スタンド・バイ・ミー その6
翌日。授業は2限目からであったが、俺は朝イチで大学へ向かった。下手にぎりぎりまで家にいて、スライに「暇ならトレーニングでも行くか」などと言われては困る。
時間つぶしのため部室に向かえば、案の定部員は誰もいない。ソファーに腰を下ろし台本をぱらぱらめくってみたが、どうにも独り芝居を打つ元気が湧いてこない。仕方がないので、「これも演技の参考のためだ」と自分に言い聞かせた俺は映画を見ることにした。この空間にいれば暇つぶしに困ることはない。
しかし、いざ観るとなると選択肢が多すぎて困る。「どれにしようかな」で手に取った映画が、三池先輩が好みにしている吐き気を催すそれであったら、俺なんかは間違いなく二日は寝込む。そこで安全策として手に取ったのが、クリスチャン・ウォーロックが主演の〝ライト・プローブ〟だった。これなら、人間が得体の知れないナニカに改造されるというグロテスクな映像は観ずに済みそうである。
早速ブルーレイを再生機に突っ込んだ俺は、独り上映会を開催した。
ウォーロック氏が演じる主人公、ライリーは労働階級に産まれた男である。すくすく成長し、25歳のころには立派なゴロツキとなった彼は、ある日町中で不良の集団と喧嘩になり、それが原因で刑務所にブチ込まれる。数ヶ月後、刑務所を出た彼であったが、警察の厄介になった男に町は冷たい。行き場を求めさまよう彼は、ボクシングジムの看板を目にし、ある決心をする……。
おおよそ序盤が終わった辺りで部室の扉が開けられた。誰かと思えば、園、三池の両先輩であった。「こんな早い時間にどうしましたか?」と聞けば、1時限目の哲学を担当する教授が風邪で休み、授業が流れたのだという。
白鯨と家との往復だけで一日が終わりそうな三池先輩が真面目に授業を受けているという事実に驚いていると、「人が久々に授業受けようと思ったら休みなんだもんな」などと言い出したので、そんなもんかと俺はどこかホッとした。
「で、そういうお前はどうしたんだよ、ラン坊」
「演技の参考になるかと思いまして。何か映画でも、と」
「演技の参考にライト・プローブかい?」と半ば呆れたように言うのは園先輩である。「だから君の演技はダメなんだよ」と口に出すことはなかったが、なんとなくそんなニュアンスが漂う口調であった。
「檜山、ライト・プローブは……というか、ウォーロックの演技を参考にするのは止めておいた方がいいよ」
「何か問題でもあるんですか?」
「問題だらけさ。悪いけど、はっきり言って彼の演技はおおげさなだけの棒演技だ。檜山と似たり寄ったりってとこだよ」
〝棒演技〟と〝似たり寄ったり〟という部分を強く強調した園先輩は、映画の再生を強制的にストップした。
普段は優しい先輩だが、演技については厳しく、そしてはた迷惑なほど熱い。思わぬところで演技について酷評されてしまい、俺は町角を曲がったら突然鼻先をぶん殴られたみたいな理不尽を受けた気分になった。
「そりゃ言い過ぎってもんじゃねえの」と意外にも援護してくれたのは三池先輩である。
「言って何が悪いんです」と園先輩は一歩も退かない構えを見せる。
「いいじゃねぇか、ウォーロックの演技も。ライト・プローブだって悪い映画じゃねえぜ?」
なるほど、三池先輩に俺を擁護するつもりは始めから無かったらしい。反論を受けた園先輩は、不満げに唇を噛む。
「どうでしょうか。だいたいあの映画って、ワンカットを多用したリアルなボクシングシーンが評価された結果、ロッキーやレイジング・ブルと肩を並べているわけですからね」
「つまり、ウォーロックはリアルな演技が出来る役者ってことだろ?」
「違います。リアルでしか演技が出来ない役者なんですよ。虚構でも現実でも、彼はウォーロックのままだ。嫌いじゃないですが、それじゃダメでしょう、役者としては」
槍のように一直線な園先輩の視線に押し込まれたらしい三池先輩は、誤魔化すように「マジメなー、お前は」とヘラヘラ笑ってソファーに腰かけた。どうやら白旗を上げたらしい。
弱い、弱すぎる。白鯨における階級において一番下が俺であることは間違いないが、そのすぐ上に手を伸ばせば三池先輩の足首くらいは掴めるだろう。
「とにかく、檜山。演技の勉強ならオススメがある。ロビン・ウィリアムズとロバート・デ・ニーロ、どっちの映画がいいかな?」
