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カサブランカ その3

 扉を開けると、そこはシネマパラダイスだった。


 壁に沿って並べられた棚にはDVDとブルーレイのパッケージが、たい焼きの餡の如く隙間なく詰まっている。入って正面の壁には、60インチほどのテレビをやたら大きなスピーカーが挟んでいる。部室の真ん中には背の低い応接用のこげ茶色の机。それを挟んで置かれた、詰めれば4人は座れそうな横長ソファーのうち片方には、金に染めた髪を頭の横で纏めた女子生徒が座って、テレビに流れる映像を眺めていた。無駄に派手なオレンジ色の車がバイクを追いかけ爆走している映像だ。


「ワイルドスピードか?」と、小津監督がソファーに腰かけながら金髪に尋ねる。ちらと映像を見ただけでそれがわかるのは、これがそれほど有名な映画だからなのか、それとも小津監督がマニアックなだけなのか。


「さすがのご名答ッスよ」と答えながら振り返った金髪は、俺を目にして「お」と楽しげに声をあげた。


「小津先輩、新入りッスか?」

「そうだ。例の〝応援男〟、話しただろう?」


 小津先輩の言葉に笑みを浮かべた金髪は「ああ、あの」と手を打った。どんな噂を流されているのか知らないが、それが不名誉な内容であることは間違いなさそうだ。


 金髪は映画を一旦止めると、ソファーを立って俺に丁寧な一礼をしてみせた。


「どーも新入りさん。アタシ、北野武緒きたのたけおっていいます。よろしくッス」


 正面から金髪改め北野先輩を見た俺は、その髪色とピアス、さらには積極的に肌を見せたホットパンツとダボついたシャツという服装から、彼女がいわゆるギャルであることを確信した。この手のタイプの女性は、俺のような穢れを知らない男子を無暗に不毛な恋の沼に引きずり込むから、あまり得意ではない。


 遠い昔の思い出にふと悔しくなり、唇を内側から噛みしめながらも俺は、努めて冷静に「どうも」と礼を返した。「俺、檜山蘭です。よろしくお願いします」



「へー、ヒヤマラン、って何か面白い名前っスね」



 そう言った北野先輩は、リズミカルに「ヒヤマランっ、ヒヤマランっ」などと節を付けて歌い始めた。かと思うと、「じゃあこれからはシャマランって呼ぶんで」などと出会って1分足らずで珍妙なあだ名をつけてきた。こうやって、いつも突飛で何を考えているのかわからないところが、ヤンキーギャルという奴の魅力であり、すなわちそれが怖いところでもある。



「シャマランは無いだろう、シャマランは。三池に何か言われるぞ」と笑う小津監督。

「いいんスよ。あの人にだったら何言われたとこで馬耳東風突き通しても怖くないスから」

「北野、仮にも三池はお前の先輩だろう?」

「三池サン、基本クズっスからね。扱いはこんなモンでむしろちょうどいいんス」

「それは否定しない。……私は、時々あの男の将来が心配になるよ」

「ま、なんとかなるんじゃないスか。卒業さえできりゃ、どっかの映像会社のADくらいならすぐに勤まりそうですし」



 新入りである俺を前にしているにも関わらず、2人の間で内輪話が始まってしまった。すっかり蚊帳の外になった俺は、疎外感を感じつつ部室の端に放置されたパイプ椅子を勝手に広げて、そこに腰を落ち着けた。



「にしても、やっぱりいいッスね、ワイルドスピードは」

「お前はハリウッドのブロマンス映画が好みなだけだろう」

「ありゃ、やっぱ小津サンにはわかるッスか?」

「無論だ。たとえ私でなくとも、お前の映画遍歴を聞けば誰だってわかるさ」

「そうッスかね。自分では巧妙に隠してたつもりなんスけど」

「〝明日に向かって撃て!〟や〝ロッキー3〟はもちろん、〝キングスマン〟に〝キャプテンアメリカウィンターソルジャー〟。往年の名作から近年のヒット作まで、それら全てを男の友情物語などというひと言で纏めてしまうお前の感性を前にすれば、誰だって理解するさ」

「一応言っときますけど、アタシ、いわゆる腐女子とかじゃないスからね。カッコイイ俳優が出てりゃいいってわけでもないスからね」

「言わないでも理解しているつもりだ。さて、そんなお前にオススメがある。〝エンド・オブ・ウォッチ〟なんてどうだ? 〝REC〟のようなpov方式を採用したブロマンス映画。お前にぴったりだろう」

