23・魔王様、戦場を駆け巡る
――オウキ視点 国境平原――
拙者は夢を見ているのではないか……そう錯覚するほどの光景を見つめていた。
エルガルムはおよそリーティアスの何十倍の規模をもった軍勢でこちらに攻め入ってきており、恐らくほとんどの兵力をこちらを攻略するのに注いでいるのであろうことが容易に想像出来た。
それだけオーガル王がティファリス女王に執心しており、力を求めて蹂躙を繰り返しているということだろう。
これだけの数、如何に力強き魔王であっても死者を出さずに戦いを終わらせることなど不可能だろう。そもそもこれだけの大軍とまともに渡り合おうというのが無謀すぎる。
ティファリス女王がこれにどう対処するかで、彼女の魔王としての力量も知れるであろうと考えたが……何もかもが拙者の想像を越えていた。
エルガルムの大軍に向かって放った『メルトスノウ』と呼称された魔法は、この戦場の空に文字通り暗雲をもたらし、雪が平原を白に染め上げていく。
比較的暖かい地域にあるセツオウカでも冬の時期にしか見られない雪。
それがこの温暖な地域に降る光景は珍しくも感じたが、そこに一体どんな意味があるのか……。
白くも儚く舞うように降りるそれが敵軍の兵士に触れた瞬間、彼らは一瞬にして白い炎に包まれ、まるでその生命を燃やし尽くすかのように揺らめいている。
そして消える頃にはその存在すらも散っていく……まるで最初そこにはなにもいなかったのではないかと錯覚しかねないほどに周囲はそのまま、兵士の姿だけが跡形もなくなってゆく。
雪は兵士以外のものを決して焼き払うことなく、平原自体はなにも影響を受けておらず、空から舞い降る白き死神は、ただただオークや魔人などの人型の生物の存在を否定するかのように全てを焼き尽くす。
棒立ちになっていたこの体は、その白という優しき色とも呼ぶべきもので体現された、美しくも恐ろしい地獄の光景に心奪われていた。
さらにそれ以上に目を離せないのが、その白き業火を生み出し続ける少女の姿だった。
その少女はこちらに背を向け、どんな表情をしているのかまるでわからない。しかし、その後姿はどこか幻想的にも、孤高な存在にも思えた。
この白が降り続ける世界の中で唯一黒として独り生きる者のような――そのような感傷めいたものを胸に覚える。
どれだけそうしていただろうか、気がついた時には黒の女王がこちら側を向いてさらなる号令をもたらした。
突撃の雄叫びとともに先駆けを努める少女魔王の後ろを拙者は慌て追跡を試みる。彼女がこれ以上の力を見せてくれることを、どこか心の奥底で期待しながら――。
――
――ティファリス視点・国境平原――
指示を出した後、私は抜剣しながら先陣を切るように駆け出した。
ゴブリンたちに戦ってもらうにしても、万が一『メルトスノウ』の仕組みに気付いたエルガルム軍が行動を起こすかわからない。
今回使った『メルトスノウ』は広範囲魔導だが、『使用者の魔力を纏っていない魔力を持った生物』と『雪が身体に直接触れること』があの白い炎を出す条件で、そういうイメージを形にしたのがあの魔導というわけだ。
そしてゴブリンたちに持たせた私特製のお守り。これには私の魔力を練り込んである。
これを持っている者は『メルトスノウ』の対象外となり、彼らはこの雪に気にせず攻撃出来るって寸法だ。
欠点としては、相手がフルプレートとか露出度の低い服とかだと効果が薄い。あの慌てようじゃそんなこと気づくやつなんてまずいないだろうし、ある程度の効果が得られればそれでいいと割り切ってる。
もう一つ、この雪は触れたら相手の魔力をむりやり吸い上げて燃えるという特性をもっている。見た目とは違って雪自体には魔力を使ってないため、実は防御系の魔法で防ぐことが簡単なのだ。
その分大量に産み出してるから、結構消費量多いんだけどな。
本当なら『雪が直接触れる』なんて条件付をしなくてもいいんだけど、戦争が終わったらここはリーティアスの領土になる予定の地だ。出来るだけ荒れ果てた場所にはしたくないしね。
さて、かなりの人数を処理できたけど、それでもエルガルム軍はまだまだ私達よりも遥かに多い。
『メルトスノウ』の維持に魔力を使ってることもあって、この雪が降り止むことはない。
徐々に数を減らしてはずなのに一向に変わらないように見えるのは、それだけ大軍で来てるってことだろう。これだけの規模、ここでこいつらを全滅させることが出来ればエルガルムにはもはやほとんど戦力が残っていないと考えていい。
「ごああああああああああ!!!」
フルフェイスの見るからにオークっぽいのが私に向かって斧を振りかぶってる姿が見えたけど、そんな止まった動きで挑もうなんて笑い事にもならない。
振り切る前に剣で適当に服を破いてやり、後は『メルトスノウ』で焼き払われるまで放置しておく。
というかなんで私に向かってくるかな。周りの連中の様子を見てみたら、まず逃げることが先決だろうと思うのだけど。
まあそんなことはどうでもいい。こいつらが死のうと生きようと、私にとっては些細なことだ。
戦いに身を置くと決めたときから自分が生き残るために誰かを殺す覚悟くらい、とうに出来ているつもりだ。少なくともなにかを蹂躙するために戦うやつらなんぞに、負けてやる気はさらさらない。
