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恋と映画とささみガム  作者: シラサキケージロウ
ナポレオン•ダイナマイト
20/28

ナポレオン・ダイナマイト その6

 浜辺からの帰り道、チンピラに扮した園先輩と北野に出くわした。はじめのうちは揚々と絡んでこようとした2人であったが、並んで歩く俺と黒沢先輩の背後を、さながら守護霊のように付いて歩くスライを見て作戦の失敗を察したらしく、「君らも散歩かい?」などと適当言って、逃げるように行ってしまった。


 それから、夕食にスライ手製の魚介のスープを食ったり、江の湯に行って熱い風呂に浸かったり、三池先輩が持ってきたプロジェクターを使って〝ニューヨーク1997〟などというB級映画を眺めたりして夜を過ごしたらしい。らしいというのも、浜辺での出来事を情けなく思っているうちに時間が過ぎていたせいで、ほとんど何も覚えていないからだ。


 一方で黒沢先輩といえば、夕食後には元の調子を取り戻していた。映画鑑賞時には俺の隣にそっと座って、「さっきは大変でしたねっ」などと、つやつやした笑顔でさくらもちを差し出してくれる始末で、罪なことにその笑顔は、俺が感じていた情けなさに拍車を掛けた。

翌朝8時に開かれたミーティングで、朝食後には荷物をまとめて揃って帰るという予定が小津監督から告げられた。これ以上潮の香りに包まれていると、例の一件が頭から離れなくておかしくなりそうだったので、「助かった」と俺は内心ほっとした。


 帰りの車中は、黒沢先輩おすすめの〝処刑人〟という映画を1、2と続けて観ているうちに時間が過ぎた。大学で解散が告げられ、安アパートに戻ったのは午後2時のことだった。


「もう少しゆっくりしてもよかったな。そうは思わないか?」


 海坊主スライは、部屋に戻って早々そんなことを言い出した。こちらの気を知る由もないのは百も承知だが、そんな呑気なことを言いやがってと思わざるを得ない。


「俺は海がそんなに好きじゃない」とだけ冷たく答え、ふと昼も食べていないことを思い出した。すると、図ったようなタイミングでスライの腹がぐうと大きく鳴る。仕方がないのでカップめんを2つ取り出し、味気のない遅めの昼食を摂ることにして2人でちゃぶ台を囲んだ。


「暗いな」


 3分を待つ間、スライがぽつりとそう言ったので窓の外に目を移したが、梅雨だと思えないほど空は青く晴れ渡っている。何をもって「暗い」なんて言ったのかと思いつつ、俺は「明後日は雨らしいな」と答えた。


「空のことじゃない、お前の顔だ。まさか、昨日の夜の一件をまだ気にしてるんじゃないだろうな?」


 そこまで理解しているというのなら何も言わなくていいだろうに、なんだってコイツはこう人の心の奥底にずかずか土足で入り込もうとするんだ。


 黙っていろという意を暗に込めて大きめのため息を吐くと、「そう怒るな」などと調子良く吹いた。とうとう我慢出来なくなった俺が、「何だよ、お前。この筋肉野郎」と喚くと、スライは大きく笑い始めた。


「想像以上だな、ラン。その落ち込み方、馬鹿みたいだぞ」

「落ち込んでるって、当たり前だろ。バカみたいって、当たり前だろ。普通の人間は、憧れの人の前で醜態晒せば落ち込むもんなんだよ。筋肉バカとは心の造りが違うんだ」

「そう言うな。確かにお前はみっともなかったさ。だがな、それ以上落ち込んだってどうにもならん。時間は限られた資源だぞ、若いうちだって関係ない。例えば、その時間をトレーニングに使えば同じ後悔をしないで済むかもしれない」


「また筋肉理論か」と言いつつも、俺はスライの言葉を呑み込んでみる。


 確かに、いくら気持ちが沈んでいるとはいえ、これ以上肩を落としていても、わざとらしい〝悲劇のヒーロー〟を気取っているだけに見えるんじゃないか? それは甚だ不本意だ。何も俺は、誰かに慰めて欲しくてこんな態度でいるわけじゃない。だったら、あの一件は「嫌なこと」として忘れちまうのが吉だ。


 そうは思ったものの、昨夜の出来事を簡単に吹っ切れるのかといえばそういうわけでもない。ならばどうするか。カップめんをすすりつつ考え抜いた結論は、とりあえず寝れば後は時間が解決してくれるというものであった。


 そうと決まれば実行あるのみ。食後早々に寝てしまおうと寝間着を準備していると、「まあ待て」とスライが懐から何かを取り出し、それをちゃぶ台に置いた。琥珀色の液体が詰められたそれは、ウイスキーの瓶であった。


「悩んだ時はどうするか。答えは簡単、飲んで忘れればいい。昔も今も変わらない、古き良き解決方法だ」


 難しいことを何も考えずに育った人みたいな解決方法を提示したスライは、「どうだ」とばかりの渾身のしたり顔でコルクの栓を素手で引き抜いた。相変わらずのことに呆れた俺であったが、今日ばかりはその古典的とも呼ぶべき錆び付いたアイデアに溺れてみるのも悪くないかなと思い、流しからグラスを2つ取ってきた。


 ちゃぶ台に置いたグラスに、スライは液体を並々と注ぐ。そういえば、ウイスキーなんて飲んだことなかったなと思いつつグラスに鼻を近づけてみれば、その匂いは酒というよりくん製で、到底飲み物とは思えない。堪らず顔をしかめると、スライは「クセは強いが味は悪くない。グイっといってみろ」などと言って、俺より先にウイスキーを飲み始めた。


 ウイスキーくらい飲めなくてなんだ! 俺だって男だ! 


