に正しい行動が取れなくなる。
坂部は姉の断末魔のような叫びを聞き、鍵を開けてしまった。
途端に中から飛び出してきたのは最早、人ではない。
ただの怪異だった。
「ぐっーー!」
「月島君!」
「チッ!」
勢いよく飛び出てきた怪異は迷うこと無く累へと飛びかかる。
何とか付喪で防ぐも、その勢いは収まらず食らいつこうと襲いかかる。
「くそ!これじゃあ付喪が出せない!」
「下がれ!累!」
「嫌だ!」
満の特異は読心。
今この状況に最も適していないだろう。
ならば尚更自分が何とかしなければ。
「と、特異!言霊…白銀!」
何とか口に出せた。
だがどうだろう。付喪からは刀身は出ず何も起こらない。
「な!?ど、どうして!」
「累!ソイツの狙いはお前じゃない!ソイツの狙いはーーー!」
満の言葉が言い終える前に、累の付喪が強くその手から弾かれる。
「え…?」
それは恐怖で動けない坂部の元へと転がる。
怪異はぐるりと首を回転させ、坂部へと視線を向ける。
そして、関節をゴキゴキと鳴らし坂部の元へと走り寄る。
「ヒッ…!こ、来ないで…」
「坂部!逃げろ!」
「あ…あ…」
立ち上がろうと体に力をいれるも、体が軋み思うように動けない。
「坂部!!」
「っ!!」
「特異、読心『乱歩』」
まるで先を読んでいたかのように満は怪異と坂部の間に立ち、怪異を地面へと叩きつける。
『ァァァアアァァア"""!!!!!』
鼓膜が破れそうな程に大きな断末魔を上げると、坂部の姉を取り囲んでいたモヤは晴れ、怪異が消え去っていく。
「みち、る…」
「っはぁ…とりあえず一段落だろう。」
少し苦しそうに肩を上下させ、姉の元に近寄る。
「満!後ろ!」
「なっ!?」
累の声に反応し、即座に後ろを振り向くとそこに立っていたの坂部だった。
いや、違う。
これはーー怪異だ。
「くそ。転移型の怪異か。…しくったな。」
「み、ちる…!」
痛む体に鞭を打ち、立ち上がる。
満は強い。ただ、それは後方支援であってこのような戦いは向いていない。
それに、読心の使い手である満が怪異の動きに気づけないということは……『ハイリスクハイリターン』朱音の言葉を思い出す。
きっと、乱歩を使うと一時的に読心の効果も無くなってしまうんだ。
落ちた付喪を拾い、構える。
「言霊!白銀!!」
何度叫ぼうとその刀身は姿を現さない。
「くそ!くそ!!なんでだよ!出てこいよ…!」
「くっ…!累!ソイツを連れてここから逃げろ!」
「でも!」
「いいから行けっていってんだよ!」
「っ…!」
坂部の姉を抱え、走る。
僕は逃げたんだ。
「っはぁ…!はぁ…!」
朱音さんの言うことを聞いていれば、こんな事にはならなかった。
ちゃんとあの時忠告を聞いていれば満も傷つかずに済んだ。
「くそ…!くそ!」
僕は取り返しのつかない事をしてしまったんだ。
なんて事を…してしまったんだ…。
「朱音さん!!」
息を切らし勢いよく扉を開くと、驚いた表情で朱音は振り返りすぐさま表情を消した。
「あ、朱音さ…」
「すぐに案内しろ。ライ、お前は学校へ。壱平はこの子の保護を。」
「応。」
「了解。」
説明する間もなく各自が言われた通りに素早く動いていく。
朱音は何も言わずに事務所を出て行った。
急いでその後を追い、渡されたヘルメットを被りバイクへとまたがった。
「場所は。」
「芦戸区三丁目の林を抜けたところです。」
返事はなかった。
怒っている。それだけがヒシヒシと伝わってきた。
バイクはかなりのスピードを出し、車の間を駆けていく。振り落とされぬよう必死で捕まり、満の無事を願った。
「はぁ……っ…」
乱歩は相手の筋肉や関節の動きを読み、相手の行動を先読み出来る。
ただそれによってもたらされるのは一時的な読心の停止。
今コイツと渡り合うには薄弱すぎる。
「ったく。図体ばっかデカくしやがって。」
怪異は坂部の恐怖心をエサに増幅していた。
もし、こいつの狙い通り累の付喪を取り込んでいたらこれだけじゃ済まなかっただろう。
『アァァァア""!!』
「るっせぇんだよ…!」
万が一の為に朱音に渡された短刀に残り少ない異力を込めて戦う。だが、その異力も時期に切れる。
目の前が歪み、地面との距離も怪異との距離もあやふやになる。
そろそろ仕留めなければ先にコチラが力尽きるだろう。
「俺は前線は向いていないんだ。お手柔らかに頼むよ。」
その声は届く訳もなく。容赦ない攻撃が満に降かかる。
『満。』
「っ!?」
『こっちにおいで。満。』
聞こえてくるのは優しく懐かしい温かい声。
「ね、姉…さん…」
『おいで。満。』
「っーーーーー!」
目的地につき、荒々しくヘルメットを外すと朱音は付喪を取り出し迷うこと無く歩き出す。
先程とは違い、辺りは静まり返っていた。
草木の音ひとつない、まるで隔離された閉鎖空間のよう。
「……」
「な、なんだあれ…」
足が竦む。
目の前に広がっていたのは暗闇の中でもハッキリと見える黒く大きな怪異の塊だった。
そして、その中には坂部の姿と…満がいた。
『ミ チル』
怪異は何度も満の名前を懐かしげに呼んでいた。
うごうごと意味の無い奇怪な動きを繰り返し、満を抱えるように内部に取り込む。
「満!!」
「下がってろ。」
「で、でも…!」
「邪魔なんだよ。」
「っ…」
朱音から殺気が伝わってくる。
