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恋と映画とささみガム  作者: シラサキケージロウ
スタンド•バイ•ミー
10/28

スタンド・バイ・ミー その3

 それから俺は、スライについて興味津々なご様子の皆様方に色々と説明を求められた。映画の中から来たなんて真実を説明して、「気が狂ったらしいぞ」と黄色い救急車を呼ばれても堪らんので、並べ立てたのは嘘八百である。


 スライは俺のおじの友人である。昔から日本とアメリカを行き来しているため日本語はペラペラ。むしろ、英語の方が怪しいくらい。今回日本に来たのは俺に会うため。俺が大学でアクション映画の撮影をすることになった、ということをおじ伝手で聞いたスライは、かつてスタントマンであった経験を活かし撮影に協力してやろうと、遠路はるばる飛んできたのだ。ちなみに、クリスチャン・ウォーロックとやらとは、なんの関係もない人物である。そっくりさんと呼ばれたことも今日が初めてらしい。


 こんな類の話をして、その場はなんとか乗り切った。何度か俺達の関係について突っ込まれることもあったが、その度スライが上手いこと口裏を合わせてくれたのが幸いした。事前の打ち合わせなどせずとも、スライにも「映画の中から来ました」なんて話を誰彼構わずにすればどういうことになるかわかっているのだろう。見た目に反して常識的な筋肉である。



「檜山くんっ、素敵な人と知り合いだったんですねっ! 羨ましいです、本当にっ!」



 その日の帰り際。黒沢先輩は屈託の無い笑顔でそう述べた。素敵な人などと聞いて嫉妬で気が狂いそうになり、俺は無暗にそこらの空き缶を蹴っ飛ばした。


 よもや、宿無し文無しの筋肉が恋のライバルになるとは夢にも思わなかった。いや、スライにその気はないだろうからライバルといっても一方的な関係だが、とにかく俺にとっての障害になることは確かだ。

俺から黒沢先輩へ、先輩からスライへ、スライから上腕二頭筋へ。最後はともあれ、片思いの一方通行を解消するためにはどうするべきか。


 黒沢先輩の初恋相手がスライであるなら、ヤツは先輩にとって〝完璧な存在〟である。となるといささか厄介だ。完璧な存在と思い込んだ相手のこととなれば、多少の欠点はキュートに映る。現に俺が黒沢先輩に対してそうであるからよくわかる。これが、人を盲目にするという恋の病の難儀な症状だ。


 しかし、この問題ばかりに構っているわけにもいかない。2週間後に始まる撮影に備え、台本の暗記や役作りなど済ませておかねばならない。こちらを怠り、その挙句に黒沢先輩から見捨てられる結果となれば、それこそ本末転倒だ。


 ある日、「これも役作りの一環だ」と、小津監督に背中を押されるまま連れていかれた美容室で、俺はなんとも間の抜けた髪型にさせられた。前髪を切り揃えられただけの無造作なヘアスタイルは、かの有名な〝ブルース・リー〟をイメージしたらしい。


「どれ、中々様になってるじゃないか、檜山」と、小津監督は楽しげに手のひらを擦り合わせた。


 鏡を見た俺は、少なくともこの髪型をしている間は彼の映画を見ないことを誓った。


 アパートに帰ると、俺の頭を見たスライが指を差して笑ってきた。「まるでブルース・リーだな」なんて言うので、「知ってるのか?」と尋ねるとスライはまた大きな声で笑った。



「おいおい、ブルース・リーを知らんほど俺はバカじゃないぞ」

「映画の世界から来たのに、こっちの世界の俳優を知ってるのかって意味だ」

「映画の世界といっても、悪魔の地獄グリズリーはあくまで現実世界を舞台にした物語だからな。ブルース・リーもいれば、ビートルズだっているさ」

「そうなると、こっちの世界の技術に驚かないのが不思議だ。あの映画は70年代くらいの設定だったはずだから、携帯やパソコンなんて無いだろうし、ファッションだってまるっきり違うだろ」

「そう思うか? 映画の世界だから、外の世界と違って技術的な発展は皆無だと、そう思うのか?」

「違うのか?」

「馬鹿にするなよ。悪魔の地獄グリズリーが産まれてから、もう40年以上も経った。向こうの世界にだって携帯はあったし、高層ビルもあったぞ。違うことと言えば、アップルよりウィンドウズが流行っていたことくらいか」



 映画の世界というものがなんとなくわかってきた。越えられない壁を一枚隔てていること以外は、こちらと大して変りないようだ。それに気づいてしまうと、先ほどまでむくむくと湧いていた興味はさっと消え失せた。


 俺は「なるほどな」と話を切り上げて〝世界を救うぼくはヒーロー〟の台本を開いた。


 撮影開始まで残り10日を切っている。にも関わらず、まだ10分の1も台本を覚えられていない。難解な英単語や無意味な年号をありったけ覚えてきた過去があるのだから、台本を覚えるくらいわけないさと思っていたが、これがどうにも難しい。


