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恋と映画とささみガム  作者: シラサキケージロウ
スタンド•バイ•ミー
14/28

スタンド・バイ・ミー その7

 その日の帰り際になって小津監督に呼び止められたので、俺は心底ぎょっとした。昨日に比べればまだマシだが、今日も今日とて俺はビデオカメラの寿命を縮めることに余念が無かったので、もしかしたらクビを宣告されるのではと恐怖していたからだ。


 先んじて「クビでしょうか」と尋ねてみると、小津監督は不思議そうに「なんだ、クビとは」と首を傾げた。どうやら、今のところ白鯨を追い出される心配は無いらしい。俺は急に強気を取り戻した。



「いえ、気にしないでください。それより、どうしたんですか?」

「スライさんはまだ檜山の家にいるのかということを聞こうと思ってな」

「ええ。毎日毎日、飽きもせずに身体を鍛えてますよ」

「ならよかった。彼に手を貸して貰えないか思っているのだが、どうだろう?」

「そのために来たんですから、頼まれれば喜ぶと思いますよ」

「それなら是非にと、伝えて欲しい」



 理由を聞けば、撮影交渉が捗らないロケ地があるので、交渉の場にスライを連れて行きたいらしい。筋肉的解決をさせるのではないかと危惧したが、詳しい話を聞く限りどうやらそうではないようで、交渉先の責任者がウォーロック氏の大ファンなので、氏にそっくりなスライがいれば交渉もスムーズに進行するかもしれないからとのことである。



「万が一の話になるが、スライさんにウォーロックの親戚だと嘘をついてもらうことになるかもしれない。彼は真っ直ぐな男のようだが、嘘をつくことに抵抗は無いだろうか?」

「嘘は嫌いなタイプかもしれません。ですが、なんとかしますよ」



 なんとかなるなんて保証はどこにもなかったが、ここが点数の稼ぎ時だと考えた俺はどんと胸を張り、意気揚々と安アパートに戻った。


 さてどう説得するかなとアイデアを巡らせながら事情を話すと、スライは「任せろ」とふたつ返事で了承してきたので、俺は却って面食らってしまった。


「おいおい、いいのか。頼んだ俺が言うのもどうかと思うけど、もしかしたらウォーロックを名乗らなきゃならないって話なんだぞ」

「それがどうした?」

「だって、お前嫌いだろ、そういう卑怯なの」

「少しくらいは構わないさ。俺だって脳味噌まで筋肉で出来てるわけじゃない。恩人であるお前のため、必要だったら嘘くらいつく」


 気の良い筋肉である。これで恋敵でなければと、俺は奴の笑顔とサムズアップに少し寂しくなった。



 翌日。授業が2時限目で終わったので、スライを小津監督に引き渡した後は久しぶりに電車に乗って池袋まで出た。別に何をしようというわけでもないが、あそこは何をするために出る町でもない。雑多な空気を味わうためだけの、埼玉県民の植民地である。


 改札を抜けて、「さてまずは昼飯か」と近所の牛丼屋に向かおうと歩き始めたところ、ある背中が目に付いた。


 水玉が散りばめられた薄い緑色のワンピースに、お揃いの色のショルダーバック。一本芯が通ったようにしゃんとした姿勢は、どこかブリキの人形のようである。風を受けてさらさらなびく黒髪は、太陽の光を受けて眩しいくらいに輝いている。あの後ろ姿はもう幾度と見た、黒沢先輩のものだ。


 なんというタイミング、早速話しかけようと思ったが、残り2mまで迫ったところになって俺の頭に「どう話しかけるべきか」という問題がよぎった。


 思えば俺は、自分から黒沢先輩に話しかけたことはほとんど無い。いつもいつでも先輩の方から話しかけてきてくれるのをじっと待ち、馬鹿みたいに突っ立っているばかりだった。今さらながら、なんとも男らしくないことだろうか。