それは1歩でも動いたら殺される。釈迦如来の時に見せた気迫とは違う明らかな殺意だった。
それと同時に感じる激しい怒り。
『ミ チ ル』
それは一瞬だった。
怪異がもう一度満の名を読んだ次の瞬間には朱音の銃弾が怪異を引き裂き、何発も撃ち込まれる。
怪異は叫びを上げる事もなく闇へと消えていった。
「あ…」
怪異から解放された坂部と満は気を失ったまま地面へと落ちていった。
「坂部!」
駆け寄り、肩を揺らすも応答はない。
ただ息はしているようだ。
「よかったーーーーっ!!」
真後ろから蹴り飛ばされる。突然の痛みと衝撃に地面を転がる。
「っあ…」
体制を立て直す暇もなく次の蹴りが腹部へと食い込む。それは怪異なんかじゃない。朱音によるものだった。
「ゲハッ…!っ……」
「言い訳も説明も聞かない。もちろん謝罪も受け付けない。」
「っは…ぁ…」
「散々説明はしたはずだ。必ず私達が解決する。お前は待てと。」
「は、はい…」
「それを聞いてなお、このザマか?」
「すみませ……ぐぁ!」
「謝れば済むのか?このまま助けが間に合わずに満が死んでもお前はただ謝罪を述べて終いか?」
「っ……」
「死んでないからよかった。そうじゃないんだ。お前が身勝手なことをしなければ、そこの彼女も満もこんな風にならずに済んだ。お前は弱い。心も力も全て弱い。ザコが調子に乗ってんじゃねぇよ。」
「……」
朱音の言う通りだった。
自分を過信し忠告を聞かなかった結果がこれだ。
なにも言い返すことはできない。
「初犯だからと言って許される事じゃない。お前は今日をもってクーーー」
「待て、朱音。」
言葉を遮ったのは満だった。
苦しそうに体を起こし、足を引きずりながらも二人の間に立つ。
「これは俺の失態でもある。止めるならお前も連れてくるべきだった。コイツをクビにするなら連帯責任として俺も辞める。」
「そんな…!満!」
「お前は黙ってろ。…これは脅しなんかじゃない。俺の本気だ。」
「………」
しばらくの沈黙。
その空気は重く、口を出せる状況ではなかった。
「…わかった。それが満の意思ならば受け止めよう。」
そう言い、振り返ること無く立ち去ってしまった。遠ざかるバイク音が消えるまでそこに言葉はなかった。
「…どうして。」
「さぁな。お前に話してもわかんねぇよ。」
「クビになるのは僕だけで良かったはず。…満は巻き込まれたんだから。」
「それ以上喋んな。…迎えが来た。その子を連れて帰んぞ。」
黄色い閃光が走る。
ライが来たんだ。
「迎えに来たヨ。」
「ライさん…」
「累、朱音チャンは怒ると怖いって言わなかったっケ?」
「聞きました。」
「まァその程度の怪我で済んで良かったネ。オレの時はマジで死ぬと思ったかラ。」
「はい…。」
「帰ろっカ。」
帰りはもちろん徒歩だった。
深夜とはいえ、人は歩いている。
なるべく人の通らない裏路地を通り、事務所まで向かう。その間、満はずっとタバコを吸っていた。
累もまた、緊張と恐怖で足が震えていた。
それを察してかライが坂部を受け取ってくれて、折れそうになる心を何度も胸を叩いて持ち直す。
「……」
「……」
「2人共、イイ?開けるヨ?」
「あぁ。」
「はい。」
ライを先頭にして事務所へと入る。
怖い。
きっと朱音は尋常でないほど怒っているだろう。
下げた顔が恐怖で上げられない。
「…」
「朱音チャン。この子は医務室でイイ?」
「あぁ。」
「ハーイ。」
ライが行ってしまった。
もうここに助け舟は来ない。
「何しに来た。」
…そうなるよな。
クビになったのに、またのこのこと何をしに来たという話なのだ。
なんて言おう…謝っても言い訳をしても何をしてもきっと許されない。
「済まなかった。」
「本当に…すみませんでした…」
「それで?」
「もう一度チャンスが欲しいと思う。」
背を向けたまま朱音は振り返らない。
後ろ姿からも伝わる怒りは言うまでもないだろう。
「2人とも辞めたんじゃなかったっけ。」
「それなら再入社を求む。」
「ぼ、僕も…もう一度面接から…」
「……面接の時間は明日の夕刻17時。場所は事務所裏の空き地だ。内容はこの私を2人で倒す事。それが出来なければこの話はなかったことにする。」
「わかった。」
「はい。」
「今日はあの二人を家に届けて帰れ。きっと親御さんが心配してる。」
「あぁ。」
「わかりました。」
手当の終わった坂部姉妹を車に乗せ、そのまま自宅へと向かう。
「…明日朱音さんに勝てるかな。」
「勝てねぇだろ。どう考えても無理だわ。」
「じゃあどうしよう。」
「別に。全力でやればいいだろ。それに朱音は俺たちが勝とうが負けようがまた入れてくれる。」
「どうして?」
「面接の時間。夕刻の17時はお前が学校も終わって事務所に来る時間だろ。入れる気がねぇなら適当に朝にでも終わらせて追っ払う。」
「たしかに。…死なないように気をつけよう。」
「だな。」
気づけば坂部姉妹の自宅前に着いており、チャイムを鳴らすと血相を変えた両親が飛び出してきた。理由は適当に、「ドライブ中に倒れているふたりを見つけたので送りに来た。」などと後付けし、多少怪しまれたが坂部彩花の同級生という事もあり、礼を言われその場は丸く納まった。
ーー
「今日は坂部さんがお休みだ。それ以外は出席という事でいいなー。」
雑な出席が終わり、皆が1限目の準備をする中累は担任に坂部の欠席理由を尋ねた。
