ナポレオン・ダイナマイト その8
日曜日までには投稿完了すると言ったな?
アレは嘘だ
(お待たせして申し訳ありません。木曜日か金曜日には投稿完了しますので、もうしばしお待ちを
それから俺は黒沢先輩を探し求めて、大学構内や最寄りの駅はもちろんのこと、行きつけのレンタルビデオ店から新文芸座まで歩き回った。しかし彼女の姿は一向に見つからなかった。なんだか朦朧としてきた意識の中で空を見上げれば、薄雲で濁った月が知らぬうちにぬっと出ている。
このままだと志半ばで倒れることになるぞ。本能的にそう悟った俺は、彼女の捜索は一旦諦めて安アパートに引き返した。
「ラン、なんだかずいぶん顔色が悪いな」
帰ってきた俺の顔を見たスライは、開口一番そう言った。確かに、朝に比べて一層気分が悪くなっている。試しに熱を計ってみると、驚くことに39度もあった。二日酔いにも関わらず動き回ったことも関係しているだろうが、最大の原因は昼間の一件であろうということは想像に難くない。
熱のせいで気だるくてたまらないのと、これ以上起きていると昼のことを思い出してしまって辛いので、その日は冷蔵庫にあったヨーグルトとスライ手製のトマトとブロッコリーのコンソメスープを食べて、大人しく寝た。
翌朝になっても熱はさっぱり引かなかった。今日は撮影の予定だが、どうにも動けそうにない。仕方がないので小津監督に電話を掛けて、今日の撮影は出られそうにないという旨を伝えると、よほど俺の声色が死にそうにでも聞こえたのか、「本当に大丈夫か?」などと優しさに溢れる言葉をかけてくれた。無論、大丈夫ではないが、「大丈夫です」と答えざるを得ない。
早々に電話を切って布団を頭から被ってじっとしていると、綿でも詰められたようにぼうっとした頭に、黒沢先輩の悲しみとも失望とも取れる曖昧な表情が浮かんでは消えて、なおのこと体調が悪くなった。
翌日になっても、その翌日になっても熱は引かず、ろくに動けない日が続いた。あの日のことを弁明するため、黒沢先輩へ電話をかけることも何度となく考えたが、その度に、直接会って話さなくちゃいけないと思い直し、携帯を遠くに投げ捨てた。
4日目の朝になったところでようやく熱が引いてきたので、久しぶりに風呂に入り、姿見で自分の身体を見るとなんだか少ししぼんだように思えた。風呂から出て、スライが作ってくれた朝食を食いつつ、また鍛え直しか、なんてうすぼんやり考えていたところで玄関チャイムが鳴った。こんな早い時間にと思いつつも腰を浮かせたが、スライが「俺が出てやる」と申し出たのでお言葉に甘えて大人しく座り直した。
玄関に出たスライは、なにやら来訪者と話し込んでいるようで、時折大きな笑い声が聞こえる。妙なものを買わされそうになっているんじゃないだろうな、なんて思っていると、部屋に戻ってきたスライが園先輩と北野を引き連れていたので酷くぎょっとした。黒沢先輩との件が丸く収まるまでは、白鯨のメンバーとはなるべく会いたくないと心の片隅で考えていたからである。
「どもーっ。生きてるんスね、ランちゃん」
「北野、そういう冗談は言うものじゃないよ。でも、思ったより元気そうで何よりだ」
俺の心持ちとは違い、2人はいつもと変わらないように見える。「どうしたんですか?」と食べかけの茶碗を片づけつつ尋ねると、2人の代わりにスライが「見舞いだとさ」と答えた。
「差し入れまで貰ったぞ。いい友人を持ったもんだな」と、スライは右手に持った白のビニール袋を、獲物を捕らえた狩猟民族のように高く掲げた。
それから俺達は4人でちゃぶ台を囲うようにして座り、差し入れのショートケーキを食べながら白鯨の近況について話した。
俺がいない間も撮影自体は進んでいる。この前なんかはパトカーが通り過ぎるカットを撮るためだけに、往来でカメラを構え3時間も待った。それでもパトカーが通らないので、やけになった小津監督が服を脱いで警察を呼ぼうとし、それを園先輩と北野で必死に止めた。一昨日は、拳銃で撃たれた通行人の全身から血が吹き出す画を撮った。その際、火薬を爆発させ血糊が吹き出す仕掛けを使ったのだが、そのカットを演じたおかげで三池先輩の全身が青あざだらけになった。痛々しい見た目とは裏腹に、当人は満足そうだった。
