一話
俺、一峰和哉は普通の高校生として生活している。日々流れる時に身を任せ受動的にそして本能的に生きていた。読書を好み、運動を嫌い、勉強を嫌った。その結果、顔だけはいいといういまいち喜べない称号も持っている。
入学してから早三カ月。俺の日常は始まる。
八時十五分から朝テストがある偏差値62のまあまあの進学校。笹川私立高等学校ではその前に学校につくことが目安とされており、基本的には全校生徒約1500名はそれに間に合うように登校する。だが俺はいつものように八時二十五分一分前に着くような電車に乗り、遅れるなどとは微塵も考えずに一定の速度で学校に入る。教室に入ると二十四分三十秒。狙い通りだ。当然、二十五分に朝学活が始まるこの高校では椅子に座って一息ついてもう先生が来て朝学活は始まった。俺はいつも通り一番後ろの窓際という最高の席で数学のテストの回答を取り出し、一瞬で書き写す。満点を取るのは国語と英語。数学は途中式を書かなければならない謎の理由と他の生徒も軒並み平均点が低いことから半分ほどの点数を取る。数学のテストは隣の席の人が丸を付けることになっているが当然のように自分で丸を付け採点者サインの欄には杉内と自分で記入。これで朝の工程は終了。
朝学活の担任の話を聞き流し、先生が去るとすぐに睡眠。俺は基本的に授業と授業の間の十分間は回復に努める。本来は家でしておくべきなのだろうが俺にとっては家にいる時の方が大切であり、学校は優先事項ではないため家での睡眠は平均して二時間ほど。先週、三徹をしたのが記憶に新しい。そんなに起きて何をしているかといえばひたすらに本を読む。ジャンル制限はなし。短編でも長編も好きだ。
一限は古文。警戒度は五段階評価で2。つまり本は読んでもいいが睡眠は適度にといった具合だ。本を机を使って先生の視線を遮り読む。さすがに一列目、二列目ともなれば話は別なのだろうが最後列。つまり六列目の俺が本を読んでいても気づく先生などほとんどいない。というかこの高校に入って一度もばれていない。ノートは基本的には取らないからロッカーと机も含めて自学ノートとという名の隠れ蓑しか所持していない。つまりは机に置いておくだけの飾りだ。たまにノートをしっかりとっているかの確認で後ろまで来る外敵への授業参加表明。まあノートなど取ってはいないため上に教科書と筆箱で視線対策もしっかり行う。
二限は現代文。警戒度は2 なので一限と全く変わらない。
三限は数学。警戒度は4 睡眠は厳禁。読書も適度にしかできないため俺は作品の構想を練るため自学ノートにプロットを書いた。俺の特技の一つ雑音遮断。集中すれば基本的に他の雑音が気にならなくなる。ただそれだけだ。こうしなければ無駄な雑音が大量に入ってしまうから俺にとっては必須だ。
四限は現代社会。警戒度は2 一限と二限と全く同じ行動をした。
そして昼休み。これが一番学校で好きな時間だ。
これまでの二限と三限の間、さらに三限と四限の間に弁当は食べきっているためすぐに図書館に移動する。かなりの貯蔵数がある素晴らしい図書館だと俺は思うが本が借りられて行くところを俺は見たことがないし、図書委員がいるかいないのかは知らないが少なくとも受付はしていない。結果、司書の方が本についたバーコードをスキャンするのだがこの司書もいるのかいないのか分からないほどしか顔を見せないため一度司書がいない時はどうすればと尋ねたところ自由に借りて行って構わないというので俺は毎回五冊ほど借りている。そんなザル警備の図書館の机兼テーブルには数名の生徒が勉強をしているだけで呑気に本を読んでいるのは俺だけだった。教室に戻る時間を逆算して35分間ほどで教室に戻った俺は席に着くと家庭科の教科書と飾りノートを机に置き、本を読む。ちなみに家庭科の授業の警戒度は1。授業の初めから終わりまで一番前の席のやつが寝続けても注意されないといえばもう分かるだろう。何でもありな時間。それが警戒度1である。
ものの開始五分で三分の一が、最終的には半分にはいかないまでも過半数の生徒が眠りについた家庭科の授業は誰が言い始めたのか休憩時間と呼ばれている。これを聞いたあのおばあちゃん先生はどう思うかと考えると気の毒にもなるが授業中に寝ることだけはない俺は関係のない話だと割り切っている。
ちなみに授業中スマホを弄る数名の生徒は親がスマホを回収すればすぐにでも返ってくるという公式ルールが実はまやかしでそのクラスの担任によって全く対処が異なることを知っている。このクラスはかなり悪い方だろう。約一週間から二週間は持主の手の元に返ることはない。
これを知ってか当初は数名いたゲームプレイヤーも俺が知っている限り一人になった。
その一人が隣の男、杉内亮平だ。彼はノートを取る以外は寝るかぼーっとするかスマホを弄るかの三択でありノートは最後にまとめて取るタイプなので恐らく授業は聞いていないのだろうが成績は真ん中より少し上とその態度からは想像もつかない成績を収めている。まあそこには俺も一枚噛んでいるためそのからくりは知っているというか知っていて当然だ。
そんな俺もまた平均ちょい上程度で中間層に生息している。
杉内だが運動はかなりできる。陸上部に所属していて100メートルで全国大会にも出場経験があったりする。確か本人は全国一回戦即落ちだけどなと笑っていたがまあ理想が高いのだろう。
六限は物理。警戒度は3で寝ていると即止めが入るが下を向いていても注意はされない。見回りも来るが実際問題、俺に見回りは通用しないのでそれは関係ない。俺にとっての警戒度の高低は基本、本が読めるか否かが基準のため3までが理想だ。
五限終了。俺は隣人に声を掛けられた。
「家庭科ってほんと楽だな」
「そうだね」
「でもな。あの先生陸上部の先輩が言ってたんだけど一年に一回くらいだけどフラストレーションがたまって暴発するらしいぜ」
隣人は家庭科の先生、佐々木先生が怒る姿を想像でもしているのか表情には笑みが浮かんでいる。
「全然怒らない奴ほど怒ると怖いってやつじゃねえの」
「まあ俺達注意された回数まだゼロだもんな。関係ねえか」
そう。俺は一度も注意を受けたことがないがそれは隣人も同じなのだ。
「亮って何で怒られないの?」
杉内は初めて会った時から亮と俺に呼ばせた。なんでも亮という彼の名前の略語は気に入ったやつにしか言わせないらしいがどうして一回目でその呼び方をさせているのか俺には分からない。いつか聞いてみようとは思っているが。現に俺は今まで一度も杉内が亮と呼ばれているのは聴いたこともない。
「こういうのは勘なんだよ」
「勘?」
「お前もあるだろ。なんかそろそろ空気が変わるとか先生の立ち方とかそういうのであーそろそろきついなーとか分かるじゃん」
「分かるの?」
あいにくだが俺はそんなさぼるためにあるような才能は持ち合わせてないし、欲しいくらいだ。
「まあ俺もカズも一番後ろってとこもでかいだろうな」
カズは和哉を略したあだ名だ。使用者は一人だけだが。
その後も休み時間が終わるまでくだらないことをだべった後は六限。物理。警戒度は3でただひたすらに読書を続けた。何気なく読み始めのページを覚えていた俺は93ページ進んでいたことを知り意外と捗ったなと思った。
七限。本日最後の授業は総合。隣の人と税について話し合うというこの授業では当然、税の話など行われなかった。授業が好きではない男子生徒二人が揃えばこんなものだ。
「そういえばさ、お前、水沢麻衣って知ってるか?」
「誰それ」
「クラスメイトの名前すらほとんど覚えてないお前に他クラスのやつの名前出しても無理だよな」
「そうゆうこと。で誰なのその人。陸上部?」
「ダンス部の一年生筆頭だよ。一回体育館で踊ってただろ。何でだったかは覚えてないけど。あーでもお前体育館系はほとんど図書館だっけ」
「多分その時も図書館にいたと思うよ」
「ほんとお前が怒られねえのは七不思議とはいかずとも十四不思議の一つには入れてもいいと思うわ」
「そんなに不思議じゃないよ。君が確認とるんだから」
確認とはクラスメイトが全員いるか確認することで理由は知らないが隣人がその役になっているため遠慮なく俺は図書館に行くのだ。
「毎回、全員いますって真顔で言ってんだぜ。そろそろばらしてもいいかなーとは思ってっけど」
隣人は俺の方を物乞いするような目で見てくる。この目を見るのは何回目だろうか。
「……コーラ一本」
「モンスターでオナシャス」
「それコーラより二十円高いんだけど」
「ジュース一本と体育館永久拘束どっちがいいんだ」
「モンスター買ってきます」
一度でも生徒が一人いないとなればこれからは毎回担任のチェックが入る可能性が高いし、永久というのはあながち間違いじゃない。隣人は交渉成立に喜んでいる。
「お前、足元見すぎ」
「そうなんだよ、俺猫背でさ」
「分かってるだろ」
何のことか分からないとすっとぼける隣人に俺は話を戻させる。
「それでその水沢って人が何なの?」
「あーんとな。そいつめっちゃ美人だよなって話」
「へぇー」
「興味ない顔すんな。そいつ男子の中でトップクラスに人気あんだよ。トップガールセブンにも入ってんだぜ」
「トップが七人もいるの?面白いね」
「どうせノリで考えた名前だろ。でもさこの学校の女子って真面目に顔の偏差値異常。ここまで美人が多い学校俺は知らないね。トプガでアイドルグループ作れば最初は人気高いと思う」
「トプガって?」
「トップガールセブンの略だよ。トップとガールでトプガ」
「なるほど」
「うちのクラスの級長もその一人」
そう言われても級長が誰かさえわからない俺は興味がなかった」
「へぇー」
「ほんとカズって女子に興味ないよな。ED?」
「どうだろうね」
「えっガチEDなの?ごめん」
「話戻しなよ」
「いやぁカズが知ってたら可愛いと思ってるか聞こうとしたんだけど知らないならしょうがないか。スタイルもよくて顔も小っちゃくてよ。170近いんじゃないかと俺は思うね」
「お前の彼女に会ったらその台詞教えてやりてえわ」
「……それはやめて」
勝ったと俺は優越感に浸りつつも隣人の彼女の写った写真を思い出す。こいつのすごいところはなんだかんだでちゃっかり美人さんと付き合っていることだろう。この隣人は顔もまあまあいいため恐らくだがかなりモテているのではないだろうか。
「まぁ俺の彼女の方が普通に可愛いんだけどな。あっこれ惚気だから嫉妬してもいいよ」
「あー嫉妬の炎がー」
「でもな。そうゆう可愛いやつって一瞬でサッカー部のエースとかが取るって決まってんのに。ものの見事にフラれてやんの。ほんとドンマイだわ、藤田は。藤田って一年のエースのことな」
隣人はフラれた友人のことを思い出したのか笑いそうなのを必死でこらえていた。ここで普通に笑うかこらえるかこれも上手くやる人間と下手な人間の差なんだろうな。
「部活頑張ってるんじゃない?」
「いや、俺も部活は頑張ってると思うけどなんかそれだけじゃない感じがすんだよ。このクラスにいるって目星はついてんだけどな」
「目星ってなんの?」
「水沢の好きな人に決まってんだろ。あいつ結構このクラス通る時ちらちら見てくるし。ってひょっとするとお前かもな」
「それはない」
「そうか?カズは顔は結構いいのに何かが足りないやつってのはクラスの中での印象で他クラスなんか顔で入るんだからカズを気になってても驚かねえよ」
俺はその辛辣な評価に一言申す気はない。
「それにしてもカズって惜しいよな」
「惜しいって?」
「2が告白ラインだとしたら1.9にいるっていうか素材以外にいいところがないっていうかな。まぁーどうゆうわけか勉強はできるっぽいけどそれはみんな知らねえし。もうちょっと笑うだけでいいとこいきそうなのに」
俺は隣人と目を合わせる。
「分かってる。誰かに言うつもりはないし、言っても誰も確認は取らねえよ」
その後も俺達は授業が終わるまで話し続け最終的に隣人が隣の人から借りたプリントに若干のアレンジを加えて前の人に送った。
授業も終わり七限を担当した担任に挨拶して今日の全日程は終わった。教室は喧騒に包まれる。聞こえてくる話題だけでも「今日の数学だりいわ」「今日これからどこ行く?」「部活行きたくねえ」など思い思いの会話が行われている。
「早く下行こう。ジュース要らないの?」
「分かったって」
スマホと睨めっこしていた隣人を無理矢理、現実世界に戻し、俺と隣人は一階にある自販機に向かう。
このペースで歩けば四分だなと想定する。
「あー部活やめようかな」
階段を下りながら隣人はそんな事を口にする。
「どうして?」
「また別にやりたい事探したいっていうかさ、中学時代の事を知ってる先輩がいてなんとなく陸上部には入ったけど陸上は中学の時に専らやったんだよな」
「亮が今辞めたら陸上部は大損害だね」
亮は笑って「そうだな」と言った。全国大会出場経験があり、現在のタイムも問題なく全国に進めると言われている亮が辞めると言えばどんな事になるか少し興味はあるが。
自販機に辿り着くと俺は何気なく落ちていたオレンジジュースを拾って自販機の隣にあるペットボトル用のごみ箱にそれを入れるとモンスターを買うべく財布から百円玉一枚と五十円玉一枚を取り出し、自販機に入れる。ガコッと音を立てて落ちたモンスターを取り、待っていた隣人に渡す前に一言。
「次この事で強請ったら承知しねえぞ」
と芝居じみた声で言った。