理由は単に体調不良との事。数日の休みを取ったらしい。ホッと胸をなでおろし席に戻ると心配そうな顔をした宮下が「風邪かな!?見舞いとか行った方がいいかな!?」などと騒いでいたが、そっとしておいた方がいい。と言うと納得したように何度も頷いていた。
今日の授業はそれはそれは真面目に聞いた。
教師も驚く程姿勢よく、一語一句聞き逃さず聞いた。そうして面接の事を少しでも忘れようとしていた。
しかし時は残酷で、いつもは長いと思っていた学校はいつの間にか放課後のチャイムを高々と鳴らし、早く行けと背中を押しているようだった。
「はぁ…」
「どうしたー?元気ねぇな?」
「いや、まぁね…じゃあこれからバイトだから。」
「おう!頑張れよー!」
無邪気な宮下の声援を受け、足取り重く事務所へと向かう。
「おはようございます…」
覗くように小さく扉を開くと壱平が走りよってきて頭を殴られる。
「あのさぁ!朱音ちゃんに迷惑かけるなって言ったよね!?なにやってんの!」
「す、すみません…」
「はぁああ。…朱音ちゃんと満なら先に空き地に行ってるよ。まったく、本当に君はバカ!バカバカ!」
「すみませんーー!」
その様子をニコニコと見ていたライが、付き添いという事で空き地まで行く。
壱平は「どっかのバカ二人が残した仕事が終わらないからあとから行くよ!」と怒鳴り、事務所に残った。
空き地に着くと、それはまた重たい空気が流れていた。満と朱音は距離を離れた場所に待機しており、静かに満の隣に擦り寄る。
「どうも…」
「来たか。…始まるぞ。」
審判はライ。
静かな風が両者の間に吹く。
先に動いたのは朱音だった。一瞬でその間合いを詰め、累を蹴り飛ばす。
満は何とか受身をとるも、数メートルも飛ばされる。
「いいか。私はお前たちを殺す気で相手する。少しでも気を抜いたら死ぬと思え。」
「っ…わかってるーー!」
満の読心は手の内がバレていれば無意味に近い。
ただ、それを補う体術で何とか戦えている。
それもいつまでも持つわけではない。
僕がやらなければ。
付喪を構え、言霊を唱える。
…やはり上手くいかない。
昨日もそうだった。おそらく原因は精神の乱れだろう。
焦るな。落ち着け。
冷静に考えろ。
今最優先すべきは付喪ではない。朱音の動きを止める事だ。
大きく息を吸い、叫ぶ。
「止まれ!!!」
「っーー!」
朱音の動きが止まる。
上手くいったんだ!
「油断してんじゃねーよ。」
「なっ!あぐぁ…!!」
「言霊が1回使えただけで安心してんじゃねぇよ。」
そうだ。相手は朱音。
油断なんてしちゃいけない。
「ほら、どうした?アタシに傷一つ付いてない。本当にやる気あんの?」
「いっーー!やる気は、あります!!」
満!聞こえているよね!?
心の中で叫ぶ。
僕が特異で朱音さんの動きを止める。
僕の付喪が使えるまで時間稼ぎをしてほしい!
そう。
この勝負は累の特異にかかっている。
満は小さく頷き朱音を引きつける。
心を乱さず、冷静に呼吸を落ち着け言霊を唱える。何とか朱音の動きを止める程度の言霊は使えるようになった。
あとは付喪さえ出せればーーー
「累!!」
「ぐぁあ!」
一瞬の隙にの蹴りが顔にめり込む。
ダメだ。一度に3つのことを集中して行うなど難題すぎる。
あまつさえ朱音の容赦ない攻撃に付喪所ではない。
「がハッ…っぁあ"…」
「昨日の勢いはどうした。出来るんだろ?1人で全部さぁ!」
「あぁぁあ!!」
「やめろっ!」
戦況は圧倒だった。
どれだけ足掻いても2人は朱音に手も足も出ていない。だが、それに比べ朱音は1割も本気を出していない。
「どーお。」
「壱平。仕事終わったノ?」
「とりあえず一段落ってところ。…なにこれ。」
「防戦一方って感じだネ。累も少しは特異を使えてるみたいだけど、満の特異はあってもないようなモンだし。」
「酷いね。見れたもんじゃないよ。」
欠伸をひとつ漏らし、ライに寄りかかる。
そもそもあの二人が朱音に勝てるわけが無い。
やるだけ無駄というものだ。
特に累は朱音への恐怖心が勝って全く特異に集中出来ていない。
特異を使うのに必要な精神統一がまるでなっていない。
「よくもまぁあれで大口叩いたもんだよね。」
「まァーそれが累のいい所でもあって悪い所でもあるよネ。」
「悪い所一択の間違いでしょ。」
この茶番ももってあと5分程度。
満の体力も異力も尽きかけている。
「これだからバカは嫌いなんだよ。」
「はぁ…はぁ…!」
息を切らしボロボロな2人に対し朱音は服一つ乱さずに立っていた。
「もう終わり?それならお前たちは失格だね。」
「っはぁ…はっこの程度で見限られちゃ困る。」
「ふーん?」
満からのハンドサイン。
これはきっと、最後という事だ。
満は乱歩を使う。もう、読心を使う事はできない。そして、このチャンスを逃せば満はもう戦えないだろう。
覚悟を決めたように大きく頷く。
「特異、読心『乱歩』!」
「ほう。」
朱音はニヤリと口角をあげ、その土俵に乗り込むように満へと付喪を向ける。
今日初めて朱音が付喪を出した。
今しかない。満が捨て身で作ったこのチャンスを棒に振るわけにはいかない。
大きく息を吸い、噛み締めるように吐き出す。
心を乱すな。
あの時の事を思い出せ。
白銀。
聞こえるか、いや聞け。
お前は僕の付喪だ。
とっとと僕に従え…!