「……小津サン、本当に後味悪い映画好きッスよね」

「そう人聞きの悪いことを言うな。そんな言い方ではまるで私が、人の不幸は蜜の味だと考えている冷血人間のようではないか」



 恐らく映画の話をしているんだろうが、内容はさっぱりわからない。肩身の狭い思いが一層強くなり、俺は首を縮めて小さくなった。


 どうか話を振られませんようにと、両手のひらを擦り合わせて祈っていたが、願い虚しく小津監督は俺に「どうだ」と問いかけてきた。


「檜山。お前は見た事があるか、〝エンド・オブ・ウォッチ〟」


「はあ、見たことないですね」と当たり障りのないことを答える俺。すると小津監督は「だろうな」といたずらっぽく笑い、棚を漁って1本のDVDを取り出した。どうやらあれが、〝エンド某〟である。ワイルドスピードとやらを観賞中であった北野先輩は、「まだアタシが見てる途中ッスよ」と言うが、監督はお構いなしにDVDを入れ替えた。


 そして有無を言わさぬうちに、映画観賞会が始まった。北野先輩は「まったく」とぼやきつつも、律儀に携帯の電源を切ってから観賞に移った。


 仕方なしに俺もテレビを眺めることにする。観れば、警官の男2人が無駄話をしたり、街のゴタゴタを暴力的に解決したりと、基本的に単純な映画であることが開始10分で何となくわかった。



「それにしても珍しいッスよね。アクションが多い映画でpovだなんて。こういう撮影方法って、予算の無いホラー映画の専売特許だとばっかり思ってたッスけど」

「動きのある映像を撮るのにpovは向いていないからな。実際この映画には、この映像は誰が撮っているのかと疑問に思うシーンも少なくはない。しかし、観ている間はたいして気にならない。この映画にはそれだけの説得力がある」

「要は、面白けりゃいいんスよね。そういや、ウチではこういう映画は撮らないんスか?」

「お遊び半分の短編でなら撮ったこともあるんだが。しかし、どうしても納得のいくものは撮れそうにもない。ああいった映像表現は先にやった者勝ちさ。二番煎じならまだしも、三番、四番となると撮っているこっちが嫌になる」



 2人の会話を聞き流しながらぼんやり映像を眺めていると、俺の心にふつふつ湧いてくる感情があった。怒りである。


 なんだって俺は映画なんぞを真面目に観て時間を潰さなくちゃならんのだ。俺にはもっと他にやるべきことがある。というか、ちょっと待て。今現在ここに小津監督と北野先輩という2人の女性がいるということは、〝白鯨〟に所属する女性は打ち止めではないか。


 その点にようやく気付いた俺は、思わず拳で太ももを叩いた。パチンという軽い音が響き、2人がこちらに振り返る。



「興奮しているようだな、檜山」

「でも〝応援〟は、勘弁してくださいよ」



 テレビを見れば、主人公コンビがならず者らしき男を取り押さえているシーンだった。「すいません」と頭を下げると、2人は「構わない」という意思を込めた視線を投げた後、映画の観賞に戻った。

煙草の彼女について尋ねる機会を完全に逸してしまった。事態は映画が終わるまで好転しそうにもない。一旦諦め、最早どのようにストーリーが動いているのかさっぱりわからん映画をあくび堪えて何とか眺めていると、部室の扉がガラリと開いた。


 現れたのは、2人組の男だった。1人は、ジャケットを涼しげに羽織る優男。もう1人はヨレたジャージとTシャツを着込む、ヒョロっとしたごぼうみたいな人だ。


「おはよございまース」と北野先輩、それに「おはよう」と小津監督が続き、ごぼうは「オウ」とエラそうに、優男は「おはようございます」と丁寧に答える。



「ありゃ、三池サン。授業どうしたんスか?」

「こんなトコにいんだから、理由はひとつだろーが」とごぼう人間こと三池氏が答える。

「サボって大丈夫なんスか? 留年しそうってウワサっスけど」

「そん時はそん時だ。ま、園からノート借りりゃ、なんとかなんだろ」

「2年の園サンから借りて、3年の三池サンは恥ずかしくないんスか?」

「恥ずかしいと思ってりゃこんなこと言わねーよ」

「クズっスねー、マジで。せめて恥ずかしがってくださいよ」

「おうおう、何とでも言え。卒業出来りゃこっちの勝ちよ」



 なるほど、この人が先ほど女性陣で話のタネとなっていた三池先輩か。確かにクズだと、俺は密かに断じた。自分をどうしようもない人間だと自覚しながらそれを直そうとしないのが、なおさらクズの極みである。


 入ってきたクズごぼう氏と優男は、荷物を机に下ろした後、部室の片隅で借りてきた猫のようになっていた俺にようやく気付いた。「新入りか?」とごぼうが言って、「みたいですね」と優男が続ける。これにて〝白鯨〟のメンバー揃い踏みである。


 チクショウ! 煙草の乙女をどこに隠した!


