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恋と映画とささみガム  作者: シラサキケージロウ
スタンド•バイ•ミー
12/28

スタンド・バイ・ミー その5

 テレビに流れる映画を眺めれば、液晶の画面を所狭しとジャッキー・チェンが暴れている。後ろからカメラを向けられているのを感じるせいで、時間の流れる速度が非常に遅い。あのジャッキーの動きでさえもゆっくりに見えるほどだ。膨張しきった1秒が重く、重く積み重ねられていく。


 遅い、遅い、遅すぎる。サボるな、時計の針。もっと働け、せわしなく。


 やがて扉が開けられる。「すいません」と言われて振り返れば、野暮ったいほど分厚い眼鏡が特徴的な女、黒沢先輩の演じるタカクラが立っている。



「ここって、あざらしの部室でいいんですよね?」

「はあ」

「あの……部長の方っています?」

「部長は僕ですけど。部員も僕だけ、へへ」

「そう、ですか」


 ぎこちなく笑い、壁面の棚に茂る映画の草原に目をやったタカクラは、決心したように言葉を紡ぐ。


「あの……入部したいんですけど、ここに」

「……はあ」


 俺はぎこちなく両頬をつり上げる。表情がひきつっているのが自分でもわかる。



 少しすると、「カット」の声と共にカチンコが響いた。だというのに、情けない笑顔が顔に貼り付いたまま離れない。しかし、何とかやりきった。俺ってば、思っていたよりもやる男なのかもしれない。ひきつった表情も、却ってミフネの心境を上手いこと表現出来たろう。


 想像以上の出来に調子づき、思わず鼻を膨らませていると、ふいにバシンと頭を叩かれた。三池先輩であった。



「何やってんだ、ラン坊よぉ」


「何ってなんです」と答えると、三池先輩は丸めた台本でもう一度頭を叩いてきた。


「オメェが演技なんてやったことないってのは百も承知だ。でもよぉ、いくらなんでもありゃ酷いっての」

「酷いって……台詞は間違えなかったはずです」

「ああ、確かに台詞は間違えなかったな。でもそれだけだ。酷いモンだぜ、ただのダイコンじゃねえ、練馬ダイコンだ。見てみるか?」


 練馬ダイコンが何を指すのか知らないが、そこまで言われりゃ見てやろうじゃんか、どうせイチャモンだろうさ、などと根拠のない自信を心の内で振りかざし、ビデオカメラを覗き自分の演技を見直してみると、確かに酷かった。


 というか、酷いなんてものではない。喉の先からしか出ていない声は恐ろしく震え、何を言ってるんだかわからない。表情筋は常にヒクついており、初めてお化け屋敷に入った幼稚園児みたいである。それに、意識はしていなかったが、何度かカメラの方を向いているのは論外と両断せざるを得ない。


 まともにやれたと思っていたのは都合の良い妄想だった。もしかして俺って、とんだ大根役者? などと、恥の血が身体を駆け巡り、耳までカッと赤くなるのを感じた。


「酷いモンだろ?」というように三池先輩が皆をぐるりと見回せば、「まあ」と園先輩が顔をしかめ、遠慮無しに北野が笑い、そして黒沢先輩は申し訳なさそうにうつむいた。叱咤すら受けることも出来ないとは、これには心底ショックを受けた。


 下唇を噛みしめ、「すいません」と頭を下げると、今まで黙って顎を天に向けていた小津監督がクスリと笑った。


「これは苦労しそうだな。やりがいがあると置き換えていいものか、さて」



 その日の撮影が終了したのは午後の5時を回ったころのことだった。休憩時間を抜いて計8時間を超える撮影だったが、撮れたのは僅か3シーンのみであった。


 理由は当然、俺である。類稀なる大根役者っぷりをいかんなく発揮した俺は、その根野菜的演技でカメラの寿命を無暗に縮めた。


「今日の撮影はここまで。予定とは大幅にかけ離れているが、予定と朝の山手線は遅れるものだ。あまり気にするなよ、檜山」


 小津監督はそう言って、俺の頭を小突いた。その優しさがただ辛くて、ぎゅうと胃が締め付けられ、チワワの遠吠えのような弱々しい音が腹から響いた。


 このままじゃいかん。撮影は一向に進まないことはこの際置いておくにしても、黒沢先輩に見放される恐れがあることは由々しき事態だ。せっかく掴みかけた栄光、おめおめと逃すわけにはいかない。


「今日は解散」と小津監督から宣言が出た後、誰にも気づかれないようコソ泥のように部室に戻った俺は、ソファーに立って台本片手に独り芝居を始めた。家でやれば、隣人からの苦情並びにスライからの冷やかしは避けられないと考えたからだ。


