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恋と映画とささみガム  作者: シラサキケージロウ
スタンド•バイ•ミー
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スタンド・バイ・ミー その2

 悪魔の地獄グリズリーなどという映画の主人公を自称する筋肉が家に現れてから2日経った。人間の適応力とは恐ろしいもので、家にいれば筋骨隆々の肢体が常に目に入る生活にも既に慣れつつある。


 さて、筋肉よろしくスライといえば、1日のうち大半を自己研鑽のために使っているばかりである。映画人を自称するなら、少しは外の世界に驚く素振りを見せるべきだろうに。


 野暮だと思いつつも、「そこらを見て周ってみようって興味は無いのか?」と尋ねたが、スライは「長く生きた。今更新しい世界を見て周ろうと思うほど若くない」などと片手で腕立て伏せをしながら答えた。面白味の無い男である。


 精神的な向上心の無い筋肉はさておき、その日は月曜日であったので朝から大学へ行った。1時限目の英語の授業を終え、空いた時間を潰すために白鯨の部室に向かうと、小津監督がソファーに座ってノートパソコンとにらめっこしていた。机の上には、シケモクがうずたかく積み上がった灰皿と、マルボロの空き箱が10ばかり散乱しており、土日の間中ずっと部室に篭もっていたのかと思わせる。


 扉のところから「おはようございます」と挨拶をしたが、返事が無いので仕方なく対面のソファーに座りもう一度声をかけると、監督はようやく「ああ」と顔を上げた。金曜日と比べてなんだか頬がこけているように見える。おまけに、目の下のくまはいつもと比べて一層黒い。いよいよもって悪魔の大王めいた見た目となってきた。



「ちょうど30分前に台本を書き上げた。チェックをしていたところだ」

「原稿のチェックよりも、まず寝た方がいいですって。そのクマ、まるでパンダですよ」

「ならよし。こう見えて私は愛くるしいものが好きなんだ」と、小津監督は無理に笑った。



 悪魔みたいですよ、なんて言えば大人しく休んでくれていたのだろうか。そう言えば俺の命は無かったかもしれないが。


 それから授業の時間になったので、俺は「無理しないでください」と残し、部室を後にした。「ああ」と短く答えた監督は、虚ろな目で俺を見送った。その姿を見て、「あのままでは死ぬんじゃないか」とあまりに心配になったので、授業後にサンドウィッチを差し入れに部室に寄ると、監督は大口を空けてソファーで寝ていた。女性のそれとは思えないほど豪快にイビキをかいていたので、少なくとも向こう80年は死ぬことはなさそうである。


 俺は差し入れと、「どうぞ」という書置きを机に置いて専洋大学を後にした。


 翌朝になって、俺は鳴り響く携帯の着信音で叩き起こされた。黒沢先輩からの電話ではなかろうかと、淡い期待を持ちつつ見てみると、着信は小津監督からである。


 ええ、どうせそうだろと思ってましたよ。どうせ黒沢先輩から俺に電話をかけてくることなんてありえませんよ。


 寝起きのせいも相まって、下降の一途を辿る気分のまま電話を取った俺は、気だるさを隠そうともせず「もしもし」と答えた。



「起こしてしまったか、すまないな」

「いえいえ、どうせ起きるところでしたから」

「そうか。それはそうと、昨日の差し入れは助かった。30時間ぶりにまともなものを食べたよ」

「いつかぶっ倒れますよ、そんな生活してると」

「肝に銘じておく。さて、モーニングコールをしたのは礼を言うためだけではなくてな。今日の昼休み、部室に集合だ。映画の概要と、これからの予定を説明させてもらう」


「わかりました」と答えて電話を切った俺は、近所のしまむらで買ってきた、安いせんべい布団で心地よさそうに眠るスライを見た。


 とうとうアンタの出番だ。その肉体、存分に役立ててくれ。


 俺はスライの枕元に、「昼の1時、専洋大学の白鯨というサークル部室に来てくれ」という走り書きと地図を残し、さっと家を出た。





 2限目が早めに終わり、10分ほど早く白鯨に顔を出すと、黒沢先輩が既にいた。小ぶりな鼻を期待感で膨らませ、小津監督を今か今かと待ち受けているご様子だ。その姿は小さめのコーギーのようで大変愛くるしく、俺の心は乙女顔負けにキュンと跳ねた。


「こんにちは、檜山くんっ! さあ、どうぞこちらにっ!」


 興奮という名のトランポリンで弾む黒沢先輩は、俺の袖をぐいぐい引っ張って無理やり自分の隣に座らせた。拒否する理由が欠片も無いので、鼻の下が伸び始めていないか確認しながらも、俺は彼女の好意を受け入れる。


 それにしたって、彼女の隣にいるだけで喉が渇くし、汗もじわじわかいてくる。曰く「女性は太陽である」らしいが、どうにもそれは比喩表現では無いらしいと、俺は改めて気が付いた。