そんな類の笑い話を幾つかされたが、その中には不自然なまでに黒沢先輩の姿がない。不思議に思っているところでスライがトイレに立ったので、俺はそれを好機として彼女の近況について尋ねることにした。
「すいません。黒沢先輩はどんな調子ですか?」
すると2人は互いに顔を見合わせ、重々しく頷いた。どうやら、ただ見舞いに来たというわけでもないらしい。
「……北野から聞いたよ。また妙なことがあったらしいね」と、園先輩がやや眉間にしわを寄せながら呟く。
ふっと湧いてきた不安が手を伸ばし、身体の内側から皮膚を引っ張る。背中を丸めて両手を固く組んだ俺は、「ええ」とだけ答える。
そこで会話が途切れたのに、北野が続いた。
「実はあきらサン、あの日から白鯨に来てないんスよ。原因は絶対アレだと思ったんで、アタシの方から電話で説明したんスけど。それでも来なくって……」
事は俺と黒沢先輩の個人間だけに済まされないほど大きくなっているらしい。早く黒沢先輩に会わなければという焦燥感まで湧いてきて、俺はますます身体を縮めた。
「やっぱランちゃん、まだあきらサンとお話してないんスね」
「……悪い。直接話した方がいいと思ってたら、まさかこんなことになってたなんて」
「別に俺達は檜山を責めにきたってわけじゃないんだ。ただ、黒沢さんのことだし、どうしても伝えておかないとって思ってさ」
園先輩がそこまで言い終えたちょうどその時、スライが部屋に戻ってきた。すぐさま何でもないような表情を取り繕った先輩は、「じゃあ、そろそろ帰るよ」と立ち上がった。
「何だ、もう帰るのか?」と何も知らないスライは先輩を引き留めようとする。
「ええ。あんまり話し込んで檜山の調子がまた悪くなったら、お見舞いの意味がありませんから」
そう言って軽く会釈した園先輩は部屋を出る。「そこらまで送ろう」とスライも後に続いたが、どういうわけか北野は座布団に座ったきりである。
「どうした?」と尋ねると、北野は「これ」と呟き、エコバックからタオルハンカチを取り出した。黒沢先輩が俺の額に置いてくれた、ライムグリーンの花柄ハンカチであった。そういえばあの日、部室の机に置いたきりすっかり忘れていた。
「どうしてこれを俺に?」
「あきらサンに会うのに、何の用もないんじゃ会いづらいんじゃないかと思って。じゃ、後は任せたんで」
用件だけ言うと、北野はさっと立ち上がって部屋から出ていった。
○
園先輩と北野が帰ってから、すぐさま俺は寝間着から着替え、黒沢先輩のタオルハンカチと財布を持って出かける準備を済ませた。玄関で靴の紐を結んでいたところ、スライが「出て大丈夫なのか?」と尋ねてきたが、詳しく答える時間も惜しく感じて、「寝てるだけじゃ身体が腐りそうなんだ」とだけ残して安アパートを出た。
100時間以上ぶりに外に出ると、空模様はあいにくの曇りである。幸先が良くないなと思いながら大学までの道を中頃まで来た辺りで、鼻先に雨が落ちてきた。しかし、これから雪が降ろうが槍が落ちようが関係ない。溢れかけたコップに絶えず水滴が落ちているようなもので、事態は急を要している。
昼前に大学に着いた俺は、ふうふう息を切らしながら構内を駆け回って先輩の姿を探した。しかしいくら探したところで先輩の影も形も見当たらず、学校まで休んでいるのかと思うと、いよいよ先輩は白鯨を辞めてしまうんじゃないかという悪い想像が頭から離れなくなった。
大学を離れて別の場所を探そうかとも思ったが、闇雲に探し回って行き違いになっても馬鹿らしい。動かないと落ち着いてくれそうにもない身体に、ここは〝待ち〟だと言い聞かせ、授業用の教室が一番多い1号館の入り口付近にあるベンチに座り込んだ。
