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恋と映画とささみガム  作者: シラサキケージロウ
インデペンデンス・デイ
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26/28

インデペンデンス・デイ その4

 ほとぼりが冷めた頃合いで大学に戻った俺達は、ラストシーンの撮影を無事終了させた。映画は、ミフネとタカクラが仲睦まじく8畳半の部室で寄り添いあって、〝インセプション〟という映画を観賞しているという場面で締めくくられた。バッドエンド症候群の小津監督に似つかわしくない大団円だと思ったので、最後のカットが掛かった後に、「こんなラストでよかったんですか?」とこっそり尋ねると、監督は「観客の期待に応えるだけの話だ」と答えて、珍しくも優しい伊微笑みを浮かべた。


 誰もが笑えるハッピーエンドを作るだなんて、監督もやっぱり人の子だ。なんて考えていたところに、「インセプションはハッピーエンドに見せかけた夢落ち映画という説もある」というようなことを三池先輩から聞かされ、ラストシーンで暗示された意味合いに俺は少し背中が寒くなった。


 もしかしたら映画は酷い夢落ちかもしれないが、俺と黒沢先輩――もとい、〝あきら先輩〟との関係はそうではない。クランクアップを迎えてから2週間経ち、専洋大学がテスト期間を挟んで夏休みに突入した今も、友人関係から一歩進んだ清いお付き合いは依然として継続中である。


 互いの呼び方が変わったのは告白の翌日。浮遊感で満たされた現実を何とか歩行し大学へ向かっていた最中、気づかぬうちに俺の背後に忍び寄っていたらしい先輩が、不意打ちで「おはよう〝蘭くん〟」なんてちょっぴり恥ずかしげに挨拶をしてきたことがきっかけであった。


 それにしてもまったく、あの日は何の前触れもなく呼び名が変わったものだから、身体中の動脈が千切れそうなほどどきどきした。


 告白から5日後の土曜には、北野から頂戴した例の前売り券で新文芸坐のオールナイト上映会に参加してそれを初デートとした。カーペンター特集と銘打たれた、計4本のB級映画上映会であった。あまりデートという雰囲気でもないなとも思ったが、先輩の心底楽しそうな笑顔を見ることが出来たので良しとした。


 成就した恋をいくら話したところで仕方ないので一旦置き――夏休み初日の白鯨は、休み中の予定を詰めるために部室でミーティングの予定となっていた。すっかり部員の一員となったスライと共に部室に向かうと、一足先に来ていた園先輩と北野が、待ってましたとばかりにこちらを見た。どうしたのかと思いつつもソファーに腰かけると、園先輩が「やあ」と軽く手を上げ、にこやかに話しかけてきた。


「噂をすればってやつだね。ちょうど檜山のことを話してたんだ」


「何をです?」と尋ねれば、つまらなさそうに両手で頬杖をついていた北野が、先輩の代わりに答える。



「いや、冷静になって振り返ると、なんでランちゃんの告白は成功したんだろーなーって」


 その言葉にややムッときた俺は、「いいだろ、細かい理由なんて」とぶっきらぼうに返す。


「そうなんスけど、フシギなこともあるもんだなーって。だって、相手はあのあきらサンっスよ? ランちゃんの告白がロマンティックだったのは認めますけど、成功するわけがないって思うじゃないスか、フツー」


「今さらになって水差すな」と言いかけたところ、からかうような笑みを携えた園先輩も、「僕も」と北野に同調する。


「実は不思議に思ったんだ。いや、檜山がどうこうってわけじゃないよ。黒沢さんが、作り物以外の愛と恋を理解出来たってことを、ね」


 園先輩と北野の言葉に、「俺もだ」と賛成の意を示したのがスライである。「お前まで」と、若干裏切られた気分になりかけたところで、すかさずスライは次の言葉を継いだ。


「だが、それでもいいじゃないか。誰かが誰かを好きになることに理屈は要らない。お前達だってクロサワを見ればわかるだろう。クロサワは、間違いなくランに惚れている。千年の愛とまではいかないかもしれないが……80年は続くほどに」


 それは何の後ろ盾も証拠も持たない、いわゆる筋肉理論であったが、声の調子に妙な深みがあったおかげか、園先輩と北野は「それもそうか」といった具合で納得したように深く頷いた。


 それにしても、好きになるのに理屈は要らない、か。筋肉理論も稀に心に響くので、たまにだったら悪くないと思う。



 夏休みに入ってから、白鯨は多忙を極めた。7月は朝早くから夜遅くまで編集の詰め作業をやって、8月10日には0号試写を行って映画の出来を皆で確認した。盆休みにはあきら先輩の父方の実家のある川越の方に招いてもらい、近所のビオトープを歩いたり、薄いカルピスに舌鼓を打ったりして夏の思い出を育んだが、そんな安寧と愛の日々もすぐに終わった。盆休みが明けてからは、インディーズ系の映画を上映する都内ミニシアターへの挨拶回り、都内レンタルスペースとの値段交渉、パンフレットの原稿を書き、それの校正までやった。慣れないことの連続に疲れ果て、必然的にトレーニングの時間も減り、俺は身も心も縮んだ気がした。