「特異、言霊…白銀!」
眩い程の光が累を包む。
明らかに変わった異力の流れ。
「ふん。やっとか。」
「オー!やったネ!」
美しい白銀の羽衣を体に纏い、付喪からは刀身が輝き伸びていた。
付喪を強く握り、朱音へと向ける。
「犬鳴朱音。あなたの相手は僕です。」
透き通るような涼しい声が脳裏に焼き付く。
その言葉は逆らう事を許さず、体を累へと向ける。
「あとは…頼んだぞ。累。」
全身の力がふっと抜ける。
地面へと近づく視界はかすみ、よく見えない。
「ハイ。お疲れ様、満。」
「あぁ…」
ライは満を抱えるとすぐに離れた場所へ移動した。
朱音と累。
2人は長く対面すると、目には追えない速さでお互いの付喪をぶつけ合う。
「言霊『白凪』」
体が動かない。
まさか、この短時間でここまで成長するとは。
累は容赦なく朱音に刃を突きつける。
「特異、反転。」
だが、朱音は余裕な表情を浮かべ特異を発動する。
累はひっくり返った付喪ごと壁に強く叩きつけられた。
「悪くない。こんなに急成長するとは思っても見なかったよ。」
「っ…言霊『天上』」
「うあっ!」
何かに釣り上げられるように体が空高く持ち上がる。
これは凄い。それと同時にかなりまずい。
「言霊『天下』」
「っあぁ!」
今度は急速に落下する。
何とか反転を使い、衝突は避けられた。
特異反転は己に向けられた物理から特異全てを言葉通り反転させる事が出来る。
実に使い勝手がいい得意ではあるが、逆に手の内が分からない累の特異に対しては使えない。
もしも、累が自爆的な言霊を使えばそれを知らずに反転させてしまえば全て朱音に向かうことになる。実に厄介な相手だ。
「これは少しヤバいね。」
「言霊『退き』」
「っ~~~~~!」
後ろに引っ張られる。
付喪を使えば特段、脅威ではない。
ただ、体がこうも訳の分からない方へ飛ばされ続けると恐ろしい程に体力がもっていかれる。
「はぁ…つっかれんな…」
「言霊『白凪』」
「特異反転!」
「っ!」
「同じでは2度も食らわないっての!」
「言霊『紡』」
「んん!!」
口が縫われたように固く閉ざされる。
これでは特異は使えない。
先に言霊を解いた累は朱音へ猛攻を続ける。
その刀使いは隙が一切なく、完璧なものだった。
刀と銃。
この2つは戦闘において1位2位を争う使いやすさを誇る。
ただ、両者がぶつかれば間合いを詰められた刀の方が有利となる。
「ちょっとちょっと。朱音ちゃんが押されてるの?」
「みたいだネー。累も強くなったなァ。」
「まさか加護をも使いこなすとは。予想外だな。」
ある程度復活した満は倒れ込み2人を見上げていた。いくら、朱音が本気を出していないとはいえあそこまで追い込まれているのは初めて見る。
「まぁでも、朱音ちゃんが手抜いてるのは一目瞭然だね。」
「本気出したら累死んじゃうでショ。」
「いっその事一回死ねば自分のバカさを思い知っていいじゃない。」
なんて呑気に3人が話していると、突然朱音が大きな笑い声をあげる。
「そうかそうか!本気なんだね?本気の本気なんだね。累!…それなら私もその土俵に立とうか。」
バッと両手を広げ、大きく唱える。
「特異解放!」
「ばっ!お、おい朱音!それだけはよせ!」
「本気!?」
「これはマズイネ。」
3人はほぼ同時に飛び出していた。
そんな事はお構い無しに朱音は続ける。
「異力卍上、来い!鬼丸!」
地獄の門が開かれる。
朱音を取り囲むように真っ赤な暴風が吹き荒れ、とてつもない異力を発する。
風が止み、次に姿を現した朱音は言葉で表すのであれば「鬼神」。
頭には2本の角が生え、装いも変わり着物のようなものを身に纏う。
そう。これが朱音の加護。
鬼神、鬼丸。
こうなれば、もはや誰にも手が付けられない。
朱音の意思で止めるか朱音の異力が尽きるまで耐えるかの2択しか方法はない。
「嘘でしょ…まさか本当に鬼神化しちゃうなんて…」
「朱音チャン!ほどほどにネ!」
「あまりやりすぎるなよ。」
これはもう諦めの境地。
なるべく距離をとり、いつでも駆け出せるように身構えだけはしておく。
加護対加護。
どれだけ長引くのか、被害はどの程度出るのか。
その後の事を満は考えた。
ーーだが、その勝負はすぐに結末を迎える。
「さぁ!かかってこいよ!!累!」
「言霊……しら…な、ぎ…」
「あ?累?」
「も、無理…」
「えぇ〜〜!?」
累の異力切れ。
これは新たな選択肢だった。
対戦相手がいなくなれば、朱音の矛先も収まるというもの。
「嘘だぁ!なんで!?このタイミングで!?」
「朱音、お終いだ。」
「やだぁ!」
「朱音ちゃん。ちょっと写真撮ってもいい?」
