歌箱
夏の天気とは思えないほど、今日は雨風が強かった。雨は容赦なく吹き付けられアーケードの天井からバチバチという大きな音が絶え間なく響いてくる。
しかし、幸いにも今日一日俺たちはこの雨にお世話になる予定はない。今日の予定はーーたまの休日に張り切る夏南が事前に計画を立ててきたーーカラオケ、バッティングセンター、最後に映画館という流れなのだが、全てこのアーケード街の中にある。
そして今は一つ目のプログラムであるカラオケをちょうど終えた所だった。
「あー楽しかった!」
夏南が伸びをしながら満足そうに言った。
俺はあまり楽しくなかったな。と心の中で呟く。空気の悪くならない程度に二、三曲は歌ったが、それ以外はひたすらジンジャエールを飲んで過ごした。
「みかどももっと歌えばよかったのに」
「俺は聞き専だからいいんだよ」
それを聞いた夏南が真面目くさった顔をした。
「歌っていうのはね、上手い下手じゃなくて心で歌うものなの。だから心さえこもってればそれでいいんだよ。わかる?」
「それは俺をフォローするつもりで言ってるのか?」
「もうやだなぁ。そんな深読みしないでよ」
確かに夏南は俺の歌を聞いても笑ったり馬鹿にすることは無かった。おそらく夏南がさっき言った事も本心なのだろう。そう思うと、夏南の事を少しでも疑ってしまった事に後ろめたさを感じた。
しかし、当の本人はそんなこと気にもかけないといった様子で淡々と話を続けた。
「みかどは『植物と人間』っていう曲知ってる?」
「なんだそれ」
「九条ユーキの新譜のカップリングなんだけど、今日はまだ配信されてなかったんだよね」
「歌いたかったのに……」と言って夏南は残念そうに視線を落とした。
「また今度来た時にでも歌えばいいだろ」
「今日だからこそ歌いたかったんだよ。みかどに聞いてみたい話もあったし」
「聞いてみたい話?」
下を向いていた夏南がこちらを見た。
「そう。九条ユーキの事を知ってるみかどなら、この話を聞いてどう思うのかなって」
情報を小出しにされてる感じがして、いまいち話が見えてこない。
「じゃあ今からその話聞かせてくれよ」
俺がそう言うと、夏南は待ってましたと言わんばかりの表情を見せた。
「それならまず、この曲の歌詞を簡単に知っておいて欲しいんだけど、まさかみかどが知ってるわけないよね」
「ああ、全く」
「じゃあ簡単に説明するね」
夏南は「ちょっと長くなるけど」と前置きして続けた。
「あるところに一本の植物がありました。その植物は今にも枯れてしまいそうでした。そんな時、一人の人間が目の前に現れて水をかけてくれました。その人は次の日も、その次の日も水をかけてくれました。植物はいつも親切にしてくれるその人の事が好きになりました。でも、その想いを"人間"に伝えても意味がない事を植物は知っていました。だから決意したのです。『他のどの植物よりも綺麗な花を咲かせよう』と。それが植物にできるせめてもの恩返しでした」
全てを言い終えると満足気な顔をして、こちらを見てきた。
「どう? 何かピンときた?」
「ピンときた? って言われても、どっかで聞いたような話だとしか思わないんだが」
「まあ最初はそんなもんか……。で、ここからが本題なんだけど」
夏南が一拍おいて口を開いた。
「実はこの歌、九条ユーキ本人がモデルなんじゃないかっていう噂があるんだ」
九条ユーキがモデル……。
俺はここにきて夏南の言いたい事がなんとなくわかった気がした。おそらく今の話に九条ユーキがあてはまるのかどうかという事だろう。
確かに俺の知る九条ユーキなら見知らぬ植物に毎日水やりしていてもおかしくない。そうやって花開く所を眺めて感動できるのが九条ユーキという人物なのだ。
「つまり、こういうことか? 例の『人間』が九条ユーキで『植物』もモデルが誰か居るんじゃないかと」
「ピンポーン! なかなか察しが良くて話が早いよ。それでどう? 何か思い当たる節はある?」
少しの間考えてみるが、俺の記憶の中にはそれに当てはまるような存在は見当たらなかった。
「期待を裏切るようで悪いけど、全くないな」
俺の言葉を聞くと、夏南は「まじかぁ」と言ってうなだれた。
「前にも言ったように小さい頃、俺が見ていた限りでは恋愛とか無縁だったみたいだし、仮にそのモデルが実在したとしても十弧から出た後の話じゃないか? それくらい見当がつかないぞ」
結城は小学校を卒業するとすぐに十弧を飛び出していった。だから俺は九条ユーキの中高生時代をよく知らない。性を意識し始めるのがだいたいそれくらいの年齢である事を考えても、その時期の話として考えた方が妥当な気がした。
「だいたいなんでそんな噂が立ったんだ。アーティストが自分の体験を歌にするのなんてよくある話だろ?」
「九条ユーキはtwitterに毎日のように花の写真をあげてたんだよね。それもずっと前から。それで物好き達の詮索が始まったんだと思う」
夏南はまるで他人事のように話すが、お前だってその物好き達のれっきとした一部ではないか、と俺は思った。
「他にも面白い話があって、この曲のリリース日にちょうどエーデルワイスの写真もあげてたんだよ!」
夏南の言葉に一段と熱がこもる。やはり何か思い入れがあるのだろう。俺もあの時の事は忘れもしない。
しかし、それが今までの話とどう関係があるのかよくわからなかった。
「エーデルワイスって夏南のボールに刺繍されてたあれか」
「そうそう。それで写真のコメントには『これが僕ですw』とか書いててさ。さすがアーティストはやる事が洒落てると思ったね」
「ん? でもそれだと『植物』が九条ユーキって事にならないか?」
夏南はにやけて人差し指を立てるとそれを横に揺らした。「それだと芸が無さすぎるよ」
「エーデルワイスにはね、花言葉で『勇気』って意味があるんだ。つまり『勇気』だから『ユーキ』ってこと」
「へぇ。そんな意味があったのか」
今のはなかなか腑に落ちる説明だった。花言葉なんて考えた事も無かった俺には、そんな所で話が繋がっていた事に感心した。
「どう? すごいでしょ?」
「まあ、退屈はしなかったかな」
「もー、本当素直じゃないんだから、みかどは」
夏南はそう言うと口を尖らせながら俺の肩をグーで殴ってきた。殴るというより当てるだけと言った方が近いかもしれない。夏南はいつからかそれをしてくるようになった。別に痛くもないからあまり気にしてもいないけど。
その後も夏南は歩きながら「植物は一体誰なんだろう」と独り言のようにボソボソと呟いた。
それから十分もしないくらい歩いた所で乾いた金属音が聞こえてきた。その小気味良い音は大きな入り口を構える目の前の建物の中から聞こえてきた。まさに、ここが本日二つ目の目的地だった。
「バッティングセンターなんて何年ぶりだろう」
俺が足を止めて一人感慨に浸っていると、入り口の前で振り返った夏南に腕を引っ張られた。
「ほら、早く行くよ! 今日は一日付き合ってもらうんだから」