114・魔王様、釣りを楽しむ
「さあて、そろそろ釣るとしようかねぇ」
ドラフィシルの銀の川を楽しんでいたヒルドルトは、重い腰をあげてようやく漁を始めようという気になったようだ。
それなりに飲んでるはずなんだけど、しっかりとした足取りで全く酔ってないようにしか見えない。
彼女は相当な酒豪なのだろう。
私のように毒を受け付けないのがそうポンポンと出てくるわけもないし、そう考えるのが妥当というものだ。
「アシュル、大丈夫?」
「は、はい。ちょっとクラクラしてきましたけど……大丈夫です」
アシュルは少々ふらついてはいるが、意識ははっきりしてるし、普通に動けるようだ。
というか、スライムも酔うんだな……なんというか新鮮なものを見ている気分にさせてくれる。
(ぼくもちょっと興味あったのに……)
「いくら卵の中で何年も夢を見てたからと言ったって、貴方は孵ったばかりなんだからね。許しません」
フレイアールはそもそも飲ませていないから酔う酔わないという問題ではない。
大体、小竜っていうのにお酒を飲もうという考えが間違ってる。
せめてもう少し成長してからなら止めはしなかったんだけどね。
「ほら、魔王様方もこれ持ちな」
準備をしていたヒルドルトは、幾重にも束ねて一本の固く若干太めの糸を持ってきていた。いくつかに枝分かれしていて、釣り針がついているのが特徴的だ。
後何故かついでに手袋も一緒に。
「それは?」
「手釣り用の糸と手が切れないようにする手袋だよ」
ほう、網とかじゃなくて手で直接釣るタイプの漁か。初めて見る釣り方だ。
アシュルの方は貰った手袋と糸を不思議そうに受け取っている。
「……? あの、網とか使わないんですか?」
「ああ、ドラフィシルの銀がまるで川のようになってるけどね。集まってるってことは網なんかだと傷つきやすいし、多く捕まえすぎたときなんかに弱ってるやつを逃がすわけにもいかないしねぇ……なにより傷ついたら味が落ちやすくなるからねぇ」
なるほど、弱ってるドラフィシルは死にやすい……というよりもこの海では生きていけないのだろう。
傷つけて味が落ちたらその分商品価値も下がるだろうし、売値も下がる。
この手釣りというのがディトリアの漁師が長年培ってきた一番いいやり方だってことだろう。
「でもこんな風に見えるほど近いんでしたら、釣り針で余計に傷つきやすいんじゃないんですか?」
「それは大丈夫だよ。結構近くに見えるけどね、それなりに深い位置にドラフィシルはいるんだよ。針に餌を付けて……そうだねぇ、大体船とドラフィシルの中間の位置に付けられたら一番だね。そこで動かしながら餌に食いつくのを待つってやつさ」
ふむ、結構難しそうだ。
要は生きている餌の振りをさせなければいけないのだろう。
実際やってみないとわからないんだろうけどね。
というかさっきからアシュルが私の聞きたいことを全部聞いてくれてるから楽でいい。
ちらっと私の方を見てきたりしてるところから、聞いてるのを褒めてもらいたいんだろう。
自信満々な様子がちょっと可愛いし、とりあえずうんうんうなずいておこう。
(母様、ぼくもやりたい!)
「え?」
フレイアールが私の周りをふわふわ飛び回りながらはしゃいでいるようだけど……この子の手で糸を握れるのだろうか?
糸が切れるかも知れないが、余程釣ってみたいのだろう。
こんなに楽しそうにしてる子にそれを口にするのは酷だというものだろう。
それはいずれ哀しみから逃げているのかも知れない……なんて、格好つけて思うほどのことでもないか。
よくよく考えたら面白いかも知れない。竜が釣りをするなんて光景、中々見れるもんじゃない。
「ヒルドルト、この子もその……手釣りをしてみたいそうなんだけど」
「はぁ? その竜が……?」
私の言葉に不思議そうな目を向けているけど、私だって同じような気分なんだから見ないで欲しい。
小竜と私を交互に見比べていたようだけど、フレイアールの分も用意してくれたようだ。
「ありがとう」
「いいってことさ。切れてもこっちを恨まないでおくれよ?」
「わかってる。無理言ってごめんなさいね」
流石に手袋ははめられないだろうし、糸と餌を一式貰ってご満悦なフレイアールを見ながら、ヒルドルトに感謝する。
酒もダメ、釣りもダメっていっちゃあフレイアールも可哀想だからね。
「よし、それじゃあ早速やってみようか!」
ヒルドルトの号令と共に、私達はドラフィシルを手に入れるために手釣り漁を開始するのだった――。
――
しばらくのんびりと手釣りを楽しんでいた結果、私達の成果は素晴らしいものだった。
なにせ多い時は一匹二匹と立て続けに釣れる。
というか、一番驚いたのはフレイアールだ。
お前は本当に竜なのか? というように器用に糸を手繰り寄せてドラフィシルを釣って喜んでるんだから。
逆にアシュルの方はいまいち、といった感じだ。フレイアールのように釣れてるわけではないが、それなりといった様子。
ちなみに私は最初苦戦していたせいもあって、一番成果が少ない。
が、逆にドラフィシルの分別で貢献しているから問題はないのだ。