「壱平。気持ち悪いヨ。」
ここから!という時にまさかの出来事で朱音は駄々をこねる子どものように地団駄を踏んだ。
「やだやだ!せっかく鬼丸出したんだから戦いたい!」
「ダメだ。無用な争いは何も生まない。」
「やーだぁあ!!」
「くそ!なんでボクはスマホを置いてきちゃったんだ!自分のバカが!」
「落ち着いてヨ。」
朱音の駄々はしばらく続き、ライは先に累を事務所まで連れて戻り満と壱平は朱音の気が済むまで空き地で待機。
30分ほどそこら中を飛び回り、疲れ果てた朱音はヒョロヒョロと落ちてきた。
「やっと終わったか。」
「朱音ちゃんの幼児退行本当に可愛いよね。」
「バカかお前は。おら、さっさと戻んぞ。」
「あ!ボクが連れて帰ろうと思ったのに!」
朱音の鬼神化への代償。
それは幼児退行だった。言葉だけでは可愛いものだ。だが、それはそれは厄介で実に面倒くさい。前に一度、鬼神化をギリギリまで使い暴走間近で解除した時はこの幼児退行が2日も続いた。
それはまさに地獄。
ヤンヤンと騒ぎ、気に入らないことがあればすぐに手が出る。寝たかと思えば、怖い夢を見たなどと言って泣き付かれる始末。
確かに、幼い言動はいつもの朱音からは全く想像つかなく新鮮だが、それ以上に疲れる。
今回は数分だった事に感謝だ。
満と累の再入社の為の面接から3日が経った。
その後、意識を取り戻した累は満と共に朱音からの説教を受け、1ヶ月間の減給と今後二度と勝手な行動はしないという契約書を書き再度、怪異探偵事務所社員へと入社となった。
「あれれ〜?満くぅん、仕事が進んでないんじゃない?」
「……」
「先輩の言葉を無視とはいい度胸してるね?」
「…はぁ。先輩、これあなたへ所長からの直々の仕事です。しっかりこなしてください。」
「うげっ。仕方ないな。君にゆずってーー」
「結構です。先輩としてしっかり手本を見せてくださいよ。」
「…くっそ。」
目の前の問題は1つ解決したが、大きな問題はまだ残っている。
そう。
コックリさんは未だ消えていない。
累の異力は回復までに1週間弱はかかる。朱音の異力送転も鬼神化により正常な異力が送れないため使えずにいた。
ライと朱音は連日発生するコックリさんによる怪異を祓い街中を駆け回っていた。
累はというと、通常通り学校へ行きその身を休めるために数日間の休みをとり休養に務めている。
「ただいまぁ…」
「サスガにヘトヘトだよ…」
疲れきった様子で2人が帰宅する。
それもそのはずだ。コックリさんは昼夜問わずどこででも行われている。
倒れ込むようにソファーに横になる。
「くそぅ!どうしてこうもみんなコックリさんをしたがるんだ!」
「仕方ないネ。何でも答えてくれるっていう魅力的な話だモン。」
「くっそ。これも全部オトギリのせいだ!」
ーオトギリー
意図的に怪異をばら撒き、現世を怪異で支配しようと目論む組織。
壱平の元所属先。
怪異探偵社とは対立の組織。
また、累を誘拐しようとした黒ずくめのローブもこの一員である。
未だにその実態は正確に掴めていない。
「はーあ。どうしてこうもオトギリのシッポを掴めないのかね。」
「アイツらは逃げ足が早い。それに少しでも漏洩の可能性があるやつは迷わず処分されている。仕方の無い事だろう。」
「でもさぁ。……先代達なら見つけられたのかな。」
怪異探偵が設立されたのは今から5年前のこと。
当時は朱音達ではない、初代探偵社員が日夜オトギリの行方を追っていた。
初代探偵社所長、黒金和葉。
その名の通り、満の唯一の肉親である。
そしてその特異は『言霊』
和葉は巧みに言霊を使いこなし、今よりも数の多い社員たちを導いていた。
ーーあの事件が起こるまでは。
ーーーー
黒金和葉は心優しい誰にでも手を差し伸べる女性だった。
両親は満が幼い頃に交通事故で他界。
親戚に引き取られた2人だったが満は両親を失ったショックに立ち直れず、馴染めずにいた。そんな満をいつも傍で支えていたのが和葉だった。
満の特異が覚醒したのは中学に入ったすぐだった。慣れない生活に固く閉じた心。学校には到底馴染めずいつも1人で過ごしていた。
ガヤガヤとうるさい教室が苦手で授業以外は人の来ない空き教室で過ごす日々。
次第にその声は頭にガンガンと響くようになり、とてもじゃないが耐えられないものとなった。
そして、これが異常なのだと気づいた。
口では肯定していてもその裏返し。否定の声が聞こえる。
「え〜彼氏出来たの!?羨ましい〜。」
『どうせすぐ別れるわ。このブス。』
「大丈夫だって。俺ら親友だろ?」
『なわけねーだろ。バーカ。』
うるさい。
うるさいうるさい!!
