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カミングアウトは必要ない  作者: 冬通 すばる
2/16

足枷

 授業を終えた俺は鞄を担いで教室から出た。廊下を歩いてると、トイレからものすごい勢いで人が飛び出してきて、そのまま俺にぶつかった。


「おい、大丈夫か」

「は、はい……。ごめんなさい」


 ぶつかった衝撃で相手の眼鏡が床に落ちた。その眼鏡のレンズは牛乳ビンの底のように厚い。それを拾い上げて渡してやると、相手は両手で大事そうに受け取って装着した。

 なぜか相手の髪は違和感を感じるほどに濡れている。水に濡れた長い髪がぺったりと肌に張り付いてるせいで顔はよくわからなかったが、その眼鏡には確かに見覚えがあった。こんな分厚い眼鏡をかけている人間は、同じクラスの中山以外に見たことがない。

 それくらいにこの眼鏡は分厚い。


「ちゃんと周りは確認しろよ」


 俺が無難に注意だけして立ち去ろうとすると、中山に呼び止められた。


「待って!」


 俺が、というより、おそらくクラスの誰も聞いたことがないような大きな声を中山が出す。濡れた髪からは水滴がぽとぽと落ちている。


「……あ、あの、実は十条時君に用があって……」


 俺に?

 クエスチョンマークで頭の中が埋め尽くされる。同じクラスである事以外、俺と中山に接点なんて無い。

 当然、今までに会話した事なんてない。名前と外見と時折目にする授業での立ち振舞い以外、お互いの事を何も知らないと言っていい。少なくとも俺はそうだ。中山に呼び止められるような心当たりはない。

 しかし、呼び止められた以上無視するわけにもいかなかった。


「なにか用か?」

「えっと、あの……その……」


 中山はうつむいて一瞬言葉を詰まらせたがすぐに口を開いた。


「ず、ずっと前から好きでした。つ、付き合ってください……」


 よく知らない相手からの突然の告白。

 お決まりの台詞と言ってもいいそれは、あまりに形式ばっており、淡白というか感情がこもってないように感じられた。本当に好きな相手に向けた物とはとても思えない。

 だいたい、告白という物は自分の体の一部を賭けに出すかのような、それくらいの覚悟を持って臨む重大なイベントではないのか。どうしてそんな時に中山の髪は濡れているんだ?

 どっちにしろ答えは決まっているのだが俺の中で何かが引っ掛かかるのものを感じた。


「悪いけど無理だ」


 これは相手が中山だから、という話ではなく俺にとっては美人もブサイクも関係無かった。


「十条時孤児院の出身なんですよね。それは知ってます。でも……」


 さすがに施設の事は知っているようだったが、それでも中山は食い下がってきた。

 振られた相手に何度もアタックするほどメンタルが強いようには見えない。施設の事を知っているなら、なおさらだ。

 なのに中山は引き下がらなかった。やはり何かが引っ掛かる。違和感を感じずにはいられない。


 しかし、その違和感の正体がわかるわけもなく、俺はいい加減イライラしていた。

 俺はどうも歯切れの悪い中山に苛立ちをぶつけるように問い詰めた。


「でもなんだ? 言いたい事があるならはっきり言え」


 俺に威圧されて挙動不審になった中山は再び言葉を詰まらせ、トイレの方をちらちらと見始めた。


「……はやく言いなって」


 中山の視線に応えるように、トイレからは小さな声が聞こえてきた。

 よく見ると扉が微妙に開いており、その向こう側には、ヤンキー風の女たちが数人たむろしているのが見えた。

 こそこそとこちらの様子を伺っている。


「……あいつが十孤出身のやつ?」

「……そうそう」

「……十孤ってホモしかいなとこでしょ?」

「……らしいね」

「……きゃはは。ホモとかきもーい!」

「……しーっ。あいつに聞こえるって」


 ヤンキー風の女達は俺に聞こえないように喋っているつもりだろうが、その会話はだだ漏れだった。

 この手のやつらはどうしてこうも馬鹿ばかりなのだろう。と思うと同時に、俺は糞ほど下らない茶番に巻き込まれていたことに、ここで初めて気づいた。

 中山の髪が不自然に濡れていたのも、中山がなかなか引き下がらなかったのも、こいつらのせいか。


 なかなか切り出さない中山についにしびれを切らしたのか、リーダー格の女が中山に小さなゴミのような物を投げつける。

 それを受けた中山が微かに震えながら口を開いた。


「私は別に……だ、だ、男色とか気にしてないのでどうか付き合って……」


 中山が変な所で気を使うせいで、一層その部分が際立つ。物陰の女達が一斉に吹き出した。


 これで何度目だろうか。俺は十弧に居た時も、十弧を出てからも似たような事を何度も経験してきた。今さらこの程度の事では何も感じなくなっていた。


「……お前も可愛そうな奴だな」


 俺は中山にそれだけ言って、その場から離れた。中山は相変わらず震えていた。背後から女達が騒ぐ声が聞こえてきたが、俺の脳はそれを雑音として処理した。



 帰りのバスの中、淡々と流れていくだけの風景を窓越しに眺めながら、俺はその事を思い出していた。

 最後の台詞が中山に聞こえたかどうかはわからない。

 同情半分、皮肉半分。


 中山だってこんなことをやらされるために学校に来ているわけではないはずだ。

 それを黙って受け入れ、打開しようともしない中山が惨めに思えた。怖くて歯向かえないのなら逃げ出したっていい。学校なんて他にいくらでもあるし、なんなら無理して来る必要すらない。


どこに行こうとも十条時という名前に束縛され、常に後ろ指を指されてきた俺と違って、要らなくなった物はそのたびに切り捨てればいいのだから。簡単な事じゃないか。どうして中山はそんな事もできないんだ。

 俺はポケットに手を突っ込んでガムを取り出す。包装紙を適当に破り捨てて中身を取り出すとそれを乱暴に口に放り込んだ。

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