インデペンデンス・デイ その2
その日、アパートに戻って携帯を手に取った俺は、小津監督に電話をかけた。体調の回復と、いつからでも撮影に参加出来ることを伝えるためである。電話がワンコールもしないうちに繋がったことに驚きつつ、用件を手短に伝えると、小津監督は「そうか」と声を弾ませた。
「それは何よりだ。お前無くしてこの映画は完成し得ないからな」
それから俺と小津監督は、これからの撮影行程について簡単な話をした。監督によれば撮影自体は既に佳境で、もう2シーン撮ればそれにて完了とのことである。残っているのは、映画のクライマックスを飾るファイトアクションと、ミフネとタカクラの後日談にあたるラストシーンのみ。つまりは、俺が絡んだ撮影しか残されていない状況である。撮影が行われるのは明後日。何でわざわざ月曜なのかといえば、なるべく人が多い日の大学で撮りたいからなのだとか。
「観客は多い方が燃えるだろう? 思い切りやってやれ、〝ミフネ〟」
冗談半分、本気半分にそう言って、監督は電話を切った。沸騰したやる気が頭のてっぺんから吹きこぼれそうになるのにふたをして、近所のスーパーで買ってきた豚ロースをステーキにしてご飯3杯と共に食べ、食後のおやつとして、筋肉の味方、ささみガムを1本かじってその日は寝た。
翌日。朝の9時前からスライと共に染井吉野桜記念公園に向かった俺は、アクションの流れを繰り返し確認し、足運びから息遣いまで全てを身体の芯に染み込ませようとした。
日曜日だというのに、公園は至って活気がない。こちらを遠巻きに眺めては去っていくような人はいるが、昨日のように近づいてくる気配はない。観客が無いのはやや寂しいが、しかしこれなら好都合、万が一が起きたとしても事故の危険はなさそうだ。そんなことを考えながらヌンチャクを振り回していると、案の定それが、汗で滑ってあさっての方向へ飛んでいった。
「何やってる」というスライの言葉を背に受けつつ、道路の方まで飛んでしまったヌンチャクを追うと、ガードレールにもたれてこちらを見ていた麦わら帽の女性が怪訝そうにそれを拾った。「どうも」と声を上げながら近づいてみれば、その人物はまさかの北野であった。
「いつからいたんだ?」と尋ねると、ヤツは質問に答える代わりに右手に持っていたコンビニのビニール袋を掲げた。
「ちょうど休憩するとこだったんスけど、ご一緒にどうスか」
ちょうど休憩だなんて、よくわからないことを言うヤツだなと思ったが、こういう時に休んでおかないと次の機会がいつになるかわからないと思い直し、俺はその提案に乗ることにしてスライを呼んだ。
3人並んでコンクリートで出来た植え込みに座る。ビニールを開けば、北野が持ってきたのはアイスカフェオレであった。律儀にも3人分あるところを見るに、俺達がここにいるのを始めから知っていたらしい。
「それで、キタノ。俺達に何の用だ」と、まず口を開いたのはスライであった。「まさか偶然とは言わないだろうな、手土産まで用意して」
「ネットでちょっとした話題になってたんスよ。筋肉ムキムキの外人と学生風の男が、ここでヤバイことしてるって。それで、アンタらじゃないかなって思って見に来たんス」
そう言って北野は携帯の画面を俺達に向けた。そこには、俺とスライが殺陣を繰り広げる動画が流れている。どうやら昨日、隠し撮りなんてされていたらしい。
「ヤバいなんて言われるようなことをしていた覚えはない。ただのトレーニングだ」
そう言いつつスライが「なあ?」と同意を求めるような眼で見てきたので、俺はカフェオレをストローでかき回しつつ頷いた。
「そうだな。俺達はただ、明日の撮影に向けて準備してただけ。ヤバいってのは心外だぞ」
「朝も早い時間から汗だくになって殴り合ったり、ヌンチャク振り回したりするヤツらを、どこがヤバくないって言うんスか」
一理どころか十理、二十理ある。ころりと出戻ってきた恥の感情が頬を染めようとするが、そんな衝動に負けじと俺は、「ヤバくて何が悪い!」と胸を張った。
「なんかランちゃん、よーやく復活って感じスか?」
呆れたように笑った北野は、「どーでもいいスけど」と付け加えてからカフェオレに口をつけた。
それから他愛のない話をいくらかし、全員のカップが空になった頃合いでぴょんと立ち上がった北野は、「じゃ、そろそろ」と手を振って去っていった。聞くに、〝サウスポー〟とかいうボクシング映画を観に行くとのことである。
結局、ただ俺達を見物しにきただけなのだろうか。そんな風に思っていると、公園の出口辺りまで歩いた北野は、恨めしそうにちらりと振り返り、控えめに手招きして俺のことを呼んだ。遠目でもわかる深刻そうな表情を見るに、やはり用件は別にあったらしい。
小走りで駆け寄り「どうした?」と尋ねれば、北野は「あきらサンのことっス」と声を潜めて言った。
「あきらサン、元気ないんスよ。今日も映画に誘ったんスけど、調子が悪いって断られちゃったし。大丈夫かなって思って電話しても出ないし。で、単刀直入で悪いんスけど、なんかあったんスか?」
「あった」と答えると、北野はすかさず「何が」と詰め寄ってくる。
「何やったんスか、アンタ」
「あの告白を、無かったことにしようとした」
瞬間、平手が振りかざされる。避ける権利も無いと、俺は直立不動でそれが振り下ろされるのをただ待ったが、いつまで経ってもその時が来ることは無く、ついに北野は静かに腕を下ろし、拳を固めるのみに終わった。
「……なんで逃げないんスか」
「自分のやったことからも、自分の気持ちからも、もう逃げない。そう決めた」
「なんスかソレ。カッコつけてるつもりっスか」
「そうだ。カッコつけてる。本気でカッコつけてるんだ」
俺の覚悟を値踏みするかのような北野の視線が身体を刺す。今までであれば、きっと俺は自分に向けられたむき出しの感情から逃げるため、「信じてくれよ」なんて安い言葉でその場を切り抜けようとしただろう。でも、そんなことはもうやる気にもなれない。逃げた後の方がずっと辛いと、ようやく学んだ。
「……基本、アタシもバカなんスよね。自分でも、なんでこんなことやってんだかわかんないくらい。でも、ま、乗りかかった船なんで、やんなきゃどーしようもないんスけど」
諦めの笑顔を見せた北野は、独り言めいたものをぶつくさ言い始める。かと思うと、肩にかけた鞄から何やらチケットらしきものを2枚取り出し、それを俺に押し付けてきた。見れば、新文芸坐で行われるオールナイト上映会の前売り券であった。
「わかりやすいバカをからかうのも、これが最後っスからね。後はもう知らないんで、好きにやってください」
からかいたいのか、それとも背中を押してくれているのか。相変わらずわからん女だ。とりあえず今は応援されているようだと解釈した俺は、「ありがとな」と素直に礼を言う。不敵な笑顔を返した北野は、「がんばれよ」と声には出さず唇だけ動かした。