耳を塞いでも頭に流れる声。
そんな状況に満の精神がもつはずもなく、すぐに学校へ行くのをやめた。
1日中へに閉じこもり、惰眠を謳歌する日々。
親戚も初めは何かあったのかと優しく声をかけたがそれも長くは続かない。
不登校となった満はだんだんと煙たがられ、避けられていった。
和葉はこの時既に特異の覚醒を自覚し、不自由なく生活していた。
そうして、不登校を続ける内についには学校へ行かないのならやめてしまえ。と親戚から告げられる。和葉はもう少し待ってもらうよう頼んだが満自身、もうどうでもよくなっていた。
そんな態度もあって親戚からの態度は和葉にまで悪くなり、とてもじゃないが心地よく過ごせるような生活ではなかった。
そんなある日、和葉は突然満を連れて家を飛び出した。
どこに行くかと尋ねても「大丈夫!」の一点張り。
そして辿り着いたのは小さなアパートだった。
家賃など色々な不安はあったが、何でも割のいい仕事を見つけてアルバイトをしている。保証人もそのバイト先の人になってもらったから大丈夫だと言うもんだ。
まぁ姉が言うなら平気か。とその時はそこまで深くは気にしなかった。
その日の夜、満は全てを姉に話した。
聞こえるはずのない声が聞こえる。と。
和葉は最後まで真剣に聞き、それは満に与えられた特別な力だよ。と優しく微笑んでくれた。
誰かに話せただけで心はスっと軽くなった気がした。
和葉によるとそれは特異性というもので、もうこうなってしまえば自分ではどうにも出来ない。適応するしかない。そういう事だった。
なんだか、あまりにも突飛な回答に不思議と抱えていたモヤは晴れ悩むことを諦める事にした。
和葉は無理して学校に行くことを勧めなかったが、それも申し訳なくなり学校にはきちんと通うようになった。やはり、声はいつでも聞こえるが中学を卒業する頃には意識しなければ気にならない程度までになっていた。
有難いことに成績は優秀だったため、高校は都立に入学できた。高校にもなると、その声は酷さを増して皆のドス黒い感情がいくつも流れたが、それももう慣れた。
その頃、和葉はもう高校も卒業しバイト先に正式に社員として雇われているらしい。
生活もそれなりで安定していて、それなりの暮らしをしていた。
ある日、和葉から自分の仕事先にバイトとして来ないか。と誘いを受けた。
満は迷うこと無くそれを承諾し、すぐに働く事になった。
そこは『怪異探偵』という頓痴気な名前の札が書かれた古びたビルの一室だった。
和葉は一人の男を紹介した。
その名を『片倉虎之助』と言う。
虎之助は快く満を受け入れ、今までの苦悩を分かってくれた。
とてもいい人だ。
怪異探偵とは尋ねると、自分たちの特別な力を使い困っている人たちを助けるというものだった。
何となくで要領をつかみ、言われた通りに仕事をこなしていく。
そんな風に過ごして気づけば1年の月日が経っていた。満が怪異探偵社員になって1年目のとある日。和葉が一人の女の子を連れて事務所へとやってきた。満はその子を知っていた。
学校でも噂になっている有名人だったからだ。それは決していい意味ではない。むしろ、悪い噂で有名だった。
真っ赤な髪を長く伸ばし、年上でも大人でも誰彼構わず気に食わなければすぐに暴力を働く。
危険人物として名を馳せていた。
彼女の名を『犬鳴朱音』と言う。
その事を知っていた満は和葉に伝えると、いつも通りの笑顔で「それは噂でしょ?人の流す嘘まみれの噂。」と言ってニコニコと笑っていた。
虎之助もまた、「面白いやつだ!」と引き受けてしまう。
2人は本当の善人なんだ。
どうやら、朱音にも特異性が覚醒しているらしくそれは強力なものだという。
わかっていた事だが朱音は誰の言うことも聞かずに好き勝手に暴れ回っていた。
もはや、注意する気にもならず全て虎之助に任せていた。
探偵社員も徐々に増えていき、ついに怪異の全て元凶が判明する。
それは『オトギリ』と名乗り、この現世を怪異で溢れさせ支配しようというクソみたいな組織だった。虎之助はその正体を掴もうと日々走り回っていた。
そして、虎之助は帰ってこなかった。
皆、血眼になって探し回ったがそれでもその影も形も見つからなかった。
絶対的リーダーを失い、探偵社の仲は次第に崩れて行った。
そんな探偵社を見兼ねて和葉は高々と宣言した。
「今日から私がここの所長です!!」
みんなは目を丸くして和葉を見た。
だが、重苦しく息をのしづらいこの状況でのその発言にみんなの張り詰めた糸が緩んだ気がした。
片倉虎之助が失踪して3年が経った。
満は20歳になり朱音は学生最後の1年となったその年、忘れようと何度も消し去ろうとしても消えやしないあの事件が起きた。
その日も何も変わりなく自分たちの業務をこなし、いつも通り過ごしていた。
それは夕陽が沈む黄昏時。
突然開かれた扉から威勢よく入ってきたのはオトギリだった。
あまりにも突然の事に為す術なく、社員全員囚われてしまった。
目隠しをされ、連れて行かれたのはどこか広大な施設だった。目が自由になり、なぜオトギリが事務所を襲ったのか理由がわかった。
ー裏切りー
社員のひとりが事務所を裏切り、売ったのだ。
誰も何も言わなかった。
オトギリの1人が高々と声を上げる。
「我々はオトギリ。この乱れた現世に秩序をもたらす神からの使者!」
そう叫ぶと信者のように周りのオトギリ達は歓声を上げた。
そして、宣告される。
「この者たちは我々の思想に反対し秩序を乱す元凶。よって浄化をもたらす!」
何が神だ。
何が秩序だ。
やっているのはただの思想に囚われた残虐行為。だ。
社員一人一人椅子に括り付けられる。
「邪念は浄化!」
「秩序こそ絶対!」
声を合わせそう何度も叫ぶ。
そして、一人。また一人と殺されていく。
最後に残されたのは和葉と満、朱音の3人だった。
和葉は一人立たされると一際大きな十字架に繋がれる。
「貴様が混沌の元凶だ!」
「火炙りだ!」
「塵も残すな!」
やめろ。
炎々とした炎が足元に積まれた木材を燃やしていく。
「やめろぉぉおお!!!」
満の声は信者達の声を上書きするように響いた。
和葉は一筋涙を流し、笑顔でこう言った。
「生きて。」
炎が燃え上がっていく。