そもそも楽しむためにここに来たわけだし、釣りの成果がどうであろうと私は十分楽しいしね。
「こりゃあまた、随分と釣れたもんだね」
半笑いしながら大きいのと小さいのをより分け、小ぶりな方を逃していくヒルドルト。
大物の方は甲板で飛び跳ねて傷つかないようにささっと私がアイテム袋でしまっていく。
アイテム袋の中なら常に鮮度は最高だ。生きのいい状態で港に持ち帰ることができる。
手釣り漁での貢献はいまいちでもここで活躍すれば結果オーケーというわけだ。
「これだけ釣れれば大漁かしら?」
「大漁も大漁だよ! 釣れすぎて逃した数も多いほどさ! あっはっは!」
笑いが止まらないといった様子のヒルドルトを見ながら、私が最後に引いた様子の糸を手繰り寄せてみると……そこにあったのは他のドラフィシルよりも金色の混じった尊厳に満ちたやつだ。
不思議な感じで、きらきらと光り輝くドラフィシルたちよりもどっしりと構えているっていうか……。
「そ、そいつ、この群れの長じゃないか!」
私が釣ったドラフィシルを見たヒルドルトは感嘆の声をあげて今日一番の喜びようだった。
というかなるほど……こいつがこの群れの主なのか。
そういえばミットラが金色の混じった重厚な輝きを放つドラフィシルがいるとか言っていたな。
そりゃ銀の川のようなものの中からこんな色のドラフィシルを見つけるのは至難の技だろう。
「そいつは滅多に取れない極上の逸品だよ。あたしも一度食べたことがあるけど、それはもう美味いのなんのって……」
「へー……そいつはすごい」
今回、ドラフィシル漁につれてきてもらって本当に良かった。
私自身の成果はいまいちだったとしても、この金色のドラフィシルで十分挽回出来たというところだろう。
というか、徐々にこちらににじり寄ってくるのは止めて欲しい。
これは『夜会』に持っていくものだと決めたのだ。ヒルドルトがこんな風に詰め寄ってくるほどだから相当なものなのだろう。
「悪いけど、このドラフィシルは私が買い取らせてもらうわ」
「えぇ……そりゃあないよ……」
途端に悲しげな表情をしているけど、あいにくこれは譲れない。
上位魔王共から少しでも文句を言われないようにしなければならないのだ。
「私としてもあげたいんだけど……こっちにも事情があってね。最高のドラフィシルに用があるってわけよ」
「くぅぅ……魔王様の仕事に関係あるってことかい……なら、諦めるしかないねぇ」
残念そうにしていたけど、納得はしてくれたようだ。
「ただし、一つだけ条件をだしていいかい?」
「え、ええ。こっちも楽しみを奪った形になってしまったわけだし、私に出来ることならするわ」
びしっと指を一本立てて、私に突きつけるようにするもんだから、ちょっと後ろにのけぞってしまった。
本来ならそんな事する必要もないのだろうが……私も楽しませてもらったし、ヒルドルトは悪い人ではない。
よほどのことじゃなければ聞いてもいいだろう。
「もし次のガネラの時で……予定がつくんだったらあたしと一緒に漁に出て欲しいんだよ。もちろん、無理にとは言わないけどね」
「……それだけでいいの?」
「ああ、魔王様達と一緒に出た今回はいつもより楽しく騒がせてもらったし、金のドラフィシルも見ることが出来たしね。もしかしたらまた拝めるかも知れないしね!」
気前よく笑うヒルドルトは、魅力的な笑顔をしていた。
全く、こっちも魔王だってのに随分気さくなことだ。悪くはないし、むしろ好ましいんだけどね。
「ええ、出来るだけ都合を付けるわ。その時はもう一度一緒にやりましょう。アシュルと、フレイアールもね」
一人と一匹が自分達も一緒に行きたいといった様子でこっちを見つめていたから、しょうがないなと言う様子で一緒に行こうと言うと、途端に嬉しそうな表情で喜んでいる。
「絶対ですよ!」
(次はもっと釣るからね!)
こうして、私達の初めてのドラフィシル漁は絶好調の内に幕を閉じた。
港に帰った時は他の漁師達もそれぞれの成果をあげているようで、みな上機嫌だった。
ちなみにドラフィシル漁で酒を飲むのはヒルドルトだけで、他の漁師達は流石に酒を飲むようなことをしないらしかった。
……まあ、だろうなとは思ったけど。
船ってのは揺れる時は揺れるんだし、それだけで酔う人もいるほどだ。
そんな中、軽い宴会をしてから仕事をするなんてこと、普通はありえないというものだ。
ちゃっかりおつまみになりうるものも積み込んでいたんだからなんというか……情熱が違ってるような気がするくらいだ。
漁師たちが全員港に戻った後は、成果を祝う大宴会。もちろん私達も誘われて参加することになったんだけど……。
そこからはまさかの酒飲み大会が開かれることになり、最初は断っていた――はずなのに、いつの間にやら私とヒルドルトが最終的に一騎打ちすることに。
私はそもそもどれだけ飲んでも『ヴァイシュニル』のせいで……というかおかげで一切酔わない体なんだから結果はもちろん火を見るより明らかというものだったけど。
最終的にこれ以上は止めておくとヒルドルトが宣言して私の勝利が確定。そこから更に盛り上がって結局朝になるまで夜通し騒ぐのであった。