「分かったよ。次はどうやって強請ろっかなー」
俺はその時数学の先生が近くを歩いているのを確認する。
「バトスタ、wab、オルソン、クリスタ、ドラクエ……」
俺は隣人が授業中やっていたゲームの名前を挙げていく。
「分かったよ。今度俺もなんか奢るから。あっ俺もう行くわ。じゃーな」
隣人はちゃっかりモンスターを俺の手から取り去っていった。
なんだかんだで実は俺の方が若干得をしてたりするのは隣人には言えないことの一つだ。
俺は電車の時間を鑑みてまたいつも通りのペースで歩けば五時には家に着けるなと確信し、ガヤガヤと沢山の生徒で盛り上がっている校門を抜け、帰路についた。ちなみに家に着いたのは四時五十八分だった。
翌日俺は学校に走って行く羽目になるとは思いもしなかった。
翌日。毎日のように昨日の内に予約したご飯に焼いた鮭。そしてベーコンを二セット作った俺は朝のニュースを付けながらごはんを食べる。ちなみに今朝はプロットが完成するまでワープロをしていたこともあり寝ていない。徹夜だった。一日程度ならもはやビクともしない俺の体はかなり改造されていた。
そしていつものように満員電車一歩手前の電車に乗車し、学校を目指す。学校に時間ギリギリで行くことの利点の一つはこれだ。この一本前の電車には登校中の学生や時計を少し焦った顔で見つめるサラリーマンなどで満員だがこの電車は余裕がある。いくつか空いている席には目もくれず俺はバッグから本を取り出し、昨日途中になっていた本を読む。
電車から降り、しばらく歩いてこれが難所で学校に続く上り坂。通称乙女坂。まあまあの傾斜が数分間続くこの道を俺はしっかりと歩いて行く。
だがここでいつも通りは終わった。坂の上方で蟻のようなスピードで今にも傾斜のまま落ちてしまいそうなおばあちゃんを見つけた俺は速度を上げておばあちゃんに追いつくと横から声をかける。こういう時は笑顔が大切でまずは安心させることが重要だ。ちなみにおばあちゃんはベビーカーのようなものには何かが入ったビニール袋があってそれがかなり重いものだと袋のサイズで分かった。
「おばあちゃん。それ僕が引きますよ」
片手でおばあちゃんをおぶってもう片方の手でベビーカーを押そうとも思ったがおばあちゃんの手の力では背中から落ちてしまう危険があると考えた俺はベビーカーを運び半歩下がっておばあちゃんが落ちないように警戒するスタイルに切り替えた。
「別にいいわよ。そんなことしなくて」
「いえ。これは僕がしたい事であっておばあちゃんが負い目を受けることじゃありません。やらせてください」
「そうかい。それじゃあお願いしようかね」
俺はそれを聞いてベビーカーを持つと半歩下がった。想定と同じ状況が完成し、少しホッとする。
おばあちゃんは言葉を発する余裕が出来たのか俺に話を振ってくる
「君は上の学校の人なの?」
「そうですよ。一年生です」
「そうかい。一年生か。頑張ってねぇ」
そんな当たり障りのない会話がしばらく続くとそんな長閑な雰囲気の中、一体の黒塗りの大型自動車が俺の横を通ったがそんなことは気にならなかった。
しばらくして校舎が見えてくるとラッキーなことがあった。たまに見回りで立っていることのある坂の学校方面への道と住宅地への道の別れ目のところに担任が立っていたのだ。
先生は色々と察したのかこう言った。
「今回のことは見逃すから一峰は早く教室に行きな」
「でもおばあちゃんは」
「私は大丈夫じゃよ。もう坂も終わった。ありがとねお兄ちゃん」
それを聞いて心が安らかな気持ちになると「じゃあまた」と言って学校に向かった。
学校に入ると既に授業開始直前で俺は少しだけ注目されたがすぐに何事もなかったように流れ出す空気に安堵し、席に着いた。机の上には英語のテストが置かれていて速攻で答えを写そうと決めたところで隣人から声をかけられた。
「よう。絶対に遅れることだけはない遅刻魔さん」
「おはよう。眠りとバーチャルの中で生きる陸上部さん」
いつものように軽口を叩きあうと隣人は尋ねてきた。
「で何があったんだよ。遅れるタイプじゃないだろ」
俺は少し面倒に思いながらも出来るだけシンプルに登校中の出来事を話した。
「お前って本当に善人だよな」
隣人はケタケタと笑っている。
「お疲れカズ」
隣人は真面目な顔でそう言った。隣人のその普段は見せない真面目な顔に女子は落ちるのだろうかとふとそんなことを思った。
元々授業が始まる直前のため話もそこそこに俺は読書、隣人は睡眠といつもの生活が始まったと思っていた。
警戒度にして3が上限だった午前の授業中は全てを読書に当てて昼休みに入る前に自分で作ったお弁当を食べて図書館に向かった。
図書館に入るとすぐに本棚のところに向かった俺は目的の本もなく題名を見る。俺はこうして目的もなく本を見るのも好きだった。要するに本さえあればなんでもいいのだ。
でも俺の日常はここで終わる。
「ねえ。ねえってば」
最初僕に掛けられたものだとは分からなかった女性の声を無視した俺は肩を叩かれてようやく俺に掛けられたものだと知り叩かれた右肩の方を見ると一人の女子が立っていた。顔はかなり整っている方だろう。でも感想はそれだけだった。その顔は初めて見た顔だった。
「なに?」
俺がそう返すと彼女は話を続けた。
「今日、おばあちゃんを助けてたよね」
「何のこと?」
「あーそうやってとぼけるんだ。悪いことしたわけじゃないんだから堂々とすれば良いのに」
おばあちゃんと歩いていたことが話しかけたきっかけならそれを否定すれば終わると思ったがそう上手くはいかなかった。
「助けたわけじゃない。ただ無理矢理荷物を持っただけ」
「そんなところで意地はんなくていいの」
彼女は別に面白い話をしているわけでもないのに楽しそうだった。
「それで要件は?」
早く本題に入らなければいつまでもここにいると思ったのだ。
「……ええとね。私とライン交換しない?」
「今、スマホ持ってないしまた今度ね」
軽くあしらったつもりだった。これでもう話しかけては来ないはずと。
「じゃあ放課後ライン交換しようね」
彼女はそう言って僕の前から早々に去って行った。まるで目的は達成したかのように淡々と。俺が距離が出来たことで把握した彼女の全体像は長身だった。170近くあるのではないだろうか。
でもそんなことで揺らぐほど安い集中ではない。僕は適当に本を取るとそれを手に取り机に座って読書に励んだ。昼休み終了と五限開始五分前を同時に告げるチャイムが鳴ると僕は自分でバーコードをスキャンし、読みかけの本を持って図書室を後にした。イレギュラーな一件のことは本を読んでいるうちにほぼほぼ忘れていた。
そして迎えた放課後。僕がそういえばと図書室での一件を思い出し、バッグを取り、早々と教室を出ようとした時にはもう遅かった。二つある教室の入り口その黒板から遠い方つまり俺が教室を去ろうとした扉に彼女はいた。一手遅かったということだ。
「あれ、水沢じゃん」
隣人の言葉はその時耳に入らなかった。
彼女はただの他クラスの生徒が来た時とは違い、かなりクラスの注目を集めていた。そんな彼女はゆっくりと俺の座る席の横で俺に話しかけてきた。もう最悪だった。学校での優先順位二位の【極力目立たないように】が破られたのだ。入学して早三カ月。入学以来一番の教室中の視線に俺はため息をついた。
「約束守ってくれたんだね」
彼女は笑顔だったが僕には面倒事を運ぶ悪魔の微笑みに見えたのだ。俺の一瞬の硬直を感じ取ったのか彼女は話を切りだした。
「じゃあライン交換しよっか」
ここで俺は冷静に今日までに得た彼女の情報を分析する。そこで隣人。つまり俺と彼女の方を見てどこか面白いことが起きそうだと楽しんでいる亮の三十秒前の言葉を思いだす。「あれ、水沢じゃん」と隣人は言った。どの水沢だ。でも水沢は渡辺や佐藤のようにごくごくありふれた苗字よりは少し珍しい。三クラスに一人いるかいないか程度のはず。そしてこの注目度。これは彼女がただの同級生ではなくかなり知名度があり話題性に富んだ生徒であることを意味している。つまり目の前にいる長身の生徒は隣人の言う人気トップクラスの女子。水沢麻衣。ここでさらに思考を加速。ここでこの誘いを断ればどうなるか。さすがに放課後フルボッコはないにしろ彼女の誘いを断った男と好奇の視線で見られるのは間違いない。彼女のこの誘いを素直に受けた方がそういったものは少ないはず。なぜならそれが普通だから。
俺は仕方なく後者を取った。……ということはない。こんなところで俺の学校生活を崩されるわけにはいかない。どちらがということはあれどどちらも注目を集める行動であることは間違いない。ならば彼女のもはや味方のような傍観者のいない一対一のフィールドに持ち込んだ方が余裕も生まれる。先手も打てるはずだ。
「一回教室から出て話さない?俺職員室行きたいんだけど」
「私もダンス部行かないとだから早く交換しないとね」
そう言って彼女はスマホのライン画面を見せる。俺は敗北した。相手の土俵から一度外れようとはしたもののそれも織り込み済みだったのか冷静な対応。
俺はバッグからスマホを取り出し、ラインを開く。QRコードを使った友達追加は一瞬で終わった。
「ありがとう。じゃあこれからよろしくね一峰君」
彼女は今日一の笑顔を見せて教室から出て行った。
俺も教室内の視線にいたたまれなくなり彼女の後を追いかけるように教室を去った。ラインの友達欄には【まい】というアイコンが記載された。
そんな逃げるように早歩きで階段を降りる俺を引き留めたやつがいた。亮だった。
「俺以外誰もついてきてないし、何があったか聞かせろよ。事情を知ってるやつがいると心強いだろ」
俺にはその顔は天使になどは見えなかった。ただの物好きなお隣さんにしか見えなかったが一縷の望みにかけて俺は階段を降りて一階に行き、人がいないところまで行って一部始終を話した。
「なるほどな。俺の予想は当たってたわけだ」
「何、予想って?」
「とりあえずお前に忠告。ラインは基本返した方が良いぞ」
「何で?」
「水沢はラインに関しても男とは一歩引いてるらしい。噂だと男子のラインは一つも持ってないとかな。そんな中相手からラインを聞かれた男がいる。そいつはあまつさえ彼女のラインを返信さえしないってなってみろよ。水沢に振られた奴からの報復が待ってるぜ」
亮は心底楽しんでいるといった顔で歩いて行った。
そこでふとポケットからスマホを取り出すと通知画面には『水沢麻衣です。よろしく』と表示されていて俺は恐る恐る『よろしく』と返信した。
六時を過ぎたあたりだろうか。俺が作り終えたプロットをもとにワープロに文章を撃ち込んでいるとスマホが震えた。
俺がスマホの画面を見ると案の定水沢からだった。
『一峰君って何か好きなこととかある?』
俺は考える。ここでラインを返さなければどうなるかを。はっきり言って彼女が全然一峰がライン返さないと言えばまた学校で面倒なことが起こりかねない。俺はラインくらいならと返信していくことを決めた。
『読書』
『どんな本が好き?』
『ジャンルは何でも。でも特にミステリーが好き』
『おすすめの本教えてよ?』
『やっぱりシャーロックホームズとかかな』
『読んでみたいな』
確かあの部屋の奥にあったはずだ。最終巻まで揃って置いてあるはず。
『じゃあ明日持っていこうか?』
『いいの?』
ここで俺は気づいた俺は本に熱くなるあまり自分から会う宣言をしていたことに。
『明日君のロッカーの上に置いておくから君のクラスと出席番号を教えてよ』
『いい。明日図書館に本持ってきてよ。待ち合わせね』
『直接会う必要ある?』というラインの返信は3分待っても来なかったので俺は切り替えてまたワープロと格闘する。
結果から言うと二徹目だ。かれこれ二晩は寝ていない。そんな生活を子供が送っていると知れば普通の親は心配するのだろうが我が家は違う。俺が父親の顔を見たのはもう一ヶ月前のことだし母親に関してはもう三ヶ月近く見ていない。それを悲しくとかは別に思わない。それが当たり前でそれが平常だ。それに俺は一人じゃない。
次の日。一つの部屋が丸々本の保管庫として使われている部屋から緋色の研究を取り、バッグに入れて学校に行く。ご飯はもちろん二セット。弁当は出来るだけシンプルにして学校に行く。
今日は坂道におばあちゃんがいることもなく平和だった。
学校に入るとやはりというべきかかなり好奇な視線を向けられる。そんな視線と目を合わせないようにしながら俺は席に着く。
「カズーだいぶ注目されてんな。まあお前顔はいいからあながちなくもないって思われてんだよ」
「なくもないってなにが?」
「このまま付き合っちまうんじゃないかってな」
「ないな。別に彼女のことはなんとも思ってないから」
「そうか。あとなんかあったら俺に言え。ここの連中全員黙らすくらいのことはしてやるよ」
「そうならないように尽力を尽くすよ」
亮は笑っていたが俺には分かった。冗談で言っているわけではないと。どうして俺にそこまでしてくれるのかは謎だった。
昼休みまでは明らかに多くなった視線の量は気になったが意外と何事もなく訪れた。
図書室に入ると奥のテーブルに彼女は座っていた。出来るだけすぐに来たつもりだったが走ったりでもしたのだろうか。
俺に気づくと彼女はスマホをテーブルに置き俺に手を降った。
「はい、これ」
俺は緋色の研究を彼女の前に置いた。
「座らないの?」
「いいよ。立ち読みするし」