和葉は最後の力を振り絞り、オトギリたちに自害するように叫び炎に包まれて行った。
信者達は言霊により奇声をあげて血飛沫を上げていく。
燃え盛る炎を前に満はただ涙を流していた。
最愛の姉が死んでしまった。
自分を救ってくれた姉がもうこの世にはいない。
それならもう生きている意味などない。
一生特異に苦しめられながら生きていくなら今ここで姉と共に消えてしまいたい。
「姉さん…俺も…」
伸ばした手は強く引き戻された。
それは涙を拭い、しっかりと地に立つ朱音だった。朱音の手を払い無闇に泣き叫ぶ。
だが朱音はその手を離すことなく、
「和葉さんは生きろと言った!だから死ぬな!!」
真っ直ぐと満をみてそう叫ぶ。
あぁ、そうか。
俺は生きなければいけない。
姉さんに託されたから。
後に、朱音は和葉の言いつけ通りしっかり高校を卒業し、新たに事務所を立ち上げた。
これが5年前の春。
ーー
「満ー?」
「ん、あぁ。どうした?」
「それはこっちのセリフだよ。どうしたの?考え込んだ顔しちゃって。」
「別に、何でもない。朱音、飯食い行くぞ。」
「へ?」
「いいから来い。奢ってやる。」
「そんな急にどうし………あぁそういう事か。いいよー奢られてあげる。」
「ちょっと!朱音ちゃんだけ!?ズルいくないかい!」
「壱平、空気読もうネ?」
あの時、朱音がいなければ俺は迷わずあの炎に飛び込んでいた。
姉の後を追って死んでいた。
「満がさ、累の事あそこまで肩入れしてるのって和葉さんと重ねてるんでしょ?」
「…そうかもしれないな。」
そうなのかもしれない。
累の特異を聞いた時、姉が帰ってくるのではないかと心のどこかでは期待していた。
だが、死んだ者はもう二度と帰らない。
誰であろうと生き返らす事は出来ないのだ。
「まぁ分からなくもないけどさ。過去は過去で流さないといつまでも囚われてちゃ先に進めないよ。」
「わかってる。…わかってるんだ。」
「……」
満にとっての和葉は救いであり支えでもあった。
そんな彼女の変わりには誰にもなれない。
ただ、少しでも彼が過去との決別ができるのであればその手伝いはしたいと思う。
その為ならば私はこの手を汚す事くらい構わない。
今度こそ、誰も失わずにオトギリを討つ。
和葉さんの虎之助さんのためにも。
ーー
「月島累!今日から復帰いたします!」
休暇を取っていた累が有り余る元気を手に事務所へとやってきた。
「おー。復活だ。」
「怪我はもう平気なのか?」
「うん!この通りバッチリ動ける!」
「まぁあの程度で潰れてもらっちゃ困るけどね。」
「よかったネー!生きてる生きてる!」
朱音は眠そうな目を擦り、分厚くファイリングされた書類を累に渡す。
「これ、君が休んでた間に起きたコックリさんでの怪異ね。一応目を通しておいた方がいいよ。」
「はい!……え、これ全部ですか?」
「そーだよぉ。ふぁあ…アタシは少し仮眠をとる。悪いけど、後のことは満に聞いてくれ〜。」
「は、はい。」
フラフラと覚束無い足取りで、ライを連れて医務室へと入っていく。
どうしてライを連れて行くのかと思ったが、よく思い出せばライの目元にも微かにクマが出来ていた。
「累。」
「うん?」
「連日起きていた怪異はあの二人が駆け回って祓っていたんだ。」
「…本当に申し訳ない事をした。」
「朱音ちゃん達があそこまで参ってるの珍しいからね。君も早く巻き返しなよ。」
「はい!」
渡された書類を見ていく。
9/10
『夕刻:芦戸区一丁目の空き地』
『夕刻:芦戸区五丁目廃屋敷』
『夕刻:明治区明治高校』
『夕刻:新部区新部高校』
『丑の刻:芦戸区芦戸高校』
『丑の刻:皆柏区皆柏高校』
『丑の刻:』………
パッと見ただけで恐ろしい程の距離を移動していることが分かる。
少なくとも夕方の内に3つの区を移動していることになる。バイクで移動したとしてもそれはかなりの距離だ。
その後にもズラズラと書き並べられていてこの日だけで20件以上も祓っている。
確かに、あの二人でなければ到底追いつかないだろう。
「ざっと目は通したか?」
「うん…ものすごい距離移動してるんだね。」
「あぁ。時間の幅も広い。今こうして休めているのが久しぶりなくらいだ。」
「確かに、夕方から夜遅くまでずっと怪異が出てる。やっぱりみんな丑三つ時とか逢魔が時っていうの狙ってやってるのかな。」
「そりゃそうでしょ。その時間帯が一番怪異が出やすいし、凡人たちが盛り上がる時間だからね。」
やっぱり時間は関係するんだ。
見る限り、特に関連性のない場所で突発的に怪異は起きている。
大元があればそこを封じてしまえば一気に解決するのだが、それらしい情報はなにも得られない。
しばらく書類と睨めっこをしていると、医務室の扉が開かれる。
「朱音さん。」
「んぁ…行ってくる。」
「また怪異が出たのか?」
「うん。それじゃーね。」
振り絞ったような笑顔を向け、よろめきながらも事務所を出ていく。
相当、疲れていると一目見るだけで分かる。
「でも、なんで朱音さんは怪異がどこで出たか分かるんだろう。」
「それは朱音ちゃんが怪異を察知するために常に特異を使ってるからだよ。」
「え!?」
「朱音ちゃんの特異は反転。そのまま使えば怪異を反転させてしまうから危険なんだけど、そこはさすが朱音ちゃんだよね。異力を操作して微力なものにしてから広い範囲に特異を使って周りに影響が出ないようにどこで怪異が起きたか察知してるんだ。…だから直ぐに場所がわかるしあんなに疲れてるんだよ。」
これは常人で例えると、寝る暇もなく常に走り続けているようなもの。
休むと言っても特異を使っていれば完璧体は休めない。ましてや、異力の調整までしているとなると常に神経を研ぎ澄ましているはず。
その疲労はきっと経験したことも無い程のものだろう。
「だからあんまり朱音ちゃんを困らすなって言ったの。朱音ちゃんはボク達よりもずっと先を見てるんだ。君みたいな生半可な覚悟で怪異に望んでないんだ。今は余計な事を考えないで少しでも朱音ちゃんの邪魔にならずに出来ることをやってなよ。」
そうだったのか。
朱音はこうなると見越して行動していたんだ。
自分の行いに腹が立つ。
今僕に出来ることは限られているだろう。