 燃え上がる憤りを愛想笑いで塗り固めた俺は、席を立って「どうも」と頭を下げた。


「檜山蘭です。今日は見学に来ました」


「オォ」とこれまた横柄に答えたごぼうは、女性陣とは反対側のソファーに腰かける。


三池崇俊(みいけたかとし、3年で、担当は撮影やらその他雑用。で、そっちのムカつくくらいのイケメンは園敦(そのあつし)。2年で、白鯨の主演俳優」


 園先輩は、ソファーに座ればいいのにわざわざパイプ椅子を広げて俺の前に座った。なるほど、イケメンなんて言われるだけあって確かに顔は整っている。嫌味ない笑顔を自然に振りまいているところを逆に嫌味に感じる以外、特に欠点は無さそうだ。


「園、園敦だ。よろしくね、檜山」


 その声は嘘くさいほどのハリと艶があった。少なくとも、普通の挨拶の時に出す声の種類ではない。困惑しつつも「どうも」と返すと、北野先輩がさも嬉しそうにひょこひょこ寄ってきた。



「園サンは歩く場所が舞台になる男っスから、やたら声がデカイんス。シャマランちゃんが驚くのも無理ないッスよ」

「おい北野ォ。なんだよそのシャマランってのは」とすかさず絡んできたのは三池先輩だった。どうにも不満そうな声色である。



「ヒヤマランって早口で言うとホラ、シャマランになるじゃないスか。よくないスか、コレ。結構気に入ってるんスけど」

「いいわけがねえ。俺はその名前聞くだけでイライラすんだ」

「アタシは構わないっスけど」

「俺は構うんだよォ! いいか北野ォ、人生ってのは太く短く! シャマランみてーに過去の栄光にしがみついて監督続けるくらいならなぁ――」


「三池」と語勢が強くなってきた三池先輩をぴしゃりと止めたのは小津監督だった。


「そろそろ黙れ。映画鑑賞中だ」


 三池先輩はひっと息をのみ、亀のように全身を竦めた。それを「やーい」と小さく笑う北野先輩にも、小津監督のひと言が刺さる。


「お前もだぞ、北野。檜山のことをシャマランというのは止めてやれ。あだ名なんて、他にいくらだってあるだろう」


 それを受けた北野先輩は「ハイ」と呟き、バツが悪そうに頭をかいた。


 大岡裁きにより部室が平穏を取り戻したころ、「それにしてもまだ2人か」と園先輩はふいに呟いた。額を掌で覆い、ヤレヤレとでも言いたげに首を振る姿は、とても芝居じみていたがどうにも絵になっていた。


 ――歩く場所が舞台になる。なるほど要は、寝ている時以外はその立ち居振る舞いが常に芝居臭いというだけである。


 しかし、園先輩の言った〝まだ2人〟とはどういうことだろうか。その言葉がなんとなく引っかかったため、映画観賞中の小津監督の機嫌を損ねないように、その旨を小さな声で尋ねると、園先輩は「君で2人目だってこと」と答えた。



「2人目だってのは、どういうことですか?」

「今年の白鯨への入部希望者の数さ。君と、それに彼女」



 園先輩は「すでにすっかり馴染んでるけど」と言って指を向けた。


「彼女」と指された方を見れば、そこにいたのはなんと「シャマラン」の名付け親、北野先輩だった。いや、最早あれは先輩ではない、北野は北野だ。浪人した分俺の方が年上なのだから、呼び捨てに文句は言わせないぞと勝手な決意を固める。


 北野が「2人きりの同期っスね」などと手を振ったので、俺は意志を確固たるものにするため「そうだな、〝北野〟」と呼び捨てであることを強調した。


 しかし、待て。米田アンポンタンの話では白鯨の構成員は4人で、男が2人、女が2人。だがしかし、この情報はあくまで1週間以上前のもの。新人の北野は数に入れていないはずだ。であれば去年からの部員はまだ1人いる。しかも女性だ。


 まだ希望は残っている!


 期待がむくむく膨らんできたところで、小さな音を立てながら扉が開いた。まさかと振り返れば、「エンド・オブ・ウォッチですね!」と目を輝かす小柄な女性がいた。


 クリーム色の春用セーターにダークグリーンのスカートを併せた服装は、彼女の持つフェミニンな雰囲気によく合っている。全てを映そうとするよくばりなどんぐり眼はキラキラ光り、スクリーンで見た時よりずっと綺麗でさらさらとした黒い髪が肩の辺りで揺れている。それに――やっぱりそうだ、予想の通り、近くにいるだけで春に色づいた太陽のようないい香りがする。


 間違いなく、煙草の彼女がそこにいた。


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