 そう言い聞かせ、己が内に潜む弱気の虫を退散させた俺は、グラスをぐいと傾けた。瞬間、広がるスモーキーな香り。我慢して液体を舌で押し込めば、焼けた栗を丸ごと呑み込んだように喉が熱くなり、かと思うと咳が止まらなくなった。


 それから先のことは恥ずかしながらよく覚えていない。気を失ったのか、それとも我を失ったのか。どちらにせよ、目の前にいたのがまずまず気の知れた筋肉だったことだけは、不幸中の幸いと呼ぶべきだろう。



 カーテンが開け放しになった窓から差し込む眩しい光で眼を覚ます。慣れないウイスキーに気を失い、そのまま朝まで寝てしまったたようだ。


 身体を起こせば、少し動いただけなのにやたらと頭の奥が痛む。出来る限り頭を揺らさないように洗面所まで行けば、鏡に写る自分の顔が大きくなったり小さくなったりしている。蛇口を捻ろうと手を伸ばしたが、いまいち狙いが定まらない。もしや、これが俗に言う二日酔いだろうか。何だか吐き気まで催してきた。


 何とか顔を洗い、盤面が歪んだ時計を見れば、針が10時前後を差しているように見える。今日は2時限目から授業がある。本当はサボりたいところであるが、出席数に厳しい教授なのでここで休むわけにもいかない。


「モラトリアムがなんだ!」と無理に気合いを入れ、居間に戻れば、部屋の端の方でスライが空の酒瓶を枕にいびきをかいているのが目についた。大学にも行かん男は気楽なものだ。


 シワのついたオックスフォードシャツを脱ぎ捨て、紺のシャツに袖を通したところで、ぬらりと身体を起こしたスライが「昨日のことを覚えてるか?」と半分笑いながら尋ねてきた。



「悪いな、覚えてないんだ。何かあったか?」

「壊れたラジオみたいになったお前が、クロサワへの愛を延々語ってた。酷いものだったぞ、あれは」



 たいして恥ずかしいことでもないので、俺は「そうかよ」と答えアパートを出た。


 運動も兼ねて、普段は大学までの道は徒歩で行くのだが、今日ばかりは歩き切れないなと思い、適当なところでバスに乗った。しかし、乗ったはいいが、車内のよどんだ空気と小刻みな揺れのせいで気分が悪い。これじゃ、歩いたほうがまだマシだったかもしれない。


 なんとか大学にたどり着いた俺は、授業が行われる2階大教室の端の方に席を構え、上半身を机に預けた。ちらと教壇を見るが、教授はまだ来ていない。いつもだったら授業開始の10分前にもなれば、エラそうな顔した教授がやってきて、眼鏡をかけた院生にプロジェクターの準備をさせているころなのに、今日に限って遅刻らしい。


 教室のざわめきが鼓膜に鈍く響く。身体の中心をもやのようなものがうごうごしていて、心底気持ちが悪い。堪らず顔を伏せると、視界が遮断された分、いくらかマシになった。しばらくそのままでいると、教室の扉が開いた気配がした。顔を上げればいつもの眼鏡の院生がいる。



「すいませぇん。先ほど教授からぁ、体調不良で今日の講義は中止だと連絡がありましてぇ、ハイ。今日は全員出席ということにしておきますのでぇ、帰って頂いて結構ですぅ」



 なんだよ。これじゃ、家で寝ていてもよかったじゃないか。さっさと帰ろうと思ったが、どうにも脚に力が入らない。机を支えに何とか立ち上がったが、2、3歩ほど歩いたところで情けなく膝から崩れてしまった。全ての関節に重りが巻かれているようだ。遠巻きにざわめきが囲んでいるが、誰も助けようとはしない。


 冷たいもんだな、なんて、やけに明瞭な意識でどこか他人事のように考えながらなんとか立ち上がり教室を出るが、この身体では真っ直ぐ家に帰るなんて無理である。


 となると、どうするか。そこでふと思い浮かんだのは映画の小宇宙、白鯨の部室であった。具合が悪い今となれば、あの硬いソファーが猛烈に恋しい。黒沢先輩の笑顔はもっと恋しい。あそこで休憩していれば、もしかしたらたまたまやってきた先輩が看病なんてしてくれるかもしれない。


 都合の良すぎる考えが徐々に遠のく意識の後を追う。絵に描いたような千鳥足で、俺は白鯨の部室へと歩みを進めた。


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