自覚
後日、約束通りチケットを確保した俺は夏南とライブ会場の横にある公園で待ち合わせしていた。
公園の中央には割と大きな円形の噴水が設けられており、そこから吐き出される水の弾ける音が清涼感を演出していた。その噴水の縁に沿うようにベンチがいくつか設置されている。
俺はそのベンチに座って夏南が来るのを待っていた。他のベンチではカップルが楽しそうに談笑していたり、俺と同じように一人で座って何かを待っているらしい若い男が居た。
彼らも俺と同じようにライブまでの時間を潰しているのだろうか、なんて事を考えていると背後から夏南の声が聞こえてきた。
「よっす~」
明音直伝の変な挨拶で現れた夏南が手を振りながらこちらに歩いてきた。
頭には横向きにした黒のキャップを被っていて、上半身はよくわからない英語の書かれた大きめの白いシャツを着ている。下は少し丈の短いズボン。ズボンから下には生娘のような真っ白い脚が伸びていた。その脚はまぶしいほどに光を反射している。
「お前それちょっと短すぎないか?」
「え、そう? 自分ではいい感じだと思うんだけど」
夏南は下を向いて自分のシャツの裾をつまんだり、ズボンを確認しながら話す。
「女みたいだぞ」
「人によってはそういう風にも見えるかもね」
バイトでの女装は仕方ないとして、私服でもこうなるといよいよ夏南の趣味がわからない。
「そういうのが好きなのか?」
「ライブ中にどうせ熱くなるんだし、ほら、動きやすさも必要じゃん」
「それもそうだが……」
さらに夏南はふざけたように畳みかけてくる。
「それともあれかな? 僕の脚が気になっちゃう? 触りたかったら触ってもいいんだぞ?」
夏南が笑顔を見せながら体を寄せてきた。その姿はだいぶ浮かれているように見えた。
服装についての質問をうまくかわされた気がしたが、この時はあまり気にしなかった。
「そんなつるつるの脚誰が触るか」
「ふふ。ホモのみかどくんには刺激が強すぎたみたいだね」
「……言ってろ」
しばらく外で待機した後、会場に入場した俺たちは指定された席でライブが始まるのを待っていた。隣に座る夏南は初めて映画館にきた子供みたいにそわそわしている。
「うわぁなんかドキドキするなぁ。みかどありがとね」
「俺は何もしてないけどな」
チケットは入手したがそれもつてをたどって手配してもらっただけに過ぎない。
「それにしてもなんでカップルシートなの? ここって男同士でもよかったっけ?」
夏南が不思議そうに訪ねてきた。カップルシートは一応男女でしか座れない規定になっている。
「ここしか空いてなかったんだと。スタッフもよく普通に通してくれたよな」
「みかどがホモだからいけたのかも」
夏南がうんうんと一人で頷く。
「勝手に言ってろ」
「ふふふ」
夏南は何かにつけて俺の事をホモだホモだとからかいたがる。今更そのことについて俺は何も思わないが、夏南は毎回楽しんでいるようだった。
何が楽しいのかわからないが、それでも夏南は楽しそうにした。
「実際はお前のその見た目のおかげだろうけどな」
「うん。それは僕も思った」
夏南がコクリと頷く。
「やっぱ自覚してるんじゃねーか。女みたいだってこと」
「ち、ちがうよ! ほら、みかどがそうやって何回も言うから僕もそうなのかなって思っただけで。あくまで僕は普通の男だし……」
夏南は自分に言い聞かせるように伏し目がちに喋るがそのトーンはどんどん落ち込んでいく。
女みたいと言われるのが嫌なのか、それとも何かやましい事でも隠しているのか。
そう、例えば、
「本当はお前ーー」女装するのが好きなのか? 俺はそう聞きたかったのだが、全てをいい終える前に夏南に強引に遮られてしまう。
「はー、なんかここ暑くない?」
そう言って夏南は、ずれていたわけでもない帽子をわざとらしく被り直すと、「あついあつい」なんて言いながら急に手で顔を扇ぎだした。
確かに夏南の頬はほんのり赤くなっていたが、それは外からの熱によるものではなく、内から発せられた何かによる物だ、と俺は思った。現にすぐ隣に居る俺は全く暑くないのだから。
やはり様子がおかしい。夏南は何かを隠してる。
俺はそう思ったが、それ以上はあえて追及しなかった。別に夏南の趣味が女装であろうがなかろうが俺にとってはどっちでも良かった。
そして何より、夏南本人がそこに触れられたくなさそうにしているのがわかったから。
そんなことを考えていると会場の明かりは消え、ステージの上にだけ光が注がれた。開幕を予感した観客達が少しざわめいたが、それはすぐにおさまり一瞬の静寂が訪れる。皆がステージ上に期待を込めた視線を送る。
次の瞬間、光と音による派手な演出と共に一人の男がそこに現れた。その男こそが今日のメイン、九条ユーキであった。
観客達が割れんばかりの歓声をあげる。それはライブの開始を告げる合図でもあった。
順調に曲目を消化し、気づけばライブも終盤に差し掛かっていた。
終盤にも関わらず会場の熱気が治まる様子はなかった。それもそのはず、途中で九条ユーキの代表曲がかかって以降、会場の全員が立ち続けているのだ。誰一人として座ろうとしない。
俺もそれにつられるように一応立ってはいた。しかし、もともとそこまで興味もなかった俺はそろそろ疲労感を感じていた。
俺がぼーっとしながら、ふと横に目をやると、汗を飛ばしながら夢中になってはしゃぐ夏南がいた。
会場の熱気も手伝ってその頬は鮮やかに紅潮している。飛んで跳ねて笑って叫んで。
本当に楽しそうなその横顔は、薄暗くてよく見えないはずなのに、確実に俺の視線を奪っていた。
血色の良い健康的な肌、ぷっくりとして柔らかそうな唇、見ていると吸い込まれそうな大きな瞳。
ーーこんな顔してたんだな。
薄暗がりの中に改めて見る夏南の横顔は本当に綺麗だった。
「……」
「……かど? おーい」
「みかどさーん。起きてますかー」
何度か夏南に呼ばれてようやく意識が覚醒してくる。夏南が俺の顔の前で手を振りながらこちらを覗きこんでいた。
「急に座りこんだけど大丈夫? 会場の熱気にでもあてられちゃった?」
夏南は笑いながら冗談のように言ったが、どうやら本当に熱気にあてられてしまったようだった。夏南の顔を見ていた後の記憶がごっそり抜け落ちている。
「……あ、あぁ。大丈夫だ。なんでもない」
当然、夏南に見とれていた、なんて答えられるわけもなかった。
「どーせまた下らない事でも考えてたんでしょ! ほら、ぼさっとしてたらユーキのライブ終わっちゃうよ! こんな経験滅多にできないんだから楽しまないと」
「そうだな」
何ともないとわかって安心したのか俺の返事を聞くより先に、夏南の視線は再びステージ上へ向けられていた。
後少しでライブも終わる。
どうせならもうしばらく夏南を見ていよう、と俺は思った。