「そうだよね。私になんて興味ないよね」
笑顔から一変してその顔を曇らせた彼女を見て俺は自分が既に逃げ場のない空間にいることを知る。それは好奇心から来るものではない。周りを見れば男は「こいつ女泣かそうとしてるぞ」という目をするし、女は単に「可哀想」と彼女に同情するような目をしていた。個人的に響いたのは後者の目だった。
「いやそんなこともないかもしれない。うんそんなことはない。うん」
俺は自分を全力で肯定して彼女の前の椅子に座った。俺が彼女の方を見ると彼女の顔は既に晴れていてはめられたと確信する。俺の知略は彼女の表情一つで吹き飛ぶほど安っぽいものなのかと悲しくなった。
「一峰君ってさ彼女とかいないの?」
「いないよ」
「いると思ってた」
「何で?」
「それ聞くんだ」
俺は彼女の顔を見つめる。俺はちなみに会話をするときに相手の顔を見すぎと亮からお墨付きをもらっている。
ちなみに彼女の顔はやはり初めて見た時と同じで若干顔が赤くはなっているが美しかった。顔は小顔で目鼻立ちははっきりとしている。はっきり言ってこれで彼女に興味が湧いたかといえば否だが本当に非の打ち所のないほどだった。
「一峰君、顔見すぎ」
彼女は耳を真っ赤にして目を背けた。
「ごめん」
しばらく間が空いたあと彼女は切り出す。
「……どうかな私?」
「どうって?」
「可愛かったかってこと」
彼女は顔を真っ赤にしていた。
「綺麗だよ」
思ったことを正直に口に出した。
「君ってずるい」
「ずるいって何が」
「そんなに君と目を合わせたら調子狂っちゃうじゃん」
「ごめんな」
これはかなり血筋が影響している気がする。一峰家の人は知りたいことがある時はただただ一心にそこを見つめてしまう。今回はその対象が彼女の顔だっただけのことだ。
「今日はもう帰る。……あと本はありがとう」
彼女は顔を真っ赤にして図書室から出ていった。今の感謝に俺は彼女の本質がある気がして少しだけ彼女に興味を持ったがそれだけだった。
俺がふと周りを見るとかなり視線を集めており俺が勉強している手を止めていた女子の方を見ると彼女は慌てたように勉強を再開した。
俺は自分が空気を変えていることを知り奥の本棚の方に移動した。
本は借りなかった。
教室に戻る時には俺への関心も冷めているのではと期待をしたが俺への注目は終わらなかった。
「カズってなんで話しかけられないの?」
「知らないよ。気味の悪い男とでも思ってるんじゃない」
「誰か一人くらい話しかけてもいいのにな。確認なんだけど俺以外の人と話したことは?」
「ほぼほぼないかな」
「だよなーカズが俺以外の人と話してんの見たことねえもん」
誰かと過去、何か話したことはあるような気がするが話の内容は一切頭に浮かばないしその程度しか話していないのだろう。
「俺がいてよかったな」
「そうだね」
「肯定かよ。気持ち悪いぞお前」
「好きだよ、亮君ハート」
「今俺は猛烈にお前の顔にげろを掛けたい気分なんだがどうすればいい」
「それは勘弁」
「でもどうしてカズって他の人と話さねえの?別に感じが悪いわけでもないし。水沢の時もそうだけど女の前だとてんぱるみたいなあれもねえし」
「話す必要がないんだよ。真面目な話さすがに一人だと不都合も多いけど二人いれば大概のことはできるからね」
「そうゆうもん?」
「そうゆうもん」
話は先生が教室に来たことで中断された。教科は保険。警戒度は5で俺は形真剣にやっているふりをして授業を聞く。隣人は何度か堂々と眠っているがなぜか一度も怒られることはなかった。やはり隣人は神様に好かれているようだ。別に神がいるなどとは思わないし、すべては必然だという考えの中で神様は存在しないが仮にいるとすれば彼のことを好いているのだろうと思う。
授業が終わると今度は体育で種目はサッカーだ。女子は体育館でバドミントンなので会うことはない。
俺のように常に本を読み、昼休みは図書室に向かう俺にとって他人と話す時はペアの柔軟運動のみだがそれも無言で行われる。
ペア運動も終わりパス練習を行うことになると俺に亮が声を掛けてくる。
「パスやろうぜ」
亮は俺の方にボールを蹴ってくる。それを左足で軽く受け取るとそのまま左足で蹴る。
「カズってサッカーできるよな」
「どうして?」
「分かるんだよ。上手い人にはボールは吸い付くし下手な人からは遠ざかる。俺は小学生と中学生の前半はサッカーしてたからな。サッカー習ってたのか?」
「習ってないし好きでもないよ」
「そうなのか?じゃあなんか他の球技は?」
「してないよ。野球もバスケもテニスもね」
球技はね。
「そっか。まあカズは結構出来るっぽいし本気でいくわ」
彼が蹴ったボールはパス練習なのにもはやシュートだった。
「やべ」
俺が少し本気を出せば取れないことはないシュートの先には運悪くボールを取りに走る鈍そうな小太りな眼鏡男子。普通に素通りする予定だったが仕方なくボールにつま先で触れ、一瞬の微調整でボールの軌道を逸らす。ボールは弾速がほぼ死滅した時に一人の男子生徒がこちらに蹴り飛ばした。
「本当にサッカー習ったことねえの?」
「ないよ」
「まあ今はそうゆうことにしとくわ」
それからもパス練習は続き、さっきのシュート程ではないがそれでも強めのパスを受けてもとりあえず返し続けた。
授業も終わり校舎に戻る途中俺はクラスメイトの一人が近づいてくるのを感じて速度を絶妙に早めそれを振り切った。実際、話しかけられそうになったことはなんどかある。そりゃクラスメイトだからな。でもそれを上手くかわしてきたのが俺だ。俺は杉内亮平以外の名前は誰一人明確には覚えていないし覚えるつもりもない。ここも変わっているのだろうが俺は無意識に名前を覚えるべき人間と覚える必要のない人間を選んでいるような気がするのだ。
授業も終わりもう帰ろうと支度をしている時、彼女は声を掛けてきた。
「ねえ、一緒に帰ろうよ」
このフィールドでの彼女の命令は絶対だ。だから俺は潔くその命令に従った。先生に呼ばれているという口実も使用回数は無制限でも効力は違う。効力は使えば使うほど落ちぶれていく。ダンス部はどうせ休みなのか彼女自身が休むと言っているのだろう。
俺がそう言うと彼女は少し面喰ったような顔をしたがすぐに表情は戻り教室を出ようと扉に向かう。隣人はスマホをいじりながら「じゃあな」と一言言ってきた。そんなまた奇しくも注目を集めた俺は一つ好奇の視線ではなく嫉妬や憎悪に近い視線を二つ感じたが無視をした。ただ処理をする必要があるとそれだけ思っただけだった。
「ねえ、どうして素直に帰るって言ったの?」
「何を言っても君が僕と帰る展開になるのは目に見えてた」
下校中の会話だ。
「私と帰りたいとかは思わないんだ」
「思わない」
彼女はとても寂しそうな顔をした。でもそこで俺の言葉は途切れない。
「でも君が緋色の研究を読んだ感想には興味がある」
彼女は驚いた顔でこっちを見るとすぐに表情を緩ませる。
「そんなに聞きたい?」
「ああ。聞きたい」
そんなこんなで駅にたどり着き俺と彼女の話は終わる。不思議と居心地は悪くなかった。
帰って文章を撃ち込んでいると一通のラインがあった。
『永井翔と佐藤圭太に警戒しろ。席は一番前の右側とど真ん中』
『了解』
俺はこれからに備えて武器を用意した。いつ面倒事が起きてもいいように備えておく。俺のスタイルはやられなきゃしないがやられりゃ無限の報復をだ。大義名分とは美しく残酷だ。
事件は一時間目と二時間目の間の休み時間に起きた。俺の顔に一つの丸まった紙が投げつけられたのだ。一つかと思えばそれは合計四つ。状況は一人一つで計四つ。かなり人の視線はあると言った具合か。俺が無視を決め込むと真ん中で男子生徒四人が笑っている。恐らくその中の一人が佐藤圭太だろう。それに気づいた亮はすぐに反応した。
「やめろやお前ら」
どすの利いた一声にも数の優位からか笑いながら佐藤圭太は反応した。
「杉内ーこれはただの挨拶だ。ほらお前にも」
そう言って佐藤を含む四人は亮にもごみを投げつける。
「やんのかてめえら」
「ただの挨拶だって力込めるとより元気な挨拶みたいな」
佐藤圭太のつまらない一言に取り巻き三人は笑っている。
「お前ら」
亮は今にも殴りかかろうという勢いだ。
「別にいい。これは挨拶だ。そうだよな、佐藤」
「そうだよ。お前分かってんじゃんか」
俺は一枚のプリントを全力で握りつぶし密度の高い丸を作る。
「目ん玉ぶっこわしてやるよ」
その一言はおそらく隣の亮にしか聞こえなかったはずだ。
俺は親指でそれを佐藤の右目に向けて全力ではじく。空気抵抗やら風やらをもろともせずに一直線に進む紙を超えた球体は彼の右目にクリーンヒット。佐藤はうがっとうなると机に突っ伏した。
俺は一瞬で距離を詰め佐藤の横に行く。取り巻きは何の役にも立たなかった。
「佐藤君は挨拶の返事が出来ないのかなー」
とぼけた口調で全体に言い聞かせると声量を調整し、主犯四人にしか聞こえない声で言い放つ。
「次、俺の仲間に手えだしてみろ。両目つかえようにしてやるよ」
俺はゆっくりと存在を三人に主張するように歩くと椅子に座った。
僕は机の上に置いた本を手に取り読書を再開した。この一件は密かに一年生中の話題となりいじめっ子だった佐藤を成敗したと主に女子からの評価が上がるのだがそれを僕は知らない。
「はぁーお前の手煩わせちまったな。わりぃ」
「別にいいよ。噛ませ犬なパートナー君」
「何が噛ませ犬だ」
「僕をかばって怒ってくれたこと嬉しかったよ」
「そんな素直に言われちゃなんも言えねえだろうが」
このことを機に僕と亮の仲が深まったのは言うまでもない。
この一件は昼休みには水沢のもとまで届いていた。何故それを知っているかといえば今目の前に座っているからだ。
「一峰君今かなり話題の人だよ。あのいじめっ子で評判の佐藤君を一瞬で黙らせたとか。いつもと違う空気でカッコよかったとかね」
「そう思われたなら失敗だったな」
実はあの時の行動は佐藤を黙らせることだけが目的ではなくあの行動で絡むと危ないという印象を他人に植え付ける目的もあったが思い出したくもない殻を少し破った僕が高評価を得てしまうとは。
「ねえ、もう一回やってみてよ。違う雰囲気の一峰君見たい」
その言葉に俺は心底腹が立った。何が見たいだ高評価だあれは僕の不要な感情だ。でも僕は無理矢理自分を落ち着かせる。
「あまりその話はしないでもらえるかな。緋色の研究は読み終わるまで持ってていいよ」
俺は図書室を出た。水沢は俺に謝ろうとしていたのだろうがその謝罪を受けるつもりは毛頭なかった。今、謝られても許せる気がしないから。
次の日、俺は学校には行かなかった。これは昨日の放課後までさかのぼる。俺は自ら職員室に向かう。勿論、会いたい先生がいるからなどでは断じてない。
職員室の前で挨拶をして担任のいる席まで歩いた。
「これから三日間学校を休むことを報告しに来ました」
「とりあえず座って」
担任は俺の前に椅子を出すとそれに座らせた。
「それで今回はどんな理由なの?」
「アニメ化の打ち合わせです」
「アニメ化!?」
他にも先生がいる中で担任はかなりのリアクションをとってしまう。まあそりゃ高校生の作品がアニメ化するとなれば驚きもするだろう。
「以前から話していたナンバーズという僕の作品が10月にアニメ化します」
「それは聞いてるし、君の作品も君が証拠品として持ってきたから読んだけどアニメ化って。そもそも一峰にはここまでの経緯を聞いてなかったな」
「話せない部分は言えませんが大まかに言うと」
俺は二年前。つまり中二のころにたまたま見つけた小説投稿サイトで暇つぶしに書いていたナンバーズを投稿。でも本当になんとなくアップしただけだった俺の投稿はすぐにストップ。別に誰かが見てくれているわけでもないしと思い最終話まで一応書ききったものの前半のさわり部分を投稿しただけだった。
しかし、ネット小説のレビューを書いているくろのめという人気ブロガーが俺の作品をひどく高評価。滅多に作品をほめないくろのめが太鼓判を押したとして人気が急上昇。そして一時的に視聴回数トップになったりした俺の作品を偶然現在の担当編集者東さんが会社にもうプッシュしたらしい。その結果、約一年半前に第一巻が発売。更に話題作りのため四カ月連続出版という異例の行動でネットで話題になり一カ月前にアニメ化決定の報告が俺に来たというわけだ。ちなみに四カ月連続投稿は加筆修正はあれど既に最終話まで書き上げている俺にダメージはなかった。というか何もしなくても印税が入ってくるという状況も生まれている。これは文字通りの意味で俺は出版が決まった時から最終巻までの加筆修正は終えているため少なくとも出版が終わるまでは俺は何もしなくてもいいっちゃいい。それでも何だかんだサイドストーリーやらグッズの打ち合わせやらもあり基本忙しい。俺が学校で本を読むのはそれが理由。文字通り学生の本業は勉強ではなく執筆という状況だ。ひと月前には同じ会社の小説部門とでもいうべきか常盤文庫に【無色のあなたへ】を提出し終えたばかりだ。まあこんなシンデレラストーリーにも裏はあって俺の作品のもうプッシュには当時看板作品で売り上げの中枢を担っていた【アストラーズ・ストーリー】が終了し、新人探しに熱が入っていたオープン文庫が新しい屋台骨を探していたこと、アニメ化の話だってオープン文庫が長寿作の終了で帰路に立たされている中で気合で勝ち取った枠が2クールでそれを終えて一年後にはまた2クールを計画しているのだ。俺の作品はその企画にうってつけだった。これが成功しようとしまいと注目は集まるし、ナンバーズの売上だって伸ばせる。それにもう最終話までしっかりと終わっているだけではなく修正まで終えているというではないか。ナンバーズは常盤文庫の一世一代の大博打というわけだ。もっといえばいずれ俺は現役高校生作家として売り出されるとか。まあ東さんとも相談して顔だしはngにしてもらう手筈だが。