「いよいよですね……いよいよなんですね、檜山くんっ!」

「ええ。待ち望んでいた日がやってきましたね」

「最高の映画にしましょうねっ! わたし、檜山くんに期待してますからっ!」



 30cmに満たない距離で受ける期待の放射線は少し刺激が強すぎる。黒沢先輩のはにかんだ笑顔にくらくらしていると、やがて白鯨の面々が続々と部室にやってきた。北野なんかは、並んで座る俺と黒沢先輩を見るや否や親指を立ててきやがった。


 約束の時間から20分ほど遅れて、最後に扉を開けたのは小津監督であった。その両手には、分厚い紙束が抱えられている。


「遅れてしまった。すまないな」


 監督は紙束を机に放りながらソファーに腰かける。


「各自1冊ずつ取れ、今回撮影する映画の台本だ。それを見ながらの説明となる」


 小津監督の語るところによると、今回撮影する映画の題名は〝世界を救うぼくはヒーロー〟。タイトルだけならヒーロー映画かと思うが、どっこいそんなことはない。


〝映画の主人公になる妄想をする〟というどうしようもない趣味を持つ主人公、ミフネが、ある日出会った映画好きの女性、タカクラに恋をする。ミフネはタカクラを振り向かせるために迷走し、なんやかんやあった後、最後は妄想ではなく本当のヒーローになるという、アクション要素が強いコメディーらしい。

主人公のミフネを演じるは、当初の予定通り俺。主人公にとって唯一の友人として園先輩。端役として三池先輩に北野、さらには小津監督。


 しかしそんな脇役諸君はどうでもよくて、もっとも重要なのは黒沢先輩がヒロイン、タカクラを演じるという点である。



 燦然と輝く4文字、ヒロイン――そうだ! ヒロインだ! 世界を救うぼくはヒーローの中で、俺が恋して愛される相手は黒沢先輩なのだ! 役得万歳! 



 フィクションの世界でカップルを演じた男女が結ばれるという話はよく耳にするし、もしかするともしかするかもしれない。こうなれば、一刻も早く撮影に移りたいところである。


「いつから、いつから撮影ですかっ?!」と鼻息荒げて尋ねると、小津監督はVサインで答えてくれた。


「ゴールデンウィークを挟んで2週間後だ。演技が初めてでわからないことも多いだろうが、園に聞けば問題ない。そのやる気には期待してるぞ、ほどほどにな」


 336時間はちょっとばかり遠いと思えたが、準備期間にはちょうどいい。俺は「ご指導お願いします」と、園先輩に握手を求めた。


「うん、よろしく。……って言っても、普通の演技はともかく、俺がアクションで檜山に助言出来ることなんて何も無いと思うけど」


 運動神経という名の四物目は与えられなかった男、園先輩はそう言って肩を落とした。しかし残念だとは思わない。むしろそう答えてくれなければ困っていたところだ。


 ちらと時計を見る。昼休みはとっくに終わり、時刻は1時15分である。となればそろそろ、なんて思っていたところで、やや乱暴に扉が2回ノックされた。



「ラン、ここか? いるなら返事しろ。また違う部屋に入って、化け物を見たように叫ばれるのも面倒だ」



 スライの声だ。ここに来るまでに紆余曲折あったようで、声色から不機嫌加減がにじみ出ている。ここで帰られてはたまらんと、俺はすかさず「いるぞ」と答えた。


 三池先輩が額にしわを寄せ、怪訝そうに俺を見た。



「おいラン坊、誰連れてきたんだ? 会議中だぞ」

「すいません。でも、今回の撮影にどうしても欠かせない男なんです」

「誰も呼べなんて言ってねえぞ、そんなヤツ」

「そうかもしれませんけど、まずは会ってみてください。後悔はさせませんから」



 いぶかしげな視線をぶつけてくる諸先輩に頭を下げながら扉を開けると、腕組みをして仁王立ちするスライが俺を待ちかまえていた。まるでターミネーターか、そうでなくても腕利きの殺し屋だ。知り合いでなければ間違いなく逃げ出している。



「よく来てくれた。迷わなかったか?」

「見りゃわかるだろ、さんざん迷った。そもそも専洋大学なんて場所も知らなかったんだ。迎えに来るって考えは無かったのか?」

「悪かった。どうしても会議を抜け出せなくって」

「まあいい。で、ここまで呼んだ理由はなんだ?」

「先輩たちにお前を紹介しようと思ったんだ。とりあえず入れよ」

「先輩と言うと、例のクロサワか?」

「馬鹿。余計なこと言うなっ」



 俺はスライの腕をぐいと引っ張り、金剛力士のような体躯を部室内へと引きずり込んだ。

さて、お披露目の時間だ。「皆さん」と俺は白鯨の面々の方を向く。しかしどうしたことだろう、みんな揃いも揃って腹が減った金魚のように口を大きく開け、目をやたらとパチパチさせている。スライの肉体美に目を奪われでもしたのだろうか?