 赤いマーカーや付箋だらけになったページとにらめっこしてはため息を吐くを繰り返し、ひたすらぶつぶつやっていると、ふいにスライが背中をバシバシ叩いてきた。



「無駄だ、無駄。ラン、台本の暗記なんてそこまで真面目にやっても意味ないぞ。アクション映画なんていかに動くかが勝負だ。台詞なんて誰も聞いちゃいない」

「だからって、何も覚えないわけにもいかないだろ」

「そりゃそうだ。俺が言いたいのは、もっと他にやるべきことがあるってことだ」



 スライは俺の腕をむんずと掴む。万力のような握力は、逆らうという選択肢を握り潰した。



「ブルース・リーも言ったろう? 考えるな、感じろ」



 引きずられるようにアパートを連れ出された俺は、目的地すら知らされない状態で夕闇に染まりつつある巣鴨を歩いた。俺を先導するスライの足取りは右へ行ったり左へ行ったりと、まるで新宿駅をさまよっているように定まっていなかったので、堪らずに「どこへ行くつもりだ」と尋ねると、「広い場所だ」とだけ答えた。書を捨てよ、町に出ようの精神は素晴らしいと思うが、無計画なのはいただけない。俺には時間が無いのだ。


 どこをどう歩いたのかはわからないが、30分以上も歩いて、ついた先は染井吉野桜記念公園とかいう桜の木と妙なオブジェクト以外何もない場所であった。花見客どもが夢の後、公園は風になびく葉桜が擦れ合う音がある以外、至って静かなものである。こんなにも平和な場所で、恋敵と化した筋肉ダルマは俺と何をするつもりなのか。見当もつかない。


 公園を見回したスライは、「さて」と俺を見た。



「ラン、喜べ。俺が直々に、お前にアクションのイロハを教えてやる」

「なんで急にそんなこと」

「スタントマンだった経験を活かして、撮影に協力してやろうと思っただけだ」


 俺が使った言い訳をおどけたように言ってみせた後、スライは恥ずかしそうに頬をかいた。


「……お前には世話になってる。文無しの俺に出来る礼は、お前を鍛えてやることくらいだ。迷惑じゃなければ受け取って欲しい」



 そんなことを言われてしまったら、むげにお断りなんて出来やしないではないか。「だったら先に言ってくれりゃちゃんと着替えてきたのに!」なんて不満を心でねじ伏せて、「お手柔らかに」と答えた俺は、スライの好意を甘んじて受け入れた。


 それからは地獄である。訓練はまず柔軟から始まったのだが、1年間机にかじりついたおかげで凝り固まった俺の身体にとってそれは、端的に言ってとても辛い。にも関わらず、初めっから股割りなんてやらされるものだから、額からは脂汗が絶えず吹き出した。


 たっぷり1時間、シャツがびっしょりになるまで柔軟を行った後、筋トレをやらされた。腕立て、腹筋、背筋、スクワット、これらを合計1時間、30秒のインターバルはあるが休みは無し。この時点で既に身体は悲鳴をあげている。おまけに通行人の視線が痛い。辛い、痛い、辛い、痛い、辛い。


 嘆くに嘆けず、小休止の後、パンチとキックの出し方についてのレクチャーを受けた。聞けば例のウォーロック氏は空手の全欧チャンピオンのようで、その知識と経験がスライにも継がれているらしい。へっぴり腰のアクションをお披露目する心配は無くなったが、これを続けて果たして俺の身体は撮影の時まで保つのだろうか、近いうちに筋繊維が爆発四散しないだろうか、はなはだ疑問である。


「今日のところはこれまで」と訓練終了が告げられた頃、時計を見れば午後9時前であった。既に満身創痍であったのに、帰りの道中スライから、「今日は楽だったろうが、明日からは徐々に厳しくしていくからな」などと健康的な白い歯を見せつけるような爽やかな笑顔で言われ、俺は塩をかけられたなめくじのようにへたりこんだ。結局その日は、胃が固形物を受け付けなかったので、豆腐とヨーグルトだけ食べて寝た。


 翌日からは目まぐるしく時が過ぎた。授業はもちろんもれなく受けなければならない。授業間の休み時間は台本の暗記作業に費やされるか、そうでなければ「参考のため」ということで、園先輩によって開かれる映画上映会に参加させられる。アパートに帰れば、俺を待つのは筋肉閻魔大王である。その手には、しゃくの代わりにささみガムが握られている。トレーニングを終えた俺の口に突っ込むためだ。心も身体も休まる暇がない。


 俺の身体を支えているのは、3日ほど前にたまたま会った黒沢先輩からかけられた言葉、それのみである。


「檜山くん、なんだか最近カッコよくなってますねっ!」


 この言葉だけで精神が肉体を凌駕するのだから、何とも燃費の良い身体である。


 映画撮影開始日――業界的にはクランクインと呼ぶらしいが、とにかくその日まで残り24時間を切っている。


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