 一方でスライといえば、ここのところはいつにも増して元気である。俺と同じように仕事をこなし、俺と同じように夜の9時を過ぎるころアパートに帰るまでは同じはずなのに、トレーニングだけは毎日欠かさないのだから、筋肉信仰もここまでくればほとんど病気だ。


 繰り返す24時間をめまぐるしく過ごしていると、暦は断りも無く9月に突入していた。白鯨の部室では、いつもは冷静な小津監督が、10分に一度はカレンダーを眺め、5分に一度は時計を確認するという異様な行動を取っている風景を拝むことが出来る。


 というのも、〝世界を救うぼくはヒーロー〟の封切り日が迫っているのだから無理はない。よっぽど、「監督も女の子なんですね」なんて声をかけようと思ったが、鼻の骨を折られたくないので止めにした。


 そして9月の第一土曜日、運命の日がやってきた。


 新宿3丁目の駅に集まった俺達、白鯨メンバーは、上映が始まる3時間前にカレフダというレンタルスペースへと向かった。


 ピンクの外観と青い扉が特徴的なカレフダを前にして、「ここだな」と小津監督は声を震わせる。


「ここで私達の〝子ども〟が、ようやく産声を上げる」


「いつものことだけど、顔に似合わず緊張すんのな、お前」などと命知らずなことを言うのは三池先輩だった。そんなことを言われては、いつもの監督であれば鋭い視線だけで三池先輩を2度ほど殺しているところであろうが、今日ばかりは「フン」と鼻を鳴らすばかりである。



「見ての通り鈍感なものでね。ここまで来ないと緊張できないのさ」

「監督の感性を鈍感と呼ぶのなら、三池先輩の感性はコンクリート造りですね。痛点すらありそうにない」

「園サン、それ言うならアダマンチウム製じゃないスか」

「そういえば蘭くん、アダマンチウムといえばXメンの新作、まだ観れてませんでしたね」

「そんな時間もありませんでしたしね。都内だったらまだ上映中ですし、今度ゆっくり観ましょうか。スライ、お前も行くか?」

「ごちそうさま。わざわざ水を差すつもりもない」



「……お前達は緊張感が無くていいな」と小津監督が弱々しくぼやく。


「そりゃそうよ。小津、俺たちゃお前の腕を信じてここまでついてきてんだぜ。緊張なんざ、するわけないだろっての」


 三池先輩の言葉に「そうか」と苦い顔で笑った監督は、カレフダの青い扉を押した。その後ろにぞろぞろと続き、劇場となる広いホールに足を踏み入れた俺達は、早速会場の設営に取り掛かった。


 広いホールに等間隔で座椅子を並べ、音響並びに映像周りの機器のセッティングとテスト。予想以上に時間がかかり、全ての準備が完了したのは開場の5分前だった。


「なんとかなったな」と小津監督は額の汗をきらりと光らせる。「さて、観客を出迎えよう」


 入場開始と共にどっとなだれ込んできた観客に、「いらっしゃいませ」とボブルヘッドのように頭をぺこぺこやっていると、あっという間に13時である。


「そろそろ上映開始だ」と、プロジェクターを動かすために監督と三池先輩はホールに戻り、受付に残された俺達はホッと息を吐いた。


 そういえば、ずいぶんと客が入っていた気もするが、あれだけの人数、座る場所があったか?


 気になって、そっとホールを覗いてみれば、立ち見客までいるほどの大盛況だ。話に聞いていた通り、小津杏というネームバリューは相当のものらしい。映画に対する観客の期待が破裂寸前の風船のように膨らんでいるのが、こちらにまで伝わってくる。


 これほどの期待を受けたことは初めてだが、それが身の丈に合わないとは毛ほども思わない。白鯨はそれだけのものを作ったのだと、胸を張って言える。



「楽しみですね」



 誰に言うでもない俺の言葉に、皆はそれぞれ頷く。俺はもう一度「楽しみだ」と呟き、上映開始を告げるブザーの音に耳を澄ませた。劇場を後にする観客の笑顔が、脳裏にはっきりと思い浮かんだ。



 82分の上映が終わると、少し間をおいてから遠慮なしの拍手がおよそ3分響き続け、カレフダの壁を震わせた。劇場を後にする観客の中には、興奮気味にパンフレットを握りしめているような人までいて、嬉しくなった俺は堪らず頬を真っ赤に染めた。