「何かやったのか?」と尋ねてみるも、スライは「知らん」と首を横に振るばかり。想定の範囲から大きく外れた事態に混乱していると、三池先輩が「おい」と上ずった声を出した。



「……ラン坊、その人、どっから連れてきた?」

「どっからってわけでもないですけど、アメリカの友人でして」

「冗談だろ。だってその人は――」

「クリスチャン・ウォーロックっ!」



 弾ける声、黒沢先輩である。しかし誰だ、そのクリスチャンナンチャラとやらは。


 聞いたこともない名前に疑問符を浮かべた、次の瞬間のことだった。黒沢先輩は勢いよくソファーから立ち上がり、スライに歩み寄ったかと思えば、なんということか、その細い腕をヤツの太い首に回してぎゅっと抱きついた。



「わたしの初恋の人っ!」



 襲い来る困惑、止めどない怒り、毛穴から吹き出す悲しみ、その他諸々。俺は思わずその場にへたり込む。なんだ、なんだってんだ、初恋って。


 意識が朦朧としてきたが、ここで気絶するわけにはいかない。笑う膝を押さえつけてなんとか立ち上がった俺は、スライを睨みつけた。あの野郎、渋い顔をしてやがる。ちっとは嬉しそうな顔をしたらどうだ。その抱擁は俺が受けるべきものだったんだぞ。


 対する黒沢先輩は、瞳にハートマークを浮かべて熱視線を筋肉に送っている。「どういうことだ」と思わず呟くと、「それはこちらの台詞だ」と小津監督が俺をソファーに座らせた。監督は黒沢先輩に負けないくらい興奮した様子で、額にしわを寄せて俺に詰め寄る。



「あの男をどこから連れてきた?」

「ただの友人です。それよりも、何者なんです、あの男は」

「こちらが聞きたい。私がわかるのは、あの男がクリスチャン・ウォーロックの若かりしころに瓜二つということだけだ」

「そのクリスチャンってのは誰なんです。初恋ってのはなんなんです」


「俳優だよ」と園先輩が俺の隣に腰かけ話に割り込む。


「初恋っていうのは知らないけど、クリスチャン・ウォーロックは偉大なアクション俳優だ。一昨年、60そこそこで亡くなったけどね」

「悪魔の地獄グリズリーなんて映画に出てた俳優が偉大ですか? んな馬鹿な」


「その悪魔のナントカなんてZ級映画は知らねえけど、〝レイジング・ブル〟、〝ロッキー〟に次ぐ〝ライト・プローブ〟ってボクシング映画は聞いたことあんだろ」、などとソワソワしたように早口で言ったのは三池先輩。確か、48時間ぶっ続けで映画を見せられた時、そんなタイトルの映画も見せられた気もするが、詳しくは覚えていない。


「常にアクション映画の第一線をひた走ってきた、まさしく漢の中の漢……クリスチャン・ウォーロックはみんなのヒーローっスよ!」


 熱弁し、拳を掲げる北野。なるほど、クリスチャンなんたらが何者であるのかはわかったが、しかしそれがどうして初恋なのかよくわからん。


「ランちゃんはわかんないスかねー。子どものころに見た映画の主人公に惚れる乙女の気持ちが。ちなみにアタシはキアヌ・リーヴスでしたよ」

「ほう。私はクリント・イーストウッドだった」

「僕はオードリー・ヘップバーンでしたかね」

「俺ぁユマ・サーマンだったな」



 で、黒沢先輩の場合、それがあのスライと瓜二つの偉大なるB級映画俳優、クリスチャン・ウォーロックだったというわけだ。「ふっざけんな!」と心で叫び、俺はスライに詰め寄った。



「どういうことだ? お前はスライじゃなかったのか?」

「俺はスライだ。ただ、〝俺を演じた男〟は、確かに若い頃のクリスチャン・ウォーロックだ」

「なんだとっ。つまりお前は本当に、本ッ当に映画の世界からやってきたってのか?」

「初めからそう言っただろう。それともなんだ、お前はやはり俺の話を信用してなかったってのか?」


 不満げなスライはそう食って掛かってきた。その迫力に圧され、「8割は信用してた」などと誤魔化したところで、タイミング良く割り込んできた北野が黒沢先輩をスライから引き剥がしにかかった。


「あきらサン、初恋との再会に興奮するのはわかりますけど、初対面で抱きついちゃはしたないスよ」


「そうでした」と赤らんだ頬を撫で、静々と引き下がる黒沢先輩。間違いなく、恋する乙女の所作である。


 荒んだ心が憤りで燃え上がる。思わず部室から出て、「ウォォッ!」と叫んだところで誰かが肩に手を置いた。振り返れば、小津監督であった。


「それで、檜山。改めて紹介してもらおうか、ウォーロックに瓜二つの男のことを」


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