 気づいてしまうと、話しかけるのをためらってしまってどうしようもない。俺は悟られない程度の距離を保ったまま先輩の後をつけて、偶然を装い話しかけるチャンスを伺った。


 西口から出て左方向へ真っ直ぐ行き、大きめの横断歩道がある辺りで路地裏の方へ折れる。雰囲気の悪いパチンコ店やピンクの匂いが立ちこめる看板が目に付く通りを少し行くと、黒沢先輩はある建物の前でふと立ち止まった。


 妙な店ではなさそうだが、一体なんだと思って見てみれば、なるほどそれは映画館であった。〝新文芸坐〟という名前のそれは、そのレトロな名称とは裏腹に建物自体は真新しいビルである。


 それにしてもどうしたことだろうか、先輩は新文芸坐の前で立ったまま、地蔵にでもなったかのように一向に動かない。たとえ映画館があったとしても、ここはいわゆるピンク通り。先輩のようなうら若き女性がひとりで立っていていい場所じゃない。となれば、俺が助けるしかないだろう。


 大義名分を得た俺は、先輩に歩み寄り、その背中に「どうしました?」と話しかけた。身体をびくっと震わせた先輩は、恐る恐るといった様子で振り返るが、声をかけたのが俺だとわかると安堵したように表情を緩めた。



「ひ、檜山くんでしたか」

「すいません、驚かせちゃったみたいで」

「いいんです。ところで、こんなとこでどうしたんですかっ?」

「いや、歩いてたらたまたま先輩を見かけまして。何やってるのかな、と」


「何をしてるってわけでもないんですけど」と先輩は新文芸坐を見上げる。「……入ってみたいなって思いまして」


「入ればいいんじゃないですか? ここ、映画館ですよね?」

「そうなんです、けど……ここって、独特な空気があって、なんとなく不安で……。いつもここまで来るんですけど、結局何も見ずに帰っちゃうんです」


「意外ですね」と俺は思わず目を丸くした。俺は黒沢先輩を、溢れる好奇心に導かれるまま身体が動く人だとばかり思っていた。しかしこれはご都合主義の神様が与えた千載一遇のチャンスである。逃す手は無い。

俺は前向きな決心が鈍らぬうちに、「だったら」と提案した。



「どうでしょうか。俺も一緒に入りますから、観てみませんか、映画」

「い、いいんですかっ?!」


「もちろんです」という返事よりも先んじて、黒沢先輩は俺の右手をそっと引いて上へと続く新文芸坐の階段へと歩みを進めた。思わぬボディータッチにのぼせた視界に、入り口付近に立てられた看板に、覚えのある分厚い大胸筋の映るチラシが貼ってあるのがちらと映った。



 ビルの3階に目当ての劇場はあった。ロビーに入ってすぐのところに受付がある。券売機でチケットを購入し、L字型になった通路を折れて少し行ったところに椅子が並べられていたので、俺達はそこに腰かけた。


 黒沢先輩が目当てにしていたのは、彼女の初恋――ウォーロック氏主演の、〝スーサイドワークス〟というアクション映画であった。恋敵の勇姿を思い人と共に見るというのは中々どうして複雑な気分だが、2人きりという事実への喜びの方が一際大きいので良しとする。場内で買ったアイスクリームを舐めながら13時半の上映開始時間を待つ最中、黒沢先輩はここについて語ってくれた。

 先輩によれば、この新文芸坐はいわゆる名画座と呼ばれる種類の映画館にあたるらしい。普通の映画館と違って新作上映は無いのだが、古き良き名作や準新作にあたる話題作、テーマに沿った作品を低料金の2本立てで鑑賞出来るのだとか。そして今は〝ウォーロック特集〟の最中らしい。


 やがて定刻となり、シアターに繋がる重厚な扉が開けられた。一番に入ってみれば、既に座っている人が何人かいる。入れ替え制ではないのだから、前回上映の客が残っていることは当然と言えば当然だが、わかっていたとはいえその慣れない景色は新鮮に映った。


 場内で買ったスナック菓子の袋を持って、俺達は隣同士席を構えた。


 黒沢先輩が隣にいる。ただそれだけで唇がぱりぱりしてきて、口を開くのも億劫になるほどだ。耳まで赤くなっているのを気取られないかとヒヤヒヤしたが、先輩はまだ幕がかかったままのスクリーンに釘付けなので、悲しいことにその心配は無さそうである。



