31 白金と黒銀
「ふむ、聞こえていないようですね。」
目の前の女性に声をかけても返事がない。
こちらに背を向け何かの研究をしているようだ。
「それにしても、相変わらずですね。この部屋は。」
辺りには何かのレポートや設計図が散乱している。
とても広い部屋なのだが、機材やバイオカプセルなどが所せましと置かれているので狭く感じる。
ガラス張りで筒状のカプセルには液体付けにされた生物が保存されており、今にも動き出しそうだ。
カプセルを軽く突いていると。
「んっ?」
どうやらこちらに気付いたようだ。
「あれ? いたんですか?」
「声をかけたのですがね。」
「気づかなかった、ごめんね。」
「いえいえ、それよりもまた例の研究ですか?」
「まぁね~、最近立て続けにやられちゃってるからね。新しい子を製作しているの。」
困ったという表情で女性が答える。
「それは、大変そうですね。」
「ショックは大きいよ・・・・。それで、私に何か用?」
「そうそう、あなたにお伝えしたい情報が。」
道化師のような男は人差し指をピンと立てる。
「おはようございます~。」
「おう、おはよう! 早いな一神。」
「えぇ、休み前に修理依頼をしてた設備の調子を見ておきたくて。」
「そうか、よし俺も一緒に見るよ。」
「いいんすか? あざ~す!」
作業服姿の二人は大きな機械の前に立ちスイッチを入れる。
ピ・・・ピピ・・・・・・ブゥゥン!
「うん、直っているな。」
「みたいですね。」
「よし、みんなの所に行って朝礼だ。」
「は~い。」
今日は休み明け、世間一般ならば憂鬱な日だ。
しかし、この工場で働いている者はそこまで憂鬱ではない。
従業員は1200人。
広大な敷地にあるその工場で一神斎は働いている。
この工場では各工場で作られた物を検査、手直しをするのが一神斎業務である。
各工場から送られてくる物は様々だ。
工業機械から家電まで。
一神斎が席を置く班は最終検査を行う班である、とはいっても作業は難しくない
空港の手荷物検査のようにコンベアで流れてくる物を大きな機械に通し、不具合があった場合はその商品を各手直しの工程へ転送し、発見した不具合をその商品を生産している工場へ報告するだけだ。
人手が足りないときには自分達で手直しを行うこともある。
給料は約20万円。
ボーナスもあり年に二回。残業代もちゃんと支払われる。有給も年10日もらえる。
しかし、有給を使う者はあまりいない。
けっしてブラック企業という訳ではない。
週休4日、これが有給を使う者がほとんどいない理由はこれだ。
大学を卒業し、始めの一年は別の企業で営業として働いていた。
別に営業職が嫌になった訳ではない、コミュニケーション能力はある。
人と話すのは嫌いではない。営業という仕事にも楽しみを見出しており成績こそトップではなかったが1年目にしては中盤くらいにおり周りの評判も決して悪くはなかった。
そんな彼が転職した理由・・・・休日だ。現在は週休4日。営業時代は2日。給料も少し現在の方が良い。
どうだろうか、悩むことは何もない。
たまたま知り合いがこの工場で働いており、正社員を募集していたので誘ってくれたのだ。
前の会社はさっさと辞職し、意気揚々と現在の会社で働いている。
正直金には困っていない。
独身でありこれといった趣味もないのであまり金を使わない。
付き合いでゴルフはするがそこまで熱心に練習をしたりもしないので誘われればする程度である。
休日は外に出かけることもあるが、基本は家で漫画をみたりインターネットで動画などを見ている。インドア派だ。
友人も多くない。
友人は3人しかいない。
しかもそれぞれが別々で知り合っているので共通の友人ではなく遊ぶ時は一対一で遊ぶ。
しかし、お互いを親友と呼べるほど仲が良い。
これ以上友人を作る気はない、というか無理だと思う。
団体で遊ぶのは正直苦手なのである。
それに数が多いと面倒ごとも増える。
現在彼女もいない、だから金を使うことがあまりないのだ。
だが、預金口座にはおよそ一般人が手にすることがないであろう金がある。
学生時代に宝くじがあたり、億単位の金が入った。
そしてそれを元手に株式投資、巨万の富を得たのだ。
といってもどこぞの石油王ほどではない。
もちろん当時は浮かれたものだ。
高級車を買い、高級品を身にまとい、豪華な食事をする・・・・それだけだ。
所詮は一般人。
金があっても思いつくのはその程度。
3ヶ月もすれば飽きてくる。
なぜ金持ちが豪邸を建て、高価な絵画やワインを買いあさるか今なら理由がわかる。
やることがないのだ。
もしくは見栄を張ることで自分を大きく見せたいのだろう。
生まれながらのセレブがスマートなのに対し、0から富を築いたものがどこか下品なのはこのためだろう。
男の夢である豪邸に住み自分の専用のメイド達と酒池肉林な日々を過ごすことも考えたが、別に金が沸いて出る訳ではない。
起業もしていない自分ではいつか金が底をつく。
ならば自分の身の丈にあった贅沢をするに留まったのある。
働いているのは世間体を気にしているからだ。
しかし週休4日でもたまに暇すぎて嫌になる時もあるが、労働意欲がないのも事実。
だから今の仕事は違う意味で転職だと思っている。
だがそれは今までの話であり、最近は事情が違う。
色々と調べたいことがでてきた、それにはこの仕事を続けるのは時間的に少し難しい。
「喉が渇いたな。」
職場に持ってきている手提げ袋に手をいれ水筒を探す。
しかし、水筒らしくものはない。
「しまった、玄関に忘れてきたか。」
「うわぁ、缶コーヒーまで忘れたか。」
職場に自動販売機はいくつもあるが、買いに行くには機械を止めなくてはいけない。
別に休憩するのは悪くはない。
ただ面倒なだけだ。
操縦室は冷房が効いている。
外も効いているがここよりは暑い、しかし喉が渇きがこのまま何も飲まずに潤うはずもない。
「しょうがない、俺1人だからかまわないだろう。」
手を何もない空中に伸ばして”無限の保管庫”の中から缶コーヒーを取り出す。
「微糖でも甘いなぁ~。」
「お~い、一神。」
扉の向こうから声がする。
「は~い、少し待って下さい。」
ロボットの操縦自動運転に切り替え、操縦室の扉をあける。
「あれ、どうしたんですか? 梶野さん。」
「今ちょっと大丈夫か?」
「はい、大丈夫ですよ。」
一神斎は操縦室の片隅のイスを取り出して操縦席の隣に設置する。
「どうぞ。」
「おっ、悪いな。」
缶コーヒーを手渡す。
自分もイスに座って梶野話しかける。
「それで、どうしたんすか?」
「あぁ、今日仕事終わった後で飲みに・・・・飯食いに行かねぇか?」
一神斎はお酒が飲めないので飲みの誘いは断ることが多いがこの人からの誘いは別だ。
一神斎をこの仕事を紹介してくれたのは梶野だ。
それにこの人は他人に酒を強要しない。
「いいですよ、今日は定時で終わるでしょう?」
「おう、今日は定時だ。仕事が終わって風呂入ったらいつもの店に行こうぜ。」
「わかりました、今日は電車で来たんで俺も風呂入って帰ります。」
「よし、じゃぁ今日も安全第一でな。コーヒーごちそうさん!」
「はい。」
一神斎は扉が閉まるのを確認すると、モニターでロボットの動きを確認しつつ点検簿に記入していく。