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カミングアウトは必要ない  作者: 冬通 すばる
8/16

結城

「みかど! 今日からはお前がピッチャーやれ。結城はもう来ない」

「来ないってどういうことですか」

「暴力を振るうような奴はうちの部には要らない。退部だ」


 そう言うと監督は達也の方に視線をやった。達也は首から吊り下げるような形でギプスをしていた。いかにも自分は被害者です、とでも言いたげな鬱々とした表情をしている。

 その達也を見て「こいつこそが元凶なのに」と俺は思った。なぜ達也じゃなく結城が退部しなければならないんだ。

 監督の判断に納得がいかなかった。一言で暴力と言っても、そこにはちゃんとした理由がある事を俺は知っている。それを知れば監督はきっとわかってくれるはず。俺はそう信じていた。


「監督、ちょっと待ってください」

「なんだ?」

「もとはと言えばこいつが陰口を言ったのがいけないんです。それがなければ結城だってこんなことしてません。結城の退部取り消してください!」


 言葉に熱のこもる俺とは対照的に、周りの部員達が俺に向ける視線は冷ややかだった。

 監督は「わかった」と短く答えて、俺と達也以外の部員に外を走ってくるよう命じた。


 俺はこの時、監督は文字通りわかってくれたんだと思った。やっぱり本当の事を知らなかっただけなんだ、と。

 しかしその期待はすぐに裏切られた。


「みかども達也と喧嘩したらしいな」

「そうですけど……それも元々はこいつがーー」

「達也に謝れ」

「え……」


 俺は自分の耳を疑った。


「だから謝れっつってんだよ!」


 監督が怒声をあげた。

 大人の怒鳴り声というものに慣れていない俺はその迫力に押されるがままに達也に謝った。そんな気は一切無かったのにそうする以外の方法を俺は知らなかった。屈辱でしかなかった。


「……ごめん」


 それを見た監督はふんっと鼻を鳴らして去り際に言った。「十弧のくせに他の部員と対等だと思うなよ」

 監督の後を追いかけるように達也もついて行く。その時達也はこちらを蔑むような目で見ながら言った。「ざまぁみろ」


 俺は呆然と立ち尽くすしかなかった。監督は味方だと思っていたのに。大人の人ならちゃんと話を聞いてくれると思ったのに。監督は聞く耳すら持っていなかった。

 外から戻ってきた他の部員達も誰一人として俺に声をかけようとはしなかった。数日前まで一緒に練習していたはずなのに、今ではまるで腫れ物にでも触るかのようにこちらを見ていた。

 その時、もうここには俺の味方は一人も居ないんだと知った。


 俺は野球が好きだった。さらに言うと、何でもそつなくこなす結城に俺はずっと憧れていた。一歩でも近づけるように毎日必死になって練習した。そのかいあって、小学校の二年から野球を始めた俺は、四年にあがる頃には上級生と一緒に練習するようになっていた。

 純粋に楽しかったし、結果を出せばみんなも喜んでくれる。俺は周りから認められている。そう思っていた。

ーーしかし、それは思い過ごしに過ぎなかった。


 もう野球なんかやめよう。

 結城も居ないし、簡単に態度を変えるこんな連中とこれ以上一緒に居たくなかった。こんな気持ちを抱えたまま野球をやりたくなかった。

 達也だけならまだしも他の部員からも、ましてや監督までもがこんな態度を取るとは想像もしていなかった。たった一つの出来事で自分の周りにあった物は雪崩のように一気に崩れ去った。


 ただ辞める前に一つだけやる事がある。あいつだけは絶対に許さない。結城を裏で侮辱し、周りに根回しまでして落とし入れようとした達也。あいつには絶対に痛い目を見させてやる。俺はそう誓った。

 それから一ヵ月後、達也は頭にデッドボールを受けて救急車で運ばれた。



 ピッチャーというものは往々にしてコントロールを失ってしまうもので、野球をやっている以上デッドボールは避けられない。

 しかし、その分ピッチャーも気をつけて投げるし、故意に相手に向かって投げるような事はまずない。

 コントロールの良かった結城ならなおさらだ。わざとぶつけるはずが無かった。コントロールの悪い(・・・)俺なんかとは違う。


「いって!」


 デッドボールを受けてうずくまる達也の周りに、野球部員が皆集まってくる。周りの部員達は口々に「達也大丈夫か?」「達也かわいそう」などと言って心配している。達也は人気者だった。

 その時ピッチャーをしていた結城もその輪の中にいた。


「ごめん! 達也、大丈夫?」

「……ああ」と憮然とした態度で達也が答える。

「本当にごめんね。わざとじゃないんだ」

「わかってるよ。このノーコンピッチャーめ」


 達也は結城から差し出された手をがっしりと握ると、笑顔で立ち上がった。それを見ていた周りの部員達は安心したようで「やっぱ達也は優しいな」「達也が怪我しなくてよかった」なんて言いながら自分のポジションに戻っていった。