「なんだか、ドキドキしてきましたっ」

「この映画、観るの初めてなんですか?」

「当然何回だって観てますっ! でも、スクリーンで観るのは初めてですねっ!」



 興奮した先輩の笑顔がいよいよ夏色に染まってきたころ、場内アナウンスが映画の始まりを告げた。演技下手な筋肉なんかより黒沢先輩の笑顔を見て過ごしたかったが、横ばかり見ていては、映画観賞後に感想を求められた時に困る。30cmに満たない距離にいる先輩の温もりを肩で感じつつ、俺はスクリーンに目を移した。


 スーサイドワークスは、自殺に見せかけて人を殺すことが得意な殺し屋が主人公の話である。彼はある日、何者かの差し金により、今まで犯してきた全ての罪が警察の知るところとなってしまう。彼は警察から逃げながらも、自分を陥れた人物を追う。


『復讐のつもりか?! だったらコソコソ逃げ回ってないで出てこいってんだ!』


 ウォーロック氏が演じる主人公、バークの叫びが響く。映画というものを見慣れたからなのか、それとも先入観があるからなのかわからないが、確かに俺の目には彼の演技が下手に映った。その動きはなんとなくカメラの位置を気にしているように見えるし、いちいち身振りが大げさだ。


 本当にどうしようもない演技だと心底思ったが、俺はそれを笑うことが出来なかった。何も、自分の姿と被るからではない。ビルから飛び降りるシーンのときも、敵の兵士とタイマンで殴り合いをするシーンのときも、昔の友を撃ち殺すシーンのときも、魂の形が剥き出しになったかのような、常に全力なウォーロックの演技に、心が強く惹かれてしまったからだ。


 確かに彼の演技はダイコンだ、練馬ダイコンだ。でも、それがなんだってんだ。いいじゃないか、それで。演技がうまいヤツばっかりの映画なんて、見てるだけで食当たりを起こすぞ。


 視界の端で僅かに映る、黒沢先輩の姿を目に焼き付けようと尖らせていた集中力も、今はスクリーンに向いている。バークが敵の攻撃を受け、窮地に陥るたびに声を上げそうになってしまうので、口は常時、両手で塞ぎっぱなしである。


「やれ、やれ。やっちまえ」と、俺は喉の奥で幾度と繰り返しながら映画を鑑賞した。


 あっという間に102分が経過し、映画は大団円で幕を閉じた。フッと息を吐いて額を拭ってみれば、いつの間にか汗をかいてしまっていたようで、手の甲がひどく湿っている。


 映画を観ただけで大汗かくなんて馬鹿らしいと思う一方、俺はなんだか笑いたくなるくらいの多幸感に包まれていた。真っ直ぐで不器用なあの男の演技に、少しあてられたのかもしれない。見れば、黒沢先輩も満足げに顔を天井に傾けていた。


 次の上映は15分もしないうちに始まる。しかも、またウォーロック主演の映画だ。さて、あんな熱量の映画を2本立て続けに見て無事でいられるかなと不安になりながらも、俺は次にどんなウォーロックが見られるのか、楽しみで堪らなかった。



 2本目の映画、〝マッチアップ〟を観た後、新文芸坐を出ると空はまだ明るかった。興奮覚めない様子の黒沢先輩は、「ちょっと夜ご飯でも食べていきましょう!」と提案した。よほど映画について語りたいように見えたが、それは俺だって同じことだ。


「喜んで」と了承し、先輩オススメの東風というお好み焼きを出す店に向かった。


 店内は、そこかしこからジュウジュウと美味しそうな音が響き、ソースの焦げる香ばしい匂いで溢れている。向かい合わせで席に座って、豚玉を注文し、ソフトドリンクで乾杯した俺達は、先の映画について存分に語り合った。