 休みだからといって誰も学校にいないというわけでもないが、この棒演技、今更聞かれたって恥ずかしいものでない。白鯨の諸メンバーからさんざん生暖かい視線を向けられたおかげで、今日一日だけで恥に対して強い耐性がついた。


 眠たげな目をした猫だろうと、腹が減った野良犬だろうと、阿呆と鳴くカラスだろうとなんでも来い。今の俺は無敵だ! などと思っていると、ふいに部室の扉が開いた。現れたのはタカクラ――ではなく、黒沢先輩だった。


 つい数秒前までみなぎっていた無敵感は瞬く間にしなびて、俺はしずしずソファーを降りた。なんでも来いと胸を張ったのは事実だが、「思い人よ来い」だなんて、今に限ってはちらとも思わなかったぞ。神様、話が違うじゃないか。


 人の話を聞かない神を憎らしく思っていると、黒沢先輩は俺の右手をそっと包み込み、「うんうんうんうん」と感慨深げに何度も頭を上下させた。


「檜山くんが部室の方に戻ったのを見て、落ち込んでるのかな、なんて思って戻って来てみたんですけど、もう心配は無いみたいですねっ! それだけ気合いが入ってればきっと大丈夫っ! 失敗を恐れず、胸を張っていきましょうっ! わたしも含めて、みんながついてますからっ!」


 もったいないお言葉であった。天衣無縫の笑顔を前にして思わずこぼれそうになる涙はなんとかこらえることが出来たが、代わりに腹がもの悲しい悲鳴をあげた。


 この人のためなら頑張れる、この笑顔のためならなんだってやれるさ。きっと妻が出来た人はこんな気持ちになるのだろうと思うと、なんだか甘い未来が間近に思えた。



「頑張ります。やりますよ、俺……先輩のために頑張りますから!」

「その意気ですっ! 明日からまた頑張りましょうっ!」



 告白めいた言葉をほのめかしてみたが、見事に見過ごされてしまった。


 それから黒沢先輩は、「ファイトですっ!」とボクシング選手のようなファイティングポーズを披露した後、「じゃあ!」とぶんぶん手を振りながら部室を出て行った。がぜんやる気になった俺は、守衛が見回りに来る時間になるまで台本と格闘を繰り広げた。



 安アパートに帰ったのは午後9時を回ったころだった。非常食のため取って置いたカップめんを勝手にずるずるやっていたスライは、テレビから目を離すことなく「ランか」と出迎えの挨拶をした。


 何を熱心に見ているのかと思えば、どうやらそれはアクション映画らしい。半裸の男2人が殴り合うシーンでそれを理解した俺は、スライの対面に腰を降ろしながら「何見てるんだ?」と尋ねた。



「俺を演じた男の映画だ」

「へえ、なんて映画なんだ?」


「ライト・プローブ」と答えたスライは、ビデオを止めてフーっと息を吐いた。その表情は、苦い記憶をふいに思い出してしまったかのように、元より曲がった唇を一層曲げている。


 思わず「どうした?」と尋ねると、スライはポツり、「眩しいんだ」とだけ言って視線をカップめんに落とした。


「眩しい?」

「ああ、俺の映画は結局、日の目を見ることは無かった。そんな世界の主人公からすりゃ、コイツらは少し眩しすぎる」


 その時、俺はカップめんの汁に暗い表情を落とすスライがなんだか酷くかわいそうな存在に思えた。誰にも見られなかった映画なんて、はじめから無かったものと同じだ。皿の端に除けられたパセリのように除け者にされては、産まれてきたことにさえも疑問符がついて回る。コイツはそんな重いものを引きずって生きているんだ。顔には出さないが、心ではきっと深く傷ついているに違いない。



「なんか、変なこと聞いたかな、俺」

「構わん。気にすることのほどでもない、今さらなことだ」



 そう言うとスライは、「この話は止めだ」とばかりにカップめんの汁を一気に飲み干し、「さて」と立ち上がった。



「行くぞ、ラン」

「行くって、買い物でもするのか?」

「馬鹿言え、トレーニングだ。撮影も始まったんだろ? だったらなおさら休んでる暇なんて無いぞ」

「ま、待てって。今日くらいは休ませてくれてもいいだろ? 飯も食ってないんだぞ、こっちは」


「心配するな、コレがある」とスライは懐から例のささみガムを取り出す。


 筋肉に忠誠を誓って譲らない男に対し、少しでも同情した俺が馬鹿だった。


 反論一切を許されないまま外に連れ出された俺は、ささみガムを噛みながらその日のメニューをこなした。


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