当然俺は表の部分だけを話した。
「なるほど。そこまでしっかりしてるなら止めることはない。そもそも一峰の親御さんが好きにしろって言ってるんだからまあ頑張りな」
こんな話を終えて俺は今、千葉県から電車で都内に移動し、常盤文庫のあるビルに入った。
「和哉君」
俺が大きなエントランスの端のベンチで本を読んでいると東さんが声を掛けてきた。
「こんにちは。東さん」
「君はなんというか本当に物おじしないね。こんなところに一人なのに」
確かに周りは忙しく動き回るサラリーマンばかりだし、場違いなのも承知しているが別にそれは気にはならない。あくまで他人なのだから。
「じゃあ行こうか」
俺は東さんに案内されるままエレベーターに乗って十階まで上昇。俺はそのまま会議室に入ると既に今回のアニメ化に携わってくれている方が五名座っていた。
「おっ来たな将来特待生」
そう言って俺に手を振るのがプロデューサーで長谷川豪さん。俺は長谷川さんと呼んでいる。
「こんにちは、皆さん。今日はよろしくお願いします」
ここからじっくりと商法戦術のような話し合いが行われて俺の書きためたサイドストーリーでovaを作る可能性が浮上したりと三時間の会議はとても濃密な時間だった。
話し合いも終わり東さんと俺だけが会議室に残る。
「俺は君にあって驚きっぱなしさ。元々描いてるビジョンも相当緻密なんだろうけど何より大人だらけの空間で譲れないところは意地でも譲らないところとかそれにエンディングの浅木桜さんのイラスト50枚の案だってね」
「桜さんは僕なんかには勿体無いくらい優秀な人だし、そんな人が全力を出したいって言ったんです。願ったりかなったりですよ」
「でも彼女は元々風景画をメインに活動してる人でしょ。まさか肖像画も描けるとはね」
「桜さんのイラストを全力で引き立たせる構成でCGを入れる。これは桜さんの風景画と肖像画どっちも描けるところが生かせると思います」
「俺はワクワクしてるよ。君のような天才がこのレーベルにいるとはね。俺はあのアニメ成功すると確信してる」
「僕もです。あの人たちの顔を見てればね」
「この話はこれくらいにしてそうそう。君があっちに提出した小説、編集部で大好評だよ」
「そうですか」
「俺もあの本は今でも情景が浮かぶというか君は何であんなに情景と心理描写が上手いの?戦慄だよ」
「特に理由があるわけではないですけど景色は常によく見てます。雲の動きから雨の粒の大きさとか。あと人もよく見てます。表情も仕草も癖もきっとこんなことを考えてるんだろうなっていうのが知りたいので」
「目を合わせる癖も?」
「その人が何を考えてるか知りたいからですかね」
「じゃあ俺が今考えてること試しに言ってみてくれよ」
「期待とちょっぴりの恐怖とそして怒りですかね」
「君はそこまで分かるのかそりゃ心理描写も上手いわけだ」
「何について怒っているのか聞いてもいいですか。今の場合多分僕に関連することだとおもうのですが」
「君に編集部は箔を着けようとしてる。高校生作家だったりいずれは顔を出させてイケメンで売り出したりね。この会社の雑誌に写真が載るかもしれない。君の名前はそんなことをしなくても売れる。後で話題だったから売れただけとか実力以外でとか運とか言われるのは嫌なんだ」
「大丈夫です。編集長に話はもうしてありますよ。」
「それってどういう」
「事実だ。彼は直談判しに来たよ。作品の力だけで勝負したいとね。私から言わせれば傲慢だと言わざるを得ないが高校生に水商売めいたことをさせるのに後ろめたい気があるのも事実。だから条件を出した」
「条件ですか?」
「【無色のあなたへ】が見積もり200万部。そしてナンバーズのサブを含め400万部。今彼は死に物狂いでサブストーリーを書いているよ」
「そんなダブルヒットですか。無茶……ではないのか」
「そう。あの完成度からすれば恐らくそれも不可能じゃない。それにこの条件を出したのは彼だよ」
「一峰君が?」
「彼よりも全力を尽くさなければならないのは広報だ。俺達が試されてると行っても過言じゃない。【無色のあなたへ】は映画にもしやすいだろ」
「映画ってそこまで」
「もう知り合いの映画関係者に俺も時も片っ端からあれは送った。送っただけでもかなりの好評かだよ」
「全部進んでる。彼の作品は着々と世に羽ばたく準備をしてるよ」
「君の心持ちを聞いてもいいかい?」
「やるなら最高に努力して一番を取りたい。僕は傲慢なんでね」
「君は最高だよ」
たくさんの人の思惑が詰まったナンバーズはその後、あまりの完成度と声優のマッチ具合や桜さんの絵も相まって想像を超える話題を生み出すのだがそれはまだ先の話である。
俺はその日、アニメの話やサイドストーリー、原稿などの話し合いを五時近くまで続けた。
「明日は今もらったドラマCDの台本とまだ読み切ってないサイドストーリーの話をするよ。せっかく貰ってたのにごめんね。読み始めると止まらないんだよね」
「全然大丈夫です。先生にもいつでも休めるよう許可は取ってるんで」
「それを聞いて俺はなんといえば」
「よかったねでいいんじゃないですか?」
「学生に学校休めて良かったねとか社会人として言いづれえよ」
「そうですか?」
「そうなの!とにかく明日もよろしく」
「明日もよろしくお願いします。失礼します」
俺はビルを出た。
主人公を兄貴としたるレオの描かれなかった部分だったり若干ストーリーにも影響する主人公とヒロインの過去や主人公の魔法の師匠の全盛期などだが俺が一番楽しく書けたのはこれからメインキャラクターになっていく大量の伏線を回収し、それ以上の伏線をばらまくキャラの話だ。
基本的に一冊一冊が主に描かれるキャラが異なるナンバーズはかなり前からサイドストーリーでもっと掘り下げてほしいだの主人公よりレオが見たいといった要望がめちゃくちゃくる。どのキャラも難癖あるキャラを作ったが東さん曰く現段階で主人公より他のキャラの方が描かれてるところも人気な点なのだそうだ。東さんは人気投票を楽しみにしてたな。アニメが始まった頃に募集してアニメも中間ごろに発表する予定だから3ヶ月くらいで集計するんだったな。
家に着くともう六時ごろだった。大人との会話はいつだって新鮮で楽しい。
「ただいまー」
「おかえりー」
「帰ってきてたんだ。おかえり宮葉」
一週間ぶりの妹との再会だった。
次の日も俺は午後十二時半にビルに入り午後一時に会社に入った。昨日と違う点はやはり広さだ。二人だけということもあって昨日の会議室の四分の一程度の広さ。俺はやはり狭い部屋の方が落ち着くんだなと改めて気づかされた。
「とりあえずお茶持ってくるから座って待っててよ」
俺は頷いて椅子に腰掛ける。
程なくして東さんはお茶の入ったコップを持って現れて向かいの椅子に座った。
「まずはファンとして……面白すぎるよサイドストーリー。メインに突っ込みたいくらいの濃さだよ。特にルルド。あれはメインじゃなくて本当にいいのって君が最終回まで書き終えてなかったら言っていたよ。でも決まってたんだろ」
「はい。いくつかは僕が後で考えたものもありますけどルルドの話は昔からあって今思ってもあれはサイドです。彼を本筋で出しすぎるとミステリアスな印象が崩れる感じもするので印象が変わっても自己責任です」
「ルルドがまさかリーゲル戦争の生き残りとはね」
「まあ彼も色々あってああなってるんで」
「じゃあ何をどれにしようか考えないとね」
「削らないんですか?」
「俺が読んでる時に編集長がきてね。何冊分か送ったんだよ。そしたら全部、評価4越えは確定だとか言って好きにしろだってさ。一峰君、編集長に好かれてるね」
「そうなんですかね?でも全部出版出来るっていうのは嬉しい限りです」
「ちなみに聞くけど削るならどれを削る予定だったの?」
俺は考えていたことを話した。
「本編に付ける気はないの?」
「それもなくはないとは思ったんですけどあの作品は二年前の僕が一気に誰に見せたいわけでもないのに書き上げた作品で出版出来たりアニメに出来たりしたことは本当に嬉しかったですけどやっぱり当時の熱量はない今の僕がむやみに付け足したり添削したりするのは良くないと思ってて修正だって文を読みやすくしたり分かりやすくしたりしただけで内容も意味も全く変わってない自信があります」
「そうか。君は今何に一番熱がこもってるんだい」
「まだ途中ですけど見ます?」
「いや、今見ると最後まで読んでしまいそうだ。内容を聞くだけにしておくよ」
「もしあの時こうだったらって題名で主人公の定岡亮司がもしあの時こうしていたらっていうパラレルチックなお話で五つの未来があってある1日から全部分岐します。あるルートでは億万長者だし、ある未来ではホームレスだったり堅実なサラリーマンだったりってお話です」
「それは面白そうだね。書き上げたら僕にも見せてね」
「勿論です。かなりコメディータッチになってるのでかなり読みやすいと思います。なんていうか誰かに見せたいってよりは新しいことを書いてみたくて今書いてます」
「本当に君を手放すのは僕の会社のおおきな損失だね」
「この会社専属になりますよ」
「それはダメだ。君の作品は一つの場所で固まっているべきものじゃない。固まった概念はアイデアを消す。君に限ってそれはないとは思うけどもし万が一必ず出版もしくは連載がここなら取れると慢心したら僕は君の才能を消すことになる。ここで本を出すなって言ってるんじゃないもっと色んなところで伸び伸びと書けって話だよ」
「すいません、考えが浅はかでした」
「大丈夫だよ、君もこの会社を思って言ったんだろうしね。さっ話を始めようか」
どれをドラマcdにしてそれ以外の物語をどのタイミングでどの媒体で世に出すかの会議はページ数の問題や、その話のメインとなるキャラの人気具合だったりと難航したが三時間ほどでひと段落した。
「じゃあこれをここにつけてこれはこの期日までに出せれば上出来だね」
「そうですね。少し疲れたし別の話でもしようか」
「別の話って?」
「一峰君って彼女いるの?」
「最近も聞かれましたそれ。いないですよ」
「いないの?何かやばいことでもした?」
「してません。ただ授業中は家で読めない分本を読んで昼休みも図書館に行ってるだけです」
「それはかなり普通じゃないけどな」
「最近は図書館にもついてくるやつもいたりして」
「何その子、どんな人なの」
俺は水沢と初めて会った時の話をした。
「彼女よく勇気出したね」
「どうゆうことです?」
「他のクラスに入り込んで君を逃がさないようにラインを聞くとかその子も苦労してるな。一峰君って女たらし?」
東さんはこの話をしてから妙に明るいし、笑っている。自分の高校生活でも思い出しているんだろうか。
「何でそうなるんです。僕は女子は水沢しか話したことありませんよ」
「そうか。俺が言えるのは彼女を無下にしないこと。話くらいはしても損はないと思うよ」
「東さんが言うならしょうがないですけど」
その後もしばらく俺の学校生活をメインに話は続いた。
「お疲れ、今日はもう話すこともない。方針もだいぶ決まった。言っとくけど普通の作家は最終話まで話は完成してないし、プロットがあったとはいえ三カ月で十個も話作れないよ。俺としては助かるけどもう少し学校生活を楽しんでもいいと思うよ。まあ年長者の戯言だと思ってくれればいいよ。何かあればメールする。君の家に直接行くことも今後あると思うからその時はよろしく」
家にいるほとんどの時間を執筆に使い、その代わりに学校で本を読んでいるがそれも新しい表現技法や語彙を学ぶためという部分もある。楽しめか。
「分かりました。今日はありがとうございました」
家の玄関前についた時にはもう時刻は七時を回っていた。
「ただいまー」
「おかえり和哉君」
そう言って俺を出迎えたのは一個下の妹の一峰宮葉。最近まで母に会うためにスペインに行っていた。どうやって先生を説得したのか俺はずっと疑問に思っている。
靴を脱いでリビングに行くともう一人。
「おかえり兄貴」
「ただいま、明人」
「兄貴、横に地縛霊がついてるから僕がお祓いしてあげるよ」
宮葉は俺にぴったり密着している。
「うるさい、永久ニート」
「僕は目的を持って学校に行ってないし、授業日数の計算も済ませてるから問題ないの」
俺の弟。明人はほとんど学校には行っていない。中学までは義務教育であるためあまり学校に登校しなくてもいいのだ。入学初日から学校に行かなくていい理由を力説した我が弟は大半を家の中で過ごすインドア人間。別名ニートになった。部屋からは出ているのでニートではないのかもしれないがそこの審議は曖昧だ。
「それに綾がいきなり一位を取っちゃったら地縛霊さんがかわいそうだし」
「はー無理に決まってるじゃん。一位を取れるのはお兄と私って相場は決まってんの」
