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カミングアウトは必要ない  作者: 冬通 すばる
14/16

打球

「え、なんか上手くない?」


 店内に快音が響く。


「前にちょっとやってたからな」


 最後の一球を気持ちよく振り抜いた俺は、防護ネットをくぐってベンチに戻った。


「ちょっとってレベルじゃないよ! 野球やってないのがもったいないくらいだよ」

「野球はもう辞めたんだよ」

「なんで? そんな上手いのに?」

「まぁいろいろだな」

「えー何それ、すっごい気になる」


「わざとチームメートの頭にボールを投げた」なんて言えるわけがない。

 俺が黙って汗を拭いていると夏南が口を開いた。


「じゃあわかった、今から僕と勝負しよう」

「勝負?」


 夏南が正面に並ぶピッチングマシンの上空を指差した。そこにはマンホールより少し大きいくらいの円盤が天井からぶら下げられていて、でかでかと「ホームラン」と書かれている。


「先にあれに当てた方が勝ち。僕が勝ったらみかどが野球辞めた理由教えてよ」


 最悪、三ゲームもやれば的に当てれる自信はある。しかし負けた時の事を考えるとあまり乗り気がしなかった。


「もし俺が勝ったら?」

「僕に聞きたい事があれば何でも質問に答えるよ」


 夏南に質問か。確かに聞きたい事が無いことも無い。夏南の服装に関しては今までにも何度か聞こうとしたがその度にはぐらかされてきている。もし、その話が聞けるのなら良い機会だ。


「まあいいか。やってやるよ」



 俺と夏南はそれぞれ隣同士の打席に立って同時にコインを入れた。

 一ゲーム目はお互い鳴かず飛ばず。二ゲーム目も、俺が惜しい打球を数回飛ばしたくらいでお互いホームランはまだ打っていない。しかし、手応えは悪くなかった。


「もし、次のゲームで二人共ホームランを打った場合はどうする? 引き分けか、それとも少しでも早く当てた方が勝ちか」

「引き分けでいいでしょ。もし微妙なタイミングで被ったらややこしいし」


 夏南がフォームを確認するように軽く素振りをしながら答えた。

 今までのバッティングを見た感じだと、夏南の選択は妥当に思えた。俺が順調に調子をあげる一方で、夏南は一向にいい打球を打てていないようだった。


「『せーの』」


 声を合図にしてそれぞれの機械にコインを投入する。

 一球目、俺の感覚通りライナー性の良い打球が飛ぶ。夏南の方は詰まって勢いの無い打球をふらふらと打ち上げた。

 二球目、三球目も良い打球が飛ぶ。弾道も程よい高さで、あとは左右の方向さえ合えば当たりそうだ。夏南は相変わらずふらふらと打ち上げている。

 その後も良い手応えはあったが方向が微妙にずれて、なかなかボールが的に当たらない。夏南も打ち上げたりゴロを打ったりと未だに打ち損じているようだった。


 お互いそんな調子で残り三球を迎えた。今回も勝敗はつきそうにないなと思った時、甲高いファンファーレが店内に響き渡り、ホームランを告げる大袈裟なアナウンスがどこからともなく聞こえてきた。ホームランの的が大きく揺れている。もちろんそれをやったのは俺では無い。


 まさかと思って夏南の方を見ると小さくガッツポーズをしていた。さっきまでずっと力の無い打球を飛ばしていたはずなのに、俺は自分の目を疑う。しかし、夏南は明らかに勝ち誇った顔をこちらに向けてきて、もうバットを片付けていた。


「がんばれー」


 茶々を入れるように笑顔でこちらに手を振ってくる。残り三球でホームランを打たないと俺の負けが確定してしまう。

 十八球目、空振り。明らかに自分は動揺している。落ち着け。

 十九球目、良い当たりだが高さが全然足りない。集中しろ。

 残り一球、快音が響く。手応えも良い。高さも方向も悪くない。これは行ったか、と祈るように打球の軌道を見つめるも、そのボールは無情にも的の横を通り過ぎていった。


 ゲームセット。その場には存在しない審判の声が聞こえてくるようだった。夏南の方を見るとそこにはもう姿は無く、カウンターの所で店員から何か景品を貰っているようだった。

 ずっと力の無いボールばかり打っていたはずなのに、どうやって的に当てたのかいくら考えてもわからない。

 俺が謎に頭を悩ませながらベンチに戻ると、両手でやっと抱えれる程の巨大なぬいぐるみを持って夏南が戻ってきた。


「残念だったねみかどくん」


 ぬいぐるみで顔は見えないが、声のトーンからドヤ顔をしているであろうことが伝わってくる。


「ずっと詰まってたくせにどうやって的に当てたんだ?」

「これは勝負だよ? 真面目にバッティングしたって勝てなきゃ意味ないよ」


 ぬいぐるみを上から顎で潰すようにして夏南が顔を出した。


「ずっと方向だけ合わせてたんだよ。高さは運任せでね」


 確かに言われてみると、打球の勢いこそ無かったがずっと同じ方向に打球を飛ばしていたような気がする。


「それで運よく打ち上がったボールが的に当たったってわけか」

「そういうこと。実際は天井にぶつかったのが落ちてきてそのまま的に当たったんだけどね」


 夏南がぬいぐるみをベンチの端に追いやってその場に座り直した。


「じゃあ教えてもらおうかな。なんで野球を辞めたのか」


 俺は正直言いたくなかったが洗いざらい全て話すことにした。

 結城がはめられた事、達也に喧嘩を仕掛けて俺が返り討ちにされた事、結城が俺の代わりにやり返した事、結城が理不尽に退部させられた事、俺が達也にわざとデッドボールを投げた事。