私の後ろにはなんとか離されまいとオウキがついてきてるようだけど、徐々に距離が開いてきてる。
転生前の身体能力をそのまま――らしいんだけどどうも半減しているような気がする。
だけどここでも相当能力の高い部類に入るであろう私にこうもついてこれるとは……この鬼、中々に出来るな。
それでも結構必死で走っているのか、驚嘆の表情を浮かべているのがちらっと見ただけでわかる。というかオウキはこんな最前線まで私を追っかけてきて大丈夫なんだろうか? 私は彼を守るつもりは全くないし、それは事前に言ってあるんだけどな。
その上で私を追いかけてるってことは、彼なりの考えだろう。
それか私がオーガルを殺してしまわないか不安なのか……まあ、どっちでも構わないか。私は私の為すべきことをすればいい。
オーガルを半殺しにしてセツオウカのセツキ王に引き渡してやればいい。殺さなければどうとも出来るし。
だけど目下の問題はオーガルの姿がどこにもないということだ。私の見立てでは奴は前線か、さほど離れてないところにでもいるだろうと思ってたんだけど……まさか『メルトスノウ』で消し炭になった? いやまさか……多分大軍で来たことにいい気になって奥でふんぞり返ってる場合もある。
そんな風に自分を言い聞かせてはみるも、心配しだしたら無性に不安になってきた。
一応リカルデからは通常のオークより巨躯で、大きな牙を生やしている。そしてその身体に見合った大剣に立派な角つきの兜を被っていて、無意味に威張っているのが特徴らしい。そんな奴は少なくともいなかった…はず。
仮に私の考えが本当だったなら、『メルトスノウ』で骨も残らず消えてしまっただろうし、オーガルの死体は絶対見つからない。セツオウカとの約束も果たせない。
その答えに気付いた私は、ちょっと後悔した。広範囲魔導を使うってのは間違ってなかったんだけど、せめて死体が残ってればまだ「前線にいたあいつが悪い」とか言い張って別の解決法を模索する事もできた。
それはそれで苦しいけど、そういう策も存在するだろう。
だけど死体すら見つからないんじゃ生きてる可能性だって示唆されかねない。ここはなんとしてでもオーガルを見つけないといけない。
まだエルガルム軍の一番奥には行き着いていないし、まだ死んだとはっきりわかったわけじゃない。もっと気合い入れて本腰に探さないとね。
とりあえず『メルトスノウ』に送る魔力を減らして範囲を少し狭めておこう。気休め程度にはなるだろう…と信じたい。
「オウキ、私ちょっと本気で走るけど、大丈夫?」
「も、問題ござりませぬ! 拙者のことはお気になさらず存分にやってくださりませ!」
ついてきてる彼には悪いし、一応声をかけてあげてから戦場を駆け抜ける。
襲ってくる兵士たちを蹴散らしながら辺りを見回してはみるけど、肝心の目標は一向に姿を表さない。
ここで功を焦ってしまうととんでもないミスをしかねない。冷静を保ちつつあの醜い(と思う)豚王を見つけてぶちのめしてやらないと。
「なにやってやがる! いつまでカスどもの好きにさせてやがる!」
「お、王様、あの白いのが降ってるせいで軍は――」
「ええい黙れ! オレに指図するな!」
そんな風に頭の中で考えていると、不意に偉そうなこと言ってるやつがいて、ふと立ち止まって遠くから様子を見てみる。
二人のオークと一人の黒いローブ姿の人物が立っていて、オークの方が激しい言い争いをしているようだ。
「はぁ…はぁ…はぁ……てぃ、てぃふぁ…はぁ、り、すじょ」
「もう少し呼吸を整えてから喋りなさい」
しばらく様子を観察していた私にようやく追いついたオウキが息切れを必死に抑えながら胸を抑えている。
戦場を駆け回ってる間中、真面目に全力ダッシュでもしてたんだろう。そういう時は少し手を抜いて走ればいいのに。
「はぁ…はぁ…ふぅ、どうやらオーガル王を見つけたみたいでござりますな」
「うん、息切れを必死になだめてからキリッとした表情で言われても困るわね」
「は、ははは。いやはやなんとも」
「まあいいわ。
それにしても今回も前線辺りにいるんじゃないかと思ってたけど、『メルトスノウ』の範囲外まで逃げてるとはね」
結局私が見つけたのは『メルトスノウ』の範囲から最初から外れていた場所に陣取ってふんぞり返っていた。
「それはあのローブの者がいるからではござりませぬか?」
「間違いないでしょうね。あれ、明らかにどこかの国の手の者よね……」
姿を隠しているということは正体を知られたくないということだろう。ケルトシルとエルガルムには裏でこそこそやってるやつがいるのはわかってるし、誰がどう見てもあれが一番怪しい。
「オウキ、あの黒ローブはこっちで貰ってもいいわね?」
「御意にござります。拙者たちとしてはオーガル王さえ引き渡していただければ、他のことはティファリス女王にお任せいたします」
「ありがとう」
よし、これであの黒ローブはどうなったとしても誰も文句は言わないだろう。
まずはあのオーガルたちが逃げないようにしっかり気を張っておかないとね。
それにしても、向こうでは相変わらず一方的に不満をぶちまけている姿が見えるけど、注意力散漫なのもいいとこだ。
戦場の端の方にいるからって安心してはいけないってことをしっかり教えてあげないといけないだろう。
次の投稿は9月3日予定です。