何とも言えないのが明人は聞いたことを全て頭に入れるなまじ反則な能力があるため教室にいるだけで先生の発言をコピーする人形と化す点だろう。
「私だって写真記憶あるし聞かなくても覚えられるし。私の方がいいよね。お兄」
宮葉の写真記憶はごくごくまれに持つものがいる見たものを写真のように覚える能力。その精度にはばらつきがあるらしいが少なくとも宮葉の写真記憶に関しては間違いなく最上級だろう。同じものを持つ俺が言うんだから間違いない。
だが学校というフィールドに限定すれば断トツで見聞記憶に軍配が上がる。目を瞑っていようと情報が耳に入るというのは先生という説明役がいる以上そのプロセスに見るという動作を加えなくてはならない写真記憶は効率が悪い。両方の能力を持つ俺が言うんだ。間違いない。
でも学生時代を終えれば見聞記憶が生きるのはスピードランニングくらいだろう。
「学生のうちは見聞記憶の方が使い勝手も効率もいい。でも学生生活が終われば説明役の人なんていないんだ。俺も二人もしっかり勉強しないとだね」
「綾葉って何でも比べないと気が済まないの?子供すぎ」
「明人は自分が男でお兄にくっつけないから妬んでるだけでしょ。あー宮ってほんとかわいそー」
図星だったのか綾葉は悔しそうな顔で宮葉を睨んだ。
結局こうなるのか。俺はソファーの上で悲しそうな顔をしている綾葉の頭を撫でる。
「お兄ちゃーん」
綾葉は俺に泣きそうになりながら抱きしめてくる。
「綾も宮も兄弟なんだから喧嘩すんなよ」
「カズ兄ー」
綾葉は甘えたいときとか弱ってる時は俺を兄貴ではなくカズ兄と呼ぶ。
「お兄、私も撫でて」
結局五分間ほど二人を撫で続けた。二人はようやく満足した様子でソファーに二人で座った。俺はその対面のソファーに座った。二人はいつもは仲がいい双子なのだがたまに喧嘩すると本当にしばらく話さなくなるからすぐに俺が仲裁に入るようにしている。
「なんかお兄嬉しそうだね」
「確かに。なんかいいことあった?」
「サイドストーリーが全部削られないらしい」
「おー。お兄やったじゃん」
「ごめん。削るって?」
「会社だってお金を使ってある程度売れる見込みがあるから小説を売る。綾に聞くけど綾は君の好きな漫画やドラマの主人公以外がメインになっていても買う?本編とは全く関係なくても」
「そのキャラが特別好きなら買うかもだけど本編には関係ないんだよね。本編だけでいい気がする」
「そうゆうこと。綾葉みたいに本編だけしか買わない人も正直多い。でも編集部はそんな人が多い中でも本筋じゃない話を全部出版しようとしてるってこと」
「それって凄いじゃん。お兄やったね」
「うん。嬉しいことだよ」
「編集部もただで金あげるほど甘くないってことだね」
少し言い方はきついが宮葉の言うことは正しい。最終巻が出るまで何もしなくていいと思ったら大間違いだぞってことだ。東さんの予想だとアニメが放送されれば売り上げは一気に伸びるらしいから東さんもかなり気合が入っているし、収入も無論上がるそうだ。東さん曰くアニメが成功していきなりウン千万を稼ぐ作家さんもいるそうだからな。
「今お兄は何書いてるの?」
「もしあの時こうしていたらを今書いてるよ。宮葉が好きかも。コメディードラマ好きだから」
「うん。完成したら読ませてね」
「アニメが成功したら三人でなんか美味しいもの食べに行くか。奢るよ」
「やったー、私焼肉ー」
「寿司」
「まあそこはおいおい決めよう」
「寿司楽しみ」
「寿司が確定みたいな言い方しないでよ。綾ってほんと寿司好きだよね」
「家族みんなで初めて行った外食だからかな」
「もう十年くらい前だよね。みんなで行った外食って三回くらい?」
「そうだよね。みんなでどっか食べに行きたいな」
「ママも時間があれば帰ってくるんだけど全員は中々ね」
「金が残したものもせいぜいこの無駄に広すぎる家くらい」
「地下も入れると5階建てだもんね。何にもない部屋とか普通にあるし」
「普通にあるな」
「二階に兄弟限定のリビングがあるのはいいところ」
「そこも無駄に広いけどね」
「あっそうだ昨日新しいゲーム買ったんだ。宮も兄もやろうよ」
「僕はちょっと今日思いついたアイデアまとめたいから部屋にいるだけでもいい?」
「うん。早く行こう」
階段を上がっていると時々思う。なぜこの家はここまで広いのだろうかと。他の誰かが聞けば何言ってんだお前と思うかもしれないが庭を含まないで単純な家の敷地面積だけで300坪、地下は二階まで掘られ、上に三階。俺が使うのは書斎と自分の部屋、更に一階を丸々一つの部屋にしたリビングと二階の妹の思い付きで決まった兄弟限定のもはや第二リビングと化した部屋の四つ。固定資産税がいくらかかっているのかなど考えたくもない。これで子供がたくさんいる大家族ならまだいいが家族合わせてたったの五人。父親はいつも会社に近いホテルに泊まったりで家にはいないし、母親など日本にさえいない。海外を拠点にするファッションデザイナーでロサンゼルスに別個で一軒家を持っているほどだ。実質3.3人しか家にはいないのだ。使っていない部屋の数など考えたくもないし、未だに入ったことのない部屋も多い。宮葉なんて家半分は人に貸そうと本気で言う。使わない部屋があればあるほど虚しいだけだ。
幸い、第二リビングは階段を上がってすぐにあるのでいいが。俺たちは第二リビングに入った。
第二リビングだって実際はあまり一階と変わらない。珍しいものといえば宮葉がたまにしか帰ってこない母親につけこんで一番大きいサイズのテレビが欲しいと言ったところ半年後に届いた100インチのテレビくらいか。結局宮葉の大画面でゲームをという目論見は逆にテレビが大きすぎて情報が処理しきれないとかの理由でバラエティ用になりその後、彼女の部屋には60インチのテレビがついた。うちの親は俗に言う金持ちという部類に入るが金銭感覚は比較的普通で月のお小遣いもまあ多いかもしれないが一万円だし、俺達もそれでやりくりをするが抜け穴も存在する。両親ともにほとんど家に来ない二人はそれをネタに強請られると途端に弱くなる。まあまだ学生でうち二人は女子を野放しにし、海外に住んでいるのだが当然と言えば当然だが。綾葉はあまり物欲がないのか何も言わないが宮葉は違う。100インチテレビしかり、高級デスクトップPCが三台にノートパソコンも二台。さらに何故かゲームソフトのお金は母親のクレジットから出していいという謎ルールも作りととにかく思いつくものは全てかい揃える。俺も妹がそうこうしているうちにちゃっかりデスクトップPCは持っている。今使っているノートパソコンも小説家としての収入で買ったものだ。
二人は対戦ゲームで盛り上がり、俺はそれを横目にアイデアをメモしていく。そうこうしてると俺のスマホが震えたので見てみると咲良と表示されていた。
「もしもし」
「和哉君、エンディング用のイラスト何枚か出来たから明日見に来れる?宮ちゃんも綾ちゃんも時間があれば来ていいって言って」
「咲良さんから電話で明日家に来ないかだって」
「行くー」
綾葉はコントローラーを投げ出して俺のスマホの近くに来た。俺はスピーカーをオンにする。
「咲良さん、聞いてよ。宮葉が全然手加減してくれなくてゲームが全然楽しくない」
「弱いのが悪い」
「ほらね。ひどいよねさくらさん」
「二人が揉めないのが一番」
「宮葉も綾葉も寝る時は今でもよく一緒に寝てるのに起きてる時はほんとに喧嘩が多くて」
「私は宮が寝たいって言ってるから仕方なく寝てあげてるの」
「綾が寝たいって言った。宮は今日兄と寝るから綾は一人」
「だーめ。兄ちゃんは私と寝る」
「三人別々で寝た方が」
「今日は兄とじゃないと眠れそうにない」
「宮に同じ」
「分かった。三人でここで寝よう。それでいい?」
「うん。いいよ」
綾葉は本当に嬉しそうな顔をする。宮もどことなく満足気だ。
「すいません。話がずれました。明日何時頃に行けばいいですか?」
「午後からならいつでもいいよ」
その後、了解の意を伝えて話は終わった。
「そろそろ兄もゲームしようよ」
その後、俺、綾葉チームは宮葉にコテンパンにやられた。宮葉はゲームで手を抜かない。
そんなこんなでまったりと十二時まで遊んだ俺たちだったが夜行性ではない綾葉は俺の上に乗って寝ぼけていた。いや半分寝ていた。
「うー。眠い」
「寝ていいよ」
「お兄も寝る?」
「俺はもうちょっと書きたいから起きてるよ」
「夜行性めー」
俺が胡座をかいてその足の上でおれの上半身に頭を預けている状態だ。
「今寝るわけには……はっ!」
おれの妹はこんなことを早二十分近く繰り返している。
俺は起きたいけど眠いという状況になったことがないので少しだけ綾葉に憧れるがどのような気分なのだろうか。糸が切れるというのは夏休みの睡眠ゼロウィークで経験済みだがあれはもうちがうものだ。人類の限界である。あれをしてから三徹は余裕になってしまった。一本線を超えてしまったのだろう。
とりあえず目の前の瀕死妹を寝かせよう。
俺は綾葉の頭を優しく撫でつつ、耳元で『おやすみ、綾葉」と言うと彼女は落ちた。夢の世界は美しいのだろうか。悲しいのだろうか。滅多に夢を見ない僕には分からないことだ。滅多にという言葉に含まれる数回は見たような気がするだけ。僕は夢を見たと決めつけているだけかもしれない。
それから僕は綾葉をいわゆるお姫様抱っこして真ん中の布団に寝かせ、上から毛布を掛けた。綾葉は毛布を掛けると少しだけ微笑んだ。
僕と宮葉はそれぞれソファーに隣り合わせで座り各々の時間を過ごした。兄弟というのは互いがいても一人の時と変わらない行動が出来る数少ない存在なのかもしれない。ゲームのサウンドは綾葉が寝てすぐに宮葉がヘッドホンを付けたので聴こえなかった。こういう所が宮葉の優しい所だ。僕はちゃんと気づいてるぞというように軽く頭を撫でた。
「何、お兄ちゃんいきなり?」
「何でもない」
宮葉は驚きつつも満更でもない表情で俺が頭を撫でるのを止めさせようとはしなかった。手を離した時には何処と無く嫌がっているようだったがずっと撫でていても仕方がないと思い、左手をキーボードの上に戻した。
それから124分が経過した。その間何度かとりとめのない話をしたが特に何もなく穏やかな時間が流れた。
「もう寝る。お兄ちゃんも寝よう」
宮葉はヘッドホンを取り背の低いテーブルの上に置いた。宮葉は明らかに俺のように夜行性の人間で気づくと朝が始まっている人種だがその表情には疲れが見えた。たぶん昨日徹夜でもしたのだろう。俺は眠くは無かったが二人が寝ている中、キーボードを打つのもあれだし、この部屋からわざわざ自室に戻ってする程でもない。ただアイデアを書き込んだだけで後半一時間は何気なくプロットを作っていただけ。俺は何ヶ月ぶりだろうか。三時前に就寝することにした。
「そうだね。そろそろ寝よう」
僕と宮葉は洗面所で歯磨きを済ませ、部屋に戻った。
僕がこっちから見て右側の布団になんとなく入ると宮葉もそこに入った。まだ六月だが二人も同じ布団に入れば自然と中も暑くなる。
「三人分敷いたんだからこの布団に入んなくてもいいだろ」
「兄と同じ布団で寝たい。ダメ?」
我が妹は本当にずるいと思う。そんなにストレートに来たら断ることは出来ない。僕は俗にいうシスコンなのだろうか。
「今日だけ」
「やった」
「俺は手元のリモコンで部屋の電気を消した。
すると俺のパジャマに微かだが引っ張られるような感覚があった。宮葉が摘んでいるのだろう。
別に俺は何も言わなかった。俺は極力ベッドや布団の中で本を読んだり作業をしたりはしない。その理由はシンプルですぐに睡魔が襲ってくるからだ。
俺は何かが乗っているような感覚で目を覚ました。
俺は宮葉の抱き枕になっていたようだ。
掛け時計を見ると短針は八を長針は六を指していた。
俺は出来るだけ宮葉を起こさないように布団から出た。綾葉もまだスヤスヤと寝息を立てながら眠っていた。
音を出来るだけ立てないように部屋から出て、洗面所で顔を洗う。六時間半も眠っていたのかと僕にしては長い睡眠に驚いた。
部屋に戻るとオレはキッチンで朝ご飯の用意をする。お米は炊いてないため必然的に主食はパンになる。食パン三枚をパン専用のトースターにセットする。タイマーを4分間に設定して始めると記載されたボタンを押すと、すぐにトースター独特の機械音と食パンの香ばしい匂いが立ち込める。俺はそれを確認するとフライパンに卵を三つ乗せて目玉焼きを、それと何種類かの野菜を使ったサラダを作ろうと作業する。俺は料理は嫌いではない。どんなに作っても二度と同じものは作れないというのは面白いし、それは更にいいものが作れることを意味する。終わらない食への研鑽というのは大げさだがたかが目玉焼きでさえ数秒の差で味にも食感にも違いが出るのだ。そういったことを考えていれば作業になることはない。親が家にいないこともあり三人とも料理が出来る俺たちの中で当番が決まっているわけではないがなんとなく俺が朝ご飯を、昼ごはんはたまに俺が作ることもあるがおおむね各々で済まし、夕ご飯を綾葉と宮葉が日替わりでといった形をとっている。他にも俺は掃除やゴミ捨てを担当している。他は二人が分担している。
匂いに誘われたのかまず綾葉が起きた。んーっと目をこすりながら伸びをしている姿は若干の気だるさを感じさせた。
「おはよう。お兄」
「おはよう。綾葉」
綾葉は寝ぼけつつもゆっくりとキッチンの前の朝ご飯用のテーブルの椅子に腰掛けた。