 蹴り技を中心に進んだ中盤の格闘シーンが凄かった、昼間のニューヨークを疾走するカーアクションが堪らない、爆発と共に主人公が登場する、特撮の影響を受けたようなシーンは思わず笑った、などなど。


 話がいよいよ盛り上がってきたところで、俺はついこんなことを口にした。



「実は俺、ウォーロックの映画を真面目に観るのって初めてだったんです」

「そうなんですか? あんなに面白いのに、もったいないっ!」

「ええ、今まであの人の映画を観なかった自分を馬鹿だと思いますよ」



 自分で言って恥ずかしくなって、俺はコーラの注がれたグラスをあおいで誤魔化した。ここまであの筋肉の虜になるとは、数時間前の俺に言ったところで信じなかっただろう。


 ふと、黒沢先輩がじっと俺の顔を覗いてきた。思わずぎょっと仰け反るが、先輩は構わずそのどんぐり眼に俺の顔を映している。


「檜山くん、なんだかイキイキしてますねっ! カッコいいですよっ!」


 そんなことを言われてもマトモでいられるほど、俺は人生経験の深い人間ではない。酒を飲んでもいないのに赤くなった頬を隠すため、おしぼりで顔を拭いていると、ちょうどよく豚玉のタネが運ばれてきた。

鉄板の熱さを言い訳に出来そうだと、俺は内心安堵した。



 安アパートに戻ったのは9時を回ったころだった。部屋には既にスライがおり、座布団の上であぐらをかいて、プールから出てきたカワウソのようにぼんやりした顔でテレビを眺めている。映っている映画は、たまたま今日俺が見たマッチアップだ。今まで気づきもしなかったが、ミヤタレンタルビデオからは、結構な数のウォーロック主演の映画を持って帰ってきていたらしい。


 窓枠に腰掛け、「なんでまたウォーロックの映画なんて観てるんだ」と尋ねると、スライは一旦ビデオを止め、「好きなんだ」とはにかんだ。


「でも、眩しすぎるんじゃなかったのか?」

「眩しいものは何度だって見たくなるもんだ。逆に聞くが、クロサワの笑顔を眩しいと感じたことは?」


 確かに、その理論でいけばスライの行動は何ら不自然ではない。なんで好きかなんていう哲学的な問題を投げ捨てた俺は、「その映画、面白いよな」と話題を切り替える。



「ああ。しかし意外だな。お前がこの映画を知ってるとは」

「今日観てきたんだ、黒沢先輩と一緒に」


 途端に「オオッ」と嬉しそうな笑顔になったスライは、俺の胸に拳を軽くぶつけた。


「やるじゃないか! お前から誘ったのか?」

「まあ、そんな感じだ。で、食事もしてきた。これも2人でだ」

「なんだ。食事まで行ったのなら今日は帰ってこなくてよかったろう」

「バカ言うなっ。物事には段階というものがあってだな――」


「わかってるよ」と笑い声をあげたスライは、俺の隣に並んで座った。窓枠は2人座るには少し狭かったが、こうやって男同士会話をする時は、その狭さすらも心地よい。


「しかし、少しは男らしくなったみたいだな。会ったときとは大違いだ」

「お前が来たから変われたんだ。感謝してるよ」

「当然だ。感謝くらいしてもらわなくちゃ、割に合わない」

「住ませてやってるんだからそれでトントンだろ?」

「勘違いするな。住んでやってるんだ」


 冗談のように言って、スライは口角をつり上げる。釣られて笑った俺は、突如湧いてきた照れを隠すために両の頬をぴしゃりと叩き、勢いをつけて「ヨシッ」と立ち上がった。


「身体でも動かしたい気分だ。ちょっと走りにでも出るか」


「望むとこだ」と立ち上がったスライは、照れ隠しなのか歯をむき出しにして大きく笑い、俺の背中を強く叩いた。安アパートの畳を揺らすほど大きな音が響くと同時に、背中全体が熱くなる。「まさか」と思い鏡で見てみれば、見事なもみじが紅く色づいている。


「褒めた俺が馬鹿だった」と、俺は痛む背中をさすった。


2章終了。

遅くとも日曜日には投稿完了予定です

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