情報処理は満が1番早い。
状況判断や補助は壱平が適している。
…今僕に出来ることは。
「ちょっと買い物に行ってきます!」
「お、おう。気をつけろよ。」
「じゃあついでにお菓子買ってきてー。」
「はい!」
曇り空の元、累は近くにある大型スーパーにやってきた。目的はもちろん。
「みんなにご飯とお菓子を作るんだ。」
そう。今自分に出来ることははっきり言ってない。だからといってただ見ている訳にもいかない。ならば、少しの間でも休息が取れるように栄養のあるものを作る。そう考えた。
「これと…あとはこれと。」
自炊は慣れている。
頭にレシピを思い浮かべながらカゴにポスポスと入れていく。
事務所には小さいが炊事する場所があった。
きっと寝泊まりする為に適当に宛てがわれたものだろう。そこで作れる物をできるだけ作る。
「合計で6.531円です!」
「ありがとうございます。」
気づけばカゴ目一杯になっていた。
袋を2つ両手に持ち、外に出る。
雲行きが少し怪しかったが、帰るまではもつだろう。早足で駆け出し、事務所まで戻る。
キッチンは人が2人立つのがやっとなほどの狭さだったが、オーブンも冷蔵庫も置かれているため、料理をするのには申し分ないだろう。
慣れた手つきで包丁を揺らしていると、壱平が物珍しそうに覗いてくる。
「何してるんだい?」
「料理です!」
「それは見ればわかるけど。じゃあこうだ。何で料理をしているんだい?」
「今僕に出来ることを考えてみたんです。でも、何も思いつかなくて。きっと壱平さんの言う通り僕は朱音さんの邪魔になってしまう。だったら、少しでも元気が出るように栄養のある食事をとってほしい、そう思ったんです。」
壱平は意表を突かれたように目を丸くし、両手を着物の裾に隠す。
「ふーん。まぁ悪くないんじゃない。」
「はい!もちろん、お菓子も作るので待っていてください。」
「まぁ君は料理の腕はいいし。…期待して待ってる。」
「はい!」
作り置きから今日の夕食の分まで全て作るのは予想をしていたよりも時間がかかった。
時計を見ると、もう19時を優に回っていた。
そろそろ家に帰らなければ。
「累、もう上がる時間じゃないか?」
「うん。あと少しで終わるから先にタイムカード押すよ。」
「あとで隣に残業時間を書いておけばしっかり払うからな。」
「ありがとう。」
朱音達はいつ頃帰るのだろうか。
あの書類を見る限り、時間は決まっていないしこのまま待っていても今日は帰ってこないかもしれない。
出来れば用意から片付けまで全てやってあげたいのだが間に合うのかな。
「ただいま…」
「朱音さん!!」
タイミングをはかったかのように朱音とライが事務所に戻る。
飛びつくように朱音を出迎えると、驚い顔をしてとりあえず頭を撫でられる。
「ん?どうした?」
「なんかいい匂いがするネ!」
「確かに。料理していたのかい?」
「はい!お2人は座っていて下さい!」
爛々とした累の目に少々気後れしながらも、言われた通りソファーに座る。
すると、ホカホカと湯気を立てた美味しそうな料理が次々と運ばれてくる。
「こ、これは…」
「どんどん持ってきますから!さ、満も壱平さんもどうぞ!」
若さの勢いはすごいものだ。
朱音達に有無を言わせずに料理を運び出す。
それは涎がたれそうな程に美味しそうなものだった。
事務所社員は普段、自炊は全くしない。
たまにライが故郷の中国料理を作るくらいで他は調理器具にさえ触らない。
コンビニ弁当か外食が主な食事。
人の手料理は累の作るお菓子くらいでもう暫くは口にしていない。
「はい!おかわりもありますから、沢山食べてください!」
「美味しそー!!いただきます!」
「いただきます。」
「スゴい!いただきます!」
「いただきます。」
皆が料理を頬張るのを累は嬉々として見ていた。
大した事じゃないかもしれないが、こうしてみんなで料理を囲んで食事をするだけでも少しは怪異を忘れて楽しめるんじゃないか。
「累、お前も食えよ。」
「うん!」
満の隣に座り、いただきます。と手を合わせ食べ始める。何とも嬉しいものだ。
一人の食事は慣れたつもりだったが、やはりみんなで食べるご飯は美味しい。
「あ!デザートもありますから楽しみにしていてください!」
「マジか!」
「デザート!」
沢山作った料理もすぐに空になった。
食後のデザートで作ったゼリーを机に並べ、今後の事を話す。
「とりあえず、怪異の方は変わらずアタシとライで祓って回る。」
「それが最善だろうな。」
「でも朱音ちゃん大丈夫なの?もう一週間は特異使いっきりじゃない?」
「んー…実を言うとそろそろ限界かも。だから、早く大元を見つけて累に封じてもらうしかないね。」
「その、大元っていうのはやっぱり隠れてるんですか?」
「多分ね。前に満達が戦ったあの怪異。あれは転移型で人を転々として相手を乗っ取り精神を操る怪異だったんだ。精神攻撃もする厄介者だったね。それでその後も色々回って気づいたんだけど。」
最後の一口を頬張り、大きくソファーにもたれ掛かる。
「恐らく、大元は複数に体を分けて人間を操っている。どれもこれも同じ異力だったんだ。」
「それは分身してるってことですか?」
「簡単に言うとそうだね。ってことはだ。ソイツは一通り人間にコックリさんをやらせて恐怖と集まってきた低級霊を1箇所に集めて今も増幅してるってわけ。」
全員の表情が一気に固くなる。
これは非常にマズイ。増幅した怪異がさらに異力を高まれば封じるのにも時間がかかる。
時間がかかれば異力の少ない累が先に倒れ、八方塞がりとなる。
…どうする。
「で、だ。アタシは考えた。」
視線が朱音に集まる。
何か打開策が思いついたのか。
「アタシの異力ももう限界を迎える寸前。これ以上怪異を増幅させる訳にはいかない。…となればやることは一つ。」
「は、はい。」
「コックリさんだ。」
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ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
まだまだ続けようと思うのでよろしくお願いします。