「宮起こすの忘れてた」
綾葉は再び立ち上がり未だにすやすやと眠りにつく宮葉を揺する。
「朝だよ。起きてー」
そうこうして十秒ほどで宮葉は目を覚ました。
宮葉は恐る恐る布団から体を起こすと数秒停止して再び動き出した。宮葉は何か考え事をすると、たまにそうなる。
俺の隣で機械音を出すトースターがチンと高い音を立てて焼き上がりを告げる。
宮葉はおはようと言うとキッチンの前の食卓に座った。
ちょうどすべての料理が出来たため皿をテーブルの上に置いて朝ご飯が始まる。いただきますは毎回しっかりと言う。ここだけは基本何も言わない両親が強く言ったためうちでは当然だが意外と言わない家庭もあるらしい。
「今日って咲良さん家だよね。結構久しぶりかも」
綾葉が言った。
「二人はあんまり行ってなかったか」
「うん、もう一年ぶりくらいじゃないかな」
「じゃあ引っ越してからの家は見てないか」
「そういえば引っ越したって言ってたね。どんな家」
「シンプルだよ。絵を描くための何もない部屋が一つと風呂とキッチンくらい。間取りはほとんど作業部屋に取ってるって感じかな」
「咲良さんって世界的な賞もいっぱい取ってたよね」
「今、ニューヨークでも何枚か展示されてる」
宮葉がポツリと言う。
「そんな人をイラストレーターにするなんてお兄もさすがだねえ」
「親戚のよしみってやつかな」
それくらいしか俺の小説の絵を彼女が描いてくれてる理由は思いつかない。咲良さんとは三歳年は離れていてるから彼女は大学一年生のはずだ。俺達兄弟のはとこにあたる間柄で俺の父親と咲良さんの父親、五条寛二さんが父親と中がいいため父親に付き添って咲良さんも家に来ていた。父と寛二さんがとても楽しそうにお酒を飲んでいる光景は未だに覚えている。この家に来て無駄に広いなこの家はと言って二人で居酒屋に消えていったことはなぜか未だに覚えている。その時に一緒にうちに来ていたのが咲良さんだ。あまり自分からは喋らない人だが俺や妹たちの話を楽しそうに聞いてくれる人で優しいお姉さんという印象だ。
咲良さんが高校生になり絵の才能が開花し、たくさんの賞を取り始めてからは忙しくなったのかあまり会ってはいなかったがお正月には必ず一緒にご飯は食べている。僕が書いた作品が小説になるよと報告した時、私がイラスト書こうかと言ってくれたのは記憶に新しい。彼女は風景画を得意としていたが肖像画も優れたものだった。彼女がスケッチブックに描いた俺達兄弟の肖像画はそれぞれの部屋に飾ってある。
俺達はほぼ同時にご飯を食べ終え、皿洗いをかって出た綾葉が現在、皿洗い中だ。
「あっ」
「どうした?」
スマホを見ていた宮葉が驚いたような声を出した。
「お兄ちゃんの小説のことまたこの人言ってる」
「この人って一巻の時も感想書いてくれてたよな」
「あーその子知ってる。佐々木穂乃果ちゃんでしょ。楓道35のセンターも何回かしてるよ。多分一歳差」
「この人って凄い人なの?」
「凄いっていうかもうかれこれ3年くらいはアイドルで一番人気のグループでセンターも一回してる。2年前に入ったのに凄いよね」
「兄は楓道自体知らない。分からない」
「兄、楓道知らないの?名前は?」
「聴いたことあるようなないようなって宮葉は知ってた?」
「何人かは名前も覚えてる。てゆうかテレビ見てたら自然と目にする」
「兄、ここいてもいつも本かパソコン見てるもんね」
「動画があった。その子がライブ配信でナンバーズのこと言ってるやつが」
宮葉は俺と綾葉に見えるように角度を変えた。
『ナンバーズ好きなんですか?うん。好きだよ。ほんとすぐ読んじゃうし楽屋でもよく読んでる。……そうそうアニメ化するんだよね。PVはもうすぐかな。……どのキャラが好き。クレインとハイドラかな。クレインはほんとにイケメンだし、リーナは技がかっこいいよね』
そこで動画は終わった。
「クレインはやっぱり人気だけどハイドラも結構人気ある」
「竜を喰らった女が確か次の巻にあるからハイドラ人気も上がるかもね」
ハイドラは小説の方では最近出たばかりのキャラで今読者からはなぜか魔法が通らない無敵キャラって印象だろうな。小さいころに竜の群れをひたすら食いまくった影響で魔法耐性も防御力も作中トップクラスのキャラだ。今年中には新キャラに殺されるが。人気がある理由は最新刊で言った「お前が死んだら楽になるのはお前だけ。残った人間はどうなる。死んだら終わりとか思ってんじゃねえぞ。これだけは覚えとけ。生きてる方がずっと楽しいってことをな」という台詞だろう。これまではただの無敵キャラだった無敵お姉さんキャラが実は腹に一物抱えてるのが分かるのが次巻。来月が楽しみだ。
「うん。一巻の時と四巻の時、あとアニメ化決定の時だね。ほんとにおもしろいからおすすめだって」
「でもこうやって面白いって言ってくれてるのを見ると安心する」
「絶対アニメ見るって言ってる」
「いいアニメになるといいね」
「なるよ。たくさんの人が今も頑張ってくれてるんだ。僕が信じないわけがない」
「一話の一時間が鍵」
「多分、来週には放送より前に焼いたやつ見れるけど一緒に見る?」
白箱というものらしく家族と見てもいいのかと尋ねたところそこは暗黙の了解になっているそうだ。
「見るー」
「咲良さんの家には一時ごろに行こうと思うんだけどいいかな?」
「うん。何時に出るの?」
「十二時には出ないとだね」
俺は自室に戻り、ひたすらプロットを作り続けた。
スマホが振動したので画面を見るとまいと表示されていた。ラインはもう数日彼女とはしていない。何を言われるのだろうか。俺は若干の興味を持ちつつ応答した。
「もしもし」
「一峰君……そのこの前はごめん。何も分からなくて適当なこと言って」
「気にしてないよ」
「じゃあどうして休んでるの?」
ここで俺は迷った。完全にはぐらかす方向でいくか仕事だと言うかはたまた真っ赤なウソをつくか。
「詳しくは言えないけど大切なこと」
「……そうなんだ。月曜からは学校にくるの?」
彼女はそれ以上追及してこなかった。俺との線引きが定まったのなら懸命だ。
「行くよ」
「そっか。じゃあまた学校でね。緋色の研究は読み切ったよ」
「どうだった?」
「それは学校で。じゃあね」
彼女はあまり本が好きではないと思っていたがいや、今の高校生自体が本離れしているという見解だったが自分に合う本に巡り合えていないだけかもしれない。僕が初めて読んだ本はカフカの変身だったが内容を理解できたかと聞かれれば答えはノーだ。というか何で保育園児が書斎の数ある本の中でそれを手に取ったかさえ分からない。何か強く惹かれるものがあったのかはたまた特に理由なく手に取ったのか。結果から言えば他の本が読みたいという発想に至り二年間はここに引きこもるわけだが。緋色の研究は彼女に合っていたのだろうか。本離れを加速させるようなことにはなっていないか。
そんなことを考えつつも俺は書斎から4つの署名を取りに向かった。この部屋は自分の身長の1.5倍近い本棚が無数に並んでおり、通路の幅も均一で本棚も全て同じ。この大量の本は祖父が読書家だったことも影響している。父曰くもう一般では手に入らない貴重な本もたくさんありそれがどれかも分からないから面倒なだけらしいが。父も暇さえあれば本を読む人なので祖父と父そして今は俺が奥にある空いた本棚に新しい本を入れている。それでもまだ空いた本棚も多い。この書斎の本棚が埋まるのは僕の代じゃ無理だなと確信している。たくさんの本たちの中心には少し大きめの丸テーブルと高そうな詩集の入った座り心地のいい椅子がある。これが地下一階の全貌だ。
ここに来るとまずはインクの匂いが鼻に入り込み、次に本そのものの匂い。この匂いが僕は好きだ。今、本と向き合っているという証明のように感じる。綺麗に整理された本たちはシリーズごとにしっかり分けられていてまだ読んだものはごく一部だがどれがどこにあるかくらいは知っている。
僕は4つの署名を手に取った。ここには魔物が住んでいる。長居はできない。少しでも気を許せば2日はここから脱出することはない。
僕は出来るだけ本を見ないようにして書斎を後にし、自室で本を読んだ。
第二リビングに戻ると綾葉が料理をして宮葉がバラエティを見ていた。
「もうすぐできるよ」
「ありがとう」
「兄、インフィニティやろうよ」
インフィニティとはPCゲームで最高峰と呼ばれるほどのクオリティを誇るMMOでストーリーは文字通り無限。サービスが開始されてもう二年が経つが二週に一度はアップデートが入りストーリーもシステムも日々進化している。父の会社lightが開発したコンテンツの一つだ。俺は当時の父との会話を思い出した。
「インフィニティが完成したぞ。いや始まったんだ」
父さんは家に帰ってくると一階のリビングでくつろぐ俺たちにいきなりそう言った。
「えっ、始まったの。インフィニティ」
そんな唐突な発言に反応したのは宮葉だった。
「サービス開始は三カ月後。プレイヤーの顔が目に浮かぶぜ」
「おーさすがパパ」
「なんのこと?」
「あー二人は知らないか。もうかれこれ二年の構想と開発の繰り返しで生まれた最強のPCゲーム。それがインフィニティだ」
父さんは続ける。
「このゲームの凄いところは常に成長し続けるがコンセプトだってこと。発売からアップデートはサービス終了まで終わらん。ストーリーも一章が終われば二章と常に作り続ける」
あーまた父さんの無茶に付き合わされる社員がと俺は今もPCと試行錯誤しているであろう開発担当のことを思った。お父さんは既に俺の膝を枕に目を瞑った綾葉。もう話半分で聞く俺、目をキラキラと輝かせて話を聞く宮葉と三者三葉のリアクションを気にもせず流暢に話し続けた。このキャラクターには田中の強い熱がとかこのシステムには三カ月に及ぶ仲間の努力がとか。社員のことを自分のことのように喜ぶ父はかっこよかった。こういうところが社員たらしと呼ばれるこの人の魅力なんだなと子供ながらに悟った。
「でだ、俺は社長の権限をフルに活用してお前たち三人分の先行プレイの許可を貰った。あくまでベータ版だが今日このバッグにはそれが入ってるんだ。欲しい人ー」
「はい」
手を挙げたのは二人、うち一人は大人、一人は右手を挙げながら父親のバッグの中を左手で器用にあさる女子。綾葉は前半から寝ていて、俺は本を読んでいたため手は挙げなかった。
「おー素直じゃないな。そんな二人にもってあさるなって今ディスクのデザインの秀逸さを語ろうと」
「発見」
宮葉は三つのパッケージを取り出してそれを眺めた。
「まあ今はこのテレビとパソコン繋いでやるから宮葉がやるか」
「うん」
ゲームを実際にするのは当時最高スペックのlightが開発したノートパソコン。
ゲームが始まり眠っている綾葉を除き、あまりゲームをしない俺でさえオープニングムービーには引き込まれた。特筆すべきは恐らくメイン広いんだろう白髪の美しいロングヘアの女性の涙。どうしてここまで綺麗なのか。勿論、テレビが4k対応であることも大きいだろうが特に演出が美しかった。
「これは名作になる気がする」
「そう。まだこれは名作じゃない。これから徐々に名作になっていくそんな可能性を秘めたゲーム。インフィニティだ」
画面を見ながら語る父さんは先程とは違い遠く先を見据えたような表情できっと今も彼にしか分からないこと思いつかないようなことを考えているんだろう。その横顔は素直にかっこよかった。
それから一時間ほどプレイした宮葉はふと尋ねた。
「父さん凄いね」
「俺が凄いんじゃない凄いのはlightの仲間たちさ。俺は提案をするだけ。こうした方がいいああした方がもっといいってな。俺には残念ながら一流のプログラマーの才能はないし、そこは開発が、素晴らしいものができたって誰にも見てもらえなければさみしい。広報は広報部が。そうやってlightの人達は自分にしかできないことをして生きてるんだ」
「ご飯食べて咲良さんの家から帰ったらな」
宮葉は若干不満そうな声を出したがご飯が出来たこともありそれ以上は何も言わなかった。
ご飯を食べ終えると時刻は十二時を過ぎていた。すぐに電車に乗り移動した。一時間ほどで咲良さんの部屋の前に到着した。
俺がインターホンを押すとすぐに咲良さんが出てきた。
「咲良さん、お久しぶりです」
すぐに綾葉は咲良さんにハグをする。
「久しぶり綾ちゃん、宮ちゃん。和哉君は三週間ぶりくらいだね」
「はい。前に絵を見に行った時以来ですね」
「ねえ、部屋見てもいい?」
「うん。上がって話そうか」
俺達は咲良さんに案内されるまま四人掛けのテーブルに座った。咲良さんの隣には綾葉が座った。
結局、宮葉も綾葉も乱雑に壁にもたれさせるように置かれてる大量の絵と間取りの全てになっているアトリエでひときわ存在感を放つキャンパスに掛けられた一枚の絵にくぎ付けになっていた。描かれていたのは桜の木で満開の花と散りゆく花でキャンパスはピンク色に染まっていた。シンプルな絵だが惹きつけられるのは構図だと思う。花の舞数、木の配置、色などすべてが調和し、それらを引き立てているのだ。それらの絵の中の生命たちは一つの命と化してその命を輝かせているのだ。
「さく姉、この絵の名前は?」
宮葉は咲良さんを昔からさく姉と呼んでいる。
「これは冬って題名だよ」
「えっでもこの絵、桜が描かれてるよ」