どちらも耳にしたことがない俳優だったので、仕方なく俺は「アクションが多い方で」とだけ答えた。その日、2時限目を受け損なったのは言うまでもない。
○
昼休みになって、ゲリラ的に大教室の一部を占領した白鯨は、いくつかのシーンを撮影した。俺が出ているシーンも1カットだけ撮影があったが、幸いにも「タカクラを想い教室でボーっとしているだけ」のシーンだったので一発ОKを貰うことが出来た。
もしもこの程度の撮影でNGを出していれば、いよいよ「何が出来んの?」という話にはなっただろうが、ともあれ撮影が順調に進んで何よりだ。
撮影が終わって3限目の時間になったので、俺は昼食も食べずに組織経営論の授業へ向かった。
教室の中ごろに独りで陣取った俺は、教授の話を流し聞きしながらぼんやり考え事をしていた。いつもであれば、黒沢先輩をどう振り向かせるかということに終始する思考の渦であるが、今日ばかりは違った。
頭の真ん中にあるのはスライの顔であった。園先輩が言うところには、アイツを演じたウォーロック氏は演技が壮絶にヘタクソらしい。だとすれば、大根役者が演じた役であるスライの言うことを信じてアクションの特訓をしていていいものか、それが疑問となってくる。確かに身体つきは男らしくなったのだろうが、アイツの動きを真似していては、根野菜的演技に磨きがかかるだけではないか。となればアイツはいよいよただの恋のお邪魔虫だ。
いっそのこと追い出すかなんて、現実主義的冷たい判断に身を任せていると、誰かが隣に腰かけてきた。ちらと見てみれば、覚えのある金髪が蛍光灯の光を受けてテカテカしている。北野であった。
「お疲れーッス」と北野は肩に掛けたエコバックから教科書を取り出す。
「この授業、お前も受けてたのか」
「ま、来たのは初めてッスけどね。つーわけでランちゃん、ノート見せてください。今度昼奢るんで」
ノートを見せるくらいのこと、別に昼飯を奢ってもらうまでもないが、奢ってやると言っているのだから断る理由もない。「ああ」と答えた俺は、話半分に聞いた授業内容を煩雑にまとめたノートを北野に渡してやる。「どもッス」とそれ受け取った北野はノートを写しながら小声で話しかけてきた。
「なんだかお悩み中みたいっスね」
「悩みってほどでもないけど、よくわかるな」
「ひと目でわかりますよ。ランちゃん、考え事してる時には餌を待つ柴犬みたいな顔になりますから」
餌を待つ柴犬がどういう顔だかは知らないが、少なくとも悩みを抱えた男の哀愁を表現する表情ではないなと思った。
「で、何をお悩みなんスか? って言っても、どーせ飽きずにあきらサンのことなんでしょうけど」
「だから悩みじゃないっての。クリスチャン・ウォーロックのことを考えてただけだ」
「ランちゃんもあきらサンのこと以外を考えられたんスね」
「はぁー」と感嘆の声をあげた北野は、さらに会話を繋ぐ。
「で、ウォーロックの何を考えてたんスか? ちなみに、オススメの映画は〝デッドロック〟っスよ。日本刀を二刀流で操る主人公が、ばっさばっさとゾンビを切り倒していくアクション映画で――」
「いや、主演映画についてはいいんだ。アイツの演技について、少し考えててな」
「演技スか? なんかあったんスか?」
「別に。ただ、ヘタクソだなって」
「それ、ランちゃんが言うんスか?」
あまりに痛いとこ突かれたので、俺は黙らざるを得なかった。北野もノートの写しに集中し始めたのか、何も語らなくなった。それからしばらく真面目に授業を受けるフリをしていると、北野が思い出したかのように「まあ」と言い始めた。
「確かにウォーロックって演技ヘタなんスよ。子どもの時のアタシでさえわかったくらいッスから。でも、あの人ってホント一生懸命なんス。画面越しに見てるアタシにもそれが伝わるくらい、真っ直ぐで、不器用なんス。だからカッコイイんスよ、だからヒーローなんスよ、ウォーロックって男は。わかるッスか?」
「さあな、よくわからん」
「ダメッスね、ランちゃんは。それがわからないようじゃ、あきらサンを振り向かせるのなんて100万光年先の話ッスよ」
光年は時間ではなく距離である。それを知らないなんて、北野は多分ポケモンをやったことが無いんだろうなと思いながら、俺は「そうかよ」と息を吐いた。