 初上映を大成功で収めたその日の夜は、打ち上げと称して飲み会が開かれた。飲み会となれば当然酒を飲むのだが、下戸の園先輩はともかく、小津監督や三池先輩、北野やスライはもちろんのこと、あきら先輩まで酒を飲むのだから驚いた。しかも、ちびちびではなくゴクゴクと。さらには、いくら飲んでも顔の色が全く変わらないときている。乙女らしさの中に垣間見えた雄々しさに、俺は益々彼女に惚れ直した。


「これには負けてられん。いいとこ見せねば」なんてやって、あきら先輩にペースを合せればいつぞやの二の舞である。俺は麦酒やらサワーやらをそこそこ頂くにとどめ、度数の高い酒――例えばウイスキーなんかには決して手を出さなかった。


 気持ちよく酔って、スライと共に安アパートに戻ったのは深夜1時過ぎのことだった。酔いが回ったことと、昼のうちに暖められたコンクリートのせいで、少し歩くだけで汗が止まらない。一刻も早くクーラーに当たらねばと、急いで部屋の鍵を捻れば、扉を開けた途端に這い出てきた蒸した空気が身体を覆ってきて、俺はたまらず「うぉぉ」と声を上げた。なんて暑さだ。冷蔵庫の生卵が半熟卵になってるんじゃないだろうか。


 まとわりつく湿度の高い空気を何とか掻き分け、居間まで辿りついた俺は、電気を点けるより先にクーラーのスイッチを入れた。やがて出てきた涼しげな風がふわりと髪を撫でて、吹き出す汗が少しずつ乾いていく。文明の利器にバンザイを唱え、万年床に背中を預けると、何故かスライが横に並ぶように寝転がってきた。暑苦しくって仕方がない。


 なんだよと思いながらも、文句を声に出すのも面倒に感じ、黙って天井を見上げていると、スライは「なあ」とどこか感慨深げに声をかけてきた。



「世界を救うぼくはヒーロー、ずいぶんと評判良かったじゃないか」

「当然。白鯨の全員が力を合わせて撮った映画なんだぞ。あれで評判が悪けりゃウソだ」


 酔いのせいかなんだか興奮してきた俺は、さらに熱く語った。


「ホールを出て行く観客の顔を見たか? 皆、満足そうに笑ってた。俺達、白鯨の作品がそうさせたんだ。白鯨の作品があんなにたくさんの人を満足させたんだぞ。わかるか、スライ。俺の気持ちがわかるか?」

「その顔を見ればわかるさ。まったく、嬉しそうな顔しやがって」

「ああそうだ、嬉しいんだ、俺は。わけがわからないくらいにな」


 俺がそう言ったのを受けて、スライはクスリと小さく笑う。たんぽぽの芽のようにポッと出てきた楽しげな笑いは徐々に大きくなっていき、やがてアパートの窓を僅かに揺らすほどになった。


 こんな時間にこんな声で笑いはじめれば、近所からの苦情は免れない。いつぞやのように笑い声を掻き消す雨の音もない。俺は慌ててスライの口を塞いだが、それでもヤツは構わず笑った。



「いい加減にしろ、スライ。夜中だぞバカ野郎」

「いや、スマンな。ランと初めて会った日のことを思い出したら、笑いが止まらなくなったんだ。まったくなんだ、その自信に満ち溢れた顔は」

「いいだろ。人間ってのは成長するもんだ。俺の成長速度にとくと驚け」


「コイツめ」と笑ったスライは、俺の肩に拳をぶつけた。相変わらず無駄に力が込められた一撃だ。「痛いっての」と拳を払い除けると、スライは「スマンスマン」とまた笑う。涙まで流して、なんだかタガが外れたみたいだ。どれだけ飲んだのかは知らないが、酔いがすっかり回っているらしい。



「スライ、お前酔ってるだろ?」


「ああ酔ってる。大いに酔ってるぞ!」と、スライは半分やけくそのように宣言する。まったく、酔っ払いほど面倒なものはない。「さっさと寝ろよ」と呆れて息を吐くと、流石にまずいと感じたのか、スライの笑いの潮は少しずつ引いていった。


 安アパートに穏やかな沈黙が戻ると、スライはぽつんと呟いた。



「なあ、ラン。次は俺の番だ。そうは思わないか?」

「何言ってんだ、お前」

「……ただの酔っ払いの寝言だ、気にするな」


 そう言うとスライはタオルケットを頭から被って動かなくなった。喚いたと思ったらしおらしくなって、そうかと思えば寝始めて。まったく忙しいヤツだなと思いつつ、俺はきちんとシャワーを浴びてから布団に入った。


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