それから俺は永遠とも思える時間を過ごした。10分経ち、30分経ち、1時間経ち、2時間経ち、4時間経ち、6時間経ったが、それでも黒沢先輩は見当たらない。ふと外を見れば、黒ずんだ雲から灰色の雨が落ちている。5時限目がそろそろ終わる時間だ。そうなると、大学に居ても仕方がない。今日のところは一旦帰るしかないだろう。
何も解決しなかったという重い気分をひとまず飲み込んで、1号館を出たところで、待ちわびた姿が視界に映った。パステルグリーンの傘を差し、物憂げに空を見るあの横顔は、間違いなく黒沢先輩だ。
「黒沢先輩っ! ちょっと待ってください!」
名前を呼ばれると、先輩はぴたりと脚を止めて俺の方をゆっくりと振り返った。下唇をきゅっと噛みしめた、緊張と困惑が混ざった顔だ。
胸がきゅうと締め付けられる。つい1分前まではあれだけ会いたいと願っていた相手なのに、今となっては逃げてしまいたい。唾を何度も飲みこんで、胃の奥まで不安を押し戻した俺は、なけなしの勇気と共に例のタオルハンカチをポケットから取り出した。
「これ、この前先輩から借りてしまったままで。……で、でも、今日も濡らしてしまったんで、また持って帰って、洗いたいと思います。その、すいません」
掴みどころのない言葉しか出てこない。俺の口は何のためについてるんだ。そうじゃないだろと髪を逆なでた俺は、改めて言葉を紡ぐ。
「その……この前の北野との一件なんですけど、あれは誤解なんです。あの時の俺、二日酔いで。立ち上がろうとしたら、力が抜けて北野に覆いかぶさっちゃって……。だから部室で変なことをしようとしたとか、そういうわけじゃないんです」
「し、知ってます。それはあの時、檜山くんからも聞きましたし、武緒ちゃんからも電話が来ましたから」
「ならよかった」と言いかけたところで、俺の喉は機能停止に陥った。正しく言えば、何と続けていいのかわからなくて言葉に詰まったのである。
あの告白のことはどう説明をつけるつもりだ? あれも誤解です、貴方を誤魔化すために出てきたでまかせですと、そう言えばいいのか? そんなわけにはいかないだろう。だってあれは本当だ、ふいに出てきてしまったにせよ本心なんだ。
それなら告白すればいいのか? 貴方が好きです、愛していますなどと、もう一度言えばいいのか? そんなわけにもいかないだろう。だってそのせいで話がこじれているんだ。これ以上言葉を重ねても、余計な混乱を招くだけの話。
何を言えばいいのか。何を伝えればみんなが幸せになれるのか。フル回転する思考とは裏腹に、喉は声を紡ごうとしない。
風が一層強くなる。切り揃えられた前髪から雨の雫が絶えず落ちる。濡れたシャツが身体に纏わりつく。粘ついた時間がただ通り過ぎていく中で、雨が傘を叩く音に混じって先輩の声が微かに聞こえてきた。
「あ、あの……体調、よくなったんですねっ。その、これで映画の撮影も進みますね……じゃなくて、えっと……わたし、あんなこと言われたのって、あれが生まれて初めてでっ、ふわふわして、そわそわして、わーってなっちゃって……。だから、その――」
「冗談なんですっ!」
たどたどしく紡がれる言葉に耐え切れなくなって、その先を聞いていられなくなって、「もう駄目だ」と思うより先に、俺は先輩の声を遮っていた。
「……冗談?」
「ええと、だから、その、あの時は恥ずかしくって、それを誤魔化すためにあんなこと言っちゃったんです。確かに先輩は好きですけど、その、それはあくまでライクの方っていうか……もし先輩を本当に好きなら、あんなところで、あんな風には言いませんよ」
ひと言ひと言積み重ねるたび薄気味悪い笑顔が湧いてくる。人に嫌われないようにするためだけの、自分の気持ちも相手の心も誤魔化すためだけの卑怯な笑顔だ。自分が自分で嫌になったが、どうしようもない。
「そう、ですか……」
「そ、そうなんです。すいません、変なこと言って気を使わせてしまったみたいで」
「……いいんです。じゃあ、また明日から」
言うや否や、小さく俯き傘で顔を隠した黒沢先輩は、校門の方へ駆けていってしまった。あんなことを言った手前、去る先輩を止められるはずもなく、俺はただタオルハンカチを握りしめたままその姿を見送った。