「ピンク色に塗られた部分は後で白に塗り替えるよ。でも最初から白い桜にするよりは元々春に咲いていた時の雰囲気も感じられた方がいいかなって思ったの」
「この絵は凄く綺麗だけど冬になるともっと綺麗になるの?」
「うん。冬になればもっと綺麗になる。また見に来て」
このピンクが全て白。想像しただけでも綺麗だが咲良さんが描けばもっと神秘的なものに変わるのではないか。きっと咲良さんが描くと桃が白に変わるだけではないのだろう。そんな期待をしたのはきっと俺だけではないだろう。
「何か書いてもいい?」
宮葉はスケッチブックをどこからか持ってきてそう言った。
「いいよ、そこにペンも筆もあるから」
宮葉は一人床に座って絵を描き始めた。ここからでは角度的に何を描いているのかは分からなかった。
「二人もなんか描く?」
「いや、僕はいいです」
「兄は基本何でもできるマンだけど絵は一切描けないんだよね」
そう。僕は全く絵は書くことが出来ない。その対象の輪郭を捉えることさえままならないのだ。猫をかけばそれは正体不明の新しい生物が誕生する。
「そうなの?あーでも確かに絵描くって聞くといつもやだって言ってたか」
咲良さんは何かを思い出しているのかクスリと笑った。
「ねえ、咲良さんの描いた絵見せてもらわなくていいの?」
「あっそうだね。今持ってくる」
咲良さんは奥の部屋から十枚の絵を持ってきてテーブルに並べた
「凄い綺麗」
主人公が剣を携えこちらに向かって歩いてくるような絵や幻想的な森の中に一人ぽつんと白い羽衣を羽織った少女がいたりと俺の考えていた場面と構図は同じだがそれをはるかに超えていた。
「どうかな?」
「凄いです。最高ですよ咲良さん」
「ありがとう」
「これ何の絵なの?兄の本って挿絵ないよね」
「これはアニメのエンディングで使われるんだよ」
「全部?贅沢すぎる」
「これを放送するときはCGを担当する方が画面になじむように少しだけ動かしたりしてくれる」
「より楽しみになるね」
「そうだね。咲良さんは見れるんですか?白箱」
「うん。東さんがくれるって言ってた」
「そうですか。やっぱり早く完成したものが見たいです」
「不安?」
「……少し」
「大丈夫。きっとうまくいく。私が約束するよ」
「咲良さんが保証人ですか?それなら失敗しませんね」
主にナンバーズの話をして三十分程で宮葉が出来たと発声した。
「どうだ。このアトリエを描いてみた」
丁寧に描かれた絵は全体的に灰色と黒が多く使われていたが宮葉の位置から見たアトリエを描いていたわけか。
「宮ちゃん上手い」
咲良さんが頭を撫でると宮葉は微笑んでいた。
「私も描く」
なんだかんだで綾葉も絵を描き始めたためテーブルに座っているのは俺と綾葉さんだけになった。
「前にあった時もあまり時間は取れなかったし、ゆっくり話すって久しぶりな感じです」
「そうだね。そういえば和也君って学校だとどんな感じなの?」
「ずっと本読んでます」
「あー想像つくかも。なんでか知らないけどバレないみたいな」
「一回もバレてないですよ」
「流石だね」
「どうも」
俺と咲良さんは笑う。
「咲良さんのニューヨークに展示されてる絵が好評だって聞きました」
「うん。私それ聞いてびっくりした。日本の風景がほとんどだから」
「さすが日本ですね。それを再現した咲良さんも」
「それ!ねえ前から聞こうと思ってたんだけどなんでさん付なの?ずっと咲良姉だったよね」
「それはいつまでも姉って呼ぶのもなんかあれだなと」
「じゃあ咲良」
「無理です」
「でも咲良」
「いや、咲良さんで良いじゃないですか」
「なんか敬語使うようになったし距離感が遠くなった感じする」
「それはあんまり会えなくなったから」
「これからは顔合わせることもあるんだから咲良姉でどうでしょう」
咲良さんは大人っぽい笑みを浮かべる。
「咲良姉」
「よろしい」
「すっごい恥ずかしかった」
「ちょっとだけ私も」
「なんで咲良姉が緊張するの?」
「無理矢理お姉さん呼びさせてると思うと」
俺たちはしばらく笑いあった。昔が少し戻った気がして嬉しかった。だからこんなことも言ってしまったんだろう。
「前みたいに家に来てよ。うち無駄に広いのに三人しかいなくていつも寂しいから」
「ふふ、分かった。今度行く」
「今度っていつ?」
そう言ったのは絵を描くことに早くも飽きたのかスケッチブックを床に置いた綾葉だ。
今度は咲良姉が振り回される番だ。
「えっえーっと」
「今日は?さくねえ暇?今日」
「今日はもう何もないけど」
「泊まっていきなよ」
「それはいくらなんでも」
「いいよ。ねえお兄」
「うん。泊まっていきなよ。お姉ちゃん」
咲良姉は少し恨めしそうにこっちを見ると笑って承諾した。
少し遠くなっていた距離は一瞬で近くなった気がした。
宮葉はもう一度この部屋を描いていたがさっきの絵の方がいいと二枚目を捨ててしまったため俺のバッグには一枚しか絵は入っていない。咲良姉が描いた絵は後日東さんに渡すそうで家に置いて来た。
家に着くとすぐに第二リビングに適当に四人で座った。咲良さんと綾葉はソファーに宮葉は少し離れたところで椅子に俺はカーペットに胡坐という立ち位置だ。
綾葉は咲良姉の左肩に頭を乗せてニヤニヤしている。
話は綾葉と宮葉の学校生活の話題になった。
「綾ちゃんと宮ちゃんって学校で何してんの?」
「宮はほとんど学校行ってないよ。家でゲームばっかりしてる」
「別に行かなくても学年二位だしいいの」
「見聞記憶だっけ?」
「そう。宮はそれがあるから何だっけあのCD」
「勉強なんてこれ一本。聞くだけ勉強シリーズ」
「それが学年別に全教科あるから宮葉はそれ家で聞いてちょっとテスト前に学校行ってそれで終わり。もううらやましい」
「そんな宮ちゃんのためにあるみたいなCDあるんだ」
「でも兄もそれ使ってたよね」
「それ今言う?」
「そっか。和哉君も聞くだけで何でも覚えられるって言ってたもんね。CD一緒に聞いてたんだ」
「兄は私とゲームしながらそれ聞いてたよね」
宮葉は悪い顔をしながらこっちを覗き込んでくる。
「あーそうだよ。宮葉と一緒に聞いてました」
「あーずるだー」
「あれ無駄に長いから僕と宮葉にはちょうどいいんだよなー宮葉?」
「う、うん。そうだね。お兄」
「これが才能」
「才能だね」
「宮ちゃんは学校ほとんど行ってないからともかくとしても綾ちゃんは相当もててるでしょ」
「まあそれなりには」
「凄いよ。綾は一カ月に二回くらいは必ず告られてるしね」
「あんまり具体的に言わないでよ。恥ずかしいじゃん」
「あっでも一回あったよね。何か俺が一番いい男だから俺と付き合えとか言ったサッカー部のエースに君よりいい男知ってるからとか言ってたよね」
「それは……」
「綾葉にもそんな人がいたのか」
「……お兄だよ」
ここで俺は自分が言ってはいけないことを言ったことに気付いた。いい男というのは俺のことだった。ここで俺はさっと無視するのがいいのか、俺は兄弟だと言うのが正解なのか分からなかった。綾葉の目は本気だった。
「そっか。ありがとう」
「うん」
綾葉は俺に抱き着いてくる。
「兄も私のこと好き?」
俺の好きはあくまで兄弟の線を越えないものだったがそんなこと言う必要はないだろう。
「ああ。好きだよ」
「うんきゃーーー」
訳の分からない言葉を発しながら綾葉は俺をより強く抱きしめてくる。
「あー分かったからもう離れような」
中々離れない綾葉とその対応に追われる俺をよそに宮葉は話を進めた。
「咲良姉も相当モテるでしょ。すっごい美人さんだしスタイルいいし」
「いや全くだよ」
「またまたー」
「芸術系の人は変わってる人も多いしね」
「ふーん。とっつきにくい雰囲気出してるんじゃないの?」
「そうなのかな」
「でもほんとにこの血筋って顔が整った人が多いよね。てゆうかそれしかいないよね」
「確かに、兄も咲良姉ももっと言えばパパもかっこいいしね」
「でもママも相当美人だよ。あーでもママはハーフか」
「そうだね。スウェーデンの。生まれてすぐに日本にいたらしいけど」
「海外に移住してるのは外の血が騒ぐのかも」
「それ」
俺達は笑った。
まあその後も色々お菓子を食べたりして話は続き。
「そろそろ夕飯を食べよー」
「何作るの?」
「本日の夕飯は―でででででででででんカップ麺です」
「うわーカップ麺だー」
「確かに今日夕飯の買い物してないか」
「うん。だからカップ麺争奪じゃんけんしよう」
綾葉はキッチンの方から上手く両手を使い四つのカップ麺を持ってきた。
「じゃあまず食べたいの指さそう。それでかぶらなかったらその人はもう食べれるってことで」
でも我が家のカップ麺優劣は決まっている。
「せーの」
俺、綾葉、宮葉は一瞬でカレーヌードルを指さし、問答無用で咲良姉はシーフードを手に入れた。
「三人ともカレーヌードルが好きなの?」
「いやカレーが好きだからこの中ならいつも皆でじゃんけんしてる」
「はぁーこの戦いが来たか」
突然だが俺はじゃんけんで必ず勝つ必勝法を既に所持している。それは相手の手の形から出す手を予想しもはや出した本人しか分からない程度の一瞬の遅れで手を出すという究極の後出し。ただこの家庭でそれは通用しない。何故ならこの策を俺に授けたのは父さんであり当然三人ともこのスキルは持っているからだ。だがそれでもやらないという選択肢はない。咲良姉がキッチンに向かってから勝負は始まった。
「最初はグーじゃんけんぽい」
そう。当然すべての参加者がこのスキルを使うということは全員開始の手から動かさない。つまり全員グーを出すということだ。そう考え俺はパーを出すと考えた所で常に時は動いている。訪れる謎の時間。
これがすべての人間がずるをしているじゃんけんである。結果、何をしても無駄と悟りとりあえず俺達はグーをそのまま出した。
「分かった。私達が目を瞑って出した手を咲良姉に見ててもらえばいいんだよ」
「おーなるほど。さく姉―じゃんけん見ててー」
「普通にやっちゃだめなん?」
俺はその普通では終われない理由を説明する。
「無駄に頭を使いすぎというかハイレベルというか分かった。見てるよ。
「じゃあ最初はグー。じゃんけんポイ」
俺が目を瞑って出したのはグーだった。
「はい。目開けていいよ」
結果は俺のチョキで一人勝ちだった。
「なっどういうこと」
補足すると俺達はじゃんけんをするときはいつも演技調になる。
「私達は兄がグーを出したのを確認してパーを。そうかその後か」
「そういうことだ。俺はお前たちが必ず一度目を開けその他二人に勝つ手を出すようにするのは分かっていた。だが当然、お前たちは互いに目を開けていることに気付く。そうなればお前たちは結託し互いにグーを出してくる。そしてここでお前たちの選択肢で更にチェンジするという選択肢は消える。なぜならそうすれば全員が違う手を出すことになりあいこになるからだ。この勝負は最後が勝つんだ」
「……あー負けた。兄読み深すぎ」
「まー誰かを審判にしてじゃんけんをするっていうのが初めてだったからな。さすがに初めての土俵ならお兄ちゃんが一枚上手ってことだね」
「ねえ。私っている意味あった?」
その問に俺達は答えず、俺はカレーヌードルを手にキッチンに向かった。
「ねえってば」
そんな感じで結局じゃんけんでもう一度は面倒だと言うことで宮葉がルーレットのアプリを使って針が止まった宮葉がノーマルを取り、残っただん兵衛を綾葉が取り、カップ麺戦争は終戦した。
「だん兵衛もいいね」
「結局どれも美味しいっていうね」
「それ」
とりあえず皆でカップ麺を食べる。
「うーごちそうさま」
綾葉はそう言って床に倒れ込む。綾葉はとにかく睡眠時間を多く取らなければいけないタイプのためご飯を食べたあたりからは少しずつ睡魔が綾葉を襲う。
俺は皆の食べた容器や箸を洗っていた。綾葉には咲良姉が毛布を掛けていた。
「だめだ。これの暖かさに包まれたらもう動けない」
現在の時刻は八時を回ったところ。いつも通りの綾葉である。
「あっこの人。佐々木穂乃果ちゃんじゃない?」
「そうだね。兄の本のことよく言ってる人がテレビ出てるよ」
「名前で分かるよ」
とりあえず俺達はテレビの前に座って番組を視聴する。内容はロケに行った芸能人がそこのご当地グルメを食べるというものでよくあるやつだ。
「それにしてもほのん可愛いね」
テレビには美味しそうに讃岐うどんを食べる佐々木穂乃果が映っている。
「それあだ名だよね」
「そうだよ」
「なんで綾葉アイドル詳しいの?」
「優華がよく話してくるんだよ。このグループのこと。今度ライブも行ってくるよ」
「えっそうなの?」
「うん。言ってなかったっけ?」
「全く聞いてない」
「まあそういうこと」
「咲良姉は……知らないか」
「うん。あんまりテレビ見ないから」
「兄はもしかしたら縁があるかもしれないししっかり基本情報だけでも押さえておきなよ」
綾葉は寝ながらスマホを操作し、俺に渡してきた。サイト名は【これであなたもほのんが好きになる。ほのん決定版】
内容はこんな感じ。
年齢は現在17歳で俺と一歳差。楓道には三期生として加入しており現在二年目にして最新シングルではセンターも務めた今最注目のメンバー。趣味は本を読むことだが読むのには時間が掛かるらしい。弱冠ながら大人の色気を持つミステリアスな小悪魔ガールだそうだ。何個か添付してある動画もあったが一本も見ずに綾葉にスマホを返した。
「うん、ありがと」
「ほのんは楓道の中でもトップクラスに可愛いから。可愛いでしょ」