 全て話終えるとしばらく沈黙があった。黙って話を聞いていた夏南がしばらくしてゆっくりと口を開いた。


「その達也っていう人はその後どうなったの?」

「聞いた話だと一週間くらいで練習に戻ったらしい」

「そっか。それなら良かった」


 俺はその時「それのどこが良いんだ」と言いかけたが、夏南の悲しそうな表情を見て言うのをやめた。そして、夏南が静かに口を開いた。


「僕のお父さんも昔デッドボールを頭に受けたんだ」


 その時、俺の記憶と夏南の話が重なった。脳内でその時の映像が思い起こされる。顔も知らない相手が空想の中でバットを構えていた。


「プロ目指して実業団のチームに入ってたんだけどね。それが原因で引退しちゃって、その一年後にお父さんは居なくなった」

「それはつまり……亡くなったってことか?」

「多分それはないと思う。ある日僕が学校から帰ってきたら、お父さんは文字通り居なくなってた」


 夏南の視線は正面に向けられていたが、どこを見ているのかよくわからなかった。そのぼんやりとした視線を少し下に落とすと、もう一度口を開いた。


「ごめんね、何か暗い話しちゃって」

「いや、全然気にしてない」


 むしろ、俺はこの時嬉しかった。場違いな感情かもしれないが俺は純粋にそう感じていた。

 ずっと黙っていた秘密を自分以外の人間と初めて共有できた事。そして、それを非難するどころか夏南自身も秘密を打ち明けてくれた事が俺は嬉しかった。


「夏南は野球が嫌にならないのか? もし野球が無ければまだ父親は側に居たかもしれないんだろ?」

「だからこそ僕は野球を続けてるんだよ。起こった事をいつまでも振り返ってても仕方ないし、甲子園に行けばお父さんもどこかで見てくれるかもしれない」


 はたから見れば、その可能性は限りなく低いように思えた。しかしその僅かに思える可能性ですら、夏南にとっては父親に繋がる大きな希望なのだろう、と俺は思った。


「刺繍の入ったボールを大事にしてたのもそういう事情があったんだな」


「うん」と夏南は笑顔で頷いた。


「だからみかどがボールを渡してくれた時、本当に嬉しかった。ありがとね」


 夏南が微笑みながら俺の方を見つめた。

 俺は急に背中がむず痒くなった。


「俺はただボールを拾っただけだ」


「ふふ」と夏南が短く笑ってその後すぐに視線を宙にやった。


「僕がバイトしてなかったら、今頃どうなってたんだろうね」

「今よりももっと自由な生活ができてたんじゃないのか?」


「そうかもね」と夏南は笑った。


「バイトはいつまで続けるつもりなんだ?」

「何もなければずっと続けるよ」

「家族のためか?」

「まあそんな感じ。お母さんには反対されてるんだけどね、野球もバイトも」


 夏南が苦笑いを浮かべた。


「なんで反対されてるんだ?」

「『あんたなんかが甲子園に出られるわけないんだから諦めなさい』って。バイトは単純に僕の事を心配してくれてるんだと思うけど」


 俺には親が居ないし夏南の母親を知っているわけでもない。しかし、夏南の母親が野球に反対している理由が少しだけわかる気がした。


「母親は夏南の事が心配なんじゃないか? 父親と同じ目にあって欲しくないだろうし」


「確かにそれもあるかもしれない」


 夏南が真剣な表情をした。


「でも甲子園に出るまではお母さんには甘えさせてもらいたいんだ」


 多分母親も夏南が毎日頑張る姿を見ているからこそ、はっきり辞めろとは言えないのだろう。


「この高校に入れたのもお母さんが手を尽くしてくれたおかげだし、なんだかんだ言いながらどこか期待してくれてる所もあるんだと思う。だからこそ僕は絶対に甲子園に行きたい。そのためなら僕はどんな事でもやるつもり」


 夏南の目には固い意思のようなものが見えた。それは夢を語っているというよりも、そのためだけに全てをかけているような狂気じみたものにも見えた。


「もう一回打ってくるよ」


 夏南がベンチから腰をあげて再び打席に立った。夏南がマシンから弾き出される球をバットで強く叩く。その打球は俺と勝負していた時よりも何倍も強くて鋭いものだった。


 俺が夏南を待つ間にも隣の打席には人が入ってきた。年齢はちょうど俺が野球をやっていた時と同じくらいで、髪が背中らへんまで伸びている。

 おそらく女子だろうか、その少女も綺麗なスイングで快音を響かせた。俺はその姿を見ながら、自分の所属してたチームにも女子が二、三人居た事を思い出していた。


 全ての球を打ち終えた夏南が防護ネットをくぐってこちらに戻ってくる。


「そろそろ行くか?」


 俺がそう言っても夏南は答えず、隣の打席をしばらく見つめていた。


「あの女子が気になるのか?」

「いや、別に」


 夏南は笑ってこちらを見た。


「じゃあ行こっか」

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