ナポレオン・ダイナマイト その4
朝食後の撮影を終え、自由時間になったのは11時になる前のことだった。自由といっても周りは海しかないので、基本的には泳ぐか砂浜いじりしかやることがない。海が好きではない俺だったが、今日ばかりは海の信者と化していた。
大いなる海万歳! 黒沢先輩の水着姿をありがとう!
弾む助平心のまま海へと祈りを捧げ、一足先に水着に着替えて浜辺に出てきたが、先輩の姿はまだなかった。
空は良く晴れていて、海の波は低い。絶好の海水浴日和だというのに、あまり流行りの場所ではないのか泳ぐ人は少ない。海の家らしき場所も無く、泳いだ後に潮を洗い流すためのシャワー室もないので、地元の人間しか寄りつかないような場所なのかもしれない。
廃れたというよりも、元々ペンペン草も生えないようなところなんだな、なんて評価を下しているところに、三池、園の両先輩がやってきた。
三池先輩はドクロが散りばめられた趣味の悪い水着を、園先輩は黒と白のボーダーになった水着を穿いており、両者ともひょろひょろの身体という点が共通している。2人の身体を見てなんとなく勝ち誇った気分になった俺は、自分自身も3ヶ月前は似たようなシルエットであったことを棚に上げながら、「待ってましたよ」なんてこれ見よがしに胸筋へ力を入れてみた。
「やっぱり凄いね、その身体。かなり苦労したんじゃない?」と園先輩が言ったのを受けて、三池先輩も「そんな健康体は白鯨に合わねえよな」と冗談っぽく続く。
「2人もスライに鍛えてもらえば、1ヶ月もしないでこうなりますよ。地獄ですから、本当」
「やめとくよ。僕がやったら2日で身体を壊す自信がある」
「同じく。ま、スポーツマンじゃねえし、身体鍛えたいってわけでもないしな」
そんな会話をしていたところに、「おおい」と声をかけられた。振り返れば、三者三様の格好をした女性陣がいた。
まず小津監督であるが、白のシャツにショートパンツを穿いている。泳がないのかなと思いきや、肩の辺りから黒い水着の紐が見え隠れしていたので、どうやら下に着込んでいるようだ。肩に担いだ白のパラソルが、なんだか武器のように映る。
続いて北野であるが、スカイブルーのビキニを着ている上に、同色の布のようなものを腰に巻いており、なんとなく南国の雰囲気を漂わせている。その格好を見た俺は、やはりギャルだなと、心の中で納得した。
それで、肝心の黒沢先輩といえば、黄緑色の生地に白の水玉が浮いた、フリルが付いたワンピース型の水着を着ている。露出こそ控えめだが、そういう大和撫子的奥ゆかしさが黒沢先輩らしくて非常に好ましい。無暗に肌を見せていれば良いわけでは、無暗に胸を強調していれば良いわけではないのだ。
夢にまで見た黒沢先輩の水着姿に見惚れていると、右目から自然と涙がこぼれてきた。何も不思議なことではない、感涙である。神々しいものを見れば、誰だってこうなる。
「アホッスね。ホント、アホ」などと北野が小声で嫌味を言ってくるのに対し、「海辺の風は眼に滲みるんだ」と適当に誤魔化した俺は、アキレス腱を伸ばすなどして誰より先に準備運動を進めている黒沢先輩の元に駆け寄った。
「泳ぎませんか?」と声をかけると、先輩はむんと胸を張ってふんぞり返った。
「喜んでっ! わたし、こう見えて泳ぐのは得意なんですからっ!」
「俺も、実は結構泳ぎは得意なんですよ。一応、水泳部でしたから」
それから泳ごうということになったのだが、やはり2人きりでというわけにもいかず、「少しのんびりしたい」という小津監督を除いた5人で海へと入った。
昔取った杵柄で渾身の自由形を披露する一方、背泳ぎで泳ぐ黒沢先輩の水着姿を視界に収めることを平行して進めていると、浮き輪を使ってぷかぷか浮いていた北野がふらりと近づいてきて、「スライさんはどうしたんスか」と尋ねてきた。
そういえば、一緒に着替えていたはずなのに、宿を出るときはいつの間にか居なかった。「まあ、トイレかなんかだろ」と答えて、スライの居所については捨て置いた。やけに時間がかかっているのは、きっと和式トイレに戸惑っているのだろう。
そんなことより今は黒沢先輩である。波に自由を奪われた彼女が俺の腕に飛び込んでくる、なんて大自然のいたずらを期待しつつ、先輩の背を追っていると、突如、目の前の水面が割れて大きな影が現れた。千葉に済む大妖怪、千葉入道かと思いきや、それはスライであった。上機嫌な黄色い水着を穿いている上、貝類が詰まった網を右手に、おまけにシュノーケルまで着けて、すっかり海を満喫している様子である。まさにお気楽、脳天気だ。
「おお、ラン。楽しんでるか?」
「どっから持ってきたんだよ、そのシュノーケルと網。というか、今までどこにいたんだ?」
「水着に着替えて外に出たとき、軒先で見つけてな。どれ、今日の夕食でも採ってやろうかと思って一足先に海へ潜ったら、夢中になってしまって合流するのをすっかり忘れてた。どうだ、お前もやるか?」
「遠慮しとく。潜るのは専門外なんだ」
「もったいない。自分で採って食べるものの美味さを知らないのは損だぞ?」
そもそも、そういうのって許可とかいるんじゃないのかと思ったが、圧倒的な筋肉を縛り付けておける法は世界のどこにも無いので言っても無駄である。
「採りすぎるなよ」と一応釘を刺したところでふと見れば、いつの間にか黒沢先輩がスライの横にいる。
「スライさんっ! やっぱり凄いですね、その筋肉っ!」
「ああ」と答えたスライは、額にシワを寄せ、申し訳なさそうな視線をちらと俺に向けた。
「だが、ランだって中々いい筋肉をしてると思うがな」
「ですけど、やっぱりスライさんは別格ですよっ!」
「いや、しかしだな……その、俺の筋肉は見た目ばかりでな。ランの筋肉の方がよほど使い勝手がいい、ああ、間違いない」
何を下手な嘘なんてついているんだ。スライと比べれば俺の身体なんて、せいぜいつまようじか綿棒かくらいであることはわかっている。こういう時は「そうだな」なんて笑い飛ばしてもらった方が、よほどありがたいというのに。
「またまたご謙遜をっ!」とスライの二の腕をぴたぴた叩く黒沢先輩を見て、俺は決心をより強くした。
到底、彼女の水着姿に浮かれている場合などではない。今日の策は何が何でも成功させねば、彼女が俺になびくことはあり得ない。