 その時は何事もなく話は済んだはずだった。


 後日、俺が上級生の教室の近くを通った時、達也が他の生徒達と雑談しているのを見かけた。

 俺は達也に声をかけようとしたがなにやら怒っていたようなので辞めた。

 その代わり俺は、物陰に隠れて盗み聞きすることにした。何をそんなに怒っているのか知りたかったからだ。


「くっそあの野郎、絶対わざとぶつけやがったな」


 達也はそう言いながら腕を捲る。


「うわー。まだアオタン残ってんじゃん痛そー」


 腕に見入る他の生徒達をよそ目に、達也はまるで戦場で名誉の傷でも負ったかのような誇らしげな表情をしていた。


「まあ俺にとってはこれくらい何でもないけどな」

「達也やっぱすげーよ」と周りの生徒達が言う。今にして思うとこいつらは全員馬鹿だ。


「そうそう、お前ら知ってるか? 結城が住んでる十弧ってところ。あそこヤバいらしいぞ」

「何がヤバいの?」

「この前岡田先生が言ってたけどな、あそこの人間はみんな『同性愛者』なんだってよ」


「どうせいあいしゃって何?」周りの生徒達が口を揃えて聞いた。


「同性愛者っていうのは女の事が好きな女とか、男が好きな男の事を言うんだ。ま、要するにほもとかおかまだ」


「うぇーきもちわる」と周りの生徒が騒ぐ。


「だからお前らも結城には近づかない方がいいぜ。ほもが移ったら大変だからな」


 それを聞いて周りの生徒達が一斉に沸いた。それは案に、結城を除け者にしようとしている事を示していた。


 俺は拳を震わせた。身体の奥底から熱い物が湧き立つのを感じた。

 あの時、笑顔で結城の手を取ったくせに陰でこんな事を言うなんて。達也だって結城がわざとやった事ではないということくらいわかってるはずなのに。誰にも結城を詰る権利なんて無い。ましてや達也みたいな屑があの結城を馬鹿にしていいはずがないんだ。

 次の瞬間には俺は走り出していた。達也めがけて一直線に。




 その日の放課後、俺と結城は河川敷のかけあがりに座って話していた。


「達也と喧嘩したんだって?」


 結城が夕日を見ながら笑顔で言った。


「したよ。結果は教えないけど……」

「自分なんかのためそこまでしてくれなくてもよかったのに」


 口ではそういいながら結城はどこか嬉しそうにも見えた。


「だってあんなの許せないよ。結城の居ないところでねちねち言うなんて女々しいし卑怯だ」

「言わせとけばいいんだって。そういうのは」


 結城は脇に生えてる草をむしって風に流した。


「勝手に一人で恨むならまだしも、周りの奴らまで取り込もうとしやがって。俺はそういう奴が一番嫌いなんだよ」


俺はそばにあった石を拾うと目の前の川に向かって乱暴に投げた。

 達也は確かに人気者だった。本性はこんななのになぜかみんなは達也に従った。そんな奴に根回しまでされたら、結城は今後ずっと嫌な思いをさせられるのはわかっている。俺にはそれが耐えられなかった。結城は何も悪くないのに、罰を受けるべきなのは達也の方なのに、こんな理不尽なことあってたまるか。

 地面の草を握る指に自然と力が入る。


「悔しい……」


「喧嘩に負けた事が?」


 違う。


「結城は何も悪くないのに、あんな奴に馬鹿にされていい理由なんて無いんだ!」


 俺は思わず声を荒げてしまった。

 しかし、結城はどこか遠くを見つめながら俺を諭すように落ち着いた口調で喋った。


「十弧で育つっていうことは、そういうことだよ」


 俺はこの時、結城の言った意味がよくわからなかった。


「そんな事言われたって、許せないものは許せないよ!」


 俺はやり場の無い怒りをぶつけるように拳を何度も下に叩きつけたが、地面はその衝撃を音として響かせる事もなく静かに吸収するだけだった。


「まったく……チビのくせに正義感だけは強いんだから。そんなんじゃいつか痛い目見るよ?」


 結城は呆れたように笑ってこちらを見た。


「……そんなのどうでもいいよ」


 俺はそう答えたが、腫れた頬骨に押し当てた氷が鬱陶しいくらいに冷たかった。


「あはは。そっか。そうだったな」


 結城は笑った。


「みかど、ちょっとついてきな。喧嘩の仕方教えてあげる」


 そう言って結城は達也の家へ向かった。

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