「確かに整ってるね」
「この番組あんまりだしそろそろゲームしようよ」
「何やんの?」
「ワンツースイッチ」
「あれやるの?めっちゃ疲れるじゃん」
五分後。
「ワン、ツースイッチ!勝ったー」
「ハイ次、二人」
「罰ゲームは?」
「えーどうしよう。赤ちゃん言葉とかは?」
「おーいいね。さくちゃんね。あいちゅほちいのとか」
「かーくん、だっこ」
「おー絶対動画撮ろう」
「やるか」
この家庭内で負けたら罰ゲームは基本であり今更このルールに異を唱えるものはいない。この家に頻繁に来ていた咲良姉もそれは知っている。
「どれやるの?」
「シンプルにガンマンとかでいいんじゃない?サクッと終わるし」
「さく姉やり方分かる?ここをこうして」
身振り手振りで俺がやり方を説明すると分かったとさく姉は頷いた。
画面には二人のカウボーイが銃を持ち互いに背を向けている。
『銃を構えろ』
俺とさく姉は互いに銃を持ち背を向ける。こういったものはたとえお遊びだろうと全力で。それが一峰家だ。二人の間に訪れる沈黙はナレーションの打て!という合図で断ち切られる。
俺とさく姉はほぼ同時にコントローラーを相手に向けた。
『勝者。…………和哉ー』
「うわー負けたー」
さく姉は楽しそうにでも悔しそうに笑っている。すると間髪入れずに綾葉が促す。
「じゃ、罰ゲームお願いします」
宮葉はスマートフォンのカメラで動画を撮影している。
「動画撮るの?」
「記念に」
「うー」
「じゃあカメラ目線でさくちゃん、そのお菓子ほちいとか」
「……さくちゃん、そのお菓子ほちい」
人差し指を唇に添えて放たれた言葉は三名の心を打ち抜いた。綾葉は愛おしさが爆発したのかさく姉を強く抱きしめる。
「宮葉、お兄、お菓子持ってきて」
「了解」
「いやいいから」
「さく姉なんでやめてんの?」
「え?」
「もっと続けないとね」
俺達は頷く。
「あーお菓子ほちい」
この罰ゲームはその後約十分間続いた。
「すっごいはずかった」
「さく姉それやったらめちゃくちゃモテるよ」
「いややらないから」
「さく姉って明日暇だよね」
「うん。一応」
「じゃあ皆で出かけようよ」
「えーとそれ俺も入ってるよな」
「もちのろん。食べ歩きとかがいいよね」
「食べ歩き。甘いものいっぱい食べようね」
「明日って雨予報じゃなかったっけ?」
そう言って宮葉は再度確認するためかスマホをチェックする。
「ほら」と見せてきたスマホの画面には明日の天気は雨と表示されていた。
「じゃあ晴れた時は人も少ないしもっと楽しいね」
綾葉とはそういう人間である。常にポジティブな意見を持ち続けるし、行動も積極的だ。
「さく姉、綾に天気は通用しないの」
「天気予報は信用しないからね」
「パパもそうゆうタイプだよね」
宮葉は俺の方を向いてくる。俺に聞いているのだろう。
「父さんは未来が予想できてたまるかって言ってたね」
天気の話もひと段落し、別の話題で盛り上がっていると宮葉は動画を見始めた。
「何見てんの?」
綾葉とさく姉は宮葉のスマホの画面が見えるように宮葉の両隣に行った。
「ほのんって人の動画」
『ガメガメガーガメガメガーって最近やってる』
そんな言葉がスマホから流れてくる。
「これってバラエティ?」
さく姉は動画を見ながらそう尋ねた。
「ライブ配信だよ。アイドルは結構よくやってる」
「そうなんだ」
「ガメガメガー」
さく姉が納得したような声を上げるといきなりさっきの動画の真似をしたのか宮葉は自分の顔の横に両手を置くと猫の手のようなポーズをとった。
「ガメガメガー」
何故か綾葉もそれに全く同じポーズで対応。謎の時が流れた。
「可愛すぎる」
さく姉は綾葉と宮葉を抱きしめる。
「ガメガー」
「ガンメガンメ」
そして三人でひとしきり笑うと落ち着いたようだ。
それから十時頃まで四人でまったりとした時間を過ごしていた。
「そろそろお風呂行こうよ」
綾葉は話が途切れた時にそう問いかけた。
「はい。私さく姉と入る」
「私も」
「さく姉は風呂の場所分かるっけ?」
「覚えてるよ。もう旅館みたいなお風呂だよね」
「そうそう。パパのこだわりで」
「じゃあお先にお兄」
三人は風呂場に向かった。
俺はアイデアをノートに書き留め、読みかけの本を読み続けた。
三人が風呂上がりで髪を拭きながら現れる。服装はパジャマでもう寝る準備は万端なのが伺えた。
「兄、美人三姉妹の風呂上がりの色香に死にそう?」
「あーガメガメガー」
「何それ?」
「いや、何となく語呂が良くて使いたくなって」
何気なく使用したが故にこんな反応は予想してなかった。
「ちゃんと手やんないとダメじゃん。はいガメガメガー」
綾葉は自分をお手本にとポーズをとる。
「宮葉動画撮るの?」
「今度こういう動画正月にまとめて見ようと思って」
「じゃあまず私ね。あー今日も疲れガメガメガー。はい次!」
「俺もそろそろお風呂にガメガメガー」
夜も遅いこともあり全員爆笑である。
「はい次宮……あーもう眠たガメガメガー」
宮葉は俺にスマホを渡すと宮葉は可愛らしい笑顔と共にガメガメガーをした。
「はい次、さく姉」
「えっあー、明日も早くガンガンメガー」
「声変わってるよ」
深夜テンションとは恐ろしい。とにかく皆で一通り笑い終えるまで一分かかった。
「この動画普通に売れる気がする」
「いや売るなよ」
「分かってるよ。正月に一挙大公開だからね」
「ガメガメガー溜めとこうよ」
綾葉はガメガメガーが気に入った様子だ。しばらくガメガメガーを大量に撮りためて俺は風呂に向かった。
風呂から上がり、リビングに戻ると既に布団が敷かれた後だった。数は四つ。
「綾葉、何で四つ?一個多くないか?」
「兄も寝るんだよ。ここで」
ここで綾葉に助力したのが宮葉だ。
「兄はさすがに女の子が頑張って敷いた布団を無下にするような人じゃないよ。ね、兄?」
これ絶対ここまでが一連の流れだっただろと大方予想がついたがまだだ。さく姉が嫌と言えばそれで終わるのだ。
「でもさく姉が嫌だよね」
「四人で寝るって中学以来だね」
頼みの綱はここで潰えた。
「さあ寝よ―」
「さく姉どこがいい?」
それじゃあとさく姉は四つ横並びの布団の中で一番右を選んだ。
「うーんじゃあ綾はここ」
綾葉はさく姉の隣の布団を指さすがすぐにさく姉の入った布団に潜り込み、しっかりさく姉と密着した。
「じゃあここ」
宮葉は二人で一個の使用にまとまったのか先ほど綾葉が選んだ布団を選択。俺は宮葉とは一つ分空いたもう一つの端を選択した。
これで寝床は決まったがまだ夜が明けるわけがない。少しずつ主体性のない擬音だけの会話などが主に綾葉と宮葉を中心に行われる。録画した番組を見たりとあれこれしているうちに時刻は一字を過ぎた。綾葉は俺の体を例の通り椅子のようにして眠っていた。なぜか俺の背中に手を回し既に眠っているにも関わらず放そうとしても離れない綾葉に宮葉はこの状況のまま毛布を掛けた。さく姉はアイデアが思いつけば夜中もぶっ通しで絵を描くこともざらだそうでまだ疲れは見えない。徹夜は余裕の三人が揃ったわけで大胆な話も行われる。
「さく姉は何でまだ彼氏いたことないの?」
「でも宮ちゃんもいたことないでしょ」
「だって兄がいるもん。兄よりいい人なんて早々いないよ」
妹に言い切られても困るのだがと思いつつも口にはしない。
「兄も彼女いたことないもんね」
「えっそうなの?」
「そうだよ」
「滅茶苦茶ふったもんね。お兄。やばかったんだよ中学のお兄は綾葉なんて比じゃないくらい」
「モテ男ー」
さく姉は笑っている。
「でもさ、フリ方が丁寧すぎてリピーター率がほんとに凄くて大変だったよね。家までつけてくるとかね」
「ストーカーされてたの?」
「まあ私が黙らせたけど」
「どうやってあの子止めたのか聞いてもいい?」
「だーめ。乙女の秘密。……でさ当時のお兄は普通に勉強だったりスポーツだったりもしてたからそれを踏まえての今だもんね」
「今って?」
「今すっごい地味ないかにも友達いないみたいなキャラでさ点数もわざと下げたり体育だってあんまりできない感じ出してるもんね」
「それでもぎりぎりだけど」
「ぎりぎりって?」
「最近上手くできてたはずなのに他クラスの女子が話しかけてきて」
「その話詳しく」
別に隠す話でもないので俺は水沢との出来事を話した。
「それ絶対ほれてるよ。お兄に」
「惚れてるね」
別に俺はそういったことにどんくさいわけではない。無意識で人の感情を読んだりしてしまう人間だ。何となく水沢から伝わる熱のようなものは感じていた。
「でどうするの?」
「何も変わらないよ。これまで通り」
「お兄はその水沢って人に何か思う所ないの?」
「特にないよ。ただの他クラスの生徒」
「一峰の人って魔性だね」
「パパもすっごいモテたらしいしね。バレンタイン31個だっけ」
「絵里奈さんも創志さんに一目ぼれだったの?」
「いや確かパパが滅茶苦茶口説いた。全然落ちなくて苦労したとか言ってたね」
「落ちると一瞬とかも言ってたか」
「高嶺の花ほど落ちると一瞬。お兄も惚れたら一瞬かもよ」
「そうかもな」
俺は何気なく綾葉も布団に入れつつ自分も布団の中へ入る。
朝だった。布団に入った瞬間に寝落ちしたのだろう。起きても目の前に綾葉がいないところから察するに既に起きていたのだろう。キッチンの方から音がしたのでそっちを見るとさく姉と綾葉がご飯を作っていた。
宮葉はまだ寝ているようだ。
「おはよう」
「おはよう、お兄」
「おはよう」
「宮葉起こす?」
綾葉が頷いたので俺は宮葉を揺する。
「おーい。宮葉ー、朝だぞー」
宮葉がゆっくりと目を開けたのを見て俺はおはようと言った。
それから数秒が過ぎ、宮葉は起き上がりながらおはようと返してきた。
「さく姉も綾もおはよー」
「おはよう」
「おはよー宮ちゃん」
「朝ごはん、作らせちゃって悪い。夕飯は俺が作るよ」
「別にいいよ。お兄もよくなんだかんだで夕飯作ってくれてるし」
宮葉も綾葉も帰りが遅い時は俺が作ることも多い。
「ご飯炊いてたんだ」
俺はキッチンの炊飯器が保温になっているのを確認する。
「うん。昨日パンだったし」
我が家の朝ごはんは大きく分けて二つのパターン。一つが昨日のパンセット。そしてもう一パターンがご飯セットで内容はご飯に何か納豆でも卵でもかけてその他に味噌汁と焼いた鮭というシンプルなものだ。
「まずは何より晴れたー」
綾葉はかなり上機嫌だ。雨予報を吹き飛ばしたのだ喜ぶのも当然か。
「おーさすが綾」
宮葉は珍しく綾葉を持ち上げる。綾葉の外出時の晴れ率は異常だ。元々雨予報だったことから都民は別としても県外からの旅行客は少ないと想像できる。今日ならどの観光地も比較的すいているだろう。
「さく姉と昨日話したんだけど浅草でどうかな」
「いいね。浅草。あんみつ食べたい」
宮葉の意見に綾葉はすぐに賛同する。
「俺もいいと思う」
最後に浅草に行ったのはかれこれひと月ほど前に三人でだった覚えがあるがあの時は俺もアニメ化の件で忙しかったためあまり長くはいれなかった。今日は特に何もすることはないしゆっくりと浅草観光が出来るだろう。次の作品のアイデアも浮かぶかもしれないと俺は少し期待した。
「じゃあご飯食べて着替えてすぐに行こうか」
話もまとまり俺は女子三人がここで着替えると言うので自室で着替えを済ませ、少し本を読んでいた。こういった場合すぐに下に降りてはいけない。すぐに宮葉から出発のラインが来るだろうと想定し俺は本を読んだ。時間にして二十分といったところか。ラインがきたので俺は本をバッグにしまい下に降りる。
俺が第二リビングに戻ると着替えは終わっていたし、三人の支度も終わっていた。宮葉と綾葉は対比するように白と黒一色の服を互いに着ていた。綾葉が黒、宮葉が白だ。
「双子コーデだっけ?」
「そうそう。いっつも宮が暗い色にするけどね」
「宮ちゃんって黒とか好きだよね」
「まあ黒ってかっこいいし」
浅草までは電車で四十分程だった。天気は予報に反し、良好。人もそれほど多くはない。この少なさが天気予報を信じる人の数を表しているのかもしれない。東京の発展し、日々上に伸び続けるビル群とは違い、この通りは木造の店ばかり。ここに来るたびに新しいアイデアが浮かぶ。やはり少し日常とは違うことを体験すると脳にも刺激があるし、毎月とまではいかないまでも三カ月に一度くらいは来てもいいかもしれない。通りを楽しそうに歩く観光客。ここを歩く人間の表情は様々だ。とても楽しそうに歩いている女子のグループもあれば一人もくもくと甘味を食す女性。店の前で何やら口論しているカップル。きっと友人と来ている人もいれば久しぶりのデートで浮足立つカップルもいて人間関係は無数に構築されているのだ。
「あんまり人も多くないし、ちょうどいいね」
綾葉は言った。
「元々雨予報だったし最高じゃん」
さく姉と腕を組みながら宮葉はそう返した。
「とにかく歩こうよ」
さく姉の意見を加味し一通り通りを歩くことになった。まだ通りの入り口。きっと二時間はここを歩くのだろうなと楽しそうに横を歩く女子三人を見て思った。
「あれ食べたい」
突然、綾葉はみたらし団子のお店を見つけたようでそちらに向かう。
「皆も食べるよね。味何にする?」
綾葉は店前のメニューを見ながら問いかける。
「俺は普通のやつ」
俺の意見にさく姉も賛同し、ほか二人はあんこの乗